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第2話 選抜部隊

≪ 登場人物① ≫

◇OMC統合作戦本部本部長 51歳 男性


◇ノア・シュナイダー大佐 34歳 男性

OMC軍作戦指揮官


◇ブラントリー・フォクスター大尉 25歳 男性

OMC軌道保安軍、CAYAMBE防衛部隊所属

フォクスター小隊隊長


◇エイジ・ミツギ少尉 16歳 男性

OMC軌道保安軍、CAYAMBE防衛部隊所属

フォクスター小隊隊員


◇ユイン・ユノス少尉  18歳 男性

OMC軌道保安軍、CAYAMBE防衛部隊所属

フォクスター小隊隊員

 地上を走る救急車両の警報も、損壊した施設を解体する重機の音も届かない。聞こえるのは空調設備の低い駆動音と、通路を行き交う兵士たちの足音だけだった。


 分厚い地下防爆隔壁、その先。

 OMC軍基地施設、作戦区画。


 静かではあっても平穏ではない。

 軍は失われた機能を取り戻そうとしていた。


 月側勢力による強襲から、まだ数日と経っていない。防衛基地は甚大な損害を受け、被害の全体像すら見えていなかった。軌道エレベーター周辺の損害、行方不明者、負傷者の搬送先、再編中の部隊配置は絶えず更新される。将校や作戦要員は短い報告と指示を交わし、途絶えた通信系統をつなぎ直し、分断された指揮命令系統を再構築している。


 その区画の一室で、OMC軍作戦指揮官ノア・シュナイダー大佐は本部長と対峙していた。


 統合作戦本部に所属するノアは、軌道上の警備任務や危機対応を経て、混成部隊を一つの作戦目的へ束ねてきた実績を持つ。また、現場の直接指揮を通して、計画書の数字が、実戦で人間の生死に変換される事を深く理解していた。


