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第3話 レギオン

≪ 登場人物① ≫

◇ノア・シュナイダー大佐

◇フォクスター小隊:ブラントリー・フォクスター隊長、エイジ・ミツギ少尉、ユイン・ユノス少尉

◇ピジョン・ブラッド隊:バング隊長、シルバーリング副隊長、カットマン、オールドスピア、ピース、ベン、モニカ、アレックス

◇特使

 18時間。

 GEV02-CAYAMBE衛星軌道上の軍用宇宙港を発ってから時が過ぎた。


 月往還シャトルは月遷移航路を予定通り進行。

 地球―月系L1到達まで、あと2時間を切っている。


 大きな観測窓の向こうには漆黒の宇宙と無数の星。そして、進行方向に浮かぶ月。


 地球から見上げていた白い円とは異なる。表面の濃淡まで分かるほど大きくなり、視界の中に確かな存在感を持っていた。


「随分近くに見えるな、月」

「18時間も飛んでればね」


 客室から少し離れた歓談スペース。


 エイジは座席へ深く身体を預け、片脚をフットレストへ引っ掛けている。巡航中のシャトル内では身体にかかる重さが地上よりずっと弱い。


 二人とも軍服姿だが、今は休憩時間を持て余す学生のようだ。


「24時間の航路って、聞いた時は長いと思ったけど、意外とすぐだな」

「半分以上寝てたからじゃない?」

「ユインだって寝てただろ」

「僕は交代時間まで起きてたよ。エイジは食事のあと、すぐ寝た」

「あれは仮眠」

「5時間?」

「……仮眠取りすぎ」

 ユインが笑い、エイジもつられて笑う。

 二人きりになると、士官学校にいた頃とほとんど変わらない。


「こうして見ると、本当に月へ行くんだ」

 エイジは再び、窓の外の月を眺める。

「もうかなり近いけどね、月」

「そういう意味じゃなくて」

「分かってるよ」


 未知が待つ月。


 軌道エレベーターへの襲撃。大型機動兵器。謎の少女。

 これからの作戦。

 考える事はいくらでもある。


 だが、今はふと別の想いがエイジの頭に浮かんだ。


「そういえば、アンジェリカさんどうしてる?」

「ああ、姉さんね。相変わらず辺鄙な場所で一人暮らしだけど、元気にしてるよ」

「そっか」

「この前も話したけど、エイジに会いたがってたよ。また遊びに来なって」

「……そうか」

 さっきより少しだけ明るい返事に、ユインが笑う。


「嬉しそうだね」

「別に。久しぶりだし」

「姉さんに会うのが?」

「お前の家に行くのがだよ」

 エイジの答えに、ユインはただ笑った。


「……アンジェリカさんには世話になったからな。士官学校の頃から」

「あの頃はよく二人で行った」

「それは、お前が呼んでくれたから」

「最初はね。そのうちエイジから、行こうって誘うようになったじゃないか」

「それは――」

 言葉に詰まるエイジを見て、ユインがまた笑う。


 エイジは、観測窓の先に広がる空間を見つめる。


 黒い宇宙。白い月。


 そこにはない景色が、ユインとの何気ない会話の中で蘇る。


 青い海。風に揺れる草原。小高い丘。

 そして、一本の桜の木。


 それは、二人が士官学校で過ごした最初の春休みのことだった。


 *


 OMC軌道保安軍高等士官学校。

 有人HF操縦課程、同期で出会ったエイジとユイン。


「またユイン・ユノスかよ……」

 ユインに対する最初の印象は――気に入らない。


 シミュレーター室の戦績表示。一位、ユイン・ユノス。二位、エイジ・ミツギ。


「今日は僅差だったね」

「その言い方が腹立つんだよ」

「事実を言っただけだけど」

「次は勝つ」

「うん。頑張って」

「それだよ、それ」

 有人HF機動、近接戦闘、編隊行動、宇宙空間での姿勢制御。訓練では常に二人の名前は上位で並んだ。


 模擬戦ではユインが一枚上手。

 エイジは機体との適応試験で数値を伸ばす。


 互いの負けず嫌いが相手を伸ばし、やがて誰よりも互いを知るようになる。


「エイジ、右が空いてる」

「分かってる!」

