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プロローグ 未知への対処

≪ 登場人物 ≫

◇OMCの政治家、行政官僚、軍部代表、民間基幹企業の代表者たち

 OMC中枢議事棟、特別対策会議室。


 戦場から離れた部屋には、血の匂いも、焦げた金属も、冷却材も無く、兵士の声も届かない。

 磨き上げられた床と強化ガラス、壁一面の情報スクリーン。

 そこは、温度も湿度も、静けさも、政治に都合よく完璧に管理されていた。


 公開審議の場ではない。

 非常事態に限り、選ばれた中枢構成員だけが招集される閉じた決定機関。


 議長席を中心に、政治家、行政官僚、軍部代表、民間基幹企業の代表者が半円を描いている。

 肩書だけを見れば、統治、安全保障、産業が均衡しているように見えた。


 だが、座席の位置は力関係を正直に示していた。

 中央には政治、その背後には企業。

 軍部は端に。


 新世代エネルギーの発明によりもたらされた平和な時代、軍は予算を消費する組織と見なされてきた。

 社会を動かすのは、月から届く触媒鉱物と、地球の水資源を軸にした経済循環である。


 その流れから税を集め、配分する政治家が権力を持つ。

 設備、技術、雇用、資金を握る企業は、その政治家を背後から動かす。


 軍は安全保障を担っていたが、平時には利益を生まない。


 必要ではある。

 しかし、必要以上に口を出すことは許されない。

 それが、この時代における軍の存在だった。


「軌道エレベーターGEV02-CAYAMBE襲撃、および月面基幹施設群における独立宣言について、緊急報告を始める」

 議長が開会を告げる。


 壁面スクリーンに、青白い地球と軌道エレベーターの戦術図が映し出される。


 赤道直下から宇宙へ伸びる白い線。

 その基部周辺へ、赤い損害表示が重なっていく。


「第一報。月面マスドライバーより射出された鉱物輸送コンテナ二十基のうち、後続十基が予定軌道を逸脱」

 記録官が、感情を排した声で読み上げた。


 スクリーンに、静止軌道上の回収ステーションを突破する十本の赤い軌跡が描かれる。


「地球絶対防衛圏が自動迎撃。外殻破壊後、内部から所属不明HF60機を確認。機体群は軌道エレベーターワイヤーを基準に、大気圏降下を開始」


 映像が切り替わる。

 赤熱した大気を、人型の影が滑り落ちていた。

 落下ではない。

 コンテナを耐熱殻として利用し、成層圏から戦闘空域へ侵入する、計画された強襲だった。


 軍部代表の一人が、わずかに顎を引く。

 同じ映像を何度見ても、既存の作戦分類には収まらない。


「第二報。降下開始とほぼ同時刻、月面側が地球圏統合通信網へ侵入。発信者は、月面基幹施設群統括を名乗るレフトムーン・ロゥという人物」

 スクリーンが黒く染まり、中央に白い文字が現れた。


 SOUND ONLY


 議場の音響装置から、記録された男の声が流れる。


『これは交渉ではない』

 低く、平坦な声だった。

『要求でもない』

 怒りも、熱狂も、勝利の誇示もない。

『事実の通達である』

 短い再生が終わる。


「ロゥは、月面基幹施設群が地球圏共同管理体制から離脱したと宣言。OMCはこれを独立宣言と認識」


 次に表示されたのは、軌道エレベーター周辺の戦闘記録だった。


 白灰色のOMC無人HF群と、黒灰色の月側HF群。

 軌道エレベーターのワイヤーを挟み、両者が交錯している。


「第三報。OMC無人HF統合管制施設《ディープ・ハンド》が通信途絶。衛星観測により、地表区画および地下中枢部の壊滅を確認」


 赤い文字が表示される。

 DEEP HAND:LOST

 軍部席の空気が重くなる。


 失われたのは、一つの基地だけではない。

 遠隔操縦、AI戦術補助、群制御を束ねる、OMC無人HF運用体系の中枢だ。


「同施設の喪失後、前線の無人HF群は統合管制を失い、多数が停止、または戦闘不能」

 停止した無人HFを、月側機が切り崩していく。


 政治家の一人が眉をひそめる。

