第1話 ブリーフィング
≪ 登場人物① ≫
◇ノア・シュナイダー大佐
◇フォクスター小隊:ブラントリー・フォクスター隊長、エイジ・ミツギ少尉、ユイン・ユノス少尉
◇ピジョン・ブラッド隊:バング隊長、シルバーリング副隊長、カットマン、オールドスピア、ピース、ベン、モニカ、アレックス
「ここまでが、全員に共有されている内容だ」
ノアの言葉と同時に、正面の大型モニターから表示されていた資料が消える。
OMC軍作戦本部、作戦会議室。
窓のない室内には、規則正しく並べられた机と椅子。その正面に立つノアを中心に、今回の月面特使護衛任務へ参加する軍人たちが集められていた。
フォクスター小隊。
そして、ピジョン・ブラッド。
フォックス、エイジ、ユインが軍服姿で並んで座る。
その数列後ろ。
バングを除けば、ピジョン・ブラッドの面々は相変わらずだった。
軍の正式な作戦会議だというのに、私服。
カットマンは椅子へ浅く腰掛け、オールドスピアは背筋を伸ばして静かにモニターを見ている。が、その姿はバーカウンターで見たそれ。
ピースは両腕を組み、ベンは他人と距離を置くように端へ座っていた。モニカは脚を組み、アレックスは頬杖をついている。
シルバーリングだけは比較的まともな服装だったが、それでも軍服ではない。
エイジはピジョン・ブラッドとは、そういった人の集まりなのだと理解を改めた。
その先頭で、規定どおりの軍服を着ているバング。
広い肩を椅子へ預け、腕を組んだままノアの説明を聞いていた。
「ここからは、月側が我々との接触を受け入れた場合を想定する」
ノアは着席している面々を見渡す。
フォックスが腕を組み直す。
バングも、モニターへ目を向ける。
ノアがモニターの表示を切り替える。
月面上へ、複数の施設群を示す識別表示が浮かび上がった。
「接触が成立した場合、特使をどこまで同行させるか。誰を月面へ降ろし、誰を軌道上へ残すか。持ち込む戦力をどう配分するか」
一拍置く。
「今日決めるのは、その三点だ」
会議室の空気がわずかに変わった。
これまでの話は、月へ行く理由だった。
ここから先は。
月で生きて帰るための話になる。
ノアは月面図の一角を拡大した。
「その前に、現時点で我々が把握している月面施設の状況を確認する」
灰色の地表。
その上に点在する施設群が、用途ごとに色分けされていく。
「2085年。OMCとCMSは、月面無人化協定の締結を完了させた」
画面中央に、協定締結以前の月面施設配置が表示される。
資源採掘区画。
精製施設。
物資集積所。
研究施設。
居住区画。
月面開拓が進められていた時代、人間が直接滞在することを前提に建造された施設群だ。
「それ以前、月面での採掘、研究、設備管理には多くの技術者が常駐していた。しかし、採掘から精製、輸送までの完全自動化が可能となったことで、有人運用を続ける理由がなくなった。ただ、それは建前で、人類繁栄の鍵となった月鉱物を、両経済圏で等しく分割するためにも、採掘施設への人間立ち入りを禁じた。というのが実態だ」
表示が変わる。
施設群から、人員を示す識別情報が順番に消えていく。
「協定締結後、五年をかけて段階的に人員を撤収。2090年には、恒常的な有人活動を完全に終了している」
モニター上に機械だけが働く、月面世界が映る。
採掘機。
運搬車両。
資源処理施設。
月面と軌道上を結ぶマスドライバー。
「現在も稼働しているのは、鉱物資源の採掘、精製、保管、地球圏への搬出に関わる無人区画だ」
月面図の一角が、さらに拡大される。
地表へ食い込むように並ぶ採掘設備。
巨大な掘削機。
資源輸送用の軌道。
陽光を反射する太陽電池群。
無論、そこに人間の姿はない。
「設備の管理も基本的には自動だ。OMC、CMS双方から技術者が保守へ向かうのは、多くても年に一度程度」
