第8話 戦線熔解
≪ 登場人物① ≫
◇エイジ・ミツギ 16歳 男性
OMC軌道保安軍、CAYAMBE防衛部隊所属
フォクスター小隊隊員
階級:少尉
HFアルトリウスのパイロット
◇ユイン・ユノス 18歳 男性
OMC軌道保安軍、CAYAMBE防衛部隊所属
フォクスター小隊隊員
階級:少尉
HFランスロットのパイロット
◇ブラントリー・フォクスター 25歳 男性
OMC軌道保安軍、CAYAMBE防衛部隊所属
有人HF部隊フォクスター小隊隊長
階級:大尉
HFトリスタンのパイロット
『エイジ! 応答しろ!』
フォックスの怒鳴り声が通信回線を裂いてアルトリウスのCellに響く。
ノイズ混じりの沈黙だけが返る。
「くそっ、何してやがる」
通信を続けながらも、トリスタンの全天周モニターが低空を滑る標的を捉える。右脚部損傷、背面制御板も焼け、姿勢を崩している。それでもなお、月側HFは軌道エレベーター基部へ向かっていた。
フォックスがトリスタンを躊躇なく突っ込ませる。
月側HFが横へ跳ねた。
読み通りだ。
待ち受けていた腕部ブレードが、黒灰色の左腕を肩口から切り離す。
腕を失っても止まらない月側HFが折れた脚で地面を蹴り、足元へ潜り込む。
「まだ来るかよ!」
膝部装甲で敵機の胴体を捉え、地表へ叩きつける。が、すかさず月側HFは軌道エレベーター基部方向へ身体を捻る。
既に勝てるはずもない。逃げ切れる推進力もない。
だが何故、こいつは戦いを止めない。
フォックスの背筋に、説明できない悪寒が走る。
『エイジ、聞こえるか』
別回線からユインの声が重なった。
ランスロットは左翼で月側HFの側面を削り、別部隊の有人機が待つ射線へ追い込んでいた。
『エイジ、状況を知らせろ』
返答はない。
擱座した敵機を確認する。
十秒で戻る。
エイジはそう言った。
その十秒は、とっくに過ぎている。
ユインは呼吸を整えた。焦りが機体へ伝われば、死角となる。
『隊長、エイジから応答がありません』
「ああ。位置情報は残ってる。だが、本人の反応がねえ」
フォックスは倒れた月側HFの背面制御板を踏み砕いた。
火花が散り、ようやく敵機が沈黙する。
『敵性HF、戦闘不能』
撃墜表示が出ても、悪寒は拭えず、まるで勝っている気がしない。
突如発生した、無人HFの管制喪失で生じた穴へ、スクランブル発進した有人部隊が入り、残存する月側HFを外周へ押し戻している。
地上防衛火器も、一部が射撃を再開。
青い友軍マーカーは増え、すでに黒灰色の敵性マーカーはわずかだ。
しかし、月側HFは退かない。
損傷しても、包囲されても、軌道エレベーター基部へ向かう。
もう戦闘に戦略的な意味はない。
兵士なら撤退。
AIでも作戦不能を判断する。
だが、目の前の敵は、この全滅寸前の状況を、最初から予定していたかのようだった。
月側HFは、ただ戦場に残り、時間を削るように抵抗を続ける。
『隊長』
「何だ」
『変です。こちらが押しているのに、敵の行動が変わりません』
「俺も同じことを考えてた」
フォックスは戦術図を睨んだ。
自軍優勢。敵性HF残存僅少。基部内周への侵入なし。
勝利を示す表示の下で、敵だけが敗北を受け入れていない。
「こいつら、勝つために戦ってねえ」
『時間稼ぎでしょうか?』
「ああ。何か約束があるのかもな」
OMCは勝利を確信していた。
そう、あの時もだった。
出撃前に見ていたブリーフィングルームのモニター映像。
無人HFが一斉に機動を止めたシーンがフォックスの脳裏に浮かんだ。
フォックスは通信回線をフルオープンにして声を張り上げた。
「最大警戒! 見えてる敵だけ追うな!」
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時を同じくして。
戦場から遠く離れた焦土。
OMC無人HF統合管制施設が存在した場所。
地下指揮区画も遠隔操縦区画も、AI戦術補助サーバも消えている。硝子化した大地に溶けた換気塔だけが残る。
その中心で、光を拒むように滲む、全高二十メートル級の人型。
機体内部の操縦席。
仮面の男の前に、ホログラムが浮かぶ。
次々と映し出される、GEV02-CAYAMBE、軌道エレベーター基部での戦況。
月側HFの残存数。
OMCの投入戦力。
地上防衛施設の復旧状況。
男は予定された数字が、予定された位置へ収まるのを確認するように、それらを見る。
「これより作戦、第二段階に移行する」
= YES =
点灯する正面の表示。
