臨時メンバー
「御影シズル。剣を使う」
第一声がそれだった。迷宮入口の待合スペース。
俺たちの前に立った女は、ナギさんよりさらに少し小柄だった。
黒に近い髪を邪魔にならないよう後ろで1つにまとめ、濃い色の瞳はやや切れ長。
細い身体に沿う軽装と、腰のやや短めな剣がよく似合っている。
募集に応募してきた前衛――御影シズル。名前の横には第3標識より先の探索経験あり、と表示されている。
「冬木ナギです。水魔法を使います。今日はよろしくお願いします」
シズルはこくりと頷いた。
「水原圭です。支援魔法と魔力銃を使います。今日はよろしくお願いします」
再びこくりと頷いた。
「戦闘中の声かけは大丈夫です?」
「必要なら喋る」
どうやら随分と無口な性格なようだった。
ナギさんと目が合った。2人とも、まあいいかという顔になった。
「じゃあ、行きましょうか」
シズルはもう入口へ向かって歩き始めていた。
◇
第3標識まではいつもの道だった。
違うのは、今日は俺とナギさんの少し前をシズルが歩いていることだけ。
小柄な背中は頼もしいというより、最初はむしろ心配になるくらいだった。でも勝手に距離を離すことはなく、曲がり角では1度止まり、後ろを確認してから進む。足音もほとんどしない。
やがて岩壁に埋め込まれた第3標識を越える。道幅が少し狭くなり、壁の発光苔もまばらになった。地図上ではほんの少し先へ進んだだけなのに、空気が変わった気がする。
「ここから?」
「はい。今日は深追いせず、この周辺を見たいです」
シズルは頷き、剣を抜いた。鞘走りの音がほとんどしない。
その瞬間、さっきまで返事すら惜しんでいた小柄な少女の雰囲気が変わった。
姿勢が低くなり、視線だけが鋭くなる。
「来る。3」
低い声と同時に、右の岩壁から黒い影が落ちた。
猿に似た身体。長い腕。その先に曲がった爪。
1匹目がシズルへ飛びかかる。
シズルは受けなかった。
半歩、外へ。
爪が空を切る。
すれ違いざまに剣が走った。
手首。
続けて首元。
1匹目が着地するより先に崩れる。
2匹目は壁を蹴って頭上へ回った。
「上!」
シズルはもう動いていた。
身体を沈める。
頭上を爪が通過する。
そのまま懐を抜け、着地する後脚だけを斬る。
黒髪が1拍遅れて揺れた。
魔獣が姿勢を崩す。
ナギさんが右手を上げる。
俺は呼吸を見る。
【制御補助】
水が一気に収束した。
【水弾】
2匹目の胸へ直撃。岩壁へ叩きつけられる。
「左」
3匹目が俺の方へ抜けてきた。
魔力銃へ手を伸ばす。
けれど、シズルの方が速い。
壁際へ1歩。
そこから斜めに飛び込む。
俺と魔獣の間を横切り、足首だけを切った。
勢いのまま魔獣が転がる。
シズルは振り返りざまに喉元へ短く突く。
終わった。
静かになってから、俺はようやく息を吐いた。
戦闘時間は1分もない。俺とナギさんだけなら3匹を同時に相手取る時はもっと慌ただしい。
今日はナギさんが前へ出る必要がなく、俺も自分を狙う相手を気にせず支援へ集中できた。
「これ、何て魔獣?」
「鉤爪猿です。第3標識の先から増えます。壁や岩棚を使うし、2、3匹で死角から飛び込んでくるので、初心者にはちょっと嫌な相手ですね」
ナギさんは倒れた1匹の腕を持ち上げ、鉤みたいに曲がった爪を見せる。単体の力はそこまで強くないらしいが、群れになると厄介。爪の一部と魔石は換金でき、大きく育った個体ほど腕力も爪も強くなるらしい。
「群れると面倒」
「御影さん、よく3匹相手にあれだけ動けますね」
シズルは剣についた汚れを布で拭いながら、俺を見る。
「シズルでいい」
