第5話 出現
≪ 登場人物 ① ≫
◇司令官 48歳 男性
OMC無人HF統合管制施設の司令官
◇オペレーター 29歳女性
OMC無人HF統合管制施設、管制室のオペレーター
戦場は、赤道直下にあった。
だが、OMCの戦闘中枢は戦場には無かった。
天にそびえる白いワイヤーを中心に、繰り広げられるOMC無人HFと月側HFの激突。白灰色の機体が黒灰色の機体を追い込み、外周へ弾き出し、地上砲座がそれを焼く。成層圏の下、雲の上、地表の砲火の中で、人型兵器の群れが互いを削る渦中。
その場所から遥かに離れた、名もない荒野。
厚い岩盤の下に存在する秘密基地。
砂と岩と乾いた風だけが広がる無人地帯の地中深くに、多層防爆隔壁と電磁遮蔽層、独立電源炉、量子暗号通信ノード、遠隔操縦席群、戦術支援AIサーバが埋め込まれている。
OMC無人HF統合管制施設、通称 ディープ・ハンド。
ディープ・ハンドは、無人HFの遠隔操縦のみにとどまらず、軌道エレベーター防衛戦に投入されるOMC無人HF群の戦術補助、AI解析、射線制限補正、遠隔操縦者への感覚情報変換、機体バイタル管理、戦闘ログ蓄積、戦術更新配信。そのすべてを担っていた。
「外周に出した。落とすぞ」
遠隔操縦席で、操縦者が言葉を放つ。
眼前に広がる全天周モニターには、無人HFのセンサー、地上防衛基地の戦術図、AI補正映像を統合した戦闘状況が表示される。
操縦者の指が、半球状の操作端末を滑る。
彼方の戦場で機体が弧を描く。
モニター内、白灰色のOMC無人HFが月側HFの逃げ道を塞いだ。黒灰色の機体が左へ逃げる。その先に別の無人HFがいる。右へ振れば射線が通る。上へ跳ねれば、地上レーザーの照射角に入る。
月側HFの動きに一瞬の迷いが見えた。
実際に迷ったのかは分からない。
「そこだ」
操縦者が口元を緩める。
月側HFが外周へ弾き出される。
白い光が、空を貫いた。
黒灰色の機体が炎の球になって落ちていく。
『敵性HF、撃墜』
「もう読めてるんだよ」
操縦者の口元が、わずかに吊り上がった。
「初見殺しは終わりだ。あとは処理だな」
隣の遠隔操縦席でも、別の操縦者が息を吐いた。
振動も、燃焼臭も、熱風も、破片も届かない。彼らは高Gに晒されない。空気の薄さも、落下の恐怖も知らない。戦っているのは、彼らの神経、AI、遠く離れた無人HF。
命が保証された場所から、敵を落としている。
その環境は、死の緊張と勝利の高揚を麻痺させる。
基地の心臓部。
遠隔操縦区画を見下ろすように設けられた管制室では、複数のオペレーターが戦況と操縦者の状態を監視していた。
壁面に並ぶモニター。
中央大型スクリーンには、軌道エレベーター防衛戦の中継映像が映っている。白灰色のOMC無人HF群が、黒灰色の月側HFを押し返している。別画面には、各遠隔操縦者の視界映像、機体ステータス、リンク遅延、AI補助レベル、神経負荷、心拍、血圧、瞳孔反応が並んでいた。
『操縦者01、神経負荷グリーン』
『操縦者07、心拍上昇。許容範囲内』
『操縦者12、リンク遅延0.18秒』
『AI補助レイヤー、レベル3維持』
『敵性HF残存、20』
「操縦者12、呼吸が浅い。フィードバックを一段落として」
オペレーターの一人が、手元の端末を操作する。
「了解。感覚入力、5パーセント減衰」
「操縦者07の視覚負荷は」
「上がっていますが、まだ許容値です」
「戦術AI、次の更新は」
「3秒後です。敵機回避パターン、さらに収束しています」
撃墜カウントが重なる。
好転する戦況。
操縦者たちのバイタルも、戦闘可能域を保っている。
管制室の空気は緊張が保たれながらも、既に恐怖は薄れていた。
管制室奥、指揮卓で戦況を見据える司令官。
灰色の軍服。短く刈られた髪。細い目がまだ硬さを残す表情で、モニターの数値を追う。勝利を口にはしなかったが、戦況が自分たちの制御下に戻りつつあることは確信していた。
「敵残存は」
「17。間もなく15に減ります」
「第四群は出さずに済みそうか」
「現戦力で圧縮可能です。戦術AIは87パーセントの確率で、10分以内の敵戦力無力化を予測」
「ここまでだな」
司令官は短く呟いた。
「無人HF管制を維持しろ。地上防衛基地が押し込んでいる間に終わらせる」
