第4標識
次に3人で迷宮へ潜ったのは、射撃訓練の2日後だった。
入口の受付端末へ探索者証をかざすと、いつもと違う表示が1つ増えている。
『固定パーティ:《暁》』
自分で付けた名前なのに、こうして正式な表示になると少しだけ気恥ずかしい。
「ちゃんと登録されてます」
「嬉しいような、気恥ずかしいような」
今日の目的地は第4標識。正確には、まずそこまで無理なく辿り着いて帰ること。
前回より先へ行くのは確かだけど、最初から第4標識の向こう側まで踏み込む予定はない。
「帰りの余裕を見て、昼過ぎには引き返しましょう。戦闘が多かったらもっと早く」
「了解」
俺も頷く。焦ってはいけない。焦りは更なる損失を生み出すことを俺は知っている。
◇
第3標識までの道は、もうそれほど緊張しなくなった。
角兎を2匹。少し先で鉤爪猿が3匹。どちらも今となっては顔見知りだ。
鉤爪猿の1匹が壁を蹴り、シズルの頭上を越えようとする。
「右」
まずシズルの位置を見る。ナギの射線を見る。
2人と重ならない場所へ半歩だけずれる。
それから魔力銃を抜いた。
1発。
魔力弾が鉤爪猿の脇腹へ当たり、空中で身体がぶれる。
着地したところへナギの手が向いた。
【制御補助】
【水弾】
水の塊が横から叩きつけ、猿を壁際へ押し込む。そこへシズルが踏み込んだ。
もう1匹が彼女の死角へ回る。
【加速補助】
シズルの1歩が伸びた。背後へ回り込もうとしていた猿より先に位置を変え、すれ違いざまに脚を切る。
3匹目が俺の方へ来た。
銃口を向ける。焦って引き金を引きそうになって、八代さんの言葉を思い出した。
敵を見る。射線を作る。撃ったあとも見る。
1発目は肩。
猿がひるむ。
胸元へ狙い直して、2発目。
照準は少しずれていたはずなのに、白い魔力弾は着弾の直前でわずかに肩側へ寄った。1発目の傷のすぐ近くへ、もう1発が食い込む。
狙った場所ぴったりではない。
でも、八代さんに教えられた通りだ。最初の1発さえ当たれば、次はそこへ残った自分の魔力が弾を少しだけ引いてくれる。
その隙にシズルが入り、短く刃を走らせる。
静かになった。
戦闘が終わってから、ナギが俺の銃をちらりと見た。
「前より慣れてきた感じありますね、銃の扱い」
「まだまだだけど、少しは練習の成果が出てるかもな」
実際、最初の1発はまだ安定して当たらない。
でも、立ち回り自体は良くなっている気がする。
「前よりいい」
シズルからも褒め言葉。
射撃の腕はまだまだだけど、進むべき方向性は間違っていないようだ。
◇
第3標識を越えてしばらく進むと、迷宮の雰囲気が少し変わった。
足元の岩が黒っぽく湿り、壁の隙間から細い水が何本も流れている。天井には青白い苔が点々と光り、これまでより空気が冷たい。
遠くで水滴が落ちる音が、一定の間隔で響いていた。
「この辺、前と全然違うな」
「第4標識の手前は水が多いです。滑りやすいので気をつけてください」
その直後、シズルが足を止めた。
「いる」
岩陰の向こうで、硬いものが擦れる音がした。
現れたのは、大型犬くらいの横幅がある蟹だった。灰褐色の甲殻は岩そのものみたいにごつごつしていて、左右の鋏は俺の前腕くらい太い。
「でかいな」
「岩殻蟹です。正面、硬いですよ」
岩殻蟹は俺たちへ身体を向けると、鋏を高く上げた。速くはない。ただ、通路の横幅をかなり塞いでいる。
シズルが先に出た。
蟹の鋏が横から振られる。
半歩下がって避け、そのまま側面へ――行こうとしたシズルの剣が甲殻へ当たった。
硬い音が響く。
「硬い!」
「弱点は脚の付け根か、お腹側です。正面から切るのはおすすめしません」
蟹は身体を低くし、今度はシズルへ向けて横歩きで詰める。見た目より間合いが読みにくい。
ナギが足元へ手を向けた。
【制御補助】
【水弾】
