完済
金策を始めてから、3週間が経った。
その日の夜、俺たちは青灯亭の奥の席で、3人分の端末をテーブルに並べていた。
料理が来る前に済ませてしまおう、と始めた収支確認だったけれど、数字を足していくうちに誰も口を挟まなくなった。
「……もう1回計算していい?」
「もう4回目です」
「圭くん、落ち着いて」
中級へ上がってから受けた依頼の報酬と、通常素材の売却分を合わせると、3週間の総収入はおよそ1700万円。そこから協会手数料、消耗品、装備修理、食料、交通費なんかを引いて、《暁》のパーティ資金として残ったのが約1450万円だった。
今のところ、依頼で稼いだ金はすぐ3等分せず、装備や消耗品、それから金策開始時に決めた目標へ優先して使うことにしている。もちろん、水源珠の腕輪も紫電も売っていない。あの2つまで現金化していれば数字はとんでもないことになっていたけれど、もう俺たちの装備だ。
「中級、すごいな」
「ちゃんと仕事できればですけどね」
「いっぱい潜った」
シズルは満足そうだった。実際、よく潜ったと思う。
休む日は休んだし、危険度だけを見て無茶な依頼を選ぶこともしなかった。それでも、初級の頃とは稼げる額がまるで違う。
俺は自分の端末へ視線を戻した。
『借入残高 346万2000円』
3週間前、ここで同じ数字を見ながら「終わらせよう」と言った。
あの時はまだ、言葉にして自分を追い込んだだけだった気もする。
でも今は、《暁》の資金だけで全部返せる。
「……いや、でもこれ俺個人の借金だぞ」
「今さらですか?」
「今さらって」
「この3週間、借金を返して装備を整えるために稼ごうって話だったじゃないですか」
「そう」
2人とも迷いがない。俺としてはありがたいけれど、346万円をパーティの資金から出す、と考えるとどうしても一瞬引っかかる。
「でも、結構金額でかいぞ」
「それ言ったら、私とシズルは迷宮遺物使わせてもらってる訳ですし。気にすることないですよ」
シズルも首肯する。
ナギと同じく、パーティの共有資金から借金を返済することに異議はないらしい。
「ありがとう。じゃあ、使わせてもらう」
俺は繰上返済の画面を開いた。支払い元を《暁》の共同口座に切り替え、346万2000円を入力する。最後にもう1度、本当に返済しますか、と表示された。
一瞬だけ指が止まった。
惜しいわけじゃない。むしろ早く消したかったはずなのに、いざ本当に消せるとなると妙な感じがする。
地上で全部失って、最後に残ったのがこの数字だった。地下へ来てからも、何か買うたび、何か食べるたび、頭のどこかにずっとあった。
俺は確認ボタンを押した。
『借入残高 0円』
画面はそれだけだった。音も鳴らないし、紙吹雪も出ない。
何度か更新してみても、0円のまま変わらなかった。
「……終わった」
「終わりましたね……」
ナギが俺よりも嬉しそうに笑った。
普段はクールな彼女がここまで素直に笑うのは珍しい。
「おめでとうございます」
「おめでとう」
「ありがとう」
思っていたより、あっけなかった。
これで借金は0円。そして共同口座には、まだ約1100万円残っている。
そこへ料理が運ばれてきた。岩鶏の香草焼きと、地下芋を潰してチーズを載せた熱々の皿。それからナギが勝手に追加していたらしい燻製魚のサラダ。
最後の皿を置いたミオが、そのまま戻らずに俺たち3人の顔を順番に見た。
「……なんかいいことありました?」
「分かる?」
ミオは当然という顔で頷いた。視線が俺の顔で止まる。
「分かりますよ。圭さん、さっきからずっと顔が緩んでますし」
「そんなに?」
自分では普段通りのつもりだった。向かいを見ると、ナギまで少し笑っている。
「そんなにです」
ミオも笑った。
俺は端末に残った『0円』の表示をもう1度見た。まだ見慣れない数字だった。
「さっき、借金全部返した」
ミオの手が止まった。皿を載せていた盆を抱えたまま、一度だけ瞬きをする。
「……え、もう? 圭さん、それ返すために地下まで来たんですよね?」
「まあ、大体合ってる」
はっきり話した覚えはない。
でも、最初の頃から何度もここへ来て、金の話もそれなりにしてきた。
どうやら思っていた以上に察されていたらしい。
「完済したんだ……」
その言い方がおかしくて、俺も少し笑った。
「おめでとうございます」
「ありがとう」
ミオは満足そうに頷くと、空いた皿を盆へ重ねる。
「じゃあ今日は、ちゃんとお祝いしないと、ですね」
そう言って、ミオは厨房へ戻っていった。
それから少しして、頼んだ覚えのない小皿がテーブルへ運ばれてきた。
洞窟茸のバター焼きだった。熱い鉄皿の上で、茸と溶けたバターが小さく音を立てている。
「これ、頼んでないけど」
「マスターからです」
ミオが顎で厨房の方を示した。
見ると、鍋の前にいたマスターがこちらを一度だけ見た。目が合う。
「祝いだ」
それだけ言って、もう鍋へ視線を戻している。
相変わらず短い。でも、それで十分だった。
目の前の皿から立つバターの匂いに、覚えがあった。
地下へ来た初日。ナギに連れられてこの店へ来た時、岩猪の煮込みと一緒に食べた料理だ。
「懐かしいですね」
「覚えてたのかな」
ナギも同じことを思い出したらしい。けれど、俺の疑問には肩をすくめただけだった。
「さあ」