「了解」
ふと、その時。
管制室に、短い電子音が鳴った。
警告、更新、承認、通信同期、バイタル変動、AI解析完了。
電子音が絶えない基地内で、それを気に留める者はいなかった。
オペレーターの手元で、小さなランプが灯った。
赤。
エリア進入警告。
光ったのは、一瞬だけだった。
「……今のは?」
オペレーターは眉をひそめた。
端末を叩き周辺警戒ログを呼び出す。
地上監視センサー。
空域レーダー。
地下振動センサー。
外周防衛網。
すべてが正常値を返している。
いや。
そんな事は無い。
では、エリア進入警告が反応している何故だ。
ただ、エリア内に何かが“いる”ことを示す警告だけが、一瞬だけ記録された。
「司令」
オペレーターが顔を上げた。
「周辺警戒に一瞬、反応が――」
次の事態が言葉を遮った。
鈍い音。
爆発音よりもっと低い。
厚い岩盤の上から、巨大な槌で大地そのものを殴りつけたような音。
基地全体が揺れた。
床が跳ねる。
天井から粉塵が落ちる。
照明が瞬く。
遠隔操縦席のシートが軋み、操縦者たちの身体が固定ベルトに押しつけられた。いくつもの端末が火花を散らし、管制室のモニターの一部がノイズに埋まる。
「うわっ!」
「何だ!」
「地震か!?」
「リンクが乱れる!」
『操縦者03、心拍急上昇』
『操縦者11、神経同期異常』
『無人HF管制リンク、瞬断』
『再同期中』
警報が鳴り響いた。
赤色灯が回転する。
基地内放送が、機械音声で非常事態を告げる。
『基地外周に異常振動』
『防爆隔壁、第一層閉鎖』
『非戦闘要員は安全区画へ退避』
『遠隔操縦者はシート固定を維持』
「リンクを切るな!」
中枢管制室で、司令官が怒鳴った。
「無人HF管制を維持しろ! 戦場が崩れる!」
「了解、管制リンク維持!」
遠隔操縦区画では、混乱の中でも端末での操作が続けられた。彼らが離れれば、戦場の無人HFが判断を失う。AIの自律制御は維持できるが、戦術判断の遅れは避けられない。
「外部状況は!」
「確認中!」
「震源は!」
「直上です!」
「直上?」
司令官の表情が変わった。
「隕石か、ミサイルか」
「防衛網に迎撃ログがありません!」
「なら何だ!」
オペレーターは答えられなかった。
矛盾した情報だけが並ぶ。
侵入経路なし。
飛翔体反応なし。
レーダー接近なし。
熱源接近なし。
だが、衝撃は基地直上。
「外部カメラに切り替えろ」
司令官が命じた。
「地上映像を出せ。直上だ」
「了解。外部監視カメラ、系統一から三、応答なし。系統四、映像出ます」
「メインへ回せ!」
管制室の大型スクリーンが切り替わる。
軌道エレベーターの戦況映像が脇へ押しやられ、基地外部カメラの映像が中央へ拡大された。
ノイズ。
激しい映像の乱れ。
巻き上がる砂塵。破壊されたセンサー塔。倒れた外周警戒ポール。
クレーターらしき巨大な陥没。
画面は、異常を知らせていた。
そして、その中心に。
黒いものがあった。
巨大な、黒い塊。
映像妨害がかかっているのか、輪郭が掴めない。画面の中で、黒い部分だけが滲み、歪み、時折ブロックノイズに崩れる。熱源表示も乱れている。レーダー反射も安定しない。
だが、何かがいる。
基地の真上に。
地表にできたクレーターの中心に。
黒い塊が、沈黙していた。
「……何だ、あれは」
誰かが呟いた。
『映像補正、失敗』
『赤外線解析、失敗』
『レーダー反射、異常』
『対象輪郭、確定不能』
映像は乱れていた。画面全体に電子的なノイズが走り、黒い塊の輪郭だけが、異様に滲んでいる。光学カメラの補正が利かない。赤外線表示も安定しない。熱源輪郭は過剰に膨張し、レーダー反射値は数値を返した瞬間に欠損する。
「外部カメラ映像に電子戦妨害が乗っています。センサー統合ができません」
「どこからのジャミングだ?」
司令官が言った。
「発信源、特定不能。ただ……」
オペレーターは、言葉を止めた。
画面に表示されたログを見つめる。
何度見ても、同じだった。
接近記録がない。
飛来記録がない。
迎撃ログがない。
防衛網が反応した履歴すら、ほとんど存在しない。
あるのは、衝撃発生後の記録だけだった。
「ただ、何だ」
司令官が促す。
オペレーターは喉を鳴らした。
