第1話 証言
≪ 登場人物 ≫
◇エイジ・ミツギ 16歳 男性
OMC軌道保安軍、CAYAMBE防衛部隊所属
フォクスター小隊隊員
階級:少尉
HFアルトリウスのパイロット
◇ユイン・ユノス 18歳 男性
OMC軌道保安軍、CAYAMBE防衛部隊所属
フォクスター小隊隊員
階級:少尉
HFランスロットのパイロット
◇ブラントリー・フォクスター 25歳 男性
OMC軌道保安軍、CAYAMBE防衛部隊所属
有人HF部隊フォクスター小隊隊長
階級:大尉
HFトリスタンのパイロット
最初に戻った感覚は、音だった。
低く一定の間隔で繰り返される電子音。その奥で、粘り気のある液体が狭い空間を循環している。
身体が重い。手足の感覚はあるが、思うように動かせない。全身を温かな液体に包まれ、口元を覆うマスクから一定の圧力で空気が送り込まれていた。
呼吸を繰り返す。その単純な動作で、沈んでいた意識が少しずつ浮かび上がってくる。
何かを思い出さなければならない。
そう思った瞬間、瞼の裏に赤い光が走った。
炎。閉じていくハッチ。黒い影。砕け散る構造物。
――少女。
胸の奥が急激に締めつけられ、電子音の間隔が速くなる。
エイジは反射的に目を開いた。重い瞼の隙間から、液体越しに歪んだ白い光が見える。眼前には透明な曲面。その向こうに機器と白い天井があった。
自分は横たわっているのは、医療カプセルの中だ。
さらに視線を動かすと、治療室を隔てる窓の向こうに二つの人影が見えた。
一人は窓に両手をつくようにしてこちらを覗き込み、もう一人はその隣で静かに立っている。ぼやけていた輪郭が焦点を結ぶ。
隊長とユインだ。
二人とも普段とは違う顔をしていた。フォックスは眉間に皺を寄せ、ユインの目にも明らかに不安が浮かんでいる。
先にエイジの覚醒へ気づいたのはユインだった。小さく目を見開き、隣のフォックスへ何かを告げる。フォックスが勢いよく窓へ顔を近づけた。
隊長の口が動いている。
声は聞こえないが、自分の名を呼んでいるのだと分かった。
返事の代わりに、エイジは右手の指をわずかに持ち上げた。
「覚醒反応を確認。意識レベル、上昇中」
「循環液の排出完了。開放します」
直後、カプセル内部で短い電子音が鳴った。表示灯が赤から青へ切り替わり、身体を満たしていた液体が足元から排出されていく。
液面が胸から腹へ下がるにつれ、身体に重さが戻った。同時に冷たい外気がまとわりつく。
治療室の扉が開き、白い医療服を着たスタッフが二人入ってきた。
機械音とともに透明なキャノピーが持ち上がる。
「動かないでください」
スタッフに肩と背中を支えられ、エイジはゆっくり上体を起こした。視界が一度大きく揺れたが、意識そのものは明瞭だった。
胸部、こめかみ、手首の生体センサーが外され、腕の投薬管が抜かれる。最後に酸素供給マスクが取り外された。
エイジは小さく咳き込み、自分の意思で空気を吸った。
「聞こえますか。自分の名前を答えてください」
「エイジ……エイジ・ミツギ」
「所属は」
「OMC統合防衛軍、軌道防衛隊。HF戦術部隊所属」
「現在地は分かりますか」
「軌道エレベーター防衛基地、医療棟」
「最後に覚えていることは」
少女の顔が脳裏に浮かぶ。差し出した手。胸を押し返した細い腕。閉じるハッチ。
モニターの波形がわずかに跳ねた。
「アルトリウスで……帰投」
「その前は」
「作戦任務、戦闘中でした」
それ以上は、まだ言葉にできなかった。
スタッフは無理な確認は続けず、瞳孔反応、脈拍、神経反応をチェックした。
「外傷は軽度。神経系にも異常所見なし。ただし急性ストレス反応は継続しています」
「自分は、どれくらい眠っていましたか」
「約九時間です」
「その間、戦闘は」
「…その質問には、こちらからは答えられません」
返答は事務的だった。だが、その一瞬の間が、事態は継続中であることを伝えていた。