そう言いながら、もう箸は洞窟茸へ伸びている。
「いや、俺のお祝いなんだけど」
「3人で返したんですから、3人のお祝いです」
もっともらしいことを言いながら、ナギは迷いなく1つ取った。
「それはそうだけど食べたいだけだろ」
ナギは答えず、そのまま口へ運ぶ。たぶん図星だった。
俺も1つ取った。表面は香ばしく、中は瑞々しい。噛むとバターの香りが広がる。
あの日とほとんど同じ味だった。
湯気と一緒に、焼けた肉と香草、それに焦げたチーズの匂いが一気に広がった。
「今日は追加でデザートも頼みます?」
「……頼むか。今日は」
「2つずつ?」
「さすがに1人1個でいいだろ」
借金がなくなった日の最初の出費が、パーティ資金からのデザートになった。
食後、俺は共同口座を開いた。約1100万円。
借金を返した後でも、これだけ残っている。
「で、これどうする?」
「ある程度は残しておきたいですね」
「装備」
「だよなあ」
シズルには紫電がある。ナギには水源珠の腕輪がある。
でも、それ以外は中級になった今も初級時代の装備をかなり引きずっている。
俺の魔力銃なんて、まだ新人向けの貸与品だ。
ただ、1100万円あるからといって、適当に高いものを買えばいいわけじゃない。
3人分の防具、探索用品、消耗品まで考えれば、案外あっという間に消える額かもしれない。
「明日、トウカ先生に聞いてみるか」
「いいと思います。あの人なら、こういうの詳しそうですし」
「たぶん高いもの勧めてくる」
「やめて。不安になるから」
◇
翌日、新人センターの訓練室でトウカ先生を捕まえた。
借金を完済したことと、今の《暁》のパーティ資金が約1100万円あることを伝える。
「へえ。ほんとに3週間で終わらせたんだ」
「終わりました。で、残りが1100万円くらい。これ、何に使うのがいいですかね」
「うーん、全部装備にぶち込むか」
「真面目に答えてください」
トウカ先生は笑って、俺たち3人の装備を順番に見た。
シズルの腰にある紫電で1度視線が止まり、水源珠の腕輪を着けたナギを見て、それから俺の魔力銃へ戻る。
「武器だけ見れば、シズルちゃんはしばらく困らないね。それ、紫電でしょ?」
「知ってるんですか?」
「そりゃ知ってるよ。中級が持つ武器じゃないけどね、それ」
シズルが得意気な顔をした。
「ナギちゃんの腕輪も戦い方に合ってる。だから次に優先するなら、3人の防具。それから圭、君の魔力銃。新人用をいつまで使ってるの」
「まだ使えますよ」
「使えると、使うべきは別」
ぐうの音も出なかった。
トウカ先生は端末へいくつか項目を打ち込んでいく。
中級向けの軽量防具、俺の魔力銃、予備の照明、索具、携帯食、救難用の発信具。項目の横にざっくりした予算が並び始めると、1100万円という数字が急に頼りなく見えてきた。
「あと、回復薬」
「それ、今も安いやつは持ってますけど」
トウカ先生の指が止まった。
「《暁》って、回復術士いないよね?」
「いないです」
「じゃあ、そこは絶対ケチっちゃだめ」
さっきまでの軽い調子が少しだけ消える。
「初級なら、怪我したら帰るで済むことが多い。でも中級から先は、怪我した場所から街まで何時間もかかることがある。足をやった、骨を折った。そうなった時、回復術士がいないパーティは一気にきつくなる」
「回復役を入れた方がいいってことですか?」
「入れられるならね。でも都合よく腕のいい回復術士が余ってるわけじゃない。今の3人で潜るなら、とりあえず薬を買うしかないの」
先生が表示したのは、俺たちが普段持っている止血用の薬より1段上の回復薬だった。
傷の治りを早め、出血を抑え、骨折や重傷でも帰還まで動ける可能性を上げる。
ただし、値段も1段どころではなく高い。
「……1本、こんなするんですか?」
「する。でも死ぬより安い」
即答だった。
「最低でも3人が1本ずつ。できれば予備も。誰か1人が全部持つのはなし。そいつが倒れたら終わるから、それぞれ持つ」
「第5標識より先へ行くなら、必要そうですね」
「必要経費」
防具、魔力銃、探索用品、回復薬。
トウカ先生が現実的な範囲に絞ってくれたはずなのに、ざっくり合計すると1000万円近い。
「……待ってください。これ全部揃えたら、パーティ資金ほぼなくなるんですけど!?」
「うん」
「うん、じゃないですよ。昨日まで1450万円あったんですよ?」
「借金なくなった。装備が新しくなる。薬も揃う。何か問題ある?」
「せっかくの貯金が……」
「また稼げばいいじゃないですか」
「潜れる」
「2人とも強いな」
トウカ先生が笑う。
「現金を抱えたまま死ぬより、ちゃんと装備を整えなさい。中級からはそういうお金の使い方も仕事のうち」
そう言ってから、先生は俺の腰にある貸与品の魔力銃を指差した。
「まあ、一気に全部買わなくてもいいよ。でもそれはさっさと替えてきなさい」
「魔力銃?」
「そう。魔力銃は数字だけ見て選ぶと失敗するから。出力、燃費、連射、反動、得意距離。実際に撃って、自分に合うのを探すこと」
「専門店、見に行きます?」
「行く」
俺はもう1度、共同口座の残高を思い出した。借金は0円。資金は1100万円。
なのに数日後には、その大半が装備へ変わっているかもしれない。
「……貯金生活、短かったな」
翌日は、3人で魔力銃を見に行くことになった。