「移動目標、GEV02-CAYAMBE」
= YES =
風が焦土を撫で、焼けた砂が大型機体の周囲を流れる。
次の瞬間、存在が消えた。
その場から抜き取られたように、痕跡も残さず姿は消失した。
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フォックスは通信回線をフルオープンにして声を張り上げた。
「最大警戒! 見えてる敵だけ追うな!」
『了解』
ユインが即座に応答する。
「敵が仕掛けてくる可能性がある。戦域の各機は――」
フォックスの言葉が途切れた。
次の瞬間。
軌道エレベーター地上基地付近、破損した搬送施設と地上砲座の間に、巨大な黒い影が立っていた。
レーダーにも航跡はなく、降下軌道も存在しない。
いなかった場所に、次の瞬間いた。
突如の出現から一拍遅れ、空間が内側から弾けた。
黒い巨大な影を中心に環状の衝撃波が走り、砂塵と残骸を一斉に吹き上げた。
『全機、緊急退避! 巻き込まれるな!』
全速力で戦域を離れるトリスタンが、衝撃波の影響で横向きに流される。
ランスロットの姿勢制御翼が激しく震えた。
一方、地上に降りていたエイジにも白い砂塵の壁が迫った。
逃げる間もなく、衝撃波が襲う。
巻き上げられた砂礫と金属片が頭上を通り過ぎる。
アルトリウスと、横倒しになった大型搬送アームの残骸が遮蔽物となりエイジを守った。
吹き飛ばされた残骸が、アルトリウスを直撃する。
長さ数メートルもの装甲板が右肩外装を剥ぎ取る。焼けた破片が右腕部へ食い込み、鋭利な金属片が背部推進器を掠めた。
ノズルから白煙が噴出し、衝撃で左膝が地面へ沈む。関節フレームが歪み、赤い機体は大型搬送アームへ肩を預けるように降着姿勢を崩した。
エイジはとっさに両腕で頭を覆い、地面へ伏せる。
アルトリウスと大型残骸の配置に助けられた。
耳鳴りと砂の味。
身体を確かめる。痛みはない。手足も動く。
「何だ、あれは……」
フォックスが砂嵐に覆われているモニターに目を凝らす。
光学補正、赤外線解析、形状推定。
すべての試みが通じない。
『警告。光学センサー障害』
『対象形状、解析不能』
『質量反応あり』
『熱源反応、不定』
『機体分類、該当なし』
視界には存在する巨大な何か。
だが、どこまでが本体で、どこからが影なのか分からない。
戦場の通信網が一斉に乱れた。
有人HFのCell内通信、基地外部スピーカー、指揮回線、戦況共有システムへ、同じ黒い画面が割り込む。
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SOUND ONLY
SOURCE:LUNAR RELAY / AUTHORITY UNKNOWN
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『これは交渉ではない』
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ノイズの奥から、聞き覚えのある平坦な声が流れた。
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『要求でもない』
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レフトムーン・ロゥの声。
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『事実の通達だ』
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抵抗を続ける月側HF。
「全火器、出現した巨大物体へ照準!」
地上防衛火器はモニター越しに映る、巨大な黒い影へ砲口を向けた。
「敵性大型機と認定! 基部へ近づけるな。撃て!」
軌道エレベーター軍事司令官の怒号が回線を走る。
対地レーザー砲が白い光を放つ。
誘導弾が低空を裂き、自動機銃と電磁投射砲の火線が黒い影へ集中した。
爆発が連続し、砂塵が巨大な輪郭を呑み込む。
命中したかは、定かではない。
センサーは対象を捉えている。
標的は確かに、そこにいる。
だが、砲撃の前後で熱反応も姿勢も変化しなかった。
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『地球側管理機構は、月面施設群に対する管轄権を喪失した。以後、月面設備への干渉、接近、奪還行動は、すべて敵対行為と見なす』