 長身で無駄のない体格、襟元から袖口まで乱れがない立ち姿のノア。

 机を挟んだ正面には、統合作戦本部長が座っている。


「ノア・シュナイダー大佐」

「はい」

「君に、月面特使団護衛任務の指揮を任せたい」

 ノアの表情を伺いながら、本部長は軍側代表として出席した特別会議において、決められた方針を現実の軍事行動へ落とし込む必要に迫られていた。


「議会は、特使の派遣を正式に決定したのですね」

 本部長の命令に対し、ノアは即答を避けた。


「ああ」

 ノアの問いかけに対し、本部長は山積した状況を抱えつつも、この会話に集中するよう意識を切り替えた。


「出発まで、準備出来る時間は」

「正式決定はまだだが、三日を下回る可能性もある」


「こちらの提案に対して、月側からの応答は」

「ない」

 本部長は端末を無造作に机へ置いた。


「軍用、民間、非常用を含め、利用可能な回線はすべて試した」

「届いていないのか、届いたうえで無視されているのかも分からん」

「特使の受け入れについても、了承は得ていない」

「その上で、一方的に押しかける」

 本部長自身、議会の方針に合意しているかは関係無く、ただそれに従う旨の言葉が並ぶ。


「襲撃を行った相手の拠点へ、事前の合意もなく政治家を送り込むのですか」

 ノアはわずかに眉を寄せた。


「軍は反対したのでは」

「当然、時期尚早だと主張した。だが、何も分からないからこそ、直接確認する必要があるという意見も否定できん。待つことにも危険はある」

 問いかけに対して、本部長も内心、それが軍部の総意であった事は否定しなかった。

 それでもなお、この決定に至ったのだ。


 ノアは議会で政治家や企業代表が、軍部を追い込んでいる様を容易に想像できた。


「こちらが待てば、月側が応答するという保証もない。ならば、出向いて接触する。以上が、議会の方針だ」

 確かに、月側が再び動く可能性。神出鬼没の大型機動兵器が別の拠点へ現れる可能性。独立を宣言した月で何が進められているのか、地球側には知る手段がない。


「軌道エレベーター襲撃での独立宣言では、交渉は受け付けないとの主張でしたが」

「だからと言って、向こうを尊重する必要はなかろう。そのための“対話”だ」

 本部長がモニターを切り替える。軌道エレベーターと月面を結ぶ輸送経路、その先に月面基地の概略図が現れた。


「第一の目的は、レフトムーン・ロゥと名乗る人物への接触」

「あの声の主が実在し、月側を代表する権限を持つのか。独立の目的は何か。襲撃で何を達成しようとしたのか。直接確かめる」


「第二は、月の現状把握」

「居住環境、人口、社会機能、物資、エネルギー、輸送能力。そして軍備だ。月側HFの保有数だけではない。防衛施設、指揮系統、実効支配している範囲も確認する」


「月側との連絡がつかなければ、対話は適わない」

「会える保証も、基地へ招かれる保証もない」

「月軌道上から、相手の存在を確かめに行く“だけ”になるかもしれない」

「そして、安全に帰還できる保証もない」

 我ながら、荒唐無稽な作戦概要だと、口にする本部長も苦い気持ち抑え込んだ。


「しかし、議会の決定である以上、特使として派遣される人物がいる以上」

 本部長は席を立ち、航路図の前に立った。


「往路の警戒、到着後の特使団保護、ロゥとの接触、月面の情報収集、緊急時の撤退。それらを統括する指揮官が必要なのだ」

 その言葉は、軍部には既に作戦決行以外の術が無い事、そして、その先のノアにも諾否の選択権が無い事を示していた。


 重苦しい空気の室内で、沈黙の時間が流れる。


「確認させてください。自分に与えられるのは護衛部隊だけでなく、月面で行動する軍要員全体の指揮権ですか」

 ノアが静かに口を開いた。


 モニターに引かれた地球から月への線は、計画上なら一本にすぎない。だが、その先に何が待つのか、OMCは何一つ把握していない。


「輸送、通信、警護を含め、任務に参加する軍人は所属にかかわらず君の指揮下へ置く」

「特使及び随伴者への指揮権は」

「ない。政治上の判断とロゥへの接触方針は特使が決める。軍事上の判断は君が行え」

「特使の判断に相対し、軍事的に撤退すべき状況になった場合は」

「撤退させろ。必要なら、特使の同意がなくても強制的に退避させていい」


 強い権限だった。だが、権限を与えられることと、判断を擁護されることは別だ。


「その判断が、後から軍だけの責任にされる可能性は」

「あるだろうな」

 本部長は取り繕わなかった。


 自分に与えられた裁量は、責任を負わせるための空白でもある。それでも、政治側の硬直した考えに縛られるよりは、はるかにま(・)し(・)だとノアは考えた。


「任務の優先順位は、ロゥとの接触、月の状況把握、そして帰還ですか」

「成果を得ずに戻れば、議会は失敗と判断する」

「死者が出る状況でも、情報を持ち帰れば、成功でしょうか」

 室内の空気がわずかに硬くなった。


「人命は最優先だ。死人を出して得るべき情報ではない」

「軍人であっても?」

「同じだ。少なくとも、今の段階で犠牲は前提にしていない」

 否定に条件が付随している段階で、前提は反故にされている。

 互いの問答の不毛さを感じながらも、ノアは本部長が、自分にこの作戦を命じた本音を、聞き出そうとしていた。


「今回の作戦は危険が伴う事を想定してはいるが、戦闘が目的ではない。よって、事前にすべてを定めることはできない。明確な攻撃や妨害には適時対処したまえ。現場では柔軟に判断してもらう」