「え?」
シズルが自分を指した。どうやら呼び方の話らしい。
「御影さん、長い」
「じゃあ、敬語もやめていい?」
こくり、としかけてから、シズルは珍しく言葉で返した。
「好きにして」
許可が出たので、その後はシズルと呼ぶことにした。
さっきまで初対面だった相手なのに、1度一緒に戦っただけで少し距離が縮まった気がする。
ただ、想像していた前衛とはだいぶ違った。シズルは敵を力で止めていない。攻撃を外させ、追わせ、向きを変えさせ続けることで、結果的に1匹も後ろへ通していなかった。
「前衛って、もっと受け止めるものだと思ってた」
「シズルの場合は、捕まらないから前にいられる感じですね」
シズルは剣を鞘へ戻した。
「重いの、無理」
「まあ、その体格ならそうだよな」
本人は特に気にした様子もなく、今度は俺の方を見る。
「支援、今の?」
「そう。【制御補助】。ナギさんの魔法を安定させるやつ」
シズルは少し考えてから、自分の足元を指した。
「加速は?」
「加速?」
こくり。
「前に組んだ支援役が使ってた。1歩、速くなる」
さっきまで単語でしか喋らなかったのに、剣の話になった途端ちょっと増えた。
「分からん、習ってもない」
シズルがほんの少し残念そうに目を伏せる。
「覚えられる?」
「とりあえず、調べてみる」
さらに20分ほど進んだところで、シズルが急に左手を上げた。
「止まって」
通路の奥から現れたのは、さっきの鉤爪猿よりひと回り大きな個体だった。
肩まで俺の胸くらいある。両腕の爪も長く、岩を引っかくだけで白い筋が残る。
「1匹ですけど、かなり大きいですね」
「シズル、いける?」
シズルは答えなかった。代わりに剣を少し下げ、低く構える。
小柄な身体が、さらに小さく見えた。
魔獣が吠える。
腕を振り上げる。
シズルは動かない。
爪が落ちる。
その瞬間、消えたように見えた。
轟音。
さっきまでシズルがいた床を爪が叩く。
本人はもう右側にいた。
低い姿勢のまま懐へ潜り込む。
剣閃。
脇の下。
浅い。
でも魔獣の右腕から力が抜けた。
左腕が横薙ぎに来る。
シズルは2歩下がる。
届かない。
魔獣が追う。
その瞬間、シズルは壁を1度だけ蹴った。
進行方向が横へずれる。
魔獣の視線が遅れる。
背後。
2撃目。
膝裏。
巨体が落ちる。
シズルは止まらない。
1歩。
もう1歩。
倒れ込む身体の死角へ回る。
最後だけ、真っ直ぐ踏み込んだ。
喉。剣先が深く入る。
すぐ抜く。
距離を取る。
魔獣は数歩もがき、そのまま倒れた。
俺もナギさんも、しばらく何も言えなかった。
「……速」
強い、より先にそっちが出た。真正面から勝った感じがまるでしない。大きな相手の周りを走り回って、触らせないまま必要な場所だけ斬っていた。
「あれ、私なら途中で転びますね」
シズルが振り返る。褒められたのが分かったのか、ほんの少しだけ視線を逸らした。
「今の、流派とかあるの?」
首を横に振る。
「独学?」
こくり。
「どうやって?」
「……ネット」
もっと何か、すごい師匠とか秘伝とか、そういう答えを想像していた。
「独学であれになるの?」
シズルは少しだけ首を傾げた。たぶん、何が変なのか分かっていない。
ただ1つ分かった。
シズルの剣は、力で相手をねじ伏せる剣じゃない。相手より先に動いて、追わせて、視線の外へ抜けて、身体の弱い場所だけを斬る。小柄なのは不利じゃない。あの戦い方には、むしろ合っている。
そして同時に、さっきの「加速」という言葉が頭に残った。今でも十分速い。ここにもう一段、踏み込みの速さが乗ったらどうなるんだろう。