立とうとしたエイジの膝から力が抜け、スタッフがすぐに支える。
「まだ平衡感覚が戻りきっていません」
「……すみません」
「謝る必要はありません」
両脇を支えられ、運ばれた車椅子に移される。保温用の上着を掛けられながら、エイジは身体に想定以上の消耗があることを感じていた。
だが、それと同時に回復に至るまでに必要な時間も考えていた。
治療室の扉が開く。
「エイジ!」
フォックスが真っ先に駆け寄り、車椅子の前へ屈み込んだ。
「俺が誰だか分かるか」
「フォックス隊長です」
「よし。じゃあ、こいつは」
「ユイン少尉」
「完璧だ」
「意識確認なら、さっき済みました」
「医者の確認と俺の確認は別だ」
フォックスはエイジの肩を軽く叩いた。いつもの力加減より、明らかに弱い。
「まったく……心配させやがって」
口調はいつもどおりだったが、声には隠しきれない安堵が滲んでいる。
「目が覚めてよかった」
横に立つユインが素直な心情を吐露する。
エイジは二人の顔を見た。
「二人とも、無事だったんですね」
「ああ。俺もユインもこのとおりだ」
「すみません。心配をかけました」
「こういう時に謝るな。生きて戻った。それで十分だ」
「でも、アルトリウスを損傷させました。戦線も――」
「その話、今はよせ」
フォックスの声が少しだけ強くなる。
「これからの事は、いずれ分かる。今は、戻ってきたことが何よりだよ」
ユインが静かに続けた。
「でも、今の状況を教えてください。知りたいんです」
エイジの問いかけに、二人の表情から笑みが消えた。
ユインはエイジを見ながら小さく首を横に振った。
「分かりました」
今は詳細を聞くべきではない。エイジはそれを察し、顔を伏せた。
フォックスの眉がわずかに動く。
「本当に、お前はそういう奴だな」
「何か変ですか」
「変じゃない。面倒なだけだ」
フォックスの口元にわずかな笑みが戻り、ユインも小さく笑った。
三人の間にいつもの空気が戻った。
だが、三人の浸っていた空間は、容易く現実に引き戻される。
廊下の奥から近づく、乱れのない複数の靴音。
濃紺の軍服を着た男を先頭に、同じ意匠の制服を着た将校と憲兵が続いていた。
治療室へ入ってきた一団は、車椅子に座っているエイジに声をかけた。
「エイジ・ミツギ少尉だな」
「はい」
「作戦監察局だ」
フォックスの表情から笑みが消える。
「現在、軌道エレベーター防衛基地への攻撃、および月側武装勢力との交戦に関する特別調査が行われている。ミツギ少尉には、意識回復後、速やかに事情聴取へ出頭するよう命令が出ている」
「待ってください。この患者は、つい先ほど意識を回復したばかりです」
医療スタッフが反対する。
「生命維持上の危険は」
「現時点ではありません。しかし休養と再検査が必要です」
「医療担当者を同席させる。異常が認められた場合は中断する」
横暴というより、切迫した事務処理だった。それだけ軍が情報を求めているのだと、エイジは理解した。
「ミツギ少尉。質問に答えられる状態か」
エイジは呼吸、視界、思考を順に確かめた。
覚醒から1時間弱。僅かな間だったが、二人との会話で精神面が回復したことにより、身体の回復も促進している。
「はい。答えられます」
「待て」
一団がエイジの車椅子を動かそうとした時、フォックスが呼び止めた。
憲兵が反応したが、フォックスはそれに目もくれず、エイジの正面へ立った。
「エイジ。今回の件は、お前が思っているよりでかい。いや、俺たちが考えていたより、ずっとでかい問題になってる」
口調に先程までの軽さは消えていた。
「月の連中が、どうやってあれだけの部隊を送り込んだのか。何のために軌道エレベーターを襲ったのか。あのデカい機体が何なのか。こっちは、まだほとんど何も分かってない」
「戦闘記録は残っていないんですか」
「まともなものはな。強力なジャミングで、通信も映像もセンサーも穴だらけだ」