「臨機応変の度がすぎます」


「だから君を選んだ。決められた手順を実行するだけの指揮官なら、ほかにもいる」

「失敗した時の責任も含めて、都合のいい人選ですね」


 本部長は一瞬だけ間を置いた。

「そう思って構わない」


「やはり、政治家に好かれる指揮官にはなれそうもないな」


「そのために選んだのでは?」

 想定通りの答えではあったが、本部長が自分の想定内に納まっていた事でノアは納得した。


 踵をそろえ、敬礼する。

「それでは、月面特使団護衛任務、指揮官への任命を受諾します」

 ノアの言葉に、本部長は小さく息を吐いた。


 本部長がうなずき、モニターへ複数の部隊情報を呼び出した。

「では、指揮官として最初の仕事だ。護衛の任務をどの部隊に任せる」

 多くの名称に、損害、再編中、整備待ち等のステータスが表示されている。


「部隊編成についても、自分に候補の選定権を」

「最終決定は本部が行う。だが、君の意見は最大限尊重する」


 ノアが考える候補は、最初から多くなかった。


「フォクスター小隊を」

「理由を聞こう」

 モニターに、ブラントリー・フォクスター大尉、ユイン・ユノス少尉、エイジ・ミツギ少尉の記録が表示された。


「月側HFと直接交戦し、部隊として生還した有人HF小隊です。特にミツギ少尉は月側の状況を現在、最も知る人物でもあります」

「彼は医療班の管理下だ」

「当然、参加は医療判定を条件とします。しかしながら、先ほどまでの事象聴取で報告を完遂している。現時点で候補から外す理由はありません」


「フォクスター大尉を評価しているのか」

「はい。通信が分断された後も部隊をまとめ、命令の目的を外さず、状況に応じて手段を変えている」

「上官へ異論を述べることもある。扱いやすい部下ではないと聞くが」

「扱いやすさで選ぶ任務ではありません。衝突を恐れて意見しない指揮官より、理由のある異論を口にする方が信頼できます」


 本部長はしばらくノアを見た後、フォクスター小隊の名称を候補指定を加えた。

「分かった。護衛部隊として承認する。ただし、ミツギ少尉の参加と機体編成は最終状態を確認して決める」


 本部長はモニターを作戦区画内の位置表示に切り替えた。その中にフォックス大尉の識別情報が示される。

「ちょうど近くにいる。君から呼び出せ」


 ノアは表示を見つめた。本部長はフォクスター小隊の状態だけでなく、現在位置まで把握している。自分がどの部隊を選ぶか、初めから予測していたのだろう。


 ――なるほど。そういう事か。


「了解しました」

 ノアは携帯端末へ、場所と即時出頭だけを記した召集命令を作成した。短い操作音とともに、命令フォはックスの端末へ送られた。


            *


 作戦区画へ続く通路を、三人は歩いていた。

 隔壁を通過するたび、携帯端末と軍籍情報が照合され、短い電子音とともに次の区画が開く。フォックスは呼び出しの詳細を口にしていない。ユインもエイジも、無理に聞こうとはしなかった。


「隊長」

 エイジが歩きながら声をかける。


「なんだ」

「何か心当たりはあるんですか」

「ありすぎて分からん」

「そんなにあるんですか」

「失礼な奴だな。俺は日頃から模範的な軍人だぞ」

 エイジは無言でユインを見た。ユインもエイジを見る。


「そこで黙るな」

「どの件から確認すればいいのか、迷っただけです」

「お前、医療ポッドに上官への遠慮を除去する機能でも付けられたか?」

「それは元からではありませんか」

 ユインが穏やかに口を挟む。


「お前まで乗るな」

「事実を確認しただけです、隊長」

 エイジが付け加えると、フォックスの足が一瞬だけ遅くなった。


「細かいことは気にするな」

「隊長は、都合が悪くなるといつもそう言いますね」

「便利な言葉は積極的に使う主義なんだよ」

 ユインが小さく笑い、エイジも口元を緩めた。長時間の昏睡と事情聴取を終えた直後でも、二人はエイジに過度な配慮を見せない。普段どおりの歩調と会話が、エイジには心地よかった。


