支援魔法
適正検査のあと。
俺は新人センターの食堂で、岩猪の生姜焼き定食を前にしていた。大きめに切られた肉には照りのある茶色いタレが絡み、千切りの地下葉野菜と茸の味噌汁までついて680円。新人向け施設の食堂だから、もっと味気ないものを想像していた。
箸で肉を1切れ取って口へ入れる。豚肉に近いけれど、それより少し味が濃い。生姜の効いた甘辛いタレに負けず、噛むほど肉そのものの旨味が出てきた。
「……うま」
昨日から何度目だろう、この感想。青灯亭みたいにわざわざ誰かを連れてきたくなる店とは違う。それでも施設の食堂で普通にこれが出てくるなら、地下は飯の平均点がかなり高い。
「地下、飯の平均点高くない?」
誰に言うでもなく呟いて、もう1口食べる。美味い。なのに今日は味わうより先に箸が進み、気づけば何度も壁の時計へ目をやっていた。
先生に言われた時間は13時。まだ30分以上ある。急いで食べたところで時間が進むわけではないのに、あと少しで魔法が使えると思うと、妙に落ち着かなかった。
生姜焼きを最後の1切れまで食べ終え、食器を返却口へ置く。結局10分以上早く席を立ち、午前中に教えてもらった青い床線を辿って訓練室へ向かった。
途中で、道を教えてくれた関西弁の男の顔を思い出す。あの人も地上出身だと言っていた。名前すら聞いていないのに妙に覚えているのは、地下で地上の話を普通にできる相手がいたことが、思ったより嬉しかったからかもしれない。
訓練室へ入ったのは13時の5分前だった。壁際には木剣や砂袋、いくつかの測定器が並び、中央だけが広く空いている。鳴海先生はすでに来ていて、壁にもたれながら紙コップのコーヒーを飲んでいた。
「早いわね」
「待てなくて」
「なにそれ、子供みたい」
「仕方ないでしょ、自分で魔法使うの初めてなんでそりゃワクワクしますって」
先生は小さく肩をすくめ、紙コップを棚へ置いた。そのまま端末を操作すると、訓練内容の欄に1つの魔法名が表示される。
【制御補助】
「制御補助?」
「相手が使ってる魔法のブレを減らす支援。簡単に言えば、少し扱いやすくする魔法ね」
「なるほど……どうしてこの魔法なんです?」
先生が午前中の検査記録を開く。俺が見せられた6項目とは違い、画面には細かな波形や数値が並んでいた。受検者向けの表示は簡易版で、講師側では各系統への反応をもう少し詳しく確認できるらしい。
「君は制御適性が高い。それに支援系の中でも、他人の魔力の流れへ自分の魔力を合わせる反応がかなり強かった」
「適性検査でそこまで分かるんですね」
「正式な項目があるわけじゃないけど、それくらいは分かるのよ」
先生は画面の波形を指先でなぞりながら続けた。制御補助は、自分の魔力を細かく扱えればそれでいい魔法ではない。相手が何をしようとして、どう魔力を流しているのかを読めなければ、助けるどころか邪魔になることもあるという。
「じゃあ、検査結果を見る限りは俺と相性がいい?」
「かなりね。ただ、実際にできるかは今から見る」
一瞬期待したが、表示された魔法名はどう見ても派手ではない。火球でも雷でもなく、「相手を少し扱いやすくする」。口に出す前から答えは分かっていた。
「……地味ですね」
「地味ね」
端末に表示された説明をもう1度読み直して、別の疑問が浮かんだ。
「これ、相手の魔法を助けるってことは……1人じゃ使えないんですよね」
「だから今日は私が相手。支援魔法はそういう面倒さもあるけど、今の君は先のこと考えるより1回使ってみた方が早いわ」
確かに、まだ成功するかどうかすら分からない。
探索者としてどう使うかを考えるのは、そのあとでも遅くなさそうだった。