「あの黒い物体は……今……たった今、“出現”しました」
管制室の空気が止まった。
誰も、すぐには意味を理解できなかった。
「突然、この場に現れました!」
オペレーターは、自分の言葉を信じきれていない顔で、それでも続けた。
「今、出現なんてことがあるかっ!」
司令官の声が、管制室を叩いた。
「レーダー反応は? 何故、防衛網は反応しなかった?」
「確認しています!」
「接近経路を出せ! 飛翔軌道、熱源、電磁反応、何でもいい!」
「ありません!」
オペレーターの声が裏返った。
「接近経路がありません! 空域監視、地表監視、地下振動センサー、すべて衝撃発生前まで通常値です!」
「ログ上は……反応した時には、既にこの上にいたんです……!」
司令官は言葉を失った。
管制室に鳴り響く警報だけが残る。
『管制リンク遅延、上昇』
『AI補助サーバ、負荷増大』
『操縦者07、神経同期乱れ』
『感覚入力を自動減衰』
遠隔操縦区画では、操縦者たちが戦闘リンクを維持しようとしている。だが、基地全体の揺れと外部からの電磁妨害で、無人HF管制に微細な遅延が混じり始めていた。
それでも、メインモニターから誰もが目を離せずにいた。
黒い塊が、動いた。
最初は、砂塵の揺らぎかと思われた。
だが違った。
黒い塊の上部が、ゆっくりと持ち上がる。
まるで、丸めていた背を伸ばすように。
地面に沈み込んでいた何かが、上体を起こすように。
映像がさらに乱れる。黒い輪郭の周囲に、ブロックノイズが走る。外部カメラの自動補正が悲鳴を上げるように明滅し、画面の中央に警告表示が重なった。
『対象、形状変化』
『対象、縦方向へ拡張』
『計測不能』
「補正しろ!」
「やっています!」
「大きさは?」
「解析中……10メートルを超えています!」
オペレーターが叫んだ。
「12メートル……15メートル……対象の全高、なおも拡大!」
「拡大…いや、違う……これは……」
「立ち上がっている……?」
管制室内の誰かが、呆然と呟いた。
黒い塊は、その姿を変貌させる。
膝を伸ばすように。
背を伸ばすように。
クレーターの中心から、巨大な何かが直立していく。
地上カメラのマイクが、かすかな低音を拾った。岩盤が軋む音。重い構造体が姿勢を変える音。砂礫が滑り落ちる音。基地の遥か上方で起きているはずの音が、地下中枢のスピーカーを通じて管制室に流れ込む。
『画像解析、再試行』
『輪郭抽出、9パーセント』
『姿勢推定、更新』
『対象高さ、18.6メートル』
「18……?」
司令官の顔から、血の気が引いた。
その時、AI解析表示がオペレーターの端末に、映し出された。
「AIからの画像予測、出ました」
「報告しろ」
「出現したのは……」
オペレーターの声が詰まった。
「出現したのは……」
「どうした!」
司令官が怒鳴る。
「地上にいるアレはいったい何なんだ!?」
オペレーターは、信じられないものを見るようにモニターを見つめたまま、報告した。
「全高20メートル……」
管制室の誰かが息を呑んだ。
「形状は、直立した人型…のようです…」
その言葉だけで、空気が変わった。
「巨大な、およそ人型の機動物体と推測されます」
警報音すら、遠くなったように感じられた。
某所、地中深く。ディープ・ハンドの管制室に沈黙が広がる。
「そんな馬鹿なことがあるか」
司令官が、ゆっくりと首を振る。
「突然出現する20メートルの……人型ロボットなんて、この世にあるかっ!」
信じがたい事態に思わず声を荒げる。
「しかし、現実です!」
オペレーターが叫び返した。
基地の遥か上方に立つ、黒いノイズを纏った巨大な存在。
その情報だけが、基地中枢にいる者たちの恐怖を膨らませていく。
「防衛火器!」
司令官が我に返ったように叫んだ。
「基地直上の地上防衛火器、応答なし!」
「周辺サイロは!」
「沈黙!」
「緊急迎撃システムを起動しろ!」
「起動コマンド、送信……応答なし! 外周防衛ノード、物理損壊の可能性!」
司令官の顔が歪んだ。
存在しない基地。
それは秘匿性を高めるための強みだった。
だが今、その強みが致命的な弱点へ変わっていた。
ディープ・ハンドは、知られない事を前提に作られている。
知られてから戦う基地ではない。