「完全放置ってわけじゃないんですね」
エイジがモニターを見たまま言った。
「ああ」
ノアが答える。
「自動化されていても、すべての部品が永久に使えるわけではない。大型設備の交換、基幹システムの更新、自動修復機構では処理できない故障については、人間の作業が必要になる」
ユインが手を挙げた。
「月へ入った人間の記録は残っているんですか」
「残る」
ノアは即答した。
「有人活動の終了以降、月への人員輸送はOMC、CMS双方で厳重に管理されている」
画面へ別の資料が重なる。
月への入域記録。
所属。
目的。
滞在区域。
期間。
帰還確認。
「無人化協定には、月面資源を巡る不要な軍事的緊張を避ける本当の目的があった。月へ誰が入り、どこで何をするのか。その情報は双方で共有される」
「つまり」
フォックスが口を開いた。
「表向きの記録が正しければ、月には誰も住んでない」
「そういうことだ」
ノアはモニターへ向き直った。
「少なくとも、我々が把握している範囲では」
表示が横へ移動する。
稼働中の採掘区画から離れた場所。
今度は、別の施設群が拡大された。
先ほどとは様子が違う。
照明は落ちている。
外部設備の一部には月の砂塵が積もり、通信アンテナも停止したまま。
複数の建造物を結ぶ連絡路。
地下へ続くアクセスシャフト。
かつて宇宙服を着た技術者たちが行き交っていた痕跡だけが残されている。
「こちらが、2090年まで使用されていた旧有人区画だ」
ノアが施設の一つを拡大する。
居住棟。
研究棟。
医療区画。
生命維持設備。
格納施設。
人間が長期間滞在するために必要だった設備が、一つの区画内にまとめられている。
「無人化以降、基幹電力の一部を除いて停止。内部の与圧も維持されていない施設が多い。現在、使用されているという報告もない」
「けど」
カットマンが椅子の背へ身体を預けた。
「住もうと思えば、住める場所ではある」
ノアが視線だけを向ける。
「設備を復旧できればな」
「電力を戻して、気密を確保して、生命維持を立ち上げる」
カットマンは画面を見ながら指を折った。
「一から月面基地を造るよりは、ずっと楽だ」
「そのとおりだ」
ノアは否定しなかった。
モニター上で、放棄された有人区画がいくつか強調表示される。
「月側が我々の把握していない人員を、ある程度の規模で月面に維持していたと仮定する」
室内が静かになる。
「新しく施設を建設すれば、地球側の監視に発見される可能性が高い。資材の搬入も必要になる」
ノアの指が、旧有人施設を示した。
「ならば、既存設備を利用する方が合理的だ」
「放棄された有人区画を、もう一度使った」
ユインが言う。
「その可能性が最も高い」
フォックスが腕を組んだまま、拡大された施設を眺める。
「それだけの人数がいたなら、食料も酸素も水も必要になるだろ」
「当然だ」
「全部、地球から運び込んだ?」
「その記録はない」
ノアは答えた。
「少なくとも、正規の輸送記録には」
フォックスの目が細くなる。
エイジも同じ場所で引っかかった。
人間が月へ行けば、記録が残る。
物資を運べば、記録が残る。
それをOMCとCMSの双方が共有している。
にもかかわらず。
月からは60機ものHFが降りてきた。
大型機動兵器まで存在していた。
そして。
月面には、独立を宣言できるだけの何かがある。
「人も物も、記録にはない」
シルバーリングが静かに言った。
「それで、あれだけの戦力が準備できた」
「そういうことになる」
ノアの声に感情はない。
分からないことを、分からないまま示している。
「だからこそ、今回確認しなければならない」
月面図が再び全景へ戻る。
稼働中の無人区画。
放棄された旧有人区画。
その双方が、灰色の地表に点在している。
