幸運
ここは第4標識から北西へ伸びる支路。初級の頃なら、地図を見た時点で候補から外していた場所だ。
通路は狭く、ところどころ天井が低い。晶灰鉱の鉱脈が壁面へ露出している代わりに、鉱牙鼠の巣も多い。
依頼は指定量の採取、それ以上は買い取り。やること自体は単純だった。
「3匹。右奥にも2匹います」
ナギが小声で言う。前方の岩陰から鉱牙鼠が3匹。少し離れた穴の中に2匹。
初級の頃なら、1度下がって1群ずつ釣り出していたかもしれない。
シズルが剣を抜いた。
「前、3」
「後ろの2匹はナギ」
俺はシズルの踏み込みを見る。
右足。
重心が落ちる。
【加速補助】
シズルの身体が1段前へ出た。
1匹目の噛みつきを横へ抜け、首元へ剣を当てる。
その瞬間、俺はもうナギへ視線を移していた。
穴から出てきた2匹へ、ナギが水を走らせる。
【水縛】
2本に分かれた水が、それぞれ前脚へ絡む。
片方が強く暴れ、水の形が少し崩れた。
俺はその魔力の歪みを見逃さない。
【制御補助】
ナギの魔力へ触れ、広がりかけた流れだけを締める。水縛が戻った。
シズルの方で金属音。見れば3匹目が横から飛び込んでいる。
しまった。ナギへ意識を寄せすぎた。
シズルは自力で半歩引き、牙を剣の腹で逸らした。
「ごめん!」
「全然」
責めてはいない。でも、分かっている。
怜司は4人を見ていた。
俺は2人を見ようとしただけで、1人を一瞬見失った。まだ全然だ。
シズルが残りを斬る。ナギが拘束した2匹は、俺が魔力銃で1匹の足元を撃って体勢を崩し、もう1匹をシズルが回り込んで処理した。
5匹。1分もかかっていない。
でも俺の中では、反省点の方が大きかった。
「まだ!」
ナギの声に振り向く。
背後の低い岩棚から、もう1匹の鉱牙鼠が飛び出していた。
ナギとの距離が近い。水弾を作るには、一瞬遅い。
ナギが右手を横へ払った。
【水刃】
細く圧縮された水が、半月みたいな形で走る。
鉱牙鼠の頬から肩へ浅い傷が入り、飛び込む軌道が横へ逸れた。
そこへシズルの剣。
今度こそ静かになった。
俺はナギを見る。
「水刃、前より発動早くなってない?」
「最近ちょっと慣れてきたんですよね」
ナギは自分の手を見て、軽く開いたり閉じたりする。
シズルが倒れた鉱牙鼠を見る。
「浅い」
「威力はまだそんなにですけど、とりあえず自分の身が守れればいいかなって」
「いいと思う」
俺も同意だった。ナギが前衛になる必要はない。今みたいな奇襲を一瞬でもいなせれば、シズルが間に合う。
当面はそれで充分だ。
戦闘後、俺たちは鉱脈へ取りかかった。
晶灰鉱は灰色の岩の中に、銀色の細い筋として混じっている。
採取自体は地味だ。
まずは全員でつるはしで周囲を崩し、その後ナギが細い水を亀裂へ入れて粉塵を流し、シズルが剣ではなく採取用の楔を打つ。俺は袋を持つ。
「俺だけ仕事しょぼくない?」
「袋、大事ですよ」
「落としたら減額」
指定量を集め終わった時点で、まだ余裕があった。
周囲の魔獣反応と帰路の時間を確認して、追加で採る量を2袋分と決める。それ以上はやらない。
欲張ってもいいことはないのは、これまでの人生で嫌というほど経験している。
◇
帰還後の査定は、基本報酬82万円。追加採取分が23万円。合計105万円。
3人で顔を見合わせた。
「……1日で?」
「だから中級なんですって」
「すご」
その後も休みを挟みながら中級依頼をこなした。測量杭の回収、魔獣の個体数調整、素材の護送。数を重ねるうちに、シズルとナギの動きへ支援を切り替えるタイミングも少しずつ掴めてきた。怜司みたいに何人も同時に見るにはまだ遠いけど、最初よりは確実に余裕がある。
◇
金策を始めてから10日目。依頼は、第4標識から南へ下った低地の排水路確認だった。
雨のない地下で排水路というのも妙だけど、地脈から染み出す水を逃がすための古い通路らしい。
奥で岩殻蟹を3匹処理したあと、ナギが壁際で止まった。
「これ、何でしょう」