フォックスはエイジの肩へ手を置いた。
「その中で、お前は月側の機体へ近づき、中を見て、生きて戻った。今のところ、確実に現場を見て何かを持ち帰った、ほとんど唯一の人間だ」
少女の顔が浮かぶ。エイジは呼吸を乱さないよう、静かに息を吐いた。
「目を覚ましたばかりで悪い。思い出したくないこともあるだろう。それでも、できる限り話してくれ。お前の責任を追及するためじゃない」
肩へ置かれた手に力が加わる。
「次にあれと向き合う奴を、生きて帰すためだ」
エイジの中で、自身の役割が定まった。
「分かりました。自分の責務を果たします」
「それでいい」
フォックスはエイジを力付けるように頷いた。
ユインも車椅子の横へ歩み寄る。
「全てに答えようとしなくていいから」
その言葉に、エイジは不思議そうな表情を浮かべた。
「軍が求めている答えを、君が作る必要はないということだよ。見たことは見たままに。分からなかったことは、分からなかったと話せばいい」
「分かった。推測を混ぜないように注意する」
「そう。一番大切なのは、君自身が見たものを疑わずに言う事だ」
納得するように軽くうなずいたエイジは、二人に見送られながら、一団と共に医療室を後にした。
監察局の区画は医療棟より人通りが少なく、臨時の警備が増強されていた。
三度の認証を経て連れ込まれた部屋は、通常の聴取室ではなかった。
壁面全体を覆う大型モニター。階段状の座席。床中央の立体投影装置。戦闘記録解析室を、そのまま査問の場へ作り替えたらしい。
エイジを乗せた車椅子が部屋の中央へ固定される。
正面には軍高官と作戦部門の将校。左右に監察官、情報分析官、HF技術者、科学者、軍医、記録担当者。後方には憲兵が控えている。
政治家も民間企業の人間もいない。完全に軍内部の調査だ。
にもかかわらず、中央に一人置かれ周囲から見下ろされる配置は、事情聴取というより査問に近い。
自分の行動が問題だったか。それとも、証言が重視されているからか。
おそらく両方だ。
「これより、エイジ・ミツギ少尉に対する特別戦闘事象聴取を開始する」
主任監察官の声が室内へ響く。
「本聴取は、軌道エレベーター防衛基地への攻撃、月側武装勢力との交戦、ならびに未確認機体の出現に関する事実確認を目的とする。記憶している事実をもとに発言する事」
「了解しました」
エイジは周囲を見渡し、冷静さを保つことに集中した。
大型モニターが点灯した。
最初に表示されたのは、攻撃前と現在の被害状況を重ねた広域図だった。防衛基地の複数箇所が赤く染まり、損傷区域と損失数が添えられている。
続いて、月から発信されたロゥによる独立宣言の音声が流れた。
「攻撃とほぼ同時刻、月面側から独立宣言が発信された。宣言主体と武装勢力が完全に同一である確証はないが、関連性は極めて高い」
画面が防衛部隊の配置図へ切り替わる。出撃したHF部隊、無人機、防空設備。その多くが赤い線で消されるか、損傷記号へ変わっていた。
「防衛基地は戦闘開始直後から、広域通信、光学記録、電磁波探知、熱源探知など複数系統が同時に機能を失っている」
「通常のジャミングとは異なるんですか」
エイジもアルトリウスのモニターに異常があった事を思い返す。
「単一の妨害方式では説明できない。既存装備なら影響を受けない独立系統が残るが、今回は方式の異なる記録装置がほぼ同時に停止した。原因は不明だ」
基地の監視映像が流れる。鮮明だった画面が戦闘開始とともに乱れ、一瞬だけ黒い影を映して白いノイズに覆われた。
「有効な映像はほとんど残っていない。視認報告は複数あるが、形状、規模、兵装、所属のいずれも一致していない」
次にアルトリウスのログが表示された。出撃時刻、交戦地点、損傷箇所。戦線離脱後から帰投開始までが大きく欠落している。
「外部カメラ、コクピット映像、音声記録も断片だけだ。ミツギ少尉の証言が現時点で、最も重要な一次情報と我々は捉えている」
