昇級したのはいいけれど
2章、始まります。
中級になって3日。俺たちは、また探索者協会の依頼端末の前にいた。
昇級したばかりだというのに、シズルはもう完全に次へ行く気らしい。
「はやく第5標識行く」
「シズル、ちょっと落ち着け」
シズルが端末を操作する。表示された中級依頼は、初級の頃とは金額からして違っていた。
晶灰鉱採取が82万円、鉤爪猿群の個体数調整が110万円、第5標識方面の測量杭再設置が145万円、地脈蒸気孔の2日間継続観測が170万円。
全部パーティ報酬とはいえ、見慣れない数字が並んでいる。
「……桁、間違ってない?」
「合ってますよ」
「初級の時、5万円とか10万円とかで喜んでたよな?」
「中級ですからね。その代わり、普通に死ぬ仕事も混ざってます」
「……まじ?」
ナギが地脈蒸気孔の依頼を開く。
毒性ガスの可能性、耐性装備必須、帰還経路の確保。
さらに鉤爪猿群の依頼には、最低確認数20体と書いてある。1匹ずつなら慣れた相手でも、群れになれば話が違う。
「なるほど。100万円もらえるんじゃなくて、100万円もらわないと割に合わない仕事なのか」
「そういうことです」
その横でシズルが別の案件を開いた。
未確認支路の魔獣排除と最奥確認、基本報酬220万円。危険度は中級上位。
「これ」
「お前絶対、報酬じゃなくて危険度で選んだだろ」
シズルが迷いなく頷く。
「却下です」
ナギが呆れた様子で否定する。
結局その場では受注せず、候補をいくつか端末へ保存して協会を出た。
◇
向かったのは青灯亭。いつもの席が空いていたけれど、今日はナギが奥の4人掛けを選んだ。
テーブルに置いた端末を3人で覗けるし、何より今日は少しだけ景気をつけたいらしい。
「中級になったんですし、今日はちょっといいの頼みません?」
「これから借金返す作戦会議なんだけど」
「だからこそですよ。ちゃんと稼ぐ作戦を立てるんですから」
「お肉頼む」
最初の皿を両手に載せてやってきたミオが、テーブルの上を見て少し目を丸くした。
「あれ。今日はずいぶん頼むんですね」
「そんなに違う?」
「違いますよ。皆さん、いつもはもうちょっと慎重じゃないですか」
「今日は作戦会議なんです」
「へえ。お祝いじゃなくて?」
「借金返すための作戦会議」
ミオは岩牛の皿を置きながら、残りの料理が来る場所まで空けられたテーブルを見回した。
「……借金返す人のテーブルには見えませんね」
「それ私もちょっと思いました」
「でも肉は必要」
「はいはい。じゃあ景気よく稼いできてください」
そう言ってミオが笑いながら離れていく。
しばらくして残りの皿も運ばれてきた。厚切りの岩牛を炭火で焼いたステーキ、地下鱒の香草バター焼き、発光茸と熟成チーズのグラタン。それに黒麦パンと、3人で分ける小さな前菜盛り。皿が並ぶだけで、いつもの夕食より明らかに豪華だった。
まず岩牛を切る。焼き目のついた表面から肉汁がにじみ、口に入れると強い旨味のあとに炭の香りが残った。柔らかいのに脂っこくなくて、噛むほど味が濃い。
「……うま」
思わず端末から目が離れた。ナギもグラタンを1口食べて、さっきまでの真面目な顔が分かりやすく緩む。シズルはすでに2切れ目の肉へ行っていた。
「おいしいですね」
「借金返済会議、毎回これにしたら返済遅れそう」
「毎回はだめです」
「毎回がいい」
「シズルはわがまま言わない」
少し贅沢な夕食を挟んだせいか、依頼表の数字も昼間ほど怖く見えなくなった。
俺は自分の端末で銀行画面を開き、2人へ見えるように置く。
借入残高は346万2000円。地下へ来た時から50万円以上減っているとはいえ、まだ笑って済ませられる額じゃない。