水に半分浸かった岩の隙間で、青白いものが光っている。
掘り出してみると、細い金属製の腕輪だった。中央には親指ほどの透明な珠が嵌め込まれ、その奥で淡い光が揺れている。明らかに普通の装飾品じゃない。
「迷宮遺物?」
ナギが魔力を流そうとして、手を止める。
「勝手に触らない方がいいですね」
「だな。協会で鑑定してもらおう」
腕輪は回収袋へ入れて協会へ持ち帰った。
◇
協会の専門窓口に持ち込んでからしばらくして、鑑定結果が出た。
『迷宮遺物――水源珠の腕輪』
創水魔法の効率を高め、生み出せる水の量を増やす魔導具。
水魔法そのものの威力を上げるものではないが、周囲に水場がない場所でも戦闘に必要な水を確保しやすくなるらしい。
「これ、ナギの戦い方と相性いいんじゃないか?」
「そんな気がします」
鑑定担当の職員が、そのまま買い取り参考額を表示した。
『買い取り参考額 88万円』
「88万!?」
思わず画面へ顔を寄せる。装備品1つで88万円。
借金残高を考えれば、かなり大きい。
「売ろう」
「判断早くないです?」
「88万だぞ」
「さっきは私に合いそうって話してたじゃないですか……」
ナギの顔が曇る。
シズルが腕輪と俺を交互に見る。
「……圭くん、金の亡者」
「金策中なんだから仕方ないだろ」
職員が苦笑しながら、試用もできると教えてくれた。
売却を決める前なら、鑑定室隣の試験区画で実際の効果を確認できるらしい。
「じゃあ、一応使ってみるか」
「一応なんですね」
◇
試験区画は床も壁も乾いた石で、水気はほとんどない。
こういう場所はナギにとって明確に戦いにくい。
普段なら、まず創水で最低限の水を用意するだけでもそれなりに魔力を使う。
ナギが水源珠の腕輪を着け、掌を前へ向けた。透明な珠が淡く光る。
次の瞬間、何もなかった空中から水が溢れた。
俺が想像していた量より、明らかに水量が多い。
足元へ落ちた水が広がり、ナギが指を動かすと、そのまま太い流れになって持ち上がった。
1本を【水縛】に使える太さまでまとめる。それでもまだ余る。残った水から水弾を2つ作り、さらに細い流れを床へ這わせた。
「これ、かなり楽です!」
声が弾んでいる。
いつものナギなら、水のない場所でここまでやれば創水だけでそれなりに消耗するはずだ。でも今は、ほとんど水場で戦っている時と変わらない。
「ちょっと待って……これ結構強くない?」
「自分でいうのも何ですけど、私の戦い方とかなり相性いいです」
シズルも迷いなく頷いた。
「絶対、売らない方がいい」
俺はさっきまで魅力的に見えていた『88万円』の表示を思い出した。88万円は大きい。でも、この腕輪があればナギは水の乏しい区画でも普段に近い戦い方ができる。依頼の選択肢が増える。安全性も上がる。それを3人で何度も使える。
「これ売るのはさすがに勿体ないだろ」
「誰かさん、さっきは売ろうって即答してましたよね」
「……ごめんなさい。これはナギに使ってもらおう」
ナギは腕の水源珠へ触れた。いつもより明るい表情をしている。
新しい装備品が手に入って喜んでいるようだ。
◇
翌日も俺たちは潜った。依頼は排水路から少し離れた旧作業区画の通行確認。
前日より報酬は低い代わりに、魔獣の目撃情報も少ない。
金策中とはいえ、毎日危険度の高い依頼ばかり選ぶつもりはなかった。
午前中は何事もなく進み、崩れた資材置き場の奥を確認していた時だった。
シズルが瓦礫の隙間で足を止める。
半分埋まった古い金属箱。その中に、黒に近い濃紺の鞘が見えた。
「刀!」
瓦礫をどけると、1振りの刀が出てきた。
鞘も柄もひどく古いのに、不思議なくらい傷みがない。鍔の周囲には細い銀色の紋様が走っている。
「……いや、待って。2日連続?」
「私も今同じこと思いました」
「迷宮遺物って、そんなぽんぽん落ちてるものなの?」
「めちゃくちゃ運がいいですよ、これは」
俺とナギが顔を見合わせる横で、シズルは刀から1度も目を離していなかった。
「これ、ほしい」