「我々は、あの場で何が起きたのかを知らなければならない。次の事態に対し、適切な判断を下すためにも」
正面の軍高官が低い声で言った。
「ミツギ少尉、出撃時点から説明せよ」
出撃ログが時系列に沿って先頭から並ぶ。
「GEV02-CAYAMBE防衛において、出撃した無人機が突如、交戦中に戦闘不能となったため、ブリーフィングルームで待機中の有人HF第一即応小隊に、追加戦力として出撃命令が出されました」
モニター上でアルトリウスが防衛基地上空へ移動する。
「戦場では、フォクスター隊長の指揮で、軌道エレベーター東側の防衛線へ展開。隊長を中心に、ユノス少尉のランスロットが左翼後方、自分は右翼後方に付きました。出撃直後から通信にわずかな遅延があり、交戦開始後に急速に悪化。敵味方識別と位置情報が不安定になったため、小隊内での直接回線で連携しながらの戦闘となりました」
「有人機の出撃命令は数少ない。戦闘中、精神面に負荷を感じた事は」
「ありません。事態の不可解さは感じましたが、それが操作や状況認識を妨げるほどではありませんでした」
アルトリウスの航跡が防衛線から外れる地点で停止した。
「ここで君は小隊から離脱している。離脱した理由は」
「擱座した月側HFを発見しました。鹵獲できる可能性を隊長に進言。内部データが取れれば、無人HF沈黙の原因や敵性HFの構造が分かる旨を提示しました」
「フォクスター隊長からの許可は」
「10秒間だけという制限で得ました」
「罠である可能性は」
「当然、考えました」
「それでも接近した」
「はい。周辺に交戦中の敵機も無く、対象機も推進器と兵装が停止しているように見えましたので」
エイジ自身、記憶をたどるように言葉を続けた。
「そのまま、擱座機に近寄りましたが、機体内Cellからではモニターのノイズが激しく、機体を降りての目視を改めて隊長に進言しました。この時点で、隊長からは現場離脱を言われましたので、その命令には背いたことになります」
エイジは自分の行動における問題点を隠さず述べた。
モニターログ表示はそこで途切れていた。
「以降、アルトリウスの機体記録では確認できない。何があった」
「擱座した敵機の半径10m以内に、アルトリウスを寄せ降着。Cellを開放して外に出ました」
室内でざわめきが起こる。
「戦場で自機を無人状態にする危険は、理解していたか」
「はい。極めて危険な判断だったと考えます。ですが、あの状況において、敵機が擱座しているという事実と、その確認を自身は優先しました」
エイジは自己弁護をせず、同時に自分の判断を無条件に否定もしなかった。
「敵機の外装には複数の損傷がありましたが、コクピットと見られる胸部周辺は比較的軽微でした。接近後、ハッチが開きました」
「それは内部から操作されたのか」
「分かりません」
「その後は」
「ハッチの内側から、人の手らしき形状が見えました」
「搭乗者か」
「そう判断しました」
静まり返る室内にエイジと主任監察官の会話だけが響く。
「敵機の胸部ブロックまで登り、開いたハッチの内部を覗き込み、対象を確認しました」
「人数は」
「一人です」
「外見を説明せよ」
「少女でした」
室内の空気が変わった。科学者が顔を上げ、記録担当者の手が一瞬だけ止まる。
「年齢は」
「十代前半。十二、三歳前後に見えました。正確には分かりません」
「服装は」
「黒に近い、見たことのない形状の服でした。軍服か民間用かは判別できません。ヘルメットや武器は確認していません」
「負傷は」
「外傷は見受けられませんでした」
「コクピット内部の状況は」
「自分の目視した範囲では、通常の有人HFにある操縦席や操作盤も明確には見えませんでした」
「少女が操縦者だったと思うか」
「分かりません。ただ、敵機の内部にいたのは少女だけでした」
聴き取る側に緊張が張り詰めているのをエイジは感じた。