まして、真上に攻撃対象がいるという状況が、想定の枠外だった。
メインモニターの黒い人型が、わずかに動いた。
黒いノイズの中央に、白い点が生まれた。
その点が、光となりその大きさが増していく。
『高エネルギー反応』
『対象中央位置に収束光』
『熱量測定不能』
『観測値、上限超過』
「何が起こっている……」
司令官の声が掠れた。
攻撃される。
本能が告げた。
「全隔壁閉鎖! 中枢区画を遮断しろ!」
司令官が叫んだ。
モニターの中で、黒い人型の胸部の光が、さらに収束した。
画面が白く焼け始める。
『防爆隔壁、全層閉鎖準備』
『中枢区画、緊急遮断シーケンス――』
「遮断を急げ!」
司令官が叫ぶ。
「操縦区画を切り離せ! 中枢電源を落とせ! 戦闘リンクは後回しでいい!」
「隔壁閉鎖、開始!」
メインモニターの黒い人型。
その中央部に集まる白い光が、基地全体を恐怖で支配した。
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暗い。
機体の操縦席。
狭いのか、広いのかも分からない。計器の配置も、操縦桿の形も、座席の構造も、ほとんど闇に沈んでいる。ただ、複数の表示光が、静かに浮かんでは消えていた。
その中に、男がいた。
男の顔の上半分は、仮面に覆われていた。
額も、鼻梁も、表情の多くが隠されている。
見えるのは、口元だけだった。
薄く結ばれた唇。
冷えた顎の線。
「忘れてないか?ここも戦場だと」
低い声が誰へとなく問う。
男は、地上のクレーターの中心に立つ黒い機体の内部で、静かに呟いた。
「知ってもらおう。安全な場所は無い事を」
操縦席に表示が浮かぶ。
射線。
深度。
標的構造。
地下空間。
生体反応。
遠隔操縦席群。
中枢管制室。
文字列は一瞬現れ、闇へ溶けた。
男の口元が、わずかに動く。
「悪く思うな」
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黒い機体の胸部で、光が一点に絞られた。
地上監視カメラの映像が、完全に白へ近づく。
「収束光、臨界!」
「全員、衝撃に――」
言葉は最後まで続かなかった。
閃光。
黒い機体から放たれた光は、地表から地下へ、大気を焼き、砂塵を白化させ、垂直に突き立てられた。
岩盤が溶ける。
複合装甲層が蒸発する。
電磁遮蔽層が白い泡のように崩れる。
防爆隔壁が、閉じる前に光へ変わる。
中枢区画が白に飲まれる。
モニターが焼き切れる。
端末が弾ける。
管制卓が影を失う。
オペレーターたちの悲鳴は、音として続かなかった。空気が膨張し、熱が空間を満たし、声帯が震える時間より速く、区画そのものが消えていく。
遠隔操縦区画。
操縦者たちは、シートに固定されたままだった。
全天周モニターの表示は途中で切れた。
戦術支援AIサーバが、熱で沈黙する。
量子暗号通信ノードが蒸発する。
遠隔操縦席群は防衛ライン、勝利寸前の戦況で白い光の中に形を失った。
独立電源炉の保護システムが作動する前に、制御中枢が消えた。
基地として存在していた空間が、上から下まで、一瞬で焼き抜かれた。
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=標的沈黙=
操縦席の闇の中で、表示が灯る。
「作戦第一段階、完了」
仮面の男は、モニターを一瞥し、短く告げた。
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クレーター。
硝子化した大地。
白く煙る地表。
消滅したOMC無人HF統合管制施設の上には、謎の機体が佇んでいた。
≪ 登場人物 ② ≫
◆仮面の男
全高20メートルの機体を駆る謎の男
顔の上半分は仮面に覆われている。
≪ 用語・設定 ≫
■OMC無人HF統合管制施設
通称 ディープ・ハンド。
無人HF の極秘遠隔操縦拠点。
■全高20メートルの機体
突如、ディープ・ハンドの地表に出現した人型とおぼしき謎の機動物体。
”黒い機体”と認識されるが、ジャミングでその正確な姿、カタチは定かではない。
仮面の男が操縦している。
≪ あとがき ≫
今週もお疲れ様でした。
よい週末をお過ごしください。




