第4話 ファーストコンタクト
≪ 登場人物 ≫
◇ノア・シュナイダー大佐
◇フォクスター小隊:ブラントリー・フォクスター隊長、エイジ・ミツギ少尉、ユイン・ユノス少尉
◇ピジョン・ブラッド隊:バング隊長、シルバーリング副隊長、カットマン、オールドスピア、ピース、ベン、モニカ、アレックス
◇特使
◆ライトルナ・ソード
ライトルナ・ソード。
仮面で素顔を隠した男は、そう名乗った。
「武器の携帯は、特に構わない」
目の前に立つ一行へ淡々と言葉を続ける。
「ただし、上で待機しているシャトルとの通信は切らせてもらった」
フォックスの目が僅かに細くなる。
ユインが月面への降下完了をシャトルへ送った直後、回線は途絶えた。
その原因はやはり、想定通りだ。
「シュナイダー大佐」
それまで護衛の後ろに立っていた特使が小声で呼びかける。
「はい」
「まずは君が相手を確認したまえ。現地の安全確認も護衛側の役目だろう。私が前に出るのはそれからだ」
「……承知しました」
ノアはそれ以上何も言わず、ソードへと進み出た。
月側との距離が縮まる。
「私はノア・シュナイダー。OMC軍大佐、本件の司令官を任されている」
ソードの名乗りに合わせるかのように、落ち着いた口調で発した。
対峙するノアとソード。
互いに視線を合わせるが、握手もなく、敬礼もない。
ノアは改めて、至近距離でソードを観察する。
黒髪。細身。
二十代後半。高く見積もっても三十前後。
身に着けているのは黒い軍服にも見えるが、肩や胸部、前腕にはパイロットスーツを思わせる硬質なパーツが組み込まれている。
顔の上半分は仮面に覆われ、露出した頬から首筋には白い痣のような変色が浮かんでいた。
傷か。皮膚疾患か。それとも別の何かか。
ともかく、目の前にいる男が少なくとも外見上は普通の人間にしか見えない。
それゆえに、この男の背後に並ぶ集団の異様さが、いっそう際立つ。
「こちらも紹介しておく」
ノアが身体を僅かに横へ向ける。
「今回、OMC経済圏を代表して対話に来られた特使」
特使が前に出て胸を張る。
「そして、この三名はOMC軍から派遣された特使の警護要員だ」
あくまで形式的に、必要以上は語らず、ノアは一行の構成をソードに示した。
ソードが特使たちを一瞥する。特に言葉はない。
ノアはそのままソードの肩越しへ視線を移した。
黒い集団。
百を超える小柄な人影が、変わらぬ姿勢のまま並んでいる。
この集団は何者だ。
「それでは、Mr.ライトルナ・ソード、あちらの方々も紹介いただけないか」
疑問を知るべく、大胆にもノアはソードに要望を投げた。
一瞬の沈黙。
「あれは我々が製造した生体端末だ」
ソードは後ろを確認することなく、淡々と言葉を続ける。
「ルナリアン・エコーと呼んでいる。人ではない。なので、気にする必要はない」
「……生体端末?」
ノアはソードの言葉に驚きを見せず、黒い集団を見返した。
人ではない。だと。
どう見ても人間だ。
頭。腕。脚。身体の比率。
装備の下に見える輪郭だけなら、十代前半の子供にしか見えない。
生体端末。製造した。我々が。
クローンか。一瞬、考える。
だが、クローンであれば元は人間だ。
それをソードは迷うことなく“人ではない”と言った。
そして――我々。一人では無い。
ソード以外にも、これを造り出した何者かがいる。
ノアは分析を止めた。
今ここで、疑問をソードに投げても、恐らく答えは得られないだろう。
「これだけの人数だ。いきなり襲い掛かってきたりはしないでしょうな」
後ろから特使の声。
わざわざソードに聞こえる声量だ。
思わず、フォックスが横目で特使を見る。
ソードが特使へ顔を向ける。
「それは、あなた方次第だ」
本気なのか。冗談なのか。牽制なのか。感情の読めないソードの声に、誰も判別はできなかった。
ソードが身体の向きを変え、ドックの奥を示す。
「それでは――ロゥ。レフトムーン・ロゥが待っている。部屋へ案内しよう」
その瞬間。
黒い集団が動いた。
左右。
一つの物体が割れるように、中央の隊列が同時に動く。
一歩。二歩。
低い重力の中、百を超える身体が同じ歩幅、同じ速度、同じタイミングで床へ足を着く。
乱れない。僅かな遅れすらない。
黒い塊の中央に一本の道が出来上がった。
「こりゃ、スゲェな……」
フォックスの口から思わず言葉が漏れる。