「どこにいるのか」
ノアが言った。
「何人いるのか」
一拍。
「そして、我々に知られず、どうやってそこまでの準備を進めたのか」
誰も答えなかった。
答えを持っている者はいない。
少なくとも。
この部屋にいる人間には。
ノアが次の資料へ切り替えようと端末へ指を伸ばす。
その時、バングだけが、モニターの一角に視線を投げ、思いを馳せていた。
稼働中の採掘区画。
その隣に表示された識別番号。
11年前。
自分が一度だけ足を踏み入れた場所だった。
バングは腕を組んだまま、その表示を見つめる。
施設番号も、配置も覚えている。
2115年。
OMC側が管理する月面採掘区画で、不審な通信が検出された。
保守予定はない。
設備異常もない。
それにもかかわらず、本来なら人間が存在しないはずの区画内部から、暗号化された短時間通信が発信された。
調査の結果、破壊工作の可能性が浮上。
だが、大規模な部隊を送り込めば、CMSとの月面無人化協定そのものを揺るがしかねない。
OMCが選んだのは、公には存在しない方法だった。
バング一人が送られた極秘作戦。
作戦名も残っていない。
出撃記録も。
月面への入域記録さえ。
最初から、何もなかったことにするための任務だった。
月面へ降りたバングの目的は一つ。
破壊工作の阻止。
結果も単純だった。
爆破は未然に防いだ。
侵入していた武装要員は全員死亡。
証拠として地球へ持ち帰れるものも、ほとんど残らなかった。
公式には、何も起きていない。
それで終わり。
ただ。
バングは、あの連中を単なるテロリストでは無いと確信していた。
装備。
動き。
通信手順。
撤退経路の設定。
寄せ集めの武装集団にしては、整いすぎていた。
何より。
追い詰められた後の動きに迷いがなかった。
特殊作戦に慣れた兵士の動きだった。
バングは今でも同じ結論を持っている。
CMS側の非公然部隊。
月面無人化協定に抵触する軍事行動を、テロに偽装して実行した。
証明はできない。
バングの口元がわずかに歪む。
誰もいないはずの場所へ潜り込み。
誰もいないはずの相手を殺し。
誰にも知られず地球へ戻った。
バングの視線が動く。
採掘区画から離れた場所。
先ほどノアが示した、放棄された旧有人区画。
そこは当時、作戦区域外だった。
棄て去られた、ただの廃墟。
そう扱われていた場所。
バングは目を細めた。
11年前。
自分が採掘区画で破壊工作を潰していた、その頃。
放棄された旧有人区画では。
レフトムーン・ロゥと名乗る男が、すでに何かを始めていたのかもしれない。
人を集め。
設備を動かし。
HFを製造し。
そして、大型機動兵器までも建造を。
「……なるほどな」
小さく漏れた声に、隣のカットマンが顔を向けた。
「どうしました、隊長」
「いや」
バングはモニターから目を離した。
「何でもないさ」
カットマンは一瞬だけバングを見たが、それ以上は聞くのを止めた。
ノアが端末を操作する。
月面施設の表示が縮小され、新しい作戦図へ切り替わった。
「では、ここから実際の行動計画に入る」
ノアは一同を見渡した。
「月側が対話を受け入れたと仮定して、作戦に沿ってチーム分けを行う」
モニター上から月面施設の詳細図が消えた。
代わって表示されたのは、月往還用シャトルと月面基地。
二つを結ぶ線の途中に、人員を示す識別表示が並ぶ。
「まず前提として、特使が同行させる政治関係者及び随行員は、月面へ降ろさない」
ノアが説明する。
「月側が特使団の受け入れを認めた場合でも、実際に基地内部へ入る政治関係者は特使一名のみとする。それ以外の随行者にはシャトルで待機してもらう」
「ずいぶん思い切ったな」
フォックスが言った。
「向こうが受け入れる人数を指定してくる可能性がある。それ以前に、こちらから大人数を送り込む理由もない」