「前よりは減りましたね」
「とはいえ、あらためて見るとまだ結構あるよなあ」
俺の魔力銃はまだ新人向けの貸与品。防具も最低限に毛が生えた程度だ。
ナギは昔の装備を手入れしながら使っていて、シズルの剣にも細かな傷が増えている。
中級区域へ進むなら、装備を後回しにするわけにもいかない。
「しばらく、稼ぐ期間にしない?」
2人が顔を上げる。俺は保存していた依頼一覧を開いた。
「3週間くらい。第5標識の先へ急ぐ前に、中級の仕事を何本か回す。借金を終わらせる。それと、3人とも装備をちゃんと中級用にする」
「高額報酬の依頼受けるつもりです?」
「それはやらない。俺たちが安全に完遂できそうな中で、報酬と追加素材がいいやつをどんどん回す」
口にしてから、自分で少し変な感じがした。以前なら、どうせ潜るなら1番大きく取れるところへ行きたいと思っていたはずだ。
「いっぱい潜れる?」
「そこは保証する」
「じゃあ、いい」
「私も賛成です。だったら最初は晶灰鉱ですね。想定魔獣も鉱牙鼠と岩殻蟹が中心ですし、指定量を超えた分は買い取ってもらえます」
端末に表示された基本報酬は82万円。シズルが選んだ220万円案件と比べると地味に見えるけれど、俺たちが何度も戦ってきた相手が中心で、収入の上振れもある。
「地味だけど、金策としては優秀か」
「稼ぐんでしょう?」
「はい」
その時、カウンターのほうから聞き覚えのある声が飛んできた。
「へえ。なかなか探索者らしくなってきたじゃない」
声のした方を見ると、カウンター席にトウカ先生がいた。
仕事帰りなのか、髪が少しだけ崩れている。
飲みかけのコーヒーを置いて席を立つと、そのまま俺たちのテーブルまで歩いてきた。
「トウカ先生」
その名前を聞いた瞬間、ナギが目を瞬いた。
隣ではシズルも、珍しく食事の手を止めて先生の顔を見ている。
「……え。水原さんの先生って、トウカさんだったんですか?」
「知ってるの?」
「そりゃ知ってますよ。昔、かなり有名だった探索者ですよ」
「私も知ってる」
俺が先生を見ると、本人は露骨に面倒そうな顔をした。
「はいはい、昔の話は終わり。今は新人センターの先生です」
「やっぱり有名人だったんじゃないですか」
「そんなことより……噂は聞いたよ。試験中にとんでもないのが出たんだって?」
「まあ、俺たちが倒した訳じゃないですけどね」
「そこは聞いてる。ちゃんと逃げて、援護に徹したんでしょ? 偉い偉い」
軽い言い方なのに、トウカ先生は笑いながら俺たち3人の装備を順番に見た。
俺の腰の魔力銃、ナギの腕当て、最後にシズルの剣。
目線だけで1周したあと、少し呆れたように息を吐く。
「で、その格好のまま中級依頼を回す気?」
「今まさに装備更新の金を稼ごうって話を」
「なら正解。借金あるからって全部返済に突っ込まないこと。中級からは、防具1枚ケチったせいで治療費の方が高くつくなんて普通にあるから」
言われると痛い。俺なら少し前まで、装備を後回しにして1円でも多く返済した方が得だと考えていたかもしれない。
「今後しばらく金策期間にする予定です」
「いいんじゃない? 戦い方も固められるし」
トウカ先生はそう言ってから、俺だけを見た。軽かった目が少しだけ観察するものに変わる。
「君は特にね。今まで1人をちゃんと見る練習ばっかりしてきたでしょ」
「まあ……はい」
「次は2人見なさい」
「2人同時に支援するってことですか?」
「まだそこまでしなくていい。支援をかけるのは1人ずつでいいから、視界と意識からもう1人を消さないこと。」
簡単に言うけど、想像すると難しい。俺は支援を使う時、相手の姿勢や呼吸、魔力の流れまで追おうとしている。その意識を2人へ広げるとなると、今までと同じやり方では頭が追いつかない。