「部隊の再編成でしょうか」

 ユインの問いに、フォックスの声から軽さが薄れた。

「今は軍全体がひっくり返ってる。何を命じられても不思議じゃない」


「機体が動けば、すぐ再出撃ですか」

「動けばな」

「動かなくても、隊長なら気合いで補えと言いそうです」

「間違ってないだろ」

「間違っています」

 ユインが即座に否定した。


 いくつ目かの隔壁を越えると、壁面の案内が医療区画や居住区画から、作戦管制、情報解析、統合指揮へ変わった。通路の防護構造も厚くなる。


 フォックスの表情から笑みが消える。ユインも口を閉じ、エイジは続けかけた言葉を飲み込む。

 三人は無言のまま、地下作戦区画のさらに奥へ進んだ。


 前方に、飾り気のない濃灰色の扉が見えた。脇には入室認証端末と光学センサーが設置されている。

 フォックスは扉まで間を残した場所で足を止めた。


「お前らはここで待ってろ」

「自分たちは同行しなくてよろしいのですか」

「ああ。呼ばれたのは俺だけだ。どうせ命令を受けるだけだ。すぐ戻る」

「了解しました、隊長」

 二人の返答を確認すると、フォックスは一人で扉へ向かった。


 三人の靴音が一人へと変わる。


 近づくにつれ、入室者を識別する端末と監視装置がはっきり見えた。召集命令に記されていたのは、場所と即時出頭命令。エイジとユインを連れてきたのは、この呼び出しが、先ほどの戦闘と無関係とは思えなかったからだ。


 だが、呼ばれたのが自分だけである以上、許可なく機密区画の作戦室へ入れるわけにはいかない。まず自分が話を聞き、必要なら入室の許可を求めればいい。


 扉の前で振り返ると、通路の奥でユインとエイジが命令どおり並んでいた。フォックスは心配するなというように片手を上げ、認証端末へ向き直った。


 フォックスの後ろ姿を見送るユインの表情が硬い。エイジは隣へ半歩寄り、肩へ軽く手を置いた。

「隊長なら大丈夫」

「分かってる。でも今の隊長は、どんな命令も受けかねない。だから心配なんだ」

 必要と判断すれば、フォックスは危険な任務でも引き受けるだろう。そして自らは最も危険な場所へ立つ。

「それでも、隊長なら大丈夫だ」

 エイジは同じ言葉を自身にも言い聞かせた。


            *


 フォックスが認証端末から入室要求を送ると、扉の向こうで通知音が鳴った。


「入れ」

 低い声とともに固定機構が解除される。フォックスは姿勢を正し、開いた扉の前で敬礼した。


「OMC軌道保安軍、フォクスター小隊長、ブラントリー・フォクスター大尉。出頭しました」

 室内には本部長とノアがいた。大型モニターには地球と月を結ぶ航路図、月面基地の概略図並んでいる。


 本部長が答礼し、ノアを示した。

「詳しくは彼から聞いてくれ」


「急な呼び出しですまない、フォクスター大尉」

 ノアは暫定的な特使団編成表をモニター表示した。

「構いません。今は、いつ誰が呼び出されても不思議ではありません」


「特別会議で、月面への特使派遣が決定された」

「月側と連絡が取れたのですか」

「いや。強襲以降、応答はない。OMC側の判断だけで特使を送る」

 フォックスの眉が動いた。


「了承もなく押しかける?」

「そうなる。発着場所は既存の軍用施設を第一候補とするが、使用可能かも、着陸を認められるかも分からない」


「接近中に攻撃される可能性もある」

「ああ」

 ノアは余分な期待を持たせず、事実だけを告げた。


「目的は、レフトムーン・ロゥと名乗る声の主への接触だ。実在するのか、月側を代表しているのか、独立と襲撃の意図は何かを確かめる。同時に、月面の環境、社会機能、軍備を可能な範囲で把握する」