「政治家をぞろぞろ連れてけば、対話なのか視察旅行なのか分からなくなる」
バングの言葉に、ノアは反応せず続けた。
「我々も二班に分ける」
表示が左右に分かれる。
片側に、随伴組。もう片側に、待機組。
「随伴組は、特使とともに月面へ降りる」
最初にノアの識別情報が表示された。
「自分が現場指揮を執る」
その下へ三名が続く。
フォックス、ユノス、シルバーリング。
「フォクスター大尉、ユノス少尉。それとジュエル・シルバー副隊長」
シルバーリングが椅子に座ったまま、軽く顎を引いた。
フォックスはモニターを見る。
「俺とユインか」
「ああ」
「ミツギ少尉は?」
「後で説明する」
ノアはそのまま反対側へ視線を移した。
「残りは待機組だ」
表示が追加されていく。
バングを隊長とするピジョン・ブラッドの隊員たち。
カットマン、オールドスピア、ピース、ベン、モニカ、アレックス。
そして、エイジ。
エイジは表示されている、自分の名前を見つめる。
「待機組は、特使及び随伴組が月面へ降りている間、シャトルを確保する。月側との通信維持、周辺監視、緊急時の回収準備が主な役割だ」
「なるほどねえ」
バングが腕を組んだまま、随伴組の顔ぶれを見る。
「向こうへ行くのは、小ぎれいな軍人ってわけか」
バングの言葉でシルバーリングが、待機組の隊員たちに視線を向ける。
私服。
私服。
また私服。
どう見ても、正式な外交使節団の護衛には見えない。
「こんなの大勢連れてったら、向こうも驚いて撃ってくるかもしれん」
「随分な言いようですね、隊長」
カットマンが不満そうに言う。
「俺とシルバーリングくらいだろ。まともに軍服着て人前に出られそうなの」
モニカが自分の服を見下ろす。
「私はこれでも、かなりまともな方だと思うけど?」
「自分で言う奴は信用できん」
「ひど」
カットマンが笑う。
ピースは興味がないのか、腕を組んだまま何も言わない。
オールドスピアは無言。
ノアは一通りのやり取りが収まるのを待った。
「作戦司令官」
フォックスが声を上げる。
「さっきの話だ。エイジを待機組にした理由を聞きたい」
ノアはエイジへ目を向けた。
「ミツギ少尉には、月軌道上のシャトルからフォクスター大尉、ユノス少尉との連携を担当してもらう」
ノアは続ける。
「月面へ降りた随伴組とシャトル側の双方に、フォクスター小隊の人間を置く。通信が維持されている限り、部隊の連携を利用してもらう」
エイジは表示された配置を見る。
フォックスとユインが月面。
自分が軌道上。
作戦で三人が別々になるわけではない。
距離が離れるだけだ。
「もう一点」
ノアが言葉を続ける。
「ミツギ少尉については、月側がすでに個人を認識している可能性がある」
エイジの表情がわずかに変わった。
あの少女。
月側HFの内部で出会った、名前も知らない少女。
「最初の接触で、こちらから不確定要素を増やす必要はない。必要になれば、その時点で判断する」
「了解しました」
エイジはうなずいた。
「なるほど」
バングが口元を上げる。
「ミツギ少尉の任務は、それだけじゃないでしょう、司令官」
ノアがバングを見る。
「どういう意味だ」
「ピジョン・ブラッドだけをシャトルに残すと、何を起こすか分からない」
一拍。
「ミツギ少尉は俺たちの“お目付け役”ってことでしょう?」
意地悪そうな表情でバングはエイジに視線を向ける。
「自覚はあるんですね、隊長」
カットマンがバングの冗談を笑い飛ばす。
エイジは困ったように周囲を見た。
その時、モニカと目が合う。
彼女は口元を緩めると、片目を閉じた。
――よろしくね。
そう言われた気がした。
エイジも小さく頭を下げる。
「バングヘヴン少佐」
ノアが呼ぶ。
「私が月面へ降りている間、シャトルの防衛と待機組の現地指揮を任せる」