「早く塞いで」

「お前は俺の教官か!」

「撃墜されたら、僕の評価も下がるんだよ」

「可愛くねえな!」

 そんな言葉も自然と交わせるようになった。


 ライバル。同期。そして親友。

 二人の関係が、そこにたどり着くまで、長い時間はそれほど必要なかった。


 *


 訓練棟の食堂。

 課題端末を横に置いたエイジは、以前から気になっていたことをユインに尋ねた。


「そういや、お前なんで2年遅れで入ったんだ?」


 ユインの手が止まる。


「事故に遭ったんだ。子供の頃に」

 一瞬、ためらいを見せたが、普段と変わらぬ口調でユインは答えた。


「……事故?」

「父さんと母さんをその時に亡くして。僕と姉さんが助かった」


 少し間を置く。


「ただ、姉さんは脚に障害が残って。今も車椅子」

 いつもの穏やかな声。それだけに、エイジは軽い言葉を返せなかった。


「家の事とか色々あったし、姉さん一人を残せないから、ここまでに時間が必要だった」

 生活を整え、二人で暮らせる環境を作ってから、2年遅れて士官学校へ進んだ事をユインは明かした。


「……大変だったな」

「まあね。でも、終わったことを大げさに話しても仕方ないだろ」

 ユインはそう言って、逆にエイジを見る。


「エイジは?」

「俺?」

「家族」

「ああ。父さんは、俺が6歳の時に病気で死んだ。優秀なロボットエンジニアだったらしい」

「だからHFが好きなか」

「それとは……多分ちょっと違う。でも影響は受けてると思う」

「お母さんは?」

「元気だよ。母さん一人で俺を育ててくれた。すごい人だよ」

「尊敬してるんだね」

「それは勿論」

 エイジは母への気持ちを迷いなく答えた。


「今度、会ってみたいな」

「母さんに?」

「エイジをここまで育てた人なら興味ある」

「どういう意味だよ」

「そのままの意味」


 以降、二人が互いの身の上を語る事はなかったが、この時間を経て、より親密に心を通わせる仲となった。


 *


 士官学校、入学から最初の春休み。


「姉さんが、友達くらい連れてこいって」

 大量の課題を前に寮で頭を抱えていたエイジを、ユインが自宅へ誘った。


「俺が?ユインの家に?」

「他に誰かいる?」

「友達、俺しかいないのか。お前」

「エイジに言われたくないね」

 結局、誘いに乗ったエイジは、残り少ない春休みをユインの家で過ごす事となった。


「……辺鄙にもほどがあるだろ」

 駅からさらに小型車両を乗り継いだ先。

 エイジの前に広がっていたのは、青い海と緩やかな草原だった。


「だから言ったじゃないか」

「ここまでとは聞いてない」

「空気はいいよ」

 春の風と潮の匂い。正面の小高い丘には一本の木が立っていた。


 丘を登るにつれ、枝いっぱいの淡い花が視界を埋めていく。満開だった。

「……桜?」

「そう、君の国の木だね」

「こんな場所で見れるなんて」

「珍しい?」

「ああ。海の近くだからな」

「この景色、姉さんのお気に入りなんだ」

 その時、大きな風が丘を抜けた。


 枝が揺れ、薄桃色の花びらが青い空と海の間を舞う。


 エイジが目で追った先。桜の脇に一軒の家があった。

 海へ向けたテラスに、一人の女性がいる。


 車椅子。膝に薄いブランケットを掛け、長い髪を風に揺らしながら二人を見ていた。


「姉さん」

 ユインが手を上げる。


「おかえりなさい、ユイン」

 穏やかな声。そして視線がエイジへ向く。


「あなたが、ミツギさん?」

「あ――はい。エイジ・ミツギです」

「初めまして。アンジェリカ・ユノスです。いつも弟がお世話になっています」

 柔らかく微笑むアンジェリカに、エイジの返事が僅かに遅れる。


「いや、世話になってるのは俺の方で――」

「へえ。珍しく緊張してる」

「してない」

「してるよ」

「うるさい」

 アンジェリカが小さく笑った。


「こんなところで話してないで。さあ、二人とも、入って」

「はい」

 綺麗な人だと思った。

 静かな佇まいと穏やかな声。なるほど、ユインの姉だ。