「優秀な支援術士って、魔法をかけるのが速い人じゃないんだよ。常に戦況全体が見えてる人」
なるほど。
頭では理解できるが実際にやるのは難しそうだ。
「……とりあえずやってみます」
「うん。失敗していい依頼からね。いきなり難しい依頼選んだら怒るから」
その言葉に、3人の視線が同時にシズルへ向いた。
「……選んでない」
「選ぼうとはしました」
「あはは。元気でよろしい」
トウカ先生は帰りかけて、ふと俺たちのテーブルを振り返った。そして店員を呼び止めると、何やら追加で注文する。
「先生?」
「中級祝い。先生から1皿くらい奢らせなさい」
追加の料理が出てくるまで、トウカ先生は中級としての心得を教えてくれた。
暫くして出てきたのは、温かい焼き菓子に冷たい乳蜜アイスを添えたデザートだった。溶け始めたアイスが焼き菓子へ染み込み、食欲をそそらせる。3人分の小皿まで一緒に置かれた。
「わ、これ結構高いやつですよ」
「だから祝いなんでしょ。じゃ、明日からちゃんと稼いで」
言うだけ言って、トウカ先生は今度こそ帰っていった。シズルは見送るより早く、デザートを3等分し始めている。
「……そんなにすごい人だったの?」
俺が入口の方を見ながら聞くと、ナギが少し呆れた顔をした。
「水原さん、本当に何も知らずに教わってたんですね」
「本人、昔は探索者だったくらいしか言わないし」
「鳴海トウカっていったら、前衛も後衛もできる万能型で有名だった人ですよ。どっちも一流だったって」
「前に出て斬ってると思ったら、次の戦いでは後ろから魔法撃ってる」
シズルが淡々と言いながら、切り分けたデザートを俺の前へ滑らせる。
「記録映像、何本か残ってる。すごい」
「シズルがそこまで言うなら相当だな……」
「昔は天才とか、万能探索者とか呼ばれてたみたいです」
普段のトウカ先生を思い浮かべる。
紙コップのコーヒーを持って、いつも軽口を叩いていて、実演で施設を破壊する人だ。
どうにも『天才探索者』という言葉と結びつかない。
「じゃあ、なんで今は新人センターで先生やってるんだ?」
「そこまでは私も知らないです。いつの間にか第一線から退いてた、ってくらいで」
「でも、たぶん今も強い」
「だろうな」
あの人の教え方が妙に実戦的なのも、支援される側の動きまで細かく知っているのも、少しだけ腑に落ちた。何を教わっているのかは変わらないのに、さっき言われた「2人を見る」という課題が、急に少し重く感じる。
一旦仕事のことは忘れることにして、デザートに手を伸ばす。
香ばしい甘さに少しだけ塩気が混じり、味のバランスがあまりに完成されている。
地下に来てから食べた甘味の中でもかなり上位だ。
「今日ほんとに借金返済会議だよな?」
「今日は前祝いってことにしましょう」
「普段からこれでもいい」
「駄目です」
◇
デザートを完食したあと。
俺はその場で受注手続きをした。
特段危険度が高いわけでもない、今の俺たちにあった依頼だ。
その時、シズルが最後の肉を口に運びながら俺を見る。
「お金稼ぎ終わったら、第5標識」
「忘れてなかったか」
俺は残高画面をもう1度だけ見た。346万2000円。
少し前までなら何年かかると思っていた数字なのに、今は3週間後にゼロになっていてもおかしくない気がする。
明日からは潜って、仕事をして、帰ってくる。それを繰り返す。
そして俺は、支援をかける相手だけじゃなく、俯瞰して戦況全体を確認できるようにする。
《暁》の金策期間が始まった。
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