狙ったのは脚の下だった。
薄く広がった水が岩の表面を滑る。
右側の脚が一瞬だけ流され、甲殻が傾いた。
「今!」
【加速補助】
シズルが滑り込んで一気に距離を詰める。
1歩で側面へ入り、柔らかい脚の付け根へ剣を差し込んだ。
岩殻蟹が大きく身体を振る。
シズルはすぐ離れたが、その時だった。
左の岩陰から、もう1匹出てきた。
「2匹目です!」
小さい。けど近い。
新しい岩殻蟹がナギへ鋏を向けた。
俺は銃を抜く。
――急ぐな。
ナギの前へ撃つわけにはいかない。
横へ2歩移動する。
空いた角度から、甲殻ではなく脚の付け根へ銃口を向ける。
1発。
魔力弾は前脚の付け根へ当たった。
甲殻は抜けなかった。でも衝撃で脚が止まる。
「ナギ、下がって!」
ナギが2歩引く。その瞬間にもう1発。
2発目の弾丸は、さっき撃ち込んだ場所のすぐそばへ吸い込まれた。
2発続けて衝撃を受けた前脚が沈み、岩殻蟹が大きく体勢を崩す。
撃った直後、身体の内側で乱れた魔力が勝手に整っていく感覚がある。
意識してみると確かに分かる。
これが【制御補助】。
でも今はそこへ気を取られない。
敵を見る。
シズルが大きい方を引きつけている。ナギの前には小さい方。
「ナギ、ひっくり返せる?」
「やってみます」
ナギが片手を低く払う。
【制御補助】
【水弾】
今度の水は横ではなく、斜め下から噴き上がった。
前脚を傷めていた岩殻蟹の身体が浮く。完全には裏返らない。それでも腹側が大きく見えた。
「行ける」
シズルが大きい方から1度離れ、そのまま小さい方へ走る。
【加速補助】
1歩。
剣先が柔らかい腹側へ入った。
小さい方が動かなくなる。
残った1匹は、さっきシズルに切られた脚を庇いながら鋏を振る。それでも正面はまだ硬い。
俺たちは無理に攻めなかった。
ナギが足元を崩す。シズルが側面を取る。俺は2人が動きやすい時だけ支援を入れ、蟹がこちらを向いた時だけ銃で牽制する。
最後はシズルが傷んだ脚の側から潜り込み、腹の付け根へ刃を通した。
硬い相手だった。
でも、終わってみれば危なげない勝利だった。
「今の戦い、良かったな」
ナギが岩殻蟹の甲殻を確かめながら頷く。
「1人だと面倒な相手なんです。甲羅がとにかく硬いので」
「3人だと簡単」
それからさらに2度、小さな戦闘を挟んだ。
道が緩く下り始め、青白い苔が増えていく。やがて曲がり角の向こうに、縦長の黒い柱が見えた。
表面に白く光る数字。
『IV』
「第4標識です」
思っていたより普通だった。もっと大げさな何かがあるのかと思っていたけど、第3標識と同じような案内柱が立っているだけだ。
それでも、その向こうへ続く通路は少し暗く見えた。
標識の脇には探索者協会の記録端末がある。3人で探索者証をかざすと、短い音が鳴った。
『パーティ:《暁》』
『到達記録:第4標識』
たったそれだけの表示なのに、しばらく見てしまった。
「……待って」
標識を離れようとしたシズルが、壁際でしゃがみ込んだ。
黒い岩の割れ目を細い水が流れている。その奥で、青白い苔とは違うものが一瞬だけ光った。
「何かある?」
シズルが指を入れ、慎重に引っ張る。
出てきたのは短剣だった。
刃渡りは30センチほど。
柄も刃も泥で汚れているのに、灰銀色の刃には錆も欠けも見えない。半分近く岩の隙間に埋まっていたらしい。
シズルの目の奥がきらりと光った。
「……剣」
「シズル、剣好きすぎだろ」
ナギも隣へしゃがみ、柄と刃をじっと見る。持ち主を示す刻印や探索者番号らしいものはない。
「これ、たぶん迷宮遺物ですね」
「迷宮遺物?」
聞き慣れない言葉だった。
「迷宮の中で、たまに見つかる装備や魔道具です。剣とか防具だけじゃなくて、指輪とか腕輪とかもあります」
