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FXで破産した俺、地下40kmから人生をやり直す  作者: 旗良北 九内
地下で生きる

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17/26

成長の自覚

 第4標識の向こうへ進んだのは、その4日後だった。前回と同じ黒い柱の前で1度足を止める。腰には魔力銃。反対側には、前回拾った灰銀の短剣。

 短剣を抜くような場面には遭遇したくないけど、何もなかった頃よりは少し安心感がある。


 標識の先は、急に別世界になるわけではなかった。ただ、道は少し細くなり、壁を伝う水の量が増えている。青白い苔の光も弱く、曲がり角の先が見えにくい。


「この辺から、横道が増えます。帰り道、ちゃんと覚えておいてくださいね」

「俺に言ってる?」


 ナギがこっちを見る。


「水原さん、そういうの苦手そうですし」


 否定できなかった。シズルは先頭で地面の傷と壁の影を確認しながら進んでいる。

 いつも通り口数はないけど、第4標識を越えたせいか少しだけ楽しそうに見えた。



◇



 最初の戦闘は、標識から10分ほど進んだところだった。上から爪が岩を擦る音がする。


「3」


 シズルが呟く。

 見上げると、岩棚に鉤爪猿が3匹いた。2匹はシズルを見ている。残り1匹だけが、俺とナギの方へ身体を向けた。


 シズルが剣を抜く。

 猿が飛ぶ。


【加速補助】


 シズルの1歩が伸びる。

 1匹目の爪を外し、そのまま脇へ潜り込む。俺の視線はシズルに残したままだった。

 その横で、もう1匹がナギへ飛んだ。

 ナギが右手を上げる。


【水弾】


 水の塊が真っ直ぐ飛ぶ。鈍い音がして、鉤爪猿の身体が途中で完全に止まった。

 次の瞬間、そのまま後ろへ弾かれて岩壁へ叩きつけられる。

 俺は思わずそっちを見た。ナギも見ていた。自分が吹き飛ばした猿を。


「……あれ?」


 猿が壁際で立ち上がろうとする。ナギはもう1度手を向けた。


【水縛】


 床を這った細い水が2本に分かれ、猿の両足首へ巻きつく。立ち上がりかけた身体がぐらりと前へ崩れた。

 そこへシズルが回り込み、短く刃を走らせる。残りの2匹も長くは持たなかった。


 戦闘が終わってから、ナギはしばらく自分の右手を見ていた。


「水原さん」

「ん?」


 ナギが俺を見る。いつもより少しだけ眉が寄っている。


「今、私に補助しました?」

「してない。最初ずっとシズル見てた」


 ナギがもう1度、自分の手を見る。その横でシズルが倒れた鉤爪猿を確認しながら言った。


「強くなってる」

「そういや最近、ナギに【制御補助】かける時、前より楽なんだよな」

「楽?」


 最初の頃は、ナギが水を集めるたび、広がりすぎる流れや偏った圧力を俺が外から少しずつ整えていた。

 でも最近は、補助を入れた時点ですでに形がかなりできている。


「前は俺が魔力の流れを結構直してた。でも最近、ほとんど触らなくても最初からまとまってる」


 ナギは少し考え込んだ。


「……水原さんの補助を受けてる時の方が、感覚分かりやすいんですよ。このくらい流したら崩れるとか、この角度ならまとまるとか」


 言いながら、両手の間に少量の水を出す。丸い水の塊が細長く伸び、途中で1度揺れたものの、すぐ形を保った。


「それ、俺の魔法で練習してるようなもんじゃん」

「そうですね、勝手に教材にしてました」


 ふふふ、と笑うナギ。

 まあ、もしかしたらパーティメンバーの魔法の矯正も支援術師の仕事のうちなのかもしれない。


「ナギって、そもそも水魔法どれくらいやってるの?」


 聞くと、ナギは少し考えた。


「ちゃんと覚えてないですね。物心ついた頃には使ってました。実家が何でも屋だったので」

「何でも屋?」

「協会でも受けないような小さい仕事を請け負っていたんです。」


 自宅の床を掃除する。荷物についた泥だけを落とす。魔獣素材に残った血を流す。熱を持った工具を冷やす。薬草を傷めない強さで汚れを落とす。狭い隙間へ水を通して詰まりを取る。


「子どもの手伝いですよ。難しい仕事は両親がやってましたし」

「それ何年くらい?」


 ナギはまた少し考える。


「10年以上は普通に」


 俺はシズルを見る。シズルも俺を見る。


「それ、子供の頃から修行してるようなものじゃん」

「そうです?」


 本気で分かっていない顔だった。毎日のように水量を変え、圧力を変え、壊したくないものには弱く、汚れを飛ばしたい時には強くする。それを10年以上。戦闘用の魔法ではなくても、今のナギの土台としては十分すぎる。