「小官が、ですか」
「階級、経験ともに適任だ」
バングは両手を軽く上げた。
やれやれ。
そう言いたげな仕草だった。
「楽させてもらえそうにないな」
「非常時には、状況に応じて独自判断を許可する。ただし、任務全体の指揮権は自分が保持する」
「了解しました、司令官」
今度は冗談を挟まず答える。
切り替えは早かった。
バングは組んでいた腕を解いた。
「じゃあ」
前へ身を乗り出す。
「次は、何を持ち込むかだな」
ノアが軽くうなずく。
モニターの表示が切り替わった。
月面図が消える。
代わって現れたのは、一隻の輸送シャトルだった。
「今回、我々が月へ向かうのは民間規格の月往還用輸送シャトルだ」
機体断面図が表示される。
旅客区画。
貨物区画。
生命維持設備。
推進剤タンク。
そして後部に設けられた大型貨物ブロック。
「政治目的の対話である以上、軍用輸送艦を月面へ接近させることは避ける。政府が民間機を借り上げ、必要な改修を行った」
「外面だけは穏便に、か」
バングが言う。
「少なくとも、軍艦を送り込むよりはな」
ノアは答える。
「そのため、積載能力には制限がある」
貨物区画が拡大された。
「有人HFの搭載は最大四機」
フォックスが眉を上げる。
「四機か。エイジのアルトリウスは、前回の出撃から修理中だろ」
「いや」
ノアが資料を切り替える。
赤い機体がモニターへ現れた。
アルトリウス。
損傷箇所を示す表示はない。
「今回の任務に合わせ、修理の優先順位を引き上げた。最終検査を残して、作業は完了している」
「やるじゃねえか、整備班」
フォックスが短く口笛を吹いた。
エイジも思わず画面を見入る。
前回の戦闘で傷ついた機体。
帰還した時には、自力で立っていることさえ難しかった。
それがもう、出撃可能な状態まで戻されている。
隣から軽い衝撃。
ユインがエイジの背中を叩いた。
「良かったな」
「ああ」
エイジの口元が自然に緩んだ。
ノアは続ける。
「有人機については、フォクスター小隊とピジョン・ブラッドから二機ずつ出してもらう」
四つの機体表示が並んだ。
赤いアルトリウス。
青いランスロット。
そして。
同じ外形を持つ、灰色の二機。
「フォクスター小隊から、アルトリウスとランスロット」
ノアが前二機を示す。
「ピジョン・ブラッドからは、アイオーン二機だ」
エイジの視線が、その二機へ移った。
暗灰色。
機体表面には部隊を示す派手なマーキングもない。
番号以外、二機を識別できるものがほとんど見当たらない。
「アイオーン……」
エイジが思わず呟いた。
HFに関することになると、気になる。
「二機とも同じ名前なんですか?」
カットマンがエイジを見る。
「そうさ」
質問されるのを待っていたように、気軽に答えた。
「俺たちの機体は全機がアイオーン」
「全機?」
「ロービジの同一仕様が七機。任務ごとに空いてる機体を回して使ってる」
カットマンはモニターのアイオーンを指す。
「ウェポンベイとハードポイントの装備を変えて、Cellの設定も乗る奴に合わせて書き換える。終わったら戻す。次の任務じゃ、別の奴が同じ機体に乗る」
エイジには少し意外だった。
有人HFでは、パイロットの操縦特性に合わせた専用調整が珍しくない。
長く搭乗する機体ほど、設定は個人へ寄っていく。
「専用機はないんですか」
「ないない」
カットマンは手を振った。
「俺たち、目立っちゃ駄目だからな」
軽く笑う。
「赤とか青とか、黄色とか。そんな色で飛んでたら、何者か覚えてくださいって言ってるようなもんだろ」
エイジは一瞬黙った。
隣のユインが、ゆっくりこちらを見る。
エイジも見る。
「……何だよ」
「いや」
ユインが視線を戻した。
「何でもない」
「絶対何か思っただろ」
「お前ら、分かりやすいな」