 その表情に浮かんだのは、戦場への悲愴では無い。

 損失額を計算する者の顔だった。


「第四報。有人HF部隊が戦域へ投入され、月側HFを一時的に押し返しました。しかし直後、全高二十メートル級と推定される大型機動兵器が出現」

 記録映像が激しく乱れる。


 砂嵐の奥に、輪郭の定まらない黒い影が立っていた。


「通常の飛行、降下、地上移動による接近痕跡はありません。出現前のセンサー反応も確認できず、出現後は強力な光学妨害により形状解析に失敗しています」


 黒い影の胸部に光が集まる。

 次の瞬間、白い線が地表を貫いた。

 起動エレベーター地上基地の軍事区画が、映像の中から消える。


 爆発ではない。

 そこに存在した構造物が、空間ごと抉り取られたように失われた。


「第五報。大型機動兵器による高出力指向性兵器の使用を確認。防衛司令部、火器統合制御区画、対空迎撃演算施設は機能を喪失」


 静まり返る議場。


「なお、軌道エレベーターの基幹ワイヤーに致命的損傷は確認されていません。民間貨物系統は、一部制限下で運用継続が可能です」

 その沈黙に意を介さず、記録官は淡々と事実を述べる。


 何人かの肩から、安堵とも取れる脱力が見られた。


 軍事区画は消えた。

 だが、経済の動脈は切れていない。

 その一点だけで、最悪を免れたと判断する者がいた。


「第六報。戦闘終了後、月側HFの残骸はすべて超高温で熔解。機体構造、制御系、有機物を含む内部物質は回収不能」

 黒灰色の機体が、輪郭を保ったまま赤熱し、墜落する記録が映る。


「現時点で、搭乗者の有無、制御方式、所属を裏づける物証は得られていません」

 手がかりを残さず消えた未知の存在。


「最後に、襲撃後も月面マスドライバーからの鉱物輸送は通常スケジュールで継続しています。資源供給停止の兆候は見られません」

 スクリーンに、月から地球圏へ向かう貨物軌道が表示される。


 いつも通りの便数。

 いつも通りの運搬量。


 テロとも言える独立宣言があり、軍事基地が消え、未知の大型機動兵器が現れた。

 それでも、鉱物は届いている。

 議場にいる多くの者にとって、その事実は戦場での被害より優先された。


「以上が、現時点で確認された主要事実である」

 議長が報告を締めくくる。


 スクリーンには、傷つきながらも空へ伸びるGEV02-CAYAMBEが映っていた。


「つまり、軌道エレベーターは無事なのだな」

 最初に口を開いたのは、軍部ではなかった。


「基幹構造は維持されています。ただし、地上の軍事防衛機能は壊滅的な損害を受けました」

 政治家の問いに、軍高官が一拍置いて答える。


「民間輸送は?」

 別の政治家が間を置かず尋ねる。

「安全確認済みの貨物ラインから、段階的に再開しています」

「ならば、最悪ではない」


 軍部席に不本意とも取れる空気が流れた。


 事態は最悪だ。

 基地は失われ、無人HF網は中枢を断たれ、敵の正体も攻撃原理も分からない。


 それでもインフラに影響が無い限り、政治にとって危機は管理可能な損失へ変わる。


 企業代表の一人が、静かに口を開いた。

「鉱物輸送が継続している点は重要です。月側は、地球圏との経済関係そのものを断つ意図までは持っていない」


「あるいは、断てない」

 別の企業代表が引き取る。


「月面施設は生命維持に必要な水を地球側へ依存しています。未知の兵器を保有していようと、その条件は変わりません」

 政治家たちが頷く。


 大型機動兵器の移動原理は説明できない。

 月側HFがなぜ熔けたのかも分からない。

 だが、水という弱点だけは理解できた。


 そして、水の主導権は地球、即ち、自分たちだった。


 強硬派の議員が、背もたれへ深く身体を預ける。

「飼い主の手を噛みながら、餌は止めるなと言っているようなものではないか」


 軍部席の何人かが、露骨に表情を硬くした。


「ロゥと名乗るテロリストに、管理者が誰かを思い知らせる必要がある。月には独立はおろか、自治さえ認めていない。月面の存在は、我々OMCへ資源を運搬する構造の一部に過ぎない」