「基礎、長い」

「でも、父も普通にやってましたよ」


 そこでなんとなく分かった。ナギにとっての『普通』の基準が、最初から高かったんだ。

 もう1つ、ナギ自身が付け加えた。


「あと、迷宮慣れもあるかもしれません」

「迷宮慣れ?」

「迷宮適応です。潜る回数が増えると、少しずつ魔力量とか出力が上がることがあります。急に強くなるわけじゃないですけど」


 最近の俺も、支援を2つ切り替えて銃まで使っても、最初の頃ほどすぐには疲れなくなっている。シズルも小さく頷いた。


「私も前より動ける」


 特別な覚醒じゃない。迷宮へ潜って、魔力を使って、帰って休む。それを繰り返した分だけ、身体も少しずつ迷宮向けになっていくらしい。


 長年の基礎。最近増えた実戦。俺の支援。そして迷宮適応。ナギはその全部が、今になって噛み合い始めたんだろう。



◇



 休憩を終えてさらに奥へ進むと、通路の広がった場所で岩殻蟹が2匹、道を塞いでいた。


「水原さん。最初自力でやってみてもいいです?」

「OK。危なそうならすぐ入れる」


 ナギが頷く。2匹の岩殻蟹が同時に鋏を上げた。

 ナギは本体を狙わず、両手を低く広げる。


【水縛】


 2本の水流が床を走った。右の蟹には前脚の内側へ絡み、左の蟹には踏ん張る側の脚だけへ巻きつく。

 ナギが左右の手を別々に引く。

 1匹は前へつんのめり、もう1匹は身体の向きが外へずれた。2匹の間に道が開く。


「空いた」


 その間へシズルが入る。


【加速補助】


 1歩。右の蟹の側面へ回り、脚の付け根を切る。

 左の蟹がシズルへ向きを変え、そのまま間合いを詰めた。

 ナギが片手を横へ払う。


【水刃】


 薄く圧縮された水が半月状に走り、振り上げられた鋏の付け根を浅く切った。

 初めて見る魔法だった。


「……今の何?」

「水刃です」

「いつ覚えたの?」

「昨日」

「昨日!?」


 ナギは振り上げられた鋏を見ながら、少しだけ肩をすくめた。


「水弾を近距離で撃つより、薄くして横に払った方が早いかなって」

「そんなノリで覚えられるもんなの?」

「まあ、まだ浅くしか切れないですけどね」


 さらりと話すナギだが、どう考えても普通じゃないのは地下に来たばかりの俺でも分かる。

 解体場で偶然出会ったこの少女は、実はかなり非凡な才の持ち主なのかもしれないと思い始めた。


 そうこうしているうちに蟹の鋏が反射的にそちらへ振れる。

 その隙にナギが足元へ水を滑り込ませる。踏ん張る側だけが流れ、甲殻が傾いた。


「ナギ」

「はい」


【水弾】


 水が斜め下から跳ね上がる。完全には裏返らない。でも腹側が見える。


 シズルの剣が入った。


 1匹目が動かなくなる。

 残った1匹が俺の方へ向いた。

 鋏を上げたまま距離を詰めてくる。

 ナギの手がもう1度横へ走った。


【水刃】


 半月状の水が前脚を浅く切り、踏み込みがわずかに鈍る。

 俺は横へずれ、空いた角度から1発だけ撃つ。前脚の付け根。そこへナギの【水縛】が重なり、傷んだ脚が外へ流れた。


 最後はシズルが仕留めた。


 静かになる。俺は、ナギに1度も【制御補助】を使っていなかった。


「強い」


 シズルが剣を拭きながら言う。ナギがそっちを見る。


「……もう1回言ってもらっていいです?」

「ナギ、強い」

「いや、まじで強いよ今日」


 心からそう思う。

 ナギの口元がはっきり緩んだ。


「……ちょっと嬉しいですね。私、やっぱり強くなったのかも」


 そう話すナギは、以前よりも自信に満ちて見えた。


◇



 探索を切り上げて協会で魔石と素材を精算したあと、3人で青灯亭《ブルーランプ》へ寄った。


 今日頼んだのは岩猪の黒胡椒煮込みだった。深い茶色のソースの中で肉と根菜がとろりと沈み、匙を入れるだけで肉の繊維がほどける。黒胡椒に似た香辛料の刺激のあとから、煮込まれた玉ねぎの甘さが来る。厚切りの焼きパンを浸すと、表面の香ばしさが残ったままソースを吸って重くなった。


 ナギは最初の1口を食べたあと、無言でパンをちぎって煮込みへ沈めた。水刃を発動した時よりも真剣な顔をしている。


「今日イチで集中してない?」

「冷めると脂が固まるのでスピードが大事なんです」


 理由が合理的だった。シズルも黙々と肉を食べている。


 しばらく今日の戦闘について話していたところで、ナギがふと思い出したように匙を止めた。


「そういえば、水原さん」

「ん?」

「借金って、今どうなってるんです?」


 危うくパンを落としかけた。最近、迷宮とパーティのことばかり考えていたせいで、その単語を正面から聞くのが久しぶりな気がした。


「返してるよ。一応」

「一応」


 念押しされたので端末を出して返済アプリを開く。残高を見て、少しだけ現実に戻された。


「残り、350万ちょい」


 ナギが匙を持ったまま止まる。


「……結構減ってるじゃないですか」

「最初が400万近くだからな。減ったって言っても、まだ山ほどあるけど」


 シズルも画面を覗き込んだ。


「多い。借金」

「色々あったんだよ」


 地下へ来てから、生活費や装備代を払いながら返済を続けてきた。利息もある。それでも元本は50万円近く減っている。数週間で何百万円も消えるような都合のいい話じゃないけど、何も進んでいないわけでもなかった。


 それに、以前とは少し違う。


「地下来た時は、返済日が来るたびにどうしようって感じだったからな」


 今日の精算額を画面の横に出す。3人で分けたら大金ではない。でも、次も同じくらい稼げれば、その中からいくら返せるかは計算できる。


「今は、今週これくらい潜れたらこれだけ返せる、って考えられるからな」


 ナギが少しだけ目を細めた。


「一発で返そうとは思ってないんですね」

「もう懲りた」


 そう答えると、ナギは満足したようにパンをもう1切れ煮込みへ沈めた。


「じゃあ、ちゃんと減らしていきましょう」


 簡単に言う。でも不思議と、前なら重かったはずの言葉がそこまで嫌じゃなかった。

 借金完済までは、まだ遠い。

 でも、希望が見えてきた。

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