昇級
迷宮を出た時には、試験開始から4時間近く経っていた。
予定より早い帰還だった。
3つ目の確認地点には届いていない。黒晶岩熊が出た時点で試験は中断。判定役の《北極星》には助けてもらった。
中級試験として見れば、どう考えても途中終了だ。
協会詰所へ戻ると、俺たちと《北極星》は別々の部屋へ通された。
まず事故報告。
黒い結晶片を見つけた位置。岩熊が出てきた方向。周辺魔獣の移動。橋の亀裂の状態。俺たちが処理した魔獣の数。《北極星》の交戦開始から終了まで。
ナギが地図へ位置を入れ、シズルが見た数を補足し、俺が緊急報告を送った時刻を確認する。
試験の話より、そっちの方が長かった。
全部終わる頃には、緊張が少し抜けていた。
「まあ、また受け直しか」
待合室の椅子へ座りながら言うと、ナギが隣で首を傾げた。
「そうなりますかね」
「3つ目行ってないし。試験官に助けてもらってるし」
シズルは向かいの椅子に座ったまま、膝へ肘を置いている。
「あの黒いの、空気読めない」
「それはそうだけど」
俺だって納得はしている。
あれを3人で倒せと言われたら、試験の方がおかしい。
ただ、中止は中止だ。
次の試験日までまた依頼をこなせばいい。そう思うと、意外と悔しくはなかった。
前なら、やり直しなんて損だと思ったかもしれない。
今は、3人とも怪我なく座っている。それで十分だった。
15分ほどして、職員が俺たちを呼びに来た。
小さな会議室には協会職員が2人と、怜司さんがいた。他の4人は負傷確認と追加報告へ回っているらしい。
怜司さんは椅子に座ると、俺たちを順番に見た。
「ほな、試験結果な」
軽い。
こっちは一応、落ちる覚悟をしているんだけど。
協会職員が端末を開いた。
「今回の中級昇級試験は、第3確認地点手前で発生した想定外事象により中断されました。黒晶岩熊は試験区域の想定危険度を大きく上回る特別個体であり、試験中断は判定側の判断です」
そこまでは分かる。
「したがって、第3確認地点を通過していないこと、判定役が戦闘へ介入したことは、受験パーティの減点対象とはしません」
「え」
声が出た。
職員はそのまま続ける。
「事故発生以前の試験内容と、事故発生後の行動を分けて評価します」
画面へ項目が並ぶ。
『ルート判断:良』
『戦闘連携:良』
『魔力・装備管理:良』
『異常発見・報告:良』
『緊急時対応:良』
全部、良。
シズルが少し前へ身を乗り出した。ナギも画面を見ている。
「緊急時対応も?」
「そこが1番のポイントやな」
怜司さんが椅子の背へ寄りかかった。
「まず、俺が止まれ言うた時に止まった。試験中やからって前行かんかった。」
指を1本立てる。
「次。撤退指示出した後、奥から魔獣流れてきたやろ。あそこで熊んとこ戻らず、帰り道確保した。緊急報告も送った。橋の状態も見た」
2本目。
「で、俺らが本体やってる間も、自分らの仕事捨てて手柄取りに来んかった」
怜司さんが手を下ろす。
「中級でええやろ」
一瞬、意味が入ってこなかった。
「……いいんですか?」
怜司さんの顔から、少しだけ笑いが消える。
「戦えるからちゃうで」
視線が俺からナギ、シズルへ移る。
「無理なもん見て、ちゃんとやること変えられた。そこが1番や」
会議室が少し静かになった。
俺は昨日までの自分たちを思い返した。
第4標識で引き返した日。
鉱牙鼠の巣を追わなかった日。
撃てる時でも撃たず、支援魔法のために魔力を残した時。
黒晶岩熊を見て、倒すことより自分たちにできることを優先したこと。
どれも当たり前といえば当たり前の判断だ。
勝てるかもしれないから行くんじゃなくて、その時々でやるべきことを選ぶ。
それは、昔の俺が1番苦手だったやつだ。
協会職員が確認ボタンを押した。
俺たち3人の端末が同時に震える。
『パーティ:《暁》』
『探索パーティ等級:中級』
表示を見たまま、シズルが小さく息を吐いた。
「……なった」
「なりましたね」