 それが何なのか当時のエイジには分からなかった。ただ、好意にも似た淡い憧れを抱いたことだけは覚えている。


 その日は夕方までユインと課題を済ませ、三人で食事をした。

 食卓では、アンジェリカの手料理、学校の話、訓練の話、ユインの負けず嫌い、エイジのHF好き。

 よく笑った。


 それから休日が合えば、二人でユインの家を訪れた。

 桜が散り、草原が濃い緑になっても。


「いらっしゃい、ミツギさん」

 アンジェリカはいつも、変わらない笑顔で迎えてくれた。


 *


「――懐かしいな」

 想いに浸っていたエイジが我に返る。


 観測窓の向こうには漆黒の宇宙。青い海も、草原も、桜もない。


「あの時は大変だったけど、楽しかったな」

 エイジは座席へ深く身体を預けた。


「アンジェリカさんのところ、最後に行ったのいつだっけ」

「卒業前じゃない?」

「そんな前か……何度も遊びに行ってたのに、急に顔出さなくなって悪いな」

「姉さんは気にしてないよ。エイジが忙しいのも知ってるし」

「でもなあ」

「それなら、この作戦が終わって任務が落ち着いたら、また二人で姉さんに会いに行こう」

 穏やかな、いつもの声だった。


「姉さんも喜ぶよ」

「ああ。そうだな。楽しみだ」

 エイジは外の月を見る。


 今はまず、あそこへ行き、無事に帰ってくる。その先に、またあの丘がある。


「――話し込んでるところ悪いが」

 背後からフォックスの声。


「隊長」

「ずいぶんくつろいでるな、お前ら」

 フォックスも観測窓へ目を向ける。


「もうすぐ地球―月系L1に入る」

 二人の表情から緩さが消えた。

「あとどのくらいです?」

「1時間切った。このままなら予定通りだ」


「月側の反応はあったんでしょうか? OMCからの対話要請に、返答は」

「ない。綺麗なくらい、何もなし」

 ユインの質問に即答するフォックス。


「先の軌道エレベーター襲撃で衛星軌道上の防衛網を掻い潜った連中だ。こっちの船一隻捕捉できんとは思えん」

「じゃあ、あえて無視を?」

「返事する気がないのか、ギリギリまで様子見してるのか。それとも――」

 フォックスはそこで言葉を切った。

「考えても仕方ねえ。今は向こうの出方待ちだ」


 その時、船内通信が開く。


『護衛部隊各位。月側から返答があった』


 突然のノアの声に反応した三人が、同時に天井のスピーカーを見る。


『至急、ブリーフィングルームに集合』


「……来たか」

 フォックスの表情が変わる。


「二人とも、行くぞ」

「「はい」」

 先程までの穏やかな時間と空気はすでに無く、軍人としての面持ちに変貌した三人は、足早に部屋を出た。


 *


 シャトル内のブリーフィングルーム。


 ノアの正面にフォクスター小隊。その隣にピジョン・ブラッド。

 壁面モニターでは、シャトルを示す光点が地球―月系L1へ重なった。


 《EARTH-MOON L1》

 《ENTRY CONFIRMED》


「当機がラグランジュ・ポイントへ入る、きっちり30秒前に月側から返答が入った」

 ノアが受信記録を表示する。


 《LUNAR SIDE/INCOMING》


 送信元、所属、発信者――全て空欄。


 《L1進入後、現在航路を維持》

 《120分後、月面より誘導信号を発信》

 《以後、誘導に従え》


「……これだけですか」

「これだけだ」


「こっちの動きをずっと見てたワケだ。返事もよこさず、L1に入る30秒前。いやらしいやり方だな」

 フォックスが鼻を鳴らす。


「位置と速度は正確に捕捉されてたってことだねぇ」

「今さら驚くことでもないだろう。地上に60機送り込んでくる連中だぞ」

 バングの言葉に、アレックスが肩をすくめる。


 ノアが画面を航路図へ切り替え、拡大する。


「指示通り、2時間後のガイドビーコンを待つ。受信後は低月周回軌道へ移行。特使と随伴組を小型降下ポッドで指定地点へ降ろす。ポッド分離後、シャトルはL1側のハロー待機軌道へ戻る」