「それを見た瞬間に自分は、救助が必要かどうかの判断を優先しました」
「子供に見えたからか」
「はい。脅威の可能性は残っていましたが、武器を持たず、敵対行動もありませんでしたので」
科学者が端末を操作した。大型モニターに、回収された月側HFの残骸が映し出される。
原形を失った黒い金属塊。溶岩のように波打つ表面。地面と一体化した内部構造。
「確認されたすべての月側HFに、同様の溶解現象が発生している。撃破、擱座、活動停止の状態にかかわらず、すべてが異常な高温を発し、短時間で溶解した」
分析結果が並ぶ。
「推定される温度は、内部に存在したあらゆる有機物を完全に破壊するほどのものだ。人体が存在していても、血液、皮膚、毛髪、骨組織は原形を保てない。DNAを構成する分子も完全に破壊される」
エイジの喉が乾く。
「残骸と周辺から、搭乗者の身元や生体的特徴を示す手がかりは何一つ得られていない。何人乗っていたか、人間だったか、そもそも生体が搭乗していたかも物証では確認できない」
当然、少女がいたというエイジの証言を肯定する痕跡も、否定する痕跡も残されていない。
「ミツギ少尉。改めて聴くが、少女を目視したという証言に、間違いはないか」
「ありません」
「自分の呼びかけに対し、少女は装甲へ手をつき重心を移動させ、顔を上げました。自分と目が合った後、動きを止めました」
あの時の記憶が、輪郭を明らかにしながら、エイジの脳裏に蘇る。
エイジの胸の奥が強く打った。
「自分は救助しようと、少女に手を伸ばしました」
「相手の反応は」
膝の上で指先が微かに震える。
「少女は……自分を突き飛ばしました」
解析室の空調音が遠ざかり、あの時の警告音が耳の奥へ戻る。
赤い光。少女の両手。胸を押された感触。後方へ傾く身体。
「それは拒絶か、攻撃のどちらか」
答えようとした瞬間、エイジの呼吸が浅くなり、生体モニターの波形が跳ね上がった。
少女がコクピットへと戻る。閉じるハッチ。届かない手。強くなる赤い光。
「心拍数が上昇しています」
付き添いの軍医が呼びかける。
「ミツギ少尉。現在地を答えられるか」
「軌道エレベーター防衛基地、戦闘記録解析室です」
「聴取を継続できるか」
胸の鼓動は速く、手の震えも止まっていない。それでも、自分がどこにいるか、何を求められているかは理解できた。
「継続できます」
軍医は数値を確認し、条件つきで続行を認めた。
このまま体験を語れば、記憶に押し流される。
エイジは一度、目を閉じた。
――次にあれと向き合う奴を、生きて帰すためだ。
フォックスの声が脳裏を横切る。
ゆっくりと息を吸い、肺へ入る空気の量を意識する。数秒止め、静かに吐く。
今の役割は記憶を報告することだ。
震える右手を一度だけ握り、ゆっくり開く。
よし、大丈夫だ。
目を開いた時、視線は正面へ戻っていた。
「少女の行動に、自分に対する攻撃の意図があったかは、判断できません」
「理由を」
「行動の結果だけを見れば、自分を敵機から遠ざけています」
エイジの口調は戦闘報告へ切り替わっていた。
「ハッチを少女自らが閉じたのか」
「分かりません」
「ハッチが閉じた直後、敵機の胸部から低い振動音聞こえ、装甲の隙間から白煙が上がりました」
「少女が敵機の中にいる状態でか」
軍高官が低く問う。
「はい」
「機体は、そのまま完全に溶解しました。少女を内部に残したままです。脱出は確認していません」
解析室に低いざわめきが広がる。
「証言を継続できるか」
「できます。その後について報告します」
月側HFが溶解した後、エイジは数秒間、その場から動けなかった事を説明した。
「意識を失っていたのか」
「いいえ。判断が止まっていました。周囲の状況を認識できていませんでした」
「パニック状態か」
「その時点では、そうだったと思います」
「その後に何が起きた」
「周囲で爆風のような衝撃が起きました。アルトリウスと残骸が遮蔽物となり、大きな負傷は受けませんでした」