「つまり、交渉の前段階ということですか」

「宣戦布告は受けていない。まず、相手が対話可能な存在かを確かめる」

「その護衛部隊の指揮官が、シュナイダー大佐というわけですか」


「そうだ。任務に参加する軍要員は自分の指揮下へ置かれる。特使団が政治上の判断を行い、自分が軍事上の判断を行う」


「意見が食い違った場合は」

「任務を継続できる範囲で要求に応じる。帰還の可能性を失うと判断した場合は撤退させる。特使が拒否してもだ」

 フォックスはノアを見た。少なくとも、政治家の要求をそのまま部下へ押しつけるタイプの指揮官では無さそうだ。

「この権限がなければ、私自身、この任務を引き受けなかった」

「なるほど」


「フォクスター小隊を、護衛部隊へ編入したい」

「理由を聞いても?」

「月側HFと交戦し、生還した有人HF小隊だからだ。記録はジャミングで失われ、実戦経験をデータでは代替できない。加えて、通信や支援を失った状況でも部隊をまとめられる指揮官が必要だ」


 フォックスは、事情聴取を終えたばかりのエイジを思い浮かべた。


「ミツギ少尉も連れていくつもりですか」

「医療側の判定を条件に、参加候補からは外していない」

「先程の事象聴取での、証言内容は共有されている?」

「本部長と自分には。ミツギ少尉は、月側HFの中にいた人物と接触した唯一の軍人だ。月側が彼を認識している可能性もある」


「良い方向に働くとは限らない」

「承知している。だからフォクスター小隊ごと作戦に編入させる。事情を知らない部隊へ、彼一人を預けるつもりはない」

 フォックスは答えなかった。エイジだけを利用するのではなく、フォクスター小隊の一員として扱う。少なくともノアは、その前提で考えている。


「ミツギ少尉とユノス少尉は、今どこにいる」

 ノアが尋ねた。

「扉の外で待たせています。呼ばれたのは小官だけでしたので」

「二人をここまで連れてきた理由は?」

「呼び出された時機が分かりやすかった。両名が関係すると判断しましたが、内容を聞くまでは入室させるべきではないと考えました」

 ノアは小さくうなずいた。


「適切な判断だ」

「出発はいつです」

「正式には未定だが、時間は多くない。機体と人員の状態を確認した上で最終編成を決める」


「一つ確認させてください。この任務で最優先されるものは何です」

「特使団を月へ到達させ、ロゥとの接触を試み、月の状況を確認する」

「それは目的です。最優先事項を聞いています」


「任務参加者を、生きて地球へ帰還させることだ」

 ノアは迷わず答えた。


 フォックスは数秒、ノアを見た。虚勢でも、部下を納得させるためだけの言葉でもない。

「その言葉を、現地でも変えないでください」

「そのために貴官を選んだ」

 フォックスは小さく息を吐いた。任務の輪郭は見えた。だが、聞けば聞くほど未知の部分は増えている。

 

           *


 作戦室の外、ユインとエイジは遠くから閉じた扉を見ていた。


「思ったより長いな」

「ああ。単なる報告ではなさそうだ」

「俺の事情聴取に関係してたりして」

「それならエイジ本人が呼ばれる」

「隊長が代わりに指導されている可能性は?」

 ユインは少し考えた。


「それは否定できない」

「そこは否定してくれよ」

「隊長だからね」

 その時、廊下の奥から足音が響いた。


 一定の間隔を刻む、迷いのない足取り。二人は会話を止め、同時に音の方向を見た。


 現れたのは、一人の男だった。

 四十代前半。長身で肩幅が広く、軍服越しにも鍛えられた体格が分かる。短い髪には白いものが混じり、日に焼けた顔には古い傷跡が残っていた。


 軍服は規定どおりに着ている。だが、司令部の参謀には見えない。軍服に本人が合わせているのではなく、長く着続けた軍服の方が、男の身体と気質に馴染んでいるようだった。


 威圧しようとしている様子はない。それでも近づくほど空気が張り詰める。


 軍服を着た猛獣。


 エイジの脳裏に、そんな言葉が浮かんだ。ただ荒々しいだけではない。人の動きを観察し、次を先に読む知性と余裕を感じる。


 男が二人の前を通り過ぎる直前、その視線がエイジへ向いた。

 

