エピローグ 月へ
≪ 登場人物 ≫
◇ガブリエル・バングヘヴン少佐 42歳 男性
OMC統合作戦本部直轄、特殊HF戦術部隊所属
ピジョン・ブラッド隊隊長
◇ジュエル・シルバー 35歳 男性
ピジョン・ブラッド隊副隊長
通称“シルバーリング”
◇スピア・スチュワート 53歳 男性
ピジョン・ブラッド隊隊員
通称“オールドスピア”
バーカウンターに、バングとシルバーリングが座っている。
空調の低い唸りと、氷がグラスへ触れる乾いた音だけが響く。
ピジョン・ブラッドの特別戦術待機室。
OMC統合作戦本部に呼び出されてから、フォクスター小隊との模擬戦。
客人を招き入れての喧騒が、まるで無かったかのように、静かな時間が今は流れている。
一席分を空け、二人はバーボンを傾ける。
カウンターの内側では、部隊の最年長、オールドスピアが無言でグラスを磨いている。曇りを確かめ、棚へ戻し、次の一つを手に取る。グラスが空けば、言われる前に酒瓶へ手を伸ばす。
上着を隣の椅子へ掛け、シャツの襟元を緩めているバング。先ほどまで見せていた威圧感は薄れていたが、その視線に酔いの気配はない。
ブラントリー・フォクスターの隊長としての特性。
その部下、有人HFパイロット二名の適性。
今日一日で、共同任務の相手、フォクスター小隊を随分と知ることができた。
グラスの中で氷が鳴る。
バングは待機室を見回す。
「他の連中はどうした」
カウンター内、無言でグラスを磨くオールドスピア。
シルバーリングが軽くグラスを呷って答える。
「カットマンが、ピースとモニカを連れて外へ」
「三人でか」
「気晴らしだそうです」
「あの後でピースを連れ出せたなら、大したもんだ」
模擬戦後、ピースは戦闘記録を何度も見返していた。それを切り上げさせたのなら、カットマンにも考えがあったのだろう。
シルバーリングが小さく笑う。
「アレックスは」
「自室です。しばらく開けるな、と」
バングはグラスを置いた。
「ベンは」
「連絡はありません」
「いつもどおりか」
「いつもどおりです」
「そうか」
バングはカウンターへ向き直った。
隣では、シルバーリングがグラスの氷を見ている。
「で、」
バングは声を落とした。
「今回の仕事、お前さんはどう見る」
シルバーリングがゆっくりと目を上げる。
「現状の情報と報告書だけで判断するなら、手に負えない事態の押しつけでしょう」
「随分とはっきり言うな」
「いつもどおりの発注です」
命令を出す側も、状況を把握できていない。
月は独立を宣言し、軌道エレベーターを襲撃した。ディープ・ハンドを破壊した大型機の正体も、月面施設群の統治状態も不明。正式な宣戦布告はなく、独立宣言以降、通信への応答もない。
軍事作戦として扱うには情報が足りず、政治交渉には窓口がない。
だから、表に出せない部隊を送り込む。
ピジョン・ブラッドが請けてきたのは、いつもその類いの仕事だった。
「そのくせ、特使は送る」
「何かをしたという事実は必要なのでしょう」
バングが鼻で笑った。
「政治家らしい話だ」
「しかし、対話する気が、そもそもあるのか」
シルバーリングは、カウンターに置かれた端末へ視線を落とした。画面は消えているが、内部には特使団の編成資料が収められている。
「派遣される人物は、適任とは言い難い」
「議会では、それなりに名の通った人間らしいじゃないか」
「悪い意味で、です。議会内で疎まれ、発言は不用意。相手の立場を理解する能力も高いとは言えません」
「随分な評価だな」
「報告書の内容を、丁寧な言葉へ置き換えただけです」
「それが特使か」
「対話の成功を第一にした人選ではないのでしょう」
「失敗しても惜しくない」
「あるいは、戻らなくても」
待機室の空調音が、妙に大きく聞こえた。
オールドスピアは何も言わず、磨いたグラスを棚へ戻す。
「月という厄介な問題と、議会にとって厄介な人物を同時に外へ出せる。体のいい厄介払いです」
「なるほど」
バングはグラスを持ち上げた。
「つまりは“お前ら、全員そろって、行って見て来い”というワケだ」
「少なくとも我々には。正確には、我々が持ち帰る情報に期待しているのでしょう」
「月まで行って、特使のお守りだけで済むとは思っちゃいないさ」