 編成は作戦会議で決めた通り。

 随伴組はノア、フォックス、ユイン、シルバーリングと特使。

 待機組はバング以下ピジョン・ブラッド7名とエイジ。


「月面へ降りた後、シャトルとの通信が維持できる保証はない。妨害、遮断された場合は各組で判断する」


「待機組の実働指揮は、バングヘヴン少佐」

「了解しました、司令官」


「随伴組はフォクスター大尉」

「了解」


「作戦全体の指揮は自分が執る。ただし通信不能時、両名に独立した現場判断を認める」

「随分、自由にさせてくれるんですね」

「当然、責任も一緒に渡す」

「……ですよね」

 フォックスが苦笑した。


 ノアが端末を取り出す。

「もうひとつ。両名、端末を」

 短い電子音。フォックスとバングの画面に新しいアプリケーションが転送された。


 《OMC JOINT OPERATIONS COMMAND》

 《ENCRYPTED OPERATION PACKAGE》

 《PHASE 01――LOCKED》

 《PHASE 02――LOCKED》

 《PHASE 03――LOCKED》


「何です、これ」

「統合作戦本部から託された追加作戦コードだ。指示は暗号化した状態で端末内に封入されている。任務進行、位置情報、指揮官認証が条件を満たした時点で必要な項目だけが自動展開される」

「作戦中、通信は途絶えるかもしれないのに?」

「外部回線は必要ない」

 フォックスが画面を見たまま息を吐く。

「月まで来て、俺たちに首輪かよ。上の連中は何考えてんだか」


 ノアとフォックスの会話を聞きながらも、バングは自身の端末に示された、未展開の《PHASE 01》から目を離す事はなかった。


「以上だ。ビーコン発信まで既に2時間を切っている。随伴組は降下準備。待機組はシャトルとHFの状態を再確認

 一拍。

「ここから先は月側の領域だ。各員、想定外を前提に動け」

「「「了解」」」


 *


 月面の濃淡は肉眼でもはっきり分かる距離まで迫っていた。


 《LUNAR GUIDANCE――STANDBY》


 指定時刻まで、残り12秒。


「本当に時間ぴったりだな」

 ユインが表示を見なが準備を整える。


 カウントがゼロになった瞬間、モニターが切り替わった。


 《SIGNAL DETECTED》

 《LUNAR GUIDANCE BEACON――ACQUIRED》


 月面上に光点が現れ、航法画面に一本の誘導ラインが描かれる。


「発信地点、旧有人区画。座標一致。航路データだけでメッセージは無し」

「相変わらず愛想がねえな」

 フォックスが呟く。


 操船区画から通信。

『月側ガイドビーコン受信。これより誘導航路へ移行、低月周回軌道への降下を開始する』


「了解した」

 立ち上がるノア。


「随伴組、降下ポッドへ移動」

 乗務員の案内を受けていた特使と共に、フォックス、ユイン、シルバーリングが応じる。


「ようやくか。これで奴らも、自分たちの立場を理解するだろう」

 特使の言葉にノアの答えはない。


「待機組。当機が月周回軌道を離脱後、シャトルは予定通りL1側へ戻る。バックアップと防衛を頼む」

「了解しました、司令官」

 随伴組が出口へ向かう。


「隊長」

 フォックスが振り返る。

「……気をつけて」

「誰に言ってんだ。お前はそっちの心配しとけ。何かあったらアルトリウスに飛び乗れるように待機だ」

「はい」


 エイジがユインに視線を移す。

「ユインも」

「ああ。すぐ戻るよ」

「じゃあ」

「うん」

 ユインが片手を上げ、フォックスたちと部屋を出ていく。


「ミツギ少尉」

 バングが声をかけた。

「俺たちも仕事だ」

 顎を軽く動かし、ついて来いと促す。

「了解しました」

 バングと残るピジョン・ブラッド隊員たち、エイジの待機組も各持ち場へと移動を開始した。


 *


 月往還シャトル、前部降下ポッド区画。


 真空の月面と軌道を往復するための人員輸送艇、小型降下ポッド。フォックス、ユイン、シルバーリングが先に乗り込み、内部と非常装備を確認した後、ノアと特使、全5名の搭乗が完了している。