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地上基地の攻撃を意に介さず、ロゥの声は鳴り響く。
「当たってるのか!」
『命中判定、不能!』
『対象輪郭を取得できません!』
『攻撃効果、確認不能!』
フォックスは戦域上空を旋回しながら、モニター越しに黒い影を見た。
見えているはずなのに、センサー機器への電波障害で形を掴めない。
「俺たちは、何を見せられてる……」
ユインも同じノイズを見つめていた。
「くそっ、待っていたのはこいつかっ」
フォックスが操縦席を拳で打つ。
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『月は地球圏共同管理体制の命令系統を拒否する』
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ロゥの声が、砲撃音の上を滑る。
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『私は、月面の独立を宣言する』
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その時、戦場各所の月側HFに白煙が上がった。
一機ではない。
左翼で押さえ込まれていた機体。
トリスタンの足元で戦闘不能になっていた機体。
基部外周で友軍機と交戦中の残存機。
合図でもあったかのように、黒灰色の装甲の継ぎ目から次々と煙を噴き出した。
『敵性HF、機動に異常発生!』
『全機、距離を取れ!』
噴き出す白煙が、橙色の炎へ変わる。
油へまとわりつくような粘る火が装甲を這い、次の瞬間には内部から白く輝いた。
月側HFの四肢が赤くなり、背面制御板が歪む。
炎の尾を引き、空中の機体が次々と地表へ落ちていく。
落ちた機体は、その場で溶け輪郭を失う。
装甲も内部機構も、痕跡さえ残さず、黒いクレーターとなり沈んでいく。
エイジは地上で、燃え落ちる機体を呆然と見上げていた。
溶解する機体。
今、空で起きているのは、自分が目の当たりにした事と同じ。
擱座機のハッチが閉まり、白煙が上がり、炎が装甲の内側から噴き出した。
少女を中に残して。
あの時、直面した事実が、思考を塞ぐ。
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『私は、月で人類の進化を担う』
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ロゥの声が遠く聞こえる。
エイジはゆっくり視線を地平に定めた。
黒煙と炎の向こう、軌道エレベーター基部の近くに巨大な物体が立っている。
地上砲座の攻撃が続く最中、その物体の中央部へ光が集まっていくのが見えた。
点のような輝きが中央で膨らみ、圧縮され、白さを増していく。
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仮面の男は照準を定めた。
軌道エレベーター本体に併設された軍事基地区画。
「思い知るといい」
表示光が仮面の縁を白く照らす。
白光が限界まで収束する。
「次があるなら、話は月で聞こう」
点灯する発射承認表示。
男の動きに、一切の感情は無かった。
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『これは、事実の通達だ』
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ロゥの言葉と同時に、光線が戦場を裂いた。
軌道エレベーターのワイヤー本体を避け、その横に広がる軍事基地区画を正確に貫く。
管制塔。
防衛司令部。
地上砲座群の統合制御区画。
対空迎撃演算施設。
光へ触れたものが、一瞬で白く灼かれた。
軍事基地区画が、巨大な空洞と化した。
遅れて轟音と熱風が押し寄せ、軍事基地区画の残部を薙ぎ払う。
地表が揺れ、白い蒸気と黒煙が噴き上がる。
「……消えた?」
フォックスはモニターに映る巨大な空洞に目を疑った。
『地上司令区画、通信途絶』
『防衛管制ノード、消失』
『統合火器制御、応答なし』
『軌道エレベーター基幹構造、致命損傷なし』
「ふざけんなよ……何なんだ、今のは!」
これは攻撃とは言えない。
得体の知れない巨大な意思が、必要な箇所だけを選び、消した。
そうとしか思えない光景だった。