「あなたの言う“構造の一部”が、我々の軍事基地を消しました」

 軍高官が抑えた声で返す。

 議員は鼻で笑った。

「軍が職務を果たせなかった結果で反論をされても、我々、政治家は困るのだよ」

 言い放たれた瞬間、場の力関係が露わになった。


 政治は支配権の均衡を見ている。

 企業は資源と技術の価値を見ている。

 軍は、次に同じ攻撃を受けた時、何が残るかを見ていた。


 同じ事態に直面しながら、誰も同じ危機を見ていなかった。


 企業代表が、不鮮明な大型機動兵器の静止画像を拡大させた。

「最優先で検討すべきは、この技術の帰属です」


 砂嵐の奥に立つ黒い影。

 彼の視線の先には恐怖より、所有欲があった。


「月側が独立を主張する以上、我々と相対する経済圏のCMSが接触を試みるのは確実です。先に技術情報を確保された場合、軍事だけでなく産業基盤の均衡まで崩れます」


「我々は、それが機体なのか兵器なのかさえ特定できていません」

 軍高官が反論する。

「ディープ・ハンドを破壊した攻撃と同一の存在である可能性は高い。しかし、捕捉も追跡もできない。まず防衛線を再構築し、同種の攻撃へ備えるべきです」


「その準備をしている間に、CMSが月側と協定を結んだら?」

「軍の再建より、企業間競争を優先すると?」

「未知技術の独占は、安全保障そのものです」

 企業代表は、少しも声を荒らげなかった。

 だからこそ、その主張は議場へ滑らかに浸透した。


 政治家の何人かが、軍事的な不確実性より、競争相手に先を越される可能性へ興味を示した。


「ならば、話は簡単だ」

 強硬派の議員が手を上げた。


「独立宣言を撤回させる。ロゥを引き渡させる。未知兵器と関連技術をOMCの管理下へ戻す。それを受諾するまで、水の供給条件を見直せばよい」

 彼は、水資源で月をコントロールできるのが前提で意を述べた。


「相手は地上基地を一撃で消した存在です。そのような恫喝じみた手札が通用すると考えるのは危険です」

 軍高官の警告に、議員の顔が歪む。


「危険を管理するのが軍の仕事だ。政治に軍の臆病を持ち込まないでいただきたい」

 強硬派議員による一方的な物言いに、軍部席からの言葉が詰まる。


 政治は危険の責任を負わせる相手を探している。

 企業は危険の内部にある利益を得ようとしている。

 軍は危険の実態を測ろうとしている。


 議長が指を組み、しばらく沈黙した。

 議論が尽きるのを待ったのではない。

 各勢力が譲れない線を見定めていた。


「月面基幹施設群からの要求、すなわち独立宣言は認めない」

 その一点に、異論はなかった。


「ただし、即時の全面報復は行わない。軌道エレベーターの防衛機能低下、ディープ・ハンドの喪失、正体不明の大型機動兵器の存在。準備なき攻撃は、さらなる損失を招く」

 軍部席の緊張が、わずかに緩む。


「よって、月面基幹施設群へ特使を派遣する」


 スクリーンに、月面施設群の遠景が表示された。

 白く冷たい地表。

 点在する採掘設備、研究施設、輸送機構。


「名目は対話とする。ただし、対話の前提は明確だ。独立は承認しない。GEV02-CAYAMBE襲撃はOMCに対する重大犯罪であり、テロリストのレフトムーン・ロゥには責任を求める」