「随分狭いな」

「月面降下用ですので。快適性を優先した機体ではありません」

 会話の標的にされるノア。

「帰りもこれかね」

「予定通りなら」

「ならば帰路までには――」

「特使。固定を」

 フォックスに遮られ、特使は不満そうに拘束具を装着する。


 《PASSENGER COUNT――5》

 《LUNAR DESCENT POD――READY》


 隔壁が閉じる。


 月面高度、約100㎞。


 低月周回軌道に入ったシャトルの下を、灰色の地表が流れていく。雲も霞もない。クレーターも山影も輪郭が鋭く、影はそのまま黒へ落ちる。


 待機組は配置された場所でモニターを見上げていた。


 《POD SEPARATION――60 SEC》


「シャトル離脱まであと1分」


 《30 SEC》


「ユイン、通信確認」

「正常です」

「シルバーリング、降下系」

「異常なし」

 フォックスの指示にシルバーリングも返答する。操縦系でビーコン維持を確認するノア。


 《10 SEC》

 《5…4…3…2…1》

 《RELEASE》


 固定クランプが外れ、ポッドがシャトルから離れる。姿勢制御スラスターが点火し、月面へ機首を向けた。


 《GUIDANCE LINK――ACTIVE》

 《DESCENT COURSE――LOCKED》


 主推進器が軌道速度を削り、降下が始まる。


「分離確認。ポッドがビーコン航路へ入ったよ」

 モニターで確認している待機組のアレックスから報告が入る。


 シャトルから離れた小さな光点が月面へ向かう。

 やがて二つの航路が完全に分かれた。


 L1へ向けて、高度を上げるシャトル。

 月へ降りていく小型ポッド。


 *


 月面まで、高度18㎞。


 小型降下ポッドはガイドビーコンに従い、旧有人区画へ降下を続けていた。


 窓の外に大気はない。灰色の地表と黒い空。その境界だけが鋭く続く。


 《ALTITUDE――15.2km》

 《GUIDANCE SIGNAL――STABLE》


 姿勢制御スラスターが断続的に噴射し、速度を落としていく。


「見えてきたぞ」

 ユインが前方モニターに目を移す。


 灰色一色だった月面に、アンテナ、通信設備、地表へ低く張り付く構造物が現れた。その多くは月面へ半ば埋まっている。


「旧有人区画か」

 かつて、地球から来た人類が生活した場所も、2090年にその役割から解放された。


 そこに突如、白い照明。航法ビーコン。そしてポッドを迎える進入灯が浮かび上がる。


「設備、生きているのか」

「使えてるようだな。破壊されての放棄じゃないから」


 特使も黙ったまま月面施設を見ている。


 《GUIDANCE UPDATE》

 《DESTINATION――OLD MANNED SECTOR/PORT 03》


「進入先の更新を確認」

 航法画面に、月面から低く張り出した矩形構造物が示される。


「有人運用時代の月面輸送港だ。大型艇を収容できる与圧式ドックが見える」

 旧有人区画が眼下に広がる。そこに見える低い建造物。地中へ潜る構造体。レゴリスに半ば埋もれた作業車両。


 長い年月放置された月面の機械都市に、PORT 03の照明と誘導灯が揺らめく。


「何とも地味な歓迎だ」

「入れてくれるだけで十分だ」

 フォックスとシルバーリングが互いの認識を共有するかのように会話を交わす。


 外部隔壁がゆっくり開いた。


 《PORT 03――APPROACH》


 ポッドが巨大な開口部へ滑り込む。灰色の地平と黒い宇宙が後方へ消え、金属壁が窓を埋めた。


 《LANDING GEAR――CONTACT》

 《VEHICLE SECURED》


「接地完了」

「固定確認」


「……誰もいないか」

 フォックスが窓から外の様子を窺う。