武器が落ちている、というより、迷宮そのものから掘り出す感じなのか。さっきまで魔獣と戦っていた場所に、急に宝探しみたいな要素が出てきた。
「高いやつもある?」
ナギが呆れ顔でこちらを見る。
俺がそう言うのを予想していたような顔だった。
「水原さんはお金のことばっかり」
「お金は大事だろ」
ナギは少し笑ってから短剣へ視線を戻した。
「はい、ありますよ。装備している間だけ魔法を使えるものとか。ものすごく珍しいですけど、使い続けているうちに本人が魔法を覚えた例もあるって聞きます」
「それはすごい。売ったらすごいことになりそう」
「これは?」
シズルは熱心に短剣を見ている。
「帰って鑑定しないと分かりません。シズル、試し切りしないでくださいね。呪いが掛かってるかもしれないし」
呪いと聞いて、シズルの手がぴたりと止まった。
「……しない」
するつもりだったらしい。
短剣を布で包んで荷物へ入れる。第4標識へ着いただけでも今日は十分だと思っていたのに、思わぬ土産まで増えた。
「少し先、見る?」
それでもシズルは標識の向こうを見る。
俺も行ってみたい気持ちはあった。時間はまだ少しある。魔力にも余裕がある。ここまで来たんだから、ほんの少しだけなら――。
そこまで考えて、やめた。
「今日はここまでにしよう」
シズルが俺を見る。
「初めてここまで来たし、帰りにまた戦闘あるかもしれない。次、第4標識の先を目標にして準備してまた来よう」
ナギが小さく頷いた。
「私もそれがいいと思います」
シズルは少しだけ向こうを見ていたが、やがて剣を収めた。
「じゃあ次」
それで話は決まった。
FXをしていた頃の俺なら、ここで1歩進んでいたと思う。
少しは成長したのかもしれない。
◇
協会へ戻って素材を出すと、岩殻蟹の甲殻と鋏は思ったより値が付いた。魔石も合わせれば、3人で分けてもいつもの浅い区域より少し多い。
そして、最後に拾った短剣も鑑定へ回した。
結果は、低位の迷宮遺物。魔力を流すと刃の縁がわずかに硬くなり、普通の短剣より刃こぼれしにくいらしい。
魔法が使えるようになるような大当たりではない。でも軽くて扱いやすく、状態もかなり良い。
鑑定票には『灰銀の短剣』と記されていた。
「売る?」
そう聞くと、シズルが即座に首を横へ振った。
「圭くん、使う」
「俺?」
シズルが俺の腰を見る。今あるのは魔力銃だけだ。
「近いと、銃だけじゃ困る」
ナギも頷いた。
「私もそう思います。水原さん、近接武器持ってませんし。パーティの装備として使った方がいいですよ」
「でも、パーティの戦利品だろ?」
ナギは少しだけ首を傾げた。
「水原さんが使うなら、《暁》の戦力になるじゃないですか」
それもそうか。
「じゃあ、ありがたく使わせてもらう」
受け取って腰へ差してみる。魔力銃とは反対側。思っていたより邪魔にならない。
「似合ってる」
「ありがと」
◇
帰りに青灯亭へ寄ると、ナギが壁のおすすめ札を見てすぐ足を止めた。
「岩殻蟹の香草蒸し、あります」
注文後、しばらくして運ばれてきた皿には、赤茶色になった殻の上へ白い身がたっぷり盛られていた。湯気と一緒に香草と溶かしバターの匂いが立ち、細い身を口へ入れると、思ったより柔らかくて甘い。少し強めの鉱泉塩が、その甘さをさらに引き出している。
ナギは1口食べた瞬間、分かりやすく目を細めた。
「当たりですね」
その言い方が探索中より少しだけ明るい。
シズルは黙って2本目の脚へ手を伸ばしている。
「シズルも気に入った?」
「うまい」
今日1番迷いのない返事だった。
第4標識まで行って、帰って、さっき戦った蟹を3人で食べる。腰には、迷宮で見つけた短剣まで増えた。
派手な成果じゃない。
でも、《暁》として残った最初の1歩は、たぶんこういうのでいい。
次は、第4標識の向こうだ。