カットマンが笑った。
エイジも苦笑する。
「俺はクリス・カットマン。よろしくな、ミツギ少尉とユノス少尉」
唐突に差し出された手。
エイジは少し驚きながら握り返した。ユインは頭を下げる。
「エイジ・ミツギです。よろしくお願いします」
「知ってる。二人とも有名人だからな」
カットマンがエイジとの握手を離す。
ユインがモニターへ目を戻す。
「でも」
「ん?」
「七機なんですね」
カットマンがユインを見る。
「そうだけど」
「ピジョン・ブラッドの隊員は八名ですよね」
一瞬。
カットマンの笑みが止まる。
「ああ」
すぐに戻った。
「もう一機は隊長機だよ」
「バングヘヴン少佐の?」
「そう」
カットマンは何でもないことのように続けた。
「ただ、あれは“専用機”っていうより、“特別機”だからな」
「特別機?」
「さすがに隊長しか使えない機体を、こんな仕事に持ってくるわけにいかないだろ」
ノアの視線が動いた。
バングを見る。
「おい、カットマン」
バングの低い声が飛んだ。
「ウチの内情、喋りすぎだ」
カットマンは、これ以上は言えないよと、ユインに身振りで示した。
「特別機ねえ」
フォックスが楽しそうに笑った。
「何ですか少佐殿。物騒なモノ隠してるじゃないですか」
「大尉」
バングがフォックスを見る。
「だから、世の中には知らない方が幸せなこともあるんだ」
「そう言われると余計に知りたくなるんですがね」
「その好奇心、長生きできないぞ」
バングが鼻で笑った。
「話を戻す」
ノアの声で、フォックスとバングはモニターへ向き直った。
「チームの振り分けと、持ち込む機体は以上だ」
ノアが端末を操作する。
「次に、シャトルへの乗り込み手順を確認する」
モニターへ地球が表示される。
赤道上。
そこから一本の線が、宇宙へ伸びた。
軌道エレベーターGEV02-CAYAMBE。
さらに上。
静止衛星軌道上に設けられた軍事シャトル港。
そして、そこから月へ向かう航路。
「月往還シャトルは、ここで最終準備を行う」
軍事港が拡大表示される。
複数のドック。
貨物区画。
HF用の発着ブロック。
「シャトルは民間なのに、使う港は軍施設なんだ」
エイジが小さく呟いた。
「まあ、有人機を積み込むからね」
ユインが当然のように答える。
「武装したHF四機を民間港から堂々と積んだら、それこそ問題になる」
「ああ……それもそうか」
「積込むHF四機は、パイロットが操縦し、地上基地から発進。軌道エレベーターを伝い、そのまま上昇。衛星軌道上の軍事シャトル港、貨物ブロックまで直接搬入してもらう」
ノアは軌道エレベーターの貨物経路を示した。
地表の軍施設から、軌道エレベーターを通り、軌道上のHF発着区画まで一本の線が引かれる。
「四機ともですか」
エイジが確認する。
「そうだ。シャトル積載時の固定作業には、パイロット自身が立ち会う事」
「了解しました」
「それ以外の人員は通常の軍用昇降区画から軌道エレベーターを使用する」
別の経路が表示される。
「特使及び政治関係者、随行員も同じだ」
「一緒に上がるのかよ」
フォックスが露骨に嫌そうな顔をした。
「軌道上では、先にHFの積載と固定を完了させる。その後、人員及び通常貨物を搬入。全員の乗艦確認をもって出航準備完了とする」
モニター上で、それぞれの経路が一つのシャトルへ集約される。
フォックスがエイジを見る。
「エイジ」
「はい、隊長」
「修理上がりだ。アルトリウスのチェック、手抜くなよ。整備班が大丈夫って言っても、自分で触れ。全部だ」
エイジは迷わずうなずいた。
「了解です、隊長」
「ユインもな」
「了解しました」
「ピジョン・ブラッド側のアイオーンについては、バングヘヴン少佐に任せる」
「了解」
バングが短く返す。
ノアは最後に航路全体を表示した。