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仮面の男は操縦席で、淡々と表示を確認する。
GEV02-CAYAMBE軍事基地区画、沈黙。
強襲HF、全機完全熔解。
作戦評価、オールクリア。
「作戦完了。これより帰還する」
= YES =
「戻るぞ、月へ」
= YES =
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戦場に立っていた巨大な物体が、消えた。
そこにいた存在だけが、瞬時に世界から切り取られた。
焦げた大地には、砕けた残骸、まだ煙を上げる地上砲座、出撃した有人HF、そして天へ伸びる軌道エレベーターが残された。
『隊長、エイジの反応は』
ユインの声で我に返り、フォックスは、すぐさま戦術表示を切り替えた。
アルトリウスから識別信号が出ている。
「機体反応あり。だが、損傷表示だ。本人の通信はまだだ」
強襲した月側HFはすべて熔け墜ちた。
出現した巨大な影は姿を消した。
この戦場の勝者は果たして誰だったのか。
『エイジ! 応答しろ!』
『エイジ、無事なら返事をしてくれ』
アルトリウスの開放したCellから漏れるフォックスとユインの声。
エイジは視線を一点へ向ける。
擱座した月側HFはあった場所。
少女がいた機体は、もう黒い塊へ変わっている。
胸部もコックピットも見分けられない。
白煙だけが静かに昇っていた。
少女の瞳。
自分を押し返した小さな手。
閉まったハッチ。
炎。
それらが、今も視界の奥へ焼きついている。
「……戻らなきゃ」
自ずと声が漏れた。
戻らなければならない。
ただ、それだけが頭に浮かび、言葉が身体を動かした。
瓦礫を踏み越え、損傷したアルトリウスへ向かう。
赤い機体は片膝をつき、横倒しの搬送アームへ寄りかかっていた。
エイジは脚部装甲へ手をかけた。
指先が震える。
装甲を登り、胸部へ辿り着く。
Cellへ身体を滑り込ませると、ハッチが閉じ、外の熱と煙が遮断された。
モニターが一枚ずつ灯る。
機体の激しい損傷にも関わらず、Cellは生きていた。
『パイロット搭乗確認』
『機体損傷、複数』
『右肩部外装、破損』
『左膝関節、支持性能低下』
『背部推進器、片側出力不安定』
『バイタル異常』
『神経接続、乱調』
エイジは操縦グリップを握った。
手の震えを、AIが補正しアルトリウスに操作を伝える。
『エイジ!』
フォックスの声が響く。
「……聞こえます」
返事はできたが、自分の声とは思えないほど遠かった。
『無事か!』
「はい。自分は……無傷です。ですが、機体が」
『起動は可能か』
エイジは損傷表示を見た。
推進器出力は不安定。
左脚は着地荷重に耐えられる保証がない。
だが、制御不能の警告は出ていない。
「飛ばせます」
『無茶するな。回収させる』
「大丈夫です。戻れます」
エイジは呼吸を整えようとした。
うまくいかない。
視界の端に、まだ炎がある。
少女の瞳が消えない。
「帰らなきゃ……」
もう一度呟く。
アルトリウスの背部推進器が、左右で不揃いな唸りを上げた。
損傷した片側ノズルは一度咳き込み、白煙を吐いてから遅れて推力を返す。
エイジは右脚と左腕で機体を支え、歪んだ左膝へ荷重が集中しないよう重心をずらした。
赤いHFが搬送アームの残骸から肩を離す。
左膝の隙間から青白い火花が散った。
機体は一度沈み、地表へ倒れかける。
エイジは操縦グリップを押し込み、背部推進器の出力差を手動で補正した。
砂地を削りながら前へ滑り、ようやく数メートルの高度へ浮き上がる。
『分かった、そのまま低空を保て。帰投ルートを送る』
アルトリウスの起動を確認したフォックスの声が入る。
『アルトリウスとエイジの受入れ、隊長と基地で準備しとくから。気を付けて』
ユインの声が続く。
「了解」
エイジは地平線へ進路を合わせた。
軌道エレベーターの白いワイヤーが、全天周モニターの後方へ流れていく。
焼けた大地と黒いクレーターが遠ざかる。
損傷した赤いHFは高度を上げず、荒野の地表を這うように東へ向かう。
基地へ。
帰還を開始した。
≪ 登場人物 ② ≫
◆レフトムーン・ロゥ
月面基幹施設群統括を名乗る謎の男
OMCおよびCMSに対し月独立を宣言する
◆仮面の男
全高20メートルの機体を駆る謎の男
顔の上半分は仮面に覆われている。
≪ あとがき ≫
第1章「邂逅」は次回でエピローグとなります。
今週もお疲れ様でした。
よい週末をお過ごしください。




