適正検査
翌朝。
昨日の疲れが残っていたのか、目を覚ましたのはいつもよりずっと遅かった。
身体を起こしても、まだ少しだけ重い。19時間の移動に、着いたその日に仕事までしたのだから当然かもしれない。
顔を洗って身支度を済ませ、寮を出る途中でコンビニに寄った。
朝食代わりに買ったのは、岩鱒の塩焼きおにぎり1つ。
岩鱒。地下水路や地底湖で養殖されている、鮭や鱒に近い魚らしい。
歩きながら包みを開けて1口かじる。
「……うま」
昨日から、こんなことばかり言っている気がする。
味は鮭に近い。でも少し脂が強くて、塩気の向こうにちゃんと魚の旨味がある。米との相性もいい。
ただのコンビニのおにぎりなのに、普通に美味い。
地下に来てから、食べ物の当たりが妙に多い。
そんなことを考えながら歩いているうちに、時計は11時前になっていた。
◇
俺は中央駅の近くにある新人センターへ来ていた。
地上から来た人間向けの窓口をまとめた施設らしく、建物は思っていたより大きい。
入口を入ると、『生活相談』『就労案内』『魔素順応相談』『資格登録』『探索者案内』と案内板が並んでいる。
目的の魔法適性検査も表示されていたが、矢印を追うと1度2階へ上がり、そこから連絡通路を渡って別棟へ行くらしい。
「……分かりづらいな」
案内板とスマホを交互に見ながら、右へ行って、やっぱり左へ戻る。
「兄ちゃん、何探してんの?」
後ろから声をかけられた。
振り返ると、俺より少し年上に見える男が立っていた。使い込まれた探索用の上着に、小さな肩掛けバッグ。手には薄い端末を持っている。
そして何より耳に残ったのは、軽い関西弁だった。
「魔法適性検査です」
「ああ、それならこっちちゃうで」
「え」
「この階段上がって、奥の連絡通路渡るんや。別棟の2階。案内ちっちゃいから初見やとだいたい1回間違う」
やっぱり俺だけではなかったらしい。
「助かります。案内見てもよく分からなくて」
「新人センター言うくせに、新人に優しくない造りしとるやろ」
男が笑った。
「俺もそっち行くから、途中まで一緒に行こか」
「ありがとうございます」
並んで階段を上がる。
「昨日来たばっか?」
「分かります?」
「歩き方が観光客やもん」
「そんなに?」
「嘘や。靴が綺麗やったから」
笑われた。
妙に距離が近い人だ。
「何日前?」
「昨日です」
「昨日!? ほな、まだ何見てもおもろい頃やな」
その言い方に少し引っかかった。
「もしかして、地上出身ですか?」
男が少しだけ目を丸くしたあと、笑った。
「お、分かる?」
「喋り方でなんとなく」
「せやで。地上から降りてきた組」
地下へ来てから、初めて会った地上出身者かもしれない。それだけで少し親近感が湧いた。
「地上組見つけると、ちょっと嬉しなるんよ。ここ、慣れるまで何でも変やろ」
「変というか、まだ全部珍しいです」
「それでええねん。そのうち慣れる」
連絡通路の手前で、男が足を止めた。
「ここ渡って右。床の青い線追ったら検査受付や」
「ありがとうございます」
「ほな新人、頑張りや」
そう言って、男は別の廊下へ曲がっていった。名前も聞かなかった。何の仕事をしているのかも分からない。ただ、地下で普通に暮らしている地上出身者がいる。その事実が、少しだけ心強かった。
教えられた通り青い線を辿ると、今度はすぐに見つかった。
【魔法適性検査 受付】
受付で登録証を出すと、職員が画面を確認した。
「地下就労支援で入域された方ですね。初回検査は無料です」
「無料?」
思わず聞き返した。
「はい。案内メールにも記載があります」
「……そうですか」
また案内メールだった。昨日、寝る前にちゃんと読もうと思っていたことを思い出す。読んでいない。
受付を済ませると、小さな検査室へ通された。
机の上には透明な板と、両手を置ける大きさの黒い測定盤。
その向こう側には、紙コップを片手にした女性が1人立っていた。
30代前半くらいだろうか。少し長めの髪をラフにまとめ、動きやすそうな上着を着ている。気取らない格好なのに、こちらを見る目だけは妙に鋭かった。
「水原圭さん?」
「はい」
「鳴海トウカ。基礎魔法の講師。今日は検査と結果の説明を担当するわ」
ものすごくざっくりした自己紹介だった。
「先生なんですか?」
「失礼ね。これでも一応」
一応なんだ。
鳴海先生は紙コップを机の端へ置き、黒い測定盤を指した。
「じゃ、両手ここ。力まなくていいから」