ナギの声も、少しだけ弾んでいた。
「……なったな」
俺もようやく実感した。
◇
判定が終わり、会議室を出たところで声をかけられた。
「水原くんだったか」
振り返る。
肩に簡単な処置を受けた朱音さんが立っていた。
黒晶岩熊へ雷を撃っていた、《北極星》の攻撃術師だ。
「はい」
「さっきの戦闘中の制御補助は、君が?」
「はい」
朱音さんは少しだけ俺を見る。
「いい支援だった」
1拍。
「君、いい支援術士だね。また機会があれば一緒にやろう」
そう言って、わずかに微笑んだ。
すごいとも、特別だとも言われていない。
でも、一線級の探索者がわざわざそれを言いに来たことが、今の俺には大きな自信になった。
「……ありがとうございます」
朱音さんは小さく頷くと、そのまま追加の検査へ戻っていった。
短い言葉なのに、妙に残った。
橋ではナギの仕事を怜司さんが見ていた。
シズルの足運びを透さんが見ていた。
俺の支援魔法は朱音さんが覚えていた。
まだ《北極星》とは比べ物にならない。
それでも、3人ともただ守られていただけではなかったらしい。
朱音さんが戻ったあと、今度は怜司さんに肩を掴まれた。
「圭やったよな?」
急に下の名前で来た。
「そうですけど」
「今度時間ある時、お前の支援魔法見せて」
試験中より真剣な顔をしている。
「そんなに気になります?」
怜司さんは即答した。
「なる。あの制御補助、普通と何かちゃう」
その言葉に、少しだけ背筋が伸びる。
「ちゃんと育てた方がええで。たぶん、お前の武器になる」
「怜司さんの方が4人同時に見てたじゃないですか」
怜司は肩をすくめる。
「俺は長いことやってるからな。お前まだ何か月や」
言われてみればそうだった。
地下へ来た時は、魔法そのものを知らなかった。
「まあ、今度ゆっくり話そ。地上の話もできるしな」
そこでいつもの軽い顔へ戻る。
「あとナギちゃんとの相性もええな、お前ら」
ナギが少し離れたところでこっちを見た。
「魔法の話ですよね?」
「もちろん魔法の話やで」
絶対それだけじゃない言い方だった。
◇
その日の夜は、3人で青灯亭へ行った。
大げさな祝勝会じゃない。いつもの席で、いつもより1品多く頼んだだけだ。
岩猪の香草焼き。発光茸とチーズの焼き皿。揚げ根菜。岩芋の薄焼き。それにシズルと俺は地下麦エール、ナギは果実酒。
焼きたての岩猪へナイフを入れると、表面の香草と脂の匂いが立った。噛むと少し強い肉の旨味のあとから、焦げた香草の苦みが来る。
ナギはチーズのかかった発光茸を箸で持ち上げながら、まだ端末を見ていた。口元が緩んでいる。
「何回見るの?」
「別にいいじゃないですか」
画面にはまだ『中級』と表示されている。
「だって、嬉しいんですもん」
そう言ってから1口食べる。表情がさらに少し緩んだ。たぶん中級よりチーズの方が効いている。
シズルも端末を見ていた。
「次、第5標識」
「もう次の話?」
シズルは当然みたいに頷く。
「中級になったから」
理由になっているような、なっていないような。
でも、俺も少し楽しみだった。
中級になれば、行ける場所が増える。受けられる依頼も増える。装備の選択肢も増える。稼げる額だって、少しずつ上がるかもしれない。
俺の借金はまだ300万円以上残っている。
俺たちは《北極星》みたいに黒晶岩熊を倒せない。
それでも、地下へ来た最初の日とはもう違う。
1人で取り返そうとしていた時には、何も残らなかった。
今は3人で潜って、3人で帰って、そのたびに1つずつ残っていく。
探索記録。
依頼の実績。
使える魔法。
仲間との呼吸。
そして今日、端末に増えた2文字。
『中級』
地下には朝焼けなんてない。
それでも、《暁》は少しだけ先へ進んだ。
ここまで一章です。
初投稿の拙い文章で恐縮ですが、ここまでお読みいただきありがとうございました。
皆様の応援が励みになりますので、よろしければ評価ポイントとブックマークをよろしくお願いします。