 無人の広いドック。背後の巨大な隔壁が閉じ、黒い空が完全に遮断された。


 《EXTERNAL HATCH――SEALED》


「与圧が始まるぞ」

 低い機械音。


 ほぼ真空だったドックに人工大気が満たされていく。気圧、酸素濃度、温度、有害成分が順番に正常値へ入る。


 《PRESSURE EQUALIZED》

 《ATMOSPHERE――SAFE》


「ユイン、通信状況」

 ユインが端末を確認する。


「シャトルとの回線――弱いです。急速に減衰」

「もう始めやがったか」

「完全に切れる前に降下完了だけ送れ」


 《LUNAR DESCENT COMPLETE/PORT 03/ALL PERSONNEL SAFE》


 送信。


 《TRANSMISSION――ACCEPTED》


 直後、回線表示が消える。


「シャトルとの通信……切れました」

 ユインが静かに報告する。


「想定内だ」

 フォックスが緊張感を保った声で力強く返す。


「目視の範囲に人影なし」

 外部カメラと環境値を確認。


「環境値、正常」

「開けるぞ」

 ポッドのハッチを開く。


 最初にポッドから降り、周囲を警戒するフォックス。

 フォックスのハンドサインを受け、シルバーリング、ユインが低重力に歩幅を合わせながら、周囲へ展開する。

 安全を確認した後、ノアを前に立たせ、最後に特使が降りてきた。


 ドック内部。搬送レール、作業デッキ、整備用アーム。設備は古いが、照明だけは妙に新しい。


「ずいぶん、静かだな」

「こちらから動かないでください」

「何を言っている。我々は招かれて――」

「特使」

 ノアの低い声が特使を制する。


 そのとき。


 ドック奥の内側隔壁。その上のランプが緑へ変わる。


 ロック解除の音が響いた。


 フォックス、ユイン、シルバーリングが音の方向に身構える。


 左右へ開く隔壁。

 その先に延びる通路。


 その先から、一人の男が歩いて来る。


 黒を基調とした服。細身。顔の上半分を覆う仮面。


 男の後方から、さらに現れる人影。

 二十人。五十人。百人いや、それ以上。


 人影は皆、小柄だ。

 全員が、ほとんど同じ身長。同じ体格。同じ姿勢。


 身体へ密着した黒い薄手のスーツ。継ぎ目の少ない有機的な輪郭。

 顔全体が半透明の黒いゴーグルで覆われており、表情は確認できない。


 誰一人、声を出さず、寸分違わぬ姿勢で組まれた隊列が、月に降りた一同の前に迫る。


「子供……?」

 ユインが小さく呟く。


「いや、それはあり得ない」

 フォックスは即座に否定したものの、続く言葉が出ない。


 兵士としては、あまりにも幼い体格。

 その体格ではありえないほど、あまりにも練度の高い統率。

 まるで同じものを、均等に並べたように。


「何だ、これは」

 特使の問いに答える者はいなかった。


 黒い集団を背に、仮面の男が歩み出る。


「私の名は、ライトルナ・ソード」


 真空の静寂さを思わせる抑揚のない声が、ドックに響いた。


「月へようこそ」


≪ 登場人物② ≫

◇アンジェリカ・ユノス 21歳 女性

ユインの姉。交通事故により両脚の自由を失う。田舎の一軒家に住んでおり、物静かで大人しい。

世間に対しての興味はあまり無く、弟のユインが幸せになってくれれば、それだけで良いと考えている。


◆ライトルナ・ソード

仮面の男。

地球上に突如出現し、OMC軍に壊滅的打撃を与えた全高20メートル大型機動兵器の操縦者。


◆小柄な黒い人影たち

外観は12歳前後の子供に似ている。

ライトルナ・ソードに付き従う武装した多勢。


≪ あとがき ≫

月に到着しました。

エイジはシャトルでお留守番です。

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