地上。
軌道エレベーター。
静止衛星軌道上の軍事シャトル港。
月往還シャトル。
そして。
月。
「出発は、今から24時間後」
会議室から、余計な物音が消えた。
「各員、それまでに装備、機体、個人携行品の最終確認を済ませろ」
ノアが全員を見る。
「静止衛星軌道上の軍事シャトル港で合流する」
一拍。
「以上だ」
ブリーフィングが終わった。
そう思った。
「――最後に」
ノアの声が、それを止めた。
作戦会議室の奥。
閉じられた別室の扉へノアは視線を移す。
ほんの一瞬、言葉を選ぶような間があった。
「最後に、この作戦を実行するにあたって」
ノアは再び一同を見る。
「護衛対象となる特使より、諸君に一言――挨拶があるそうだ」
その言葉が終わるより先に。
作戦会議室の奥。
閉じられていた別室の扉が開いた。
「まったく」
声が聞こえる。
「ただ月へ行って帰ってくるだけだというのに、何を長々と話しているんだ」
仕立ての良いスーツ。
皺一つないシャツ。
磨き上げられた靴。
一人の男が姿を現す。
軍人ばかりが集まる作戦会議室の中で、その姿だけが明らかに異質だった。
「私の貴重な時間を、何だと思っている」
誰へ言うでもなく、不満を口にしながら歩いてくる。
その後ろを、端末を抱えた秘書が黙ってついていた。
男は着席している軍人たちへ目を向けることもなく、そのまま壇上へ向かう。
フォックスの顔から、見る見るうちに表情が失われていった。
「……マジかよ」
低い声。
「普通、軍の作戦会議室に政治家が入ってくるか?」
「隊長」
隣のユインが前を向いたまま言う。
「顔に出ています」
「出してんだよ」
エイジは口を挟まず、壇上へ向かう男を見ていた。
あれが、特使。
自分たちが月まで護衛する人物。
男はノアの横まで来ると、当然のように演台の中央へ立った。
ノアを見る。
「先ほど」
男が口を開いた。
「作戦司令官は“挨拶”と言ったが」
ノアを指差す。
「これは訓示だ」
一瞬、会議室の空気が止まった。
「役割を違えぬよう、気を付けてくれたまえ」
ノアは表情を変えず、沈黙を保つ。
特使はそれを了承と受け取ったらしい。
満足そうに一度うなずき、今度こそ着席している面々へ向き直った。
「護衛部隊の諸君」
両手を演台へ置く。
「私はこのたび、月へ赴く」
声が大きくなる。
「そして、歴史的な対話を行う」
一拍。
「いや、交渉と呼ぶ必要すらないだろう」
特使の口元が持ち上がった。
「通達だ」
フォックスの眉が動いた。
バングは椅子へ背を預けたまま、特使を見ていた。
「無謀なテロ行為を起こした月の連中へ、我々地球――OMCが、どれほど激怒しているか」
特使は次第に早口になっていく。
「そして、その怒りを買うということが、自分たちにどのような結末をもたらすのか」
拳を握る。
「レフトムーン・ロゥなどと名乗る、愚かで浅はかな男へ、私が直接思い知らせてやる」
誰も言葉を挟まない。
「月が独立?」
特使は鼻で笑った。
「馬鹿げている」
一段と声を張る。
「月で使われている設備は誰が造った。資源採掘施設は誰が整備してきた。食料は。医薬品は。何より――水は」
演台を指で叩く。
「水なくして、人が月で生きていけるものか」
目の前の男には、もう答えが決まっているらしい。
「地球の支援なくして存続できない者たちが、独立を語る」
特使は大きく息を吸った。
「それがどれほど滑稽なことか」
自分の言葉に酔うように、声がさらに強くなる。
「今回の使命は、私にしか成し得ない。歴史に残る仕事になる」
胸へ手を当てる。
「月の暴走を止め、地球の秩序を取り戻した人物として、私の名は記録されるだろう」
カットマンがゆっくりと天井を仰ぐ。
モニカは脚を組み直し、頬杖をついた。
アレックスは無表情。