「分かりました。じゃあ、その前に1個だけいいです?」
「何?」
俺は端末の隅に表示されていた火属性訓練の項目へ目をやった。昨日ナギさんの水魔法を見たばかりだが、まだ見ていない魔法への興味はまったく減っていない。
「先生、火魔法も使えるんですよね」
「使えるけど」
「1回だけ見せてもらっていいです?」
鳴海先生は、少しだけ面倒そうな顔をした。
それでも俺が待っていると、諦めたように訓練室の奥にある黒い円形標的へ目を向ける。
「……1回だけよ。あれ、耐魔法標的だから」
先生が右手を上げると、人差し指の先に小さな赤い火が灯った。映像では何度も見たことがある。でも、何もない空間に炎が生まれるのを目の前で見ると、理屈を知っていても声が出た。
「おお……!」
俺の反応を見て、先生の口元が少しだけ緩む。
「……せっかくなら、もうちょっと魔法らしい方がいいか」
「先生?」
指先の火がひと回り大きくなり、さらに赤い光が中心へ圧縮されていく。さっきまで蝋燭ほどだった炎が白みを帯び、離れて立っている俺の頬にも熱が届いた。
「このくらい……いや、もうちょっと」
「……先生?」
「せっかくだし」
嫌な予感がした直後、轟音が訓練室を揺らした。赤い閃光が一直線に走り、耐魔法標的の中心を撃ち抜く。そのまま後ろの測定器へ突き刺さり、派手な火花を散らした。
焼けた金属片が床へ落ちる。カラン、とやけに軽い音がして、訓練室が静まり返った。標的の中心には綺麗な穴が開き、その向こうで測定器から細い煙が上がっている。
「……耐魔法標的って言ってませんでした?」
「言ったわね」
「貫通してますけど」
「……してるわね」
先生は壊れた測定器を数秒見つめ、ほんの少しだけ目を逸らした。
「……ちょっと魔力入れすぎた」
「ちょっと?」
天井の警告灯が赤く点滅し、壁のスピーカーから職員の声が飛んできた。「訓練室3番、異常出力を検知しました。大丈夫ですか?」。先生は通話ボタンを押し、「大丈夫。訓練中の事故」と答える。
「設備の破損は?」
1拍だけ間があった。先生が煙を上げる測定器を見る。
「……あとで報告書出すわ」
スピーカーの向こうから深いため息が聞こえ、通話が切れた。
「先生、結構おっちょこちょいなんですね」
「今のは忘れなさい」
「無理だと思います」
初めて間近で見た火魔法は、想像していたよりずっと派手だった。ついでに先生も落ち着いて見えるわりに時々だいぶ派手らしい。
本人は壊れた測定器をひとまず視界から外し、何事もなかったように掌を上へ向けた。白っぽい光が集まり、親指ほどの小さな球になる。炎でも水でもなく、ただの魔力を丸くまとめた訓練用の魔力球らしい。よく見ると輪郭がわずかに揺れていた。
「はい。今度こそ君の訓練」
「切り替え早すぎでしょ」
「壊れたものは今直らないでしょう。これを一定の大きさで維持するから、私に支援をかけてみて」
「先生に?」
「他にだれがいるの」
先生は魔力球を指先へ移し、俺へ右手を向けるよう促した。
「魔法をかける相手は球じゃなくて、私よ」
「魔力球じゃなく?」
「君が魔力球を操作するんじゃないの。私が球を維持しているから、その制御を少しだけ助けるの。私が何をしようとしてるかを見て、余計な揺れだけ減らす感じ」
昨日、ナギさんも水魔法について「感覚です」と言っていた。魔法というものは、理屈で入口まで行けても、最後は自分で掴むしかないらしい。
俺は先生へ右手を向けた。1回目は何も起きない。2回目も変化なし。3回目も魔力球は同じように小さく震えていた。
「もしかしてさっきの検査結果、ミスってません?」