さらに隊列から十体が同時に一歩前へ出た。
五体ずつに分かれ、ノアたちの左右へ並ぶ。
歩く。止まる。向きを変える。
全てが一致していた。
ユインは周囲を見回す。
黒い服。顔の前面を覆う黒いゴーグル。同じ体格。同じ姿勢。同じ動き。
「……月に来ただけだ」
理解を超える現実を目の当たりに、ユインは小さく呟いた。
「別の世界に迷い込んだわけじゃない」
それは自分自身へ言い聞かせるような声だった。
「そう願いたいもんだ」
ユインの言葉をそばで聞いたフォックスが、僅かに口元を歪める。
ソードが歩き出す。
ノアが続く。
その後ろから、特使を中心にフォックス、ユイン、シルバーリング。
左右側面を、五体ずつのルナリアン・エコーが固める。
黒い人影の間を割って、一団は先へと進んだ。
*
――その1時間ほど前。
月往還シャトル。
月面へ降下した小型ポッドとの通信表示が、急速に弱まっていく。
《LUNAR DESCENT COMPLETE》
《PORT 03》
《ALL PERSONNEL SAFE》
ユインから送られた最後の報告。
受信完了。
直後。
《DATA LINK――LOST》
「切られたね」
アレックスが端末から顔を上げる。
「月面には無事着いたみたいだけど。随伴組との通信、完全に途絶えたよ」
壁面モニターでは、小型ポッドを示す光点が月面上で停止している。
既にシャトルは低月周回軌道を離れ、待機場所のL1側への帰還航路へ入ろうとしていた。
「予定通りか」
「妨害の方もね。月面方向、広い帯域で潰されてる。通常の探知機も通信回線も、このままじゃほとんど使えない」
アレックスが通信スペクトルを表示する。
「よし、始めるぞ」
バングの発声でピジョン・ブラッドが一斉に動き出す。
「アレックス、どこまで見える」
バングの確認に、アレックスが持ち込んだ小型端末をシャトルの情報系へ接続する。
複数の画面が一斉に立ち上がった。
「正規センサーだけなら月面の表面情報まで。施設内部は無理。向こうの妨害が強すぎる」
「ステルスドローン、積んでるよな」
「当然。もう準備できてるよ」
問いかけより早く、慣れた手つきでアレックスが表示を切り替える。
端末上にはステルスドローン5機の機体情報。
《STEALTH RECON DRONE》
《01/02/03/04/05――READY》
「こんなに使うのか」
エイジが画面を見る。
「全部、月面へ降ろすわけじゃないよ。一機をポッドが着陸したPORT 03周辺まで落とす。二機は月面上空に残して中継。残りは、このシャトルとのバックリンク」
「この強い妨害の中で、それでもどうやって」
「電波で正面から殴り合えば無理だね。だから、こっちを使う」
アレックスが別の表示を開く。
《OPTICAL DATA LINK》
「光通信……」
「そ。細いレーザーをドローン同士で繋ぐ。電波妨害を抜くんじゃない。別の道を作るのさ」
月面。中継機。シャトル。
端末上に複数の光点が並び、その間を細い線が結んでいく。
「一機でも見通しを外したら、そこで終わり。シャトルもL1へ離れていくから、ドローン側で位置を追い続ける必要がある」
「結構、無茶しますね」
「それくらいじゃないと面白くない」
エイジの言葉に揚々と答えるアレックス。
「おい、そこの二人。遊びじゃないぞ」
バングの声。
「分かってますよ」
委縮するエイジを他所に、アレックスは楽しそうに操作を続ける。
「ドローン射出っと」
実行キーを叩く。
シャトル外部。
機体腹部に設けられた小型射出区画が開く。
そこから黒い機影が一つ。続いて二つ、三つ。
5機の小型ドローンが静かに宇宙空間へ押し出された。
姿勢制御スラスターが短く点火し、それぞれが異なる軌道へ散っていく。
《DRONE 01――LUNAR DESCENT》
《DRONE 02/03――RELAY POSITIONING》
《DRONE 04/05――BACK LINK》
「リンク形成開始」
画面上、一つ、二つと線が繋がる。
《OPTICAL LINK 02-04――ESTABLISHED》
《OPTICAL LINK 03-05――ESTABLISHED》
月面へ向かう一号機。
その目標地点は、先ほどポッドが降りたPORT 03。
「月側のネットワークに直接、入れるのか」