ピースに至っては、端末を弄り始めていた。
「もちろん、この偉業を成し遂げ、地球へ戻った暁には、諸君の働きも正当に評価しよう」
バングの片方の眉が僅かに上がった。
「私から然るべき場所へ働きかける。相応の地位。相応の待遇」
「望むなら、昇進についても考慮してやっていい」
フォックスが目を閉じた。
ユインが横目で見る。
「そのためにも」
男は一同へ指を向けた。
「諸君には、自らの役割を正しく理解してもらいたい」
声が低くなる。
「私は歴史的使命を果たすために月へ向かう」
「その私が、余計な危険や不快に晒されるようなことがあってはならない」
一人ずつ確認するように、会議室を見渡す。
「私がこの崇高な使命を、何一つ不自由なく、快適に果たせるよう」
一拍。
「尽力したまえ」
「失敗は、決して許さんからな」
特使の目が細くなる。
沈黙。
特使は満足そうに顎を上げた。
当然、拍手などない。
数秒。
「以上だ」
壮大な演説を自身で締めくくった。
特使は、そのままノアへ視線を戻すこともなく、壇上を降りた。
「この後の予定は?」
後ろに控えていた秘書へ尋ねる。
「十八時から議会幹部との会食です」
「遅れるわけにはいかんな」
「車両は準備済みです」
「なら急げ」
会議室に残る軍人たちを振り返ることなく。
特使は秘書を従え、そのまま別室へ消えていった。
扉が閉まる。
乾いた駆動音だけが残った。
誰も口を開かなかった。
空調設備の音。
端末の待機音。
それだけが、やけに耳につく。
全員が真剣に確認していたその空気が。
どこかへ消えていた。
エイジは壇上を見たまま動けなかった。
ノアも、特使が消えた扉を見ている。
表情は変わらない。
数秒。
「以上だ。解散」
ノアが言った。
それだけだった。
「あ~あ」
最初に声を出したのはカットマンだった。
大きく伸びをしながら立ち上がる。
「何だったんだ、今の」
アレックスが呟く。
「訓示だそうですよ」
シルバーリングが淡々と答えた。
「そういう意味で聞いてねえよ」
「メシ行こうぜ、メシ」
カットマンが椅子を戻す。
「腹減った」
「さっき食べてなかった?」
モニカが立ち上がる。
「あれは間食」
「何食べる?」
「肉」
「雑」
口々に話しながら、ピジョン・ブラッドの面々が出口へ向かう。
ピースは一言も発さず、その後ろについていく。
ベンはいつの間にか席を立っていた。
オールドスピアも静かに続く。
まるで。
先ほどの演説など、早く記憶から消してしまいたいかのようだった。
エイジはまだ座っている。
「驚いただろ」
横から声がした。
エイジが顔を向ける。
バングが立っていた。
「え?」
「あんな大人が実際にいるなんて」
バングは真顔だった。
「いるんだぞ」
「……はあ。凄いですね」
「その反応が正しい」
バングが吹き出した。
「ったく」
フォックスが椅子から立ち上がった。
「最後の最後で、つまらん時間を過ごしちまったな」
両腕を上げ、大きく伸びをする。
「珍しく意見が合ったな、大尉」
バングが片方の眉を持ち上げ、フォックスを見る
「少佐殿」
フォックスがバングを見る。
姿勢を正す。
わざとらしいほど丁寧に。
「同意見であります」
フォックスのその言葉にバングの口元が持ち上がった。
二人とも、ニヤリと笑った。
月への出発まで。
あと24時間。
≪ 登場人物② ≫
◇特使 56歳 男性
既得権益を纏った自己顕示欲の権化。
あまりの傲慢さに、エイジがびっくりする。
≪ あとがき ≫
皆さま、第3章もよろしくお願いいたします。
第3章はプロローグとエピローグは無しで、展開します。
第1話は少し長くなりました。
いよいよ、この物語の聖地、月が舞台。
頑張りますので、応援いただけると嬉しいです!
今週もお疲れ様でした。
よい週末をお過ごしください。