言われるまま掌を載せると、黒い板の中を細い光が走った。白、青、赤、緑。何色もの筋が指の下から広がっていく。
「おお……」
「そんなに楽しい?」
「ちょっと」
それだけで少し楽しい。俺の身体の中にある何かが、魔素と反応している。その事実だけで妙にわくわくした。
数分後、机の端末に結果が表示された。
【魔力量 やや高】
【魔素親和性 標準】
【制御適性 高】
【基本属性(火、水、風、雷、氷) 適性なし】
【回復属性 適性なし】
【特殊属性 支援魔法:突出】
鳴海先生が俺の隣へ来て、画面を覗き込んだ。
近い。
ラフな格好に気を取られていたが、こうして横顔を間近で見るとしっかり美人だった。すっと切れ長の涼しげな目元に、通った鼻筋。ふわりと、甘すぎない香水の匂いがした。
一瞬だけ心臓が跳ねる。俺がわずかに身体を引いたことにも気づいていないのか、鳴海先生は画面へ顔を近づけたまま数字を追った。
「魔力量はやや高め。制御もいい。親和性は普通」
「おお」
「基本属性は……なし。回復もなし」
「……マジか」
昨日、ナギさんが宙に浮かべていた水球を思い出す。あれを自分でもやってみたかった。
「水球は?」
「無理ね」
「指から火とかも?」
「それも無理」
「……結構楽しみにしてたんですけど」
「残念だったわね」
容赦がない。思っていたより、普通にショックだった。
その横で、鳴海先生の指が最後の項目で止まる。さっきまで淡々と結果を読んでいた目が、そこで初めて少しだけ変わった。
「……あら」
「なんです?」
「ちょっと待って。これ、面白いわ」
画面を指で拡大し、何か別の数値を確かめ始める。俺には似たような波形にしか見えないが、鳴海先生は数秒見比べてから小さく頷いた。
「支援魔法……突出」
「そこだけ綺麗に跳ねてる。制御も高いし、魔力量も悪くない。支援術士として見れば、かなりいい結果よ」
「かなり?」
「少なくとも、結果だけ渡して帰すのはもったいないくらいには」
基本属性が全滅した直後なので、喜んでいいのか少し分からない。それでも『突出』という文字を見直すと、さっきよりは気分が上向いた。
「……支援魔法かあ」
「不満そうね」
「いや、魔法使えるなら嬉しいですけど。火とか水とか、もっと分かりやすいの想像してたんで」
鳴海先生は「ああ」と納得したように紙コップへ手を伸ばした。
「分かる。支援魔法ってはっきりいって地味なのよね」
「先生がそれ言うんですか」
「派手じゃないのは事実だから。でも、地味なのと弱いのは別」
そう言ってから、鳴海先生は一度だけ端末から視線を外した。
「私も昔、探索者やってたの。剣を振り回してたこともあるし、攻撃魔法も使える」
「先生が?」
「その反応、失礼ね」
「いや、今の格好から全然想像できなくて」
呆れたように言いながらも、本気で怒ってはいないらしい。口元が少しだけ笑っている。
「支援魔法って、あると違うんですか?」
聞くと、鳴海先生は少し考えた。長い説明を探すような間ではなく、昔の感覚を思い出しているように見えた。
「そうね。前衛なら、あと半歩踏み込める感じ」
「半歩」
半歩、と言われると大したことがないようにも聞こえる。でも魔獣と向かい合っている最中の半歩なら、たぶん意味は全然違う。
鳴海先生はもう一度検査結果へ目を落とし、最後の『支援魔法:突出』を指先で軽く叩いた。
「まあ、これが当たりか外れかは、今ここで決めなくていいわ」
「そうなんです?」
「自分で1回使ってみた方が早い。数字見ながらイメージで色々言ってても分からないでしょ」
「使えるんですか、今日?」
「そのつもり。午後、時間ある?」
一瞬考えるまでもなかった。
「あります」
「即答ね」
「昨日初めて魔法を間近で見たんですよ。自分でも使えるなら、そりゃやりたいです」
さっきまでちょっと残念に思っていたのは本当だ。
でも、支援魔法とはいえ、自分で魔法を使ってみたい気持ちは本当だった。
「じゃあ13時。昼食べてから訓練室に来て。何を覚えるかは、それまでにこっちで決めとく」
「今教えてくれないんですか?」
「待てない子ね」
「気になるじゃないですか」
「13時まで待ちなさい」
取りつく島がない。
鳴海先生は検査結果を閉じ、空になった紙コップを片手で潰した。
「本当に支援魔法の才能があるのか、午後に確認しましょう」
時計を見ると、12時を少し回っていた。
火も水も使えない。その残念さはまだ少し残っている。でも、あと1時間もしないうちに、自分で魔法を使えるかもしれない。
その前に、まずは昼食を食べよう。