「注文に対して内容が不明瞭。察して動けという事ですね」
「そこまで含めて、が俺たちの仕事だ」
完全な情報が揃った任務など、ほとんどなかった。
現地勢力の数が違う。協力者が死んでいる。回収対象が別人。進入した時点で、作戦目的そのものが変わる。
「昔から変わらんな」
バングが呟く。
そう、珍しい話ではない。
「何を持ち帰れば、連中は満足すると思う」
「月面基幹施設群の現状。統治機構が維持されているのか。独立宣言がロゥ個人の判断か、月面全体の意思か」
シルバーリングが指立てながら数え上げる。
「月側HFの残存戦力、生産と補給の能力。そして、ディープ・ハンドを破壊した大型機と、軌道エレベーターに現れた機体の情報」
「特使の護衛より、そっちが本命だろうな」
バングは笑った。
短い沈黙。
オールドスピアが酒瓶の位置を直し、黙々と手を動かす。会話へ参加しようとする気配は一向にない。
「立派な仕事じゃないか」
バングはグラスを掲げた。
「長く続けるには向いていませんがね」
「今さら転職するか?」
シルバーリングはバングの問いかけに言葉は返さず、涼しい顔で酒を飲んだ。
「それはそうと、フォスター小隊とは、上手くやっていけそうか」
エイジとユイン。そして隊長のフォックス。
シルバーリングは少し考え、答えた。
「今日の内容から判断する限り、共同任務のパートナーとしては妥当かと」
「ユノス少尉、腕前だけならピースと互角だからな」
「ミツギ少尉も、それと同等でしょう。そして、我々には無い実直さがあります」
「真面目な坊やたちだった。ああいった少年たちには、長く軍人を続けて欲しい」
「フォックス大尉がいる」
バングが目を細めた。
「若い二人が、今後有人機のパイロットとして、どう生きるかは、あの男次第か」
「部下を犠牲にして、成果だけを持ち帰るタイプの指揮官ではないでしょう」
「ヤツも俺たちとは違う、と」
バングは笑った。
シルバーリングの口元にも、僅かな笑みが浮かぶ。
「月へ行け。向こうの話を聞け。特使を連れて帰ってこい」
バングは指を折った。
「それだけなら?」
「楽な仕事です。フォクスター小隊だけでも、通常の護衛任務に必要な能力を十分に備えています」
「それ以上の事態になると」
言葉が止まる。
シルバーリングはグラスを持ち上げた。
「なった場合の、我々でしょう」
その言葉にバングは苦笑する。
「警護対象が増えたな」
「彼らを月へ置いて帰るわけにもいきません」
「特使よりは、OMCの為になる」
冗談と本気とも取れないバングの言葉が、二人の会話を締めくくった。
二人はロックグラスを軽く掲げ、そのまま残ったバーボンを飲み干した。
空になったグラスが、カウンターへ戻る。
オールドスピアが新しい氷を入れ、バーボンを注ぐ。
琥珀色が氷の間を満たした。
新しいグラスを二人の前へ差し出す。
「優秀な若い人材は、貴重ですから」
それだけ告げ、オールドスピアは次のグラスへ手を伸ばした。
「違いない」
バングは酒を受け取る。
手の中の琥珀色を見つめる。
窓の無い特別戦術待機室。
地上の夜空も、月も見えない。
それでもバングの視線は、カウンターの向こうより遠い場所へ向いていた。
白い地表。
黒い空。
地平線から昇る、地球。
忘れたわけではない。
思い出す必要がなかっただけだ。
「月か」
氷が、琥珀色の中でゆっくりと回る。
「十一年ぶりだな」
バングはグラスを僅かに傾けた。
≪ 用語・設定 ≫
■ピジョン・ブラッドの隊員たち
・隊長:ガブリエル・バングヘヴン少佐
・副隊長:ジュエル・シルバー
・隊員:クリス・カットマン
:スピア・スチュワート
:ピース・ギャラガ
:ベン・ファーマン
:モニカ・ベルベット
:アレックス・ノートン
≪ あとがき ≫
第2章が終わり、次から第3章となります。
更新のたびに読んでいただいている皆様、本当にありがとうございます。
ちょっと、読んでみた方、嬉しい限りです。
いつも、励みになっています。
2章は面倒な人たちの、面倒な会話が多くて、困りました。
文字だけですが、ロボットのアクションシーンの方がノリノリで書けるのですね。
引き続き、月水金の更新で頑張ります。
相変わらず拙い文章ですが、少しでも物語を楽しんでいただけるなら幸いです。