 目が合う。

 

 男は歩調を変えず、エイジの反応を確かめるように視線だけを止めた。エイジも敵意なく相手を見返す。その目の奥には、警戒よりも奇妙な愉悦が浮かんでいた。


「おいっ」

 ユインが低く言い、肘でエイジの脇を小突いた。視線の先には男の階級章――少佐。

 エイジはようやく気づき、ユインと並んで姿勢を正した。


「失礼しました」

 二人が敬礼すると、男は足を止めず、不敵な笑みだけを返した。そのままフォックスが入った作戦室の前へ進み、認証端末を操作する。


 やがて扉が開き、男の姿が向こう側へ消えた。


「今の人は……」

「少佐だということ以外は分からない」

「司令部の人には見えなかったな」

「参謀というより、現場の軍人だね」

「有人機のパイロットか」

「可能性はある。それより、知らない上官を見すぎだ」

「それは反省してる」

 エイジは答えながらも、扉から目を離せなかった。あの少佐も、隊長の呼び出された理由に関係している。それだけは間違いなさそうだった。


            *


 作戦室では、フォックスへの説明が終わろうとしていた。


「フォクスター小隊の参加について、異論はあるか」

「命令であれば従います。ただし、いささか準備不足かと」

「それは承知だ」

「それでも?」

「待っていれば情報が得られる状況ではない」

「その結果、特使団ごと拘束されるかもしれない。攻撃され、帰還できない可能性もある」

「だから私を含め、帰還の可能性を少しでも上げる部隊を選んでいる」


「高く評価してもらったと考えておきます」

 フォックスの皮肉とも取れる言葉に、ノアの眉がごくわずかに動いた。


 その時、机上の端末から入室要求を知らせる音が鳴った。

 本部長が、自席からしか見えない位置の小型モニターへ視線を落とし扉の外の人物を確認した。


「もう一つ、伝えておくことがある」

 本部長が言った。


「今回の護衛部隊編成には、軍部から別途条件がある」

 ノアの表情がわずかに硬くなる。

「自分が提出する編成案とは別に?」

「そうだ」


「提案ですか」

「条件だ」

「理由を伺っても?」

「月へ向かう以上、護衛だけを想定するわけにはいかない」


「小官の部隊だけでは対応できない事態を想定しているんですか」

 フォックスが反応した。


「あくまでも――念のためだ」

「念のため?」


「月側が想定どおりに動く保証はない。緊急時の選択肢となる部隊を編入させる」

 説明は意図的に曖昧だった。


「その部隊も、自分の指揮下へ入るのですね」

 ノアが確認する。

「任務中はそうなる」

 本部長は入室確認モニターへ再び目を落とした。


「呼んでいる男には、フォクスター大尉同様、出頭命令しか伝えていない」


 ノアもフォックスも返答せず、扉を見た。

 入室要求の電子音がもう一度鳴る。


「入れ」


 低い駆動音とともに、扉が左右へ開いた。

 そこには、先ほどエイジとユインを横切り、廊下を通った男が立っていた。


 長身。広い肩。実戦の中で鍛えられた厚い体格。

 その姿にノアはわずかに眉を寄せ、フォックスは露骨に目を細めた。通常の司令部要員ではないことだけは、立ち姿で分かる。


 男は入口で姿勢を正した。


「統合作戦本部直轄、特殊HF戦術部隊所属。同部隊長、ガブリエル・バングヘヴン少佐。出頭しました」


 本部長とノアへ敬礼する。


「入れ」

「はっ」

 名乗った男は室内へ入り、閉じた扉を背に立った。