「3回失敗したくらいで検査機を疑わないの。君、自分から何かしようとしすぎ」
先生は魔力球を消さずに、空いた手で俺の右手を少し下げた。
「私の魔力を君が動かそうとするんじゃなくて、まずは私がどう動かしてるかを見る。邪魔になってるところだけ減らすの」
球ではなく、鳴海先生を見る。指先、手首、呼吸。先生が魔力を送るたび、球の縁がわずかに揺れ、その揺れをすぐ本人が押さえている。
俺がやるんじゃない。先生がやろうとしていることに、ほんの少しだけ沿う。
そう考えた瞬間、右手の指先が微かに熱を持った。何か薄い膜へ触れたような感覚があり、魔力球の輪郭が一瞬だけ止まる。
「……今」
「お、いい感じね」
すぐに球は元の小さな揺れへ戻った。それでも先生によれば、球の形を保つために使っていた集中が一瞬だけ軽くなったらしい。見た目にはほとんど何も変わらない。
火も出ないし、水も浮かない。白い球が一瞬だけ綺麗な丸になっただけだ。
「……これ、地味だな」
「だから最初から言ってるでしょ」
でも、俺がやった。地上では1度も触れられなかった魔法を、自分の意思で使った。しかも自分1人では何も起こせない魔法で、誰かの魔法にほんの少しだけ変化を与えた。
「めっちゃ嬉しい……」
結局、口から出たのはそれだった。先生が呆れたような、少し面白そうな顔で笑う。
「そんな嬉しい?」
「嬉しいですよ! 俺、今まで地上にいたんですよ。魔法なんて夢物語だったんですから。もう1回やっていいですか?」
「いいけど、今日はあと2回まで」
「少なくないですか?」
「初日に魔力切れ起こして吐く人、毎月いるのよ。君は魔力量が少し多いけど、それでも初日は初日」
理由はまともだった。
5回目は1秒ほど。6回目は、たぶん3秒くらい。その間だけ、先生の魔力球は輪郭の揺れをほとんど消した。
「はい、終わり」
「もう1回だけ」
「ダメ」
「次、もうちょいいけそうなんですけど」
「そういう人が吐くの」
先生は俺の右手を軽く押し下げた。面白くなったら「もう1回」を繰り返すタイプだ、と言われて少し言葉に詰まる。否定しづらかった。
「分かりました」
俺が素直に手を下ろすと、先生は一瞬こちらを見てから、またいつもの調子に戻った。
「聞き分けはいいのね」
「これって、他の人の魔法にも使えるんです?」
「相手と魔法次第。制御が細かい魔法ほど恩恵は出やすいわね。ただし、相手の癖を読めないうちは逆に邪魔することもある」
「邪魔になるんですか」
「勝手にハンドル触られたら運転しにくいでしょう。それと同じ。何が得意で、どこで無駄が出て、何をしようとしてるのか。支援する相手をちゃんと見なさい」
その言葉を聞いた瞬間、昨日の水魔法が頭に浮かんだ。ナギさんは細い水の流れをいくつにも分け、道具の隙間を縫うように動かしていた。あれだけ細かく制御しているなら、制御補助を重ねた時に何か変わるかもしれない。
◇
新人センターを出ると、白い人工灯が変わらず街を照らしていた。歩きながら右手を開いたり閉じたりする。今の俺ができたのは、鳴海先生の魔力球を3秒ほど安定させただけだ。
「……地味だな」
1度つぶやいて、それでも少し笑った。
今朝までは、魔法を使うナギさんをただ見ているだけだった。でも今なら、ほんの少しだけ何かできるかもしれない。あの細い水の流れに自分の魔法を重ねたらどうなるのか、考え始めると試してみたくて仕方がなくなる。
「……今度、頼んでみるか」
火も出せない。水も出せない。1人で魔獣を倒せるようになったわけでもない。それでも、自分にも地下でしかできないことが1つ増えた。
その事実だけで、今日は十分だった。