ノイズの中に佇む黒い影。不鮮明な監視映像がモニターに映し出された。
「衝撃の後で、この物体は確認できたか」
「いえ。正確には、以降の事に対しては断片的な記憶しかありません」
「その後、アルトリウスで基地へ戻った」
「はい。損傷したアルトリウスへ再搭乗。フォクスター隊長からの通信で正気を保ちながら、主推進器と一部の姿勢制御が残っていることを確認。自動帰投と手動補正を併用しながら、提示された帰投ルートで帰還しました。」
「基地到着後は」
「着陸誘導を受け、コクピットが開いた時までの記憶は断片的にあります。その後に意識を失いました」
「自分が記憶しているのは、以上です」
エイジは背筋を伸ばした。右手の震えは止まっていた。
「エイジ・ミツギ少尉の証言を正式な戦闘事象記録として保存する。現時点で追加の証言は求めない。ただし、新たな記憶が戻った場合、あるいは現在の証言と異なる内容を思い出した場合は、直ちに報告せよ」
「了解しました」
大型モニターに、エイジの行動記録が並ぶ。
戦線離脱。無断降機。敵機への接近。自機の放置。損傷機での帰投。
「通常であれば、命令違反、任務放棄、軍用機の管理責任について審査対象となるが、異議は」
「ありません」
正面の軍高官が片手を上げた。
「君の行動に対する判断は、現時点では保留とする。今回の事態は通常の交戦事例として処理できない。通信網と指揮系統は分断され、敵の所属、兵器、目的のいずれも不明だった。その状況下の判断を、平時の規定だけで即断はできない」
「自分の行動は問題ないと」
「そうは言っていない。同じ判断が次も許されると考えるな。正式な審査は本件の調査進展後に行う」
「了解しました」
「新たな命令があるまで基地内待機。本件の情報を、権限のない第三者へ口外することを禁ずる。所属部隊への共有は指揮系統を通じて行う」
「フォクスター隊長とユイン少尉にも、自分からは話せないということですね」
「聴取内容の詳細は話すな」
「了解しました」
「外部通信も監視対象となる」
「自分が疑われているということですか」
「可能性を排除していない。君は記録の残らない状況で月側HFの搭乗者と接触し、帰投中の記憶にも欠損がある。未知の手段による干渉を受けた可能性は、完全には否定できない」
「理解しました」
最期は形式的なやり取りではあったが、軍部からの整然とした言い渡しがエイジの内面を落ち着かせた。
主任監察官が聴取終了を告げ、室内の照明がわずかに明るくなる。
医療スタッフが生体数値を確認した。
「聴取終了後、医療棟で再検査を行います」
「必要ありません」
「それを判断するのは君ではない」
「……了解しました」
車椅子が動き始める直前、軍高官の一人が呼び止めた。
「ミツギ少尉」
「はい」
「……よく報告してくれた」
短く置かれた間から発せられた言葉に、労いとも感謝とも違う、軍特有の連帯をエイジは感じた。
少女を救えなかった。部隊を離れ、機体を損傷させ、帰投中にはパニックに陥った。それでも、この場で求められた役割は果たせた。
「ありがとうございます」
エイジは素直に返した。
車椅子が解析室を出る。
聴取は終わった。
廊下の角を曲がると、壁際にフォックスとユインが立っていた。
二人はエイジの姿を見つけ、すぐに駆け寄る。
「待機命令と口外禁止が出ました」
「なら話すな」
フォックスは即答した。
「必要な情報なら正式に回ってくる。俺たちに話して、お前が規律違反に問われても意味がない」
ユインもうなずく。
「はい」
エイジは二人の横顔を見る。
心配している。それでも軍人としての線を越えようとはしない。その距離がありがたかった。
「一つだけ聞く」
フォックスが言った。
「お前自身は、ちゃんと戻ってきたか」
身体のことではない。あの記憶の中へ取り残されたままではないかと聞いている。