バングがアレックスの肩越しに画面を見る。
「いきなり向こうのシステムに喧嘩売る気はないよ。狙うのは旧有人区画の方」
「昔のOMC設備か」
「正解。PORT 03周辺までドローンを寄せる。旧保守設備を見つけたら近距離で直接接続。まず入口を探す」
「ドローン管制、半分もらうよ」
展開の様子を見ていたモニカが、自分の端末を繋ぐ。
「助かる。三号と五号お願い」
日常の作業でも始めるようなやり取りだった。
突然、動き出したピジョン・ブラッドの隊員たち。
ブリーフィングで、こんな作戦指示は無かった。
月側施設へ接触しての通信網のハッキングなど。
エイジは急に我に返った。
「少佐、これは……作戦上の行動なんですか」
「違うな」
即答。
「……作戦じゃない?」
「ああ」
「これって、月側施設への侵入ですよね」
「そうだな」
「良いんですか」
「悪いに決まってるだろ」
バングが笑う。
「いいかい、ミツギ少尉。俺たちは確かにOMCの犬だ」
少しだけ声を落とす。
「だが、番犬じゃなく猟犬なんだよ」
「少佐、犬の話しは今……」
「そして、何より――“待て”が大嫌いなんだ」
悪戯っぽく笑みを返すバングに、エイジは何も返せなかった。
今まで同じ作戦の中で動いている間、ピジョン・ブラッドを少し変わった軍人たち、その程度だとエイジは感じていた。
だが、その認識は間違っていた。
命令を待たない。
必要な情報は自分たちの判断で拾い、勝手に次の手を作る。
独断先攻。
この姿こそが、ピジョン・ブラッドなのだ。
「そうだ。アレックス」
「今度は何」
「こいつも頼む」
バングが端末を投げる。
アレックスが片手で受け取った。
《OMC JOINT OPERATIONS COMMAND》
《ENCRYPTED OPERATION PACKAGE》
《PHASE 01――LOCKED》
作戦開始前にノアから転送された、統合作戦本部の追加作戦コード。
「何が自動展開だ。人にふざけたモン渡しやがって」
「僕に開けろって?統合作戦本部の暗号だよ?」
「できるだろ?」
「まったく、人使いが荒いなあ」
言葉とは裏腹に、アレックスはすぐ自分の端末へ接続する。
《EXTERNAL PACKAGE――MOUNTED》
《ENCRYPTION ANALYSIS――STANDBY》
「ドローン飛ばして、旧施設探して、軍本部の暗号も解けって」
「やりがいあるだろ」
「僕にも限度が――」
「少佐、黙って。五号、位置入ったよ」
端末の画面から目を離さないまま、モニカが状況を伝える。
「了解。四号とのリンク固定」
アレックスが即座に連携する。
《OPTICAL RELAY――STABLE》
「おい、エイジ」
後ろから別の声。
カットマンだ。
「俺たちはハンガーへ行くぞ。機体のセッティングだ」
「了解しました」
エイジが指示に続く。
「あ、カットマン!」
呼び止めるアレックスの声。
「僕のアイオーン、電子戦仕様に組んどいて!」
「それなら、もうベンとオールドスピアが始めてる」
カットマンは振り返らず答える。
「ああ、それと」
歩きながらカットマンが、エイジに声をかける。
「ピジョン・ブラッドには階級なんざない。だから俺のことはカットマンでいい」
「え?」
「だから、こっちも今後、お前をエイジと呼ぶからな。少尉、少尉ってのが面倒なんだよ」
「……分かりました」
ピジョン・ブラッドが密かに作戦を進める中、アルトリウスの待つハンガーへ、エイジは足早に向かった。
*
月面施設内。
ソードを先頭に、一行は旧有人区画の通路を進んでいた。
後ろにはノア。
特使を中心にフォックス、ユイン、シルバーリング。
さらに両脇を、五体ずつのルナリアン・エコーが一定の距離を保ちながら歩く。
「これは案内と言うより、連行だな」
シルバーリングが小さく呟いた。
「まったくだ」
フォックスが声を落として返す。
通路は、人間が利用していた時代の面影を残している。
天井に沿う配管。壁面に埋め込まれた案内表示。閉鎖された区画を示す古い標識。
一方で、照明、気圧、生命維持系。現在使われている設備だけは違和感があるほど正常に稼働していた。
歩くたび、身体が僅かに浮く。
月の低重力。
フォックスたちは自然と歩幅を抑えながら進んでいる。
だが、並行するルナリアン・エコーたちにはそれがない。