その後も第3標識の先を1時間ほど回った。
シズルが敵を引きつけ、ナギさんが水で足場と動きを崩し、俺が後ろから支援と魔力銃。初めて組んだはずなのに、役割がはっきりしている分、2人だけの時より動きやすい場面すらあった。
ただ1つ、俺には引っかかるものが残った。ナギさんには【制御補助】を入れられる。でもシズルが前で剣を振っている時、俺にできるのは敵が抜けた時に撃つくらいだ。支援役なのに、シズルには何も支援できないことがもどかしい。
入口へ戻った頃には、今日の探索分だけでも十分な魔石と素材が集まっていた。
初めて第3標識を越えたわりには、危ない場面もほとんどない。
「今日は助かりました。ありがとうございます」
シズルはこくりと頷いた。端末をしまい、このまま帰るのかと思ったところで、ナギさんが少しだけ間を置く。
「このあと、ご飯どうです?」
シズルが1度だけ瞬く。それから俺とナギさんを見て、また頷いた。
◇
入ったのは迷宮口近くの探索者向け食堂だった。昼を少し過ぎていたこともあって店内は混んでいる。俺たちは奥の4人席に座り、岩鱒の香草焼き定食を3つ頼んだ。さっきまで命を預け合っていた3人が、今は狭い卓を囲んでいるのが少し変な感じだった。
料理が来るまで、シズルは卓上の水を飲んでいるだけだった。誰かが話し始めるのを待っているというより、本当に無言で平気らしい。
「シズルは臨時パーティってよく入るんですか?」
こくり。
「固定の仲間はいないの?」
シズルは首を横に振った。会話は苦手でも、前衛募集にはよく応募するらしい。人と組むこと自体が嫌いというわけではなさそうだ。
「シズル、剣はいつからやってる?」
「子どもの頃から」
魚を1口食べてから短く答える。剣の話だからか、返事が早い。
「ずっとネット見て練習してたんです?」
こくり。
「休日とかも?」
「だいたい」
ナギさんが箸を止める。
「……かなり剣好きですね」
「好き」
その一言だけは、今までで1番迷いがなかった。無表情なのに、なんとなく嬉しそうに見える。
しばらくは今日の戦闘の話をした。俺が2戦目の動きについて聞けば、シズルは皿の端を指でなぞりながら「ここで外す」「こっちへ追わせる」と珍しく説明する。ナギさんも水魔法を入れるならどの瞬間が邪魔にならないか聞き、気づけば3人で次に組む前提みたいな話になっていた。
食事が半分ほど減ったところで、シズルがふと箸を止めた。
「今日は、楽しかった」
俺とナギさんが同時に顔を上げる。シズルは少し気まずそうに魚へ視線を戻した。
「私もです。前を任せられると、かなり動きやすかったです」
俺も頷く。支援に集中できたし、何より3人で動いた時の噛み合い方が想像以上だった。
「俺も。まあ、会話はこっちが頑張ることになりそうだけど」
シズルの口元がほんの少し動いた。笑ったのかと思って見ていたら、すぐにいつもの無表情へ戻る。
「また行くなら、呼んで」
「いいの?」
こくり。今度はナギさんもすぐに頷いた。
「じゃあ、またお願いします」
シズルはそこで俺を見る。
「加速、覚えたら教えて」
「やっぱり覚えることになってる?」
こくり。ナギさんが隣で小さく笑った。
最初は、小柄だしほとんど喋らないし、本当に前衛で大丈夫かと思った。けれど実際は、敵に触らせないまま前を支配する、俺の想像とはまるで違う剣士だった。
1日だけの臨時メンバーのつもりだったけど、もう少し長い付き合いになりそうな予感がする。
次に3人で潜るなら、その時はシズルにも何か渡せるようになりたい。