少女の顔は思い出せる。炎も、伸ばした手も。胸は痛む。
それでも、今、自分がどこにいるのかは分かっている。
「はい。戻っています」
「ならいい」
その時、フォックスの胸元で短い電子音が鳴った。
フォックスは端末を取り出し、半透明の表示面へ目を走らせる。
表示された発信者名を確認した瞬間、口元の笑みが消え、視線が鋭くなった。
フォックスは数秒だけ思考を巡らせ、端末を閉じた。
「司令部から呼び出しだ」
それだけを告げ、二人を交互に見る。
「ユイン、エイジ。お前らも来い」
付き添っていた医療スタッフが反応する。
「ミツギ少尉は医療棟へ戻る予定です」
「司令部へ同行させる。俺の随伴命令だ」
「覚醒直後に長時間の聴取を受けています。再検査を優先すべきです」
医学的な常識に照らせば、その判断は正しい。
「自分はフォクスター大尉に同行します」
「自己判断で予定を変えることは認められません」
「では、生体数値を確認してください。既に自分は任務行動が可能です」
医療スタッフが端末へ視線を落とす。
聴取中に上昇した心拍数は安定域へ戻り、呼吸、血圧、神経反応にも異常はない。想定していた回復経過より明らかに早い。
「身体的な数値が安定していても、精神的な疲労は残ります。本人の自己評価だけでは――」
「こいつが問題ないと言ってる」
フォックスが遮った。
「一般の軍属なら、慎重になるのも分かる。だが、こいつはHFパイロットだ」
フォックスは医療を軽視しているわけではない。強がっているのか、本当に回復しているのか、その違いをフォックスはエイジの顔つきと声で判断した。
医療スタッフは再び数値を確認した。短時間の移動と上官への随伴を止める医学的根拠はない。
「司令部までの同行のみです。終了後は必ず医療棟へ戻ってください」
「了解した」
エイジの代わりにフォックスが答える。
「それと、いつまで座ってるつもりだ、ミツギ少尉」
フォックスはわざとらしい口調で車椅子へ視線を落とした。
「フォクスター隊長を前に、これは失礼しました」
エイジも仰々しい返事と立ちあがり、車椅子の返却操作を行う。座面と肘掛けが無人走行用の形態へ移行した。
フォックスは一連の動作を見て、満足そうな笑みを浮かべる。
「さすがだな」
「ありがとうございます、隊長」
「礼を言われることじゃない」
フォックスはユインとエイジの間へ入り、二人の肩へ左右から腕を回した。
「よし。行くぞ」
「フォックス隊長。今のエイジに体重を預けないでください」
ユインが口をはさむ。
「支えてるんだよ」
「支えられているのは隊長の方に見えます」
「細かいこと言うな」
エイジは肩にかかる腕を感じながら、わずかに笑った。
自分が経験したことを言葉にし、軍へ渡すべき情報を渡した。軍人としての役割を果たした。そして今は、親友と上官の隣を、自分の足で歩いている。
背後で、役目を終えた無人の車椅子が反対方向へ進んでいる。
三人の足音が、軍施設の廊下へ重なって響いた。
≪ 用語・設定 ≫
■エイジとユイン
二人はOMC軌道保安軍高等士官学校 ( 軌道士官学校 ) に同期で入学、HFパイロット候補生として出会い、意気投合。共に学生時代を過ごした親友です。
ユインは入学が2年遅れ、エイジよりも年上ですが、その差を感じさせないほど、二人はフラットな関係です。
HF戦術士官課程の中で、有人HF候補を選抜する特別課程をユインが主席、エイジが次席という優秀な成績で卒業し、そのまま軌道エレベーター防衛の最前線であるOMC軌道保安軍、CAYAMBE防衛部隊に配属されました。互いに同じ階級、親友なのでプライベートではタメ口ですが、ユインの方が丁寧な口調です。
ちなみに、フォックスは二人が候補生時代に派遣された実戦教官で、優秀な二人に目を付け、ちゃっかり自分の小隊に編入させています。
≪ あとがき ≫
今週もお疲れ様でした。
よい週末をお過ごしください。