十体。全て同じ歩幅。同じ姿勢。足が床へ触れるタイミングまで揃っている。
先を歩くソードも、地球上を歩いている時と変わらないような足取りだ。
ノアはその背中を見つめ、少し歩調を上げた。
「Mr.ライトルナ・ソード」
ノアの突然の呼びかけに、ソードは僅かに顔を向ける。
「何か」
「目的の部屋までまだ時間があるなら、一つ質問をいいだろうか」
「別に構わない」
ソードは足を止めない。
ノアも隣へ並ぶ。
「先に言っておく。あなた方の政治的な目的や、今回の襲撃について聞くつもりはない」
ノアは一度、ソードの横顔を見る。
仮面。黒髪。その下に見える白く変色した皮膚。そして変わらない声。
「Mr.ライトルナ・ソード。そもそも、あなたは人類――人間なのか?」
ソードの足が僅かに緩んだ。
初めて、ほんの少しだけ思いがけない質問を受けたような間。
「当然。私は、あなた方と同じ人間だ」
視線を前へ戻す。
「他の惑星から来た宇宙人ではない。別の世界から来た人間でも、未来から来た人間でもない」
声の調子は最初から一切変わっていない。
ノアがソードを見る。
本気なのか。冗談なのか。やはり判断がつかない。
「そうか。ならば以降、あなたを我々と同じ人間として認識させてもらう」
ノアも、それ以上は訊かなかった。
ソードは前を向いたまま歩き続ける。
ライトルナ・ソードは人間。
その一点だけでも十分だった。
警戒する理由が消えたわけではない。
ただ、何を相手にしているのか。その輪郭が一つだけ定まった。
「いきなり、ぶっ飛んだこと聞くな。ウチの司令官は」
後を歩くフォックスがユインへ耳打ちする。
声が響く通路。不用意な発言を我慢し、沈黙するユイン。
気を紛らわせるように、ユインは隣を歩くエコーへ視線を移す。
黒いゴーグル。寸分違わぬ動き。
フォックスも横目でエコーを見る。
前方で通路が分岐し、ソードが迷うことなく右へ曲がった。
十体のエコーが同時に方向を変える。
誰一人、互いを見ることはない。合図もない。それでも隊列は崩れない。
「ほんと、気味悪いな。コイツら」
「隊長」
フォックスの耳打ちに我慢できず、思わず言葉を漏らすユイン。
「多分、聞こえてますよ」
「聞こえるように言ってるんだよ」
この状況で、肝が据わっているのか鈍感なのか。フォックスの発言にこれ以上、巻き込まれないよう、ユインは素早くシルバーリンクと位置を変わった。
一団の足音が、通路に響き続た。
*
月往還シャトル。
HFハンガー。
輸送状態にあった四機のHFは固定ロックを一部解除し、即時起動可能な待機状態へ移されている。
アルトリウス。
ランスロット。
その横に並ぶ二機のアイオーン。
「……あれは」
ハンガーへ入ったエイジが足を止める。
一機のアイオーン。軍事宇宙港で見た時とは外観が変わっていた。
背部、肩、腰部に複数の追加ユニット。
小型アンテナ。センサー。外付け演算装置。
機体各所から伸びたコードがハンガー側の診断装置へ繋がっている。
その周囲で、黙々と作業を続けるオールドスピア。
「こいつがさっき、アレックスが言ってた電子戦仕様だ」
カットマンが機体の方へエイジを呼び込む。
「随分と見た目が変わりましたね」
近付きながら、アイオーンを見上げるエイジ。
「この装備を地上の基地から、宇宙まで運んだんですか」
「まさか。俺たちの装備は拠点にまとめて置いてある。軍用宇宙港にも一式置いてあるのさ。そこから必要な物だけ機体と一緒に持ってくる」
「特殊な任務では、こうやって現地で装備を変える」
「そ。同一機体を隊員で使いまわす分、個人設定は各々、自由だ」
エイジはもう一度アイオーンを見る。
「面白い機体だな……」
軍事宇宙港で初めて見た時、何もない、特徴がない。そう感じた機体。
特徴の無さが、拡張性の高さに繋がっている。
その先。
もう一機のアイオーンでは、ピースが開いたコクピットハッチに手を掛け、乗り込もうとしている。
一瞬、エイジと目が合う。
微小重力のハンガー。
そのままピースは、手すりを蹴り、身体を静かにコックピットへと滑り込ませた。
二人はアルトリウスへ向かう。
「月での任務は初めてだろう」
カットマンの問いにエイジは頷く。
「基本操作は宇宙空間と変わらんが、ゼロGと月の低重力下、どっちでも動けるよう機動系は自動調整される。そこだけ感覚で掴んでおけ」