「彼の部隊も使ってもらう」

 本部長が二人に告げた。


 統合作戦本部直轄、特殊HF戦術部隊。


 ノアはその所属を頭の中で反芻した。大佐として統合作戦本部に属する自分でさえ、その編制も任務記録も見たことがない。通常の機密部隊では考えにくい扱いだった。


 フォックスも、同じ言葉から軍内部の噂を思い出していた。

 公には存在しない部隊。通常部隊では扱えない任務を引き受け、作戦記録も損害報告も残さない。実際の所属者を見た者はおらず、上官へ尋ねても「そんな部隊は存在しない」と否定される。


 悪趣味な都市伝説。その程度に考えていた。


 男は月面施設の図へ目を向けた。

「月ですか」

「そうだ。詳しい説明はこれから行う」

「了解しました」


 呼び出された理由を知らされていなかったにもかかわらず、戸惑いも不満も見せない。男の視線がノアからフォックスへ移り、二人の反応を測るように口元が上がった。


 ノアは本部長へ説明を求める視線を向ける。


「シュナイダー大佐には、月面特使団護衛任務の指揮を任せる。フォクスター小隊を、その中核へ編入する」

 男の目がわずかに細くなった。


「そして、バングヘヴン少佐。君の部隊も今回の任務へ参加してもらう」

「月面特使団の護衛ですか」

「詳細はこれから伝える。任務中はシュナイダー大佐の指揮下へ入れ」


 男は数秒だけノアを観察した。

「了解しました」


「先ほどの追加条件とは、こちらのバングヘヴン少佐の部隊を編入することですか」

「そうだ」

「正式な部隊情報を確認したいのですが」


「正式な記録上、その呼称は存在しない。だが、軍内部で流れている名なら、君たちも聞いたことがあるだろう」

 本部長はノアとフォックスへの説明を止め、一拍置いた。


「ピジョン・ブラッド」


 フォックスの表情が消えた。聞き間違いではないかと確認するように、本部長から男へ視線を移す。ノアの目にも、明確な驚きが浮かんでいた。


 ピジョン・ブラッド。


 特殊作戦に関わる軍人の間で、噂だけが独り歩きしてきた名。部隊の別称とも、あまりに多くの血を流す運用への蔑称ともいわれる。命令系統も構成人員も保有機体も不明で、軍上層部は存在を否定し続けてきた。


 軍内部で語られる亡霊。

 それが、ノアとフォックスの認識だった。


「……本当に存在していたのか」

 フォックスの口から、思わず言葉がこぼれた。本部長は咎めない。


 目の前の男こそ、実在さえ疑われていたピジョン・ブラッドを率いる指揮官。


 男は二人の視線を受けても平然としている。その名を訂正することも否定することもなく、警戒が強まる様子を面白がるように観察していた。


 噂が事実なら、交渉や要人警護を担う部隊ではない。

 強襲。制圧。奪取。破壊。

 軍内で語られる任務は、いずれも特使派遣とは正反対のものだった。


 ピジョン・ブラッド隊、隊長ガブリエル・バングヘヴン少佐。

 口元がゆっくりと持ち上がり、バングは不敵な笑みを浮かべた。


≪ 登場人物② ≫

◇ガブリエル・バングヘヴン少佐 42歳 男性

OMC統合作戦本部直轄、特殊HF戦術部隊所属

ピジョン・ブラッド隊隊長


≪ 用語・設定 ≫

■ピジョン・ブラッド隊

OMC軍が表に出せない任務を、正式な軍籍で遂行する“ならず者部隊”。

命令系統も構成人員も保有機体も不明。


≪ あとがき ≫

強いおっさんの登場です。

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