「未知技術についても情報開示を要求すべきです。可能であれば、現物または制御権の引き渡しを条件に含める」

「水資源の供給条件も再確認する」

 企業代表が続けた。


「月側が地球との関係を断てないことを、対話の席で理解させる必要がある」

 政治家が付け加える。


 軍高官は口を閉ざした。

 彼らは月側を対話の相手として見ていない。

 命令に背いた管理対象に位置付けている。

 その管理対象が、どれほどの事態を引き起こしたか思い知ってすらいないのか。


「特使派遣に異論は」

 議長が周囲を見回す。


 反対する者はいなかった。

 軍事報復の責任は負いたくない。

 技術確保の可能性は捨てたくない。

 鉱物輸送停止も避けたい。


 特使という手段は、誰にとっても都合のよい結論の先送りでしかなかった。


 議長が次の議題へ移る。

「では、誰を特使とするか」


 議場が静まった。

 先ほどまで、威勢のよい言葉はいくらでも飛んでいた。


 テロリスト。

 管理施設の労働者。

 飼い主。

 首輪。

 水を止めろ。

 技術を差し出させろ。


 だが、その要求を月面で直接突きつける者となると、誰も名乗りを上げない。


 月への道のり。


 大型機動兵器。

 テロリストのロゥ。

 未知の危険。


 地球側の常識を拒絶する戦力がある場所へ赴く。

 対話という名の恫喝を、相手の本拠地で行う。


 その役目を、果たして誰が引き受けるのか。


 饒舌だった強硬派議員は、資料を確認する素振りで、視線を落としている。


「これほど明確な見識をお持ちなら、特使にはあなたが最も相応しいのではありませんか」

 対立する政治家が、ここぞとばかりに沈黙を破る。

 丁寧な言葉の内側に、刃があった。


「何?」

 強硬派議員が顔を上げる。


「先程から拝聴していると、月側の立場も、水資源の優位性も、ロゥへの対処も理解しておられるようだ。弱腰な人物を送るより、あなたが直接示された方がよい」

 別の政治家がすぐに加わる。

「確かに。強い姿勢を示すには、強い言葉を持つ方が必要です」

「議会としても、これ以上ない人選でしょう」


 推薦ではなかった。

 包囲だった。

 企業代表たちは口を挟まない。

 だが、その沈黙は賛同に等しい。


 強硬派議員は政界での声が大きく、派閥も抱えている。

 その一方で、利権配分へ頻繁に口を出し、企業にとって必ずしも扱いやすい人物ではなかった。


 月へ行かせるべきだ。

 成功すれば、議会と企業が成果を得る。

 失敗すれば、責任を彼へ集中し失脚させる。

 帰らなければ、席が一つ空く。


 強硬派議員の顔に、一瞬だけ動揺が走った。


 しかし、彼はすでに言いすぎていた。

 月側を侮り、軍を臆病と罵り、強硬姿勢を唱えた。


 ここで退けば、政治家としての立場を失う。

 彼は椅子の肘掛けに手を置き、ゆっくり立ち上がった。


「よろしい」

 声は硬かった。

 それでも、無理に笑みを浮かべていた。


「私が行こう」

 議場の数名が、薄い拍手を送った。

 敬意ではない。

 罠へ踏み込んだ者に向ける、形式的な祝福だった。


「月の連中に、文明社会の言葉を教えてやる。自分たちが何に依存して生きているのか、テロリストのロゥにも思い知らせてやろうではないか」


 議長が頷く。


「では、特使派遣は決定とする」

 議事記録に強硬派議員の名前が記載された。


 月面基幹施設群への人員派遣。

 独立不承認。

 襲撃責任者の引き渡し要求。

 未知技術の情報開示。

 水資源供給条件の再確認。


 残るは、月へ随伴する特使護衛部隊の編成。


 最後の項目で、議長の視線が軍部席へ移る。

「軍部には、特使の護衛および護送を目的とした特別部隊の編成を命じる」


 議会から軍に求められたのは、判断ではなかった。

 決定の実行だった。


「大型機動兵器、月側の戦力、ロゥの意図。すべてが不確定である。通常の儀礼護衛では足りない。現場判断能力の高い指揮官を選定せよ」


 軍高官は一瞬だけ黙った。

 迷ったのではない。

 誰を使うべきかは、決まっていた。


「特別護衛部隊の指揮官には、ノア・シュナイダー大佐を推します」


 議場の何人かが、その名に反応した。

 明らかに好感ではない。

 知ってはいるが、近くに置きたくない人物へ向ける反応だった。


 政治家になびく人物ではない。

 企業にとって扱いやすい人物でもない。

 だが、危険を直視し、状況が崩れた後でも部下を動かせる指揮官。


「シュナイダー大佐か」

 議長が低く呟く。


「扱いにくい男だと聞いている」

「だからこそ適任です」

 軍高官は迷わず返した。


「扱いやすい指揮官では、月からの帰還は難しいかと」

 短い沈黙が落ちる。


 議長はやがて頷いた。

「よかろう。ノア・シュナイダー大佐に任命を通達せよ」

 軍部の本音が会議室の中央まで届いた。


 政治は、支配権を取り戻すため。

 企業は、未知技術を先に確保するため。

 軍は、最悪の事態を少しでも遅らせるため。


 同じ議案に賛成しながら、目的は最後まで一つにならなかった。


 特別議会が閉じる。


 議員たちは席を立ち、企業代表は端末を閉じ、官僚たちは議事記録の処理を始めた。

 怒りも、不安も、打算も、公的な表情の奥へ隠されていく。


 特使派遣。

 独立不承認。

 水資源を用いた威嚇。

 未知技術の開示要求。

 特別護衛部隊の編成。


 安全な部屋で発せられた言葉は、温度を失い命令となる。

 中枢議事棟から、OMC軍統合作戦司令部へ。

 高秘匿回線を通じて現場へ。


 思惑だけが空転し、未知へ人員を送り出すことが決まった。

≪ 用語・設定 ≫

■CMS/大陸調整経済圏

2126年現在、OMC/大洋自由経済圏と対を成す経済圏。

自由競争より安定供給、個人利益より社会持続、分散市場より計画配分を重視。安心して生きられるが、勝手には生きにくい社会。

アフリカ大陸で軌道エレベーター、GEV01-KENYAが稼働している。


≪ あとがき ≫

第2章が始まりました。

何卒、よろしくお願いします。

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