シズルが手を伸ばしかけるのをナギが慌てて止めた。
「そのまま。そのまま持って帰ろう」
「はやく使いたい」
「シズル、落ち着いて」
だだをこねるシズルを2人で宥めながら、刀は協会へ持ち帰った。
◇
「2日連続で迷宮遺物ですか……さすがに私も初めてです」
鑑定室では昨日と同じ職員が担当していて、2日連続の持ち込みに驚いていた。
持ち込まれた刀をしばらく目視で確認すると、慌てた様子でベテランと思わしき職員を呼ぶ。さらに奥から、見たことのない鑑定器まで運ばれてくる。
「……なんか大ごとになってない?」
「なってますねえ」
シズルだけは黙って刀を見ていた。
やがて結果が表示される。
『迷宮遺物――紫電』
雷属性を内包した刀型の迷宮遺物。
使用者の魔力を刀身内部の術式で雷へ変換し、刃へまとわせる。
斬撃と同時に接触部へ放電し、通常の斬撃に加えて雷撃と短い痺れを与える。
雷属性への適性は不要。
連続して高出力を使えば刀身が熱を持ち、出力が落ちるため常時全開にはできない。
試験台の上で、シズルが紫電を抜く。
細身の刀身へ魔力を流した瞬間、青白い雷が走った。
音は小さい。でも、空気が1度だけ震えた。
シズルが軽く振る。
試験用の木製標的へ刃が入った直後、遅れて乾いた破裂音。
切断面の周囲が黒く焦げた。
「あのー、それ強すぎない?」
「やばすぎでは?」
シズルは刀身を見る。いつもと変わらない顔なのに、目が異常にキラキラしている。
「これ、いい!」
職員が苦笑して、鑑定器の別の画面を表示した。
『買い取り参考額 約2000万円』
「2000万円!?」
昨日の水源珠の腕輪が88万円。あれだって十分に高価だった。
その20倍以上。今の俺の借金どころか、金策そのものを一気に終わらせられる額だ。
「いや、さすがに売るだろ。これは」
ナギもさすがに否定しなかった。2000万円。装備1つに残すには、今の俺たちには大きすぎる。
なのに、シズルだけが紫電を鞘へ戻さなかった。
「……これ、使いたい」
シズルが紫電を抱えるように持った。
普段ほとんど表情を変えないのに、今日は少しだけ眉が下がっている。
こっちを見る目も、気のせいじゃなければ妙に潤んでいた。
「使いたい」
「いやいや、2000万だぞ?」
「……だめ?」
だめ、と言い切るつもりだった。その横でナギが口元を押さえている。
完全に笑いを堪えていた。
「珍しいですね。シズルさんがこんなに欲しがるの」
「ナギ、面白がってない?」
「ちょっとだけ」
俺はもう1度、紫電を見る。高い。ものすごく高い。
でも、シズルとの相性がいいのも事実だった。
【加速補助】で一気に間合いを詰め、その速度のまま斬る。
そこへ雷撃と痺れまで乗るなら、今まで倒し切れなかった相手を一撃で崩せる可能性がある。
前衛の火力が上がれば、ナギと俺が危険に晒される時間も短くなる。
2000万円を現金で受け取るのも大きい。けど、同じ格の武器を後から買おうとしたって、そう簡単に見つかるとは思えない。
シズルはまだこっちを見ていた。
「……分かったよ」
その瞬間、シズルの目が少しだけ大きくなる。
「売らない。シズルが使おう」
「ほんと!?」
「ただし、交換条件」
紫電を抱えたまま、シズルが首を傾げる。
「次にこういう高い装備品を拾ったら、ナギか俺が優先。シズルは1回譲る。いいな?」
「うん!」
間がなかった。
「即答だな」
「うん」
嬉しそうに紫電をなでるシズルを見て、ナギがとうとう吹き出した。
「本当に欲しかったんですねえ」
「欲しかった。紫電、かっこいい」
「まあ、シズルがこれ使ったら戦闘はかなり楽になりそうだしな」
シズルは満足そうに紫電の柄へ手を添えた。目の奥がキラキラしている。
まあ、仕方ない。大幅な戦力アップになるのは間違いないし、命を預ける前衛の装備だ。そもそも、迷宮遺物でこんなレア武器が出た時点で俺たちはかなり運がいいのだ。
そう自分に言い聞かせながら、俺は『買い取り参考額 約2000万円』の表示を閉じた。