「はい」
「Cellの繋がり。姿勢制御。関節応答。推進器。自分で一通り見とくんだな」
「了解しました」
立ち去ろうとするカットマンが思い出したように、振り返る。
「ああ、それと、もしHFの出番になるなら、月面か施設外郭。格納区画みたいな大型構造物の中だろう」
「月面重力下での近接戦ですか」
「その可能性が高い。速いモノ勝ちだ。余計な兵装は外しとけ」
「分かりました」
立ち去るカットマンの後姿を見ながら、エイジは手すりを掴み、アルトリウスの開いたコクピットへ身体を寄せる。
その時、隣のランスロットから人の気配がした。
「……!」
ユインの青い機体。
開いたコクピットハッチから、一人の男が身体を押し出した。
ピジョン・ブラッドのベン・ファーマン。
ブリーフィング以外は、ほとんどその姿を見せなかった隊員だ。
目が合う。
エイジの動きが止まった。
一秒。二秒。
エイジの視線がランスロットのコクピット、そしてもう一度ベンへ戻る。
ユインの機体を、誰とも知らない人間が弄っている。
それだけで、エイジの感情が乱れた。
「言いたいことは分かる。が、面倒だから言うな」
抑えきれない感情が、そのまま表情に出ているエイジを、ベンは軽く受け流す。
それでも、エイジの視線はベンの顔を捉え続ける。
「だから言うなって。月で使える状態か確認しただけだ」
ベンが手すりを掴み、ランスロットから身体を離す。
「ただし、非常時には俺が乗るからな」
その言葉に、エイジ対する配慮など微塵もない。
エイジの視線を背に感じながらも、全く意に介さず、独りハンガーを後にする。
「まったく、これだからガキは嫌なんだ」
自分にしか聞こえない声で、ベンは去り際に呟いた。
瞳を閉じ、深呼吸するエイジ。
もう一度ランスロットを見る。
ユインは月面。
自分はここで待機だ。
今はできる事をやる。
エイジはアルトリウスのコクピットへ身体を滑り込ませた。
シートへ固定。操縦桿。ディスプレイ。見慣れた空間。
《PILOT AUTHORIZATION――EIJI MITSUGI》
《CELL LINK――STANDBY》
エイジが操縦桿へ手を置く。
「アルトリウス。さあ、始めるぞ」
《SYSTEM CHECK――START》
赤い機体の中で、無数の表示が一斉に立ち上がった。
*
月面施設内。
旧有人区画のさらに奥。
ソードを先頭に進む一行は、幾つもの区画を通り抜けていた。
途中、何度か隔壁を越えた。
ソードが近づくだけで認証表示が切り替わり、ロックが解除される。
奥へ進むほど施設の様子が変わっていた。
古い設備ばかりだった月面港周辺とは違う。
剥き出しだった配管は消え、壁面は継ぎ目の少ない白と黒のパネルへ置き換わっている。
しばらくして、ソードの歩みが止まった。
通路の先。
それまでの隔壁とは明らかに違う大きな扉。
左右の壁と一体化するように設置され、継ぎ目すらほとんど見えない。
ソードが扉の前へ立つ。
壁面の何もなかった場所に細い光が走った。
《IDENTIFICATION》
数秒。
《AUTHORIZED》
低い作動音。
ロックが外れた。
「サスガに顔認証……じゃないな」
フォックスが僅かに眉を上げる。
「隊長」
ユインがすかさず、注意を入れる。
巨大な扉が左右へ開く。
隙間から白い光。
そして、その先に広がる空間。
だがそこには、長いテーブルも大勢の席もない。
中央に必要最低限の家具。壁面には複数の端末。
その奥。
大きな観測窓。
灰色の月面が、黒い空の下に広がっていた。
「……」
壮大な光景に、ユインが小さく息を呑む。
その窓の前。
一人の男が立っていた。
背を向けている。
白い服。細身。
肩まで届く金色の髪。
黒と灰色ばかりだった月面施設の中で、その姿が異様なほど鮮明に見える。
この男が――、レフトムーン・ロゥ。
男から目を離せないノア。
フォックス、シルバーリングは、その雰囲気から、暫し言葉を失った。
「連れてきた」
ソードが一歩、室内へ入る。
白い服の男は、ゆっくりと振り返った。
≪ 用語・設定 ≫
■ルナリアン・エコー
月で製造された生体端末”。外観は12歳前後の子供に似ている。
ライトルナ・ソードに付き従う。人間ではない多勢。
≪ あとがき ≫
今週もお疲れ様でした。
よい週末をお過ごしください。




