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冤罪で追放された伯爵令嬢は、森の奥の診療所で天才医師の胃袋を掴み、愛されながら幸せなスローライフを満喫します  作者: 白月つむぎ


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97 ビタミンがたっぷり詰まっていますから、きっと体力を回復させてくれますわ

 柔らかな春の陽光が、森の木々の隙間を縫うようにして診療所の窓枠を優しく照らし出していた。


 鳥たちのさえずりが遠くから聞こえてくる穏やかな朝。

 コルネリアはホワイトブロンドの髪を丁寧に後ろで一つにまとめ、エプロンを身につけて一人静かにキッチンへと立っていた。


 今日彼女が朝食の主役に選んだのは、先日菜園で収穫したあの立派なにんじんであった。

 冬の厳しい寒さを土の中でじっと耐え抜き、極限まで糖分を凝縮させたにんじんは、切り分けるのがもったいないほどに見事な形をしている。


 コルネリアはにんじんの表面の泥を綺麗に洗い流すと、あえて細かく切ることはせず、丸ごと一本を蒸し器の中へと入れた。

 かまどの蒸気でじっくりと熱を通していく。

 こうすることで、大地が育んだ自然な甘みが逃げることなく、にんじんの中心部までたっぷりと蓄えられるのだ。


 にんじんを蒸している間に、彼女は別の小鍋でお湯を沸かし始めた。

 そこへそっと入れたのは、グリンダが届けてくれたばかりの極めて新鮮な卵である。

 絶妙な時間で茹で上げ、冷水に取って殻を綺麗に剥き、美しい半熟のゆで卵を完成させる。


 蒸し器から甘い匂いが漂い始めた頃、にんじんの中心に竹串を刺してみると、一切の抵抗なくすっと通り抜けた。

 完璧な柔らかさである。


 熱々の蒸しにんじんを大きなボウルに移し、木製のへらで軽く押さえると、それだけでほろりと崩れて鮮やかなオレンジ色の断面が顔を出した。

 そこへ先ほど茹でた卵を加え、先日手作りした東方伝来の調味料であるマヨネーズをたっぷりと落とす。


 にんじんの鮮やかなオレンジ色、卵の淡い黄色、そしてマヨネーズのコクのある色彩が混ざり合い、美しいペースト状になっていく。

 味見をすると、にんじんが持つ果物のような驚くべき甘さと、卵とマヨネーズの濃厚な旨味が口の中で見事に調和し、思わず頬が緩んでしまうほどの美味しさだった。


 厚切りにしたパンをかまどの端で香ばしく焼き上げ、その上に出来上がったばかりのペーストをたっぷりと乗せる。

 温かい紅茶と共に食卓へ並べたところで、寝室からカエラムが姿を現した。

 翡翠色の髪を春風に揺らし、丸メガネの奥のアンバーの瞳を優しく和らげながら、彼はコルネリアの向かいの席へと腰を下ろす。


「おはようございます。今朝も素晴らしい香りがしていますね。これは、先日あなたが収穫したにんじんですか?」


「はい。じっくりと蒸して、グリンダさんが届けてくださった卵を茹でて、マヨネーズと一緒に和えてみましたの」


 カエラムは一口そのトーストをかじると、驚いたように目を見張った。


「これは……実に美味しい。にんじん特有の青臭さが完全に消え去り、驚くほどの甘みが引き出されています。それに、新鮮な卵のコクが合わさって、いくらでも食べられてしまいそうだ」


「ふふっ。お口に合って良かったですわ」


 コルネリアは彼の言葉に、ペリドットの瞳を嬉しそうに細めた。

 互いを慈しむ穏やかな時間が、春の陽だまりの中で静かに流れていく。


 ――朝食を終え、二人で診療所の準備を整えていた時のことである。


 森の小道から、重い荷物を引きずるような重々しい足音が近づいてきた。

 やがて診療所の分厚い木の扉が押し開かれ、一人の人物が中へと転がり込むように入ってきた。


「……カエラム先生、嬢ちゃん……おはようさん……」


 力なく声を絞り出したのは、以前遠い南の国から特別なジャスミン米を届けてくれた行商人のウラカであった。


 日焼けした肌に豪快な笑みを浮かべているのが常である彼女の顔には、今日に限って深い疲労の色が色濃く滲んでいる。

 額にはじっとりと汗が浮かび、呼吸もわずかに荒い。

 彼女は背負っていた巨大な荷袋を床に下ろすなり、待合室の長椅子へと力なく崩れ落ちた。


「ウラカさん! どうなさいましたか? 顔色がひどく悪いですわ」


 コルネリアが慌てて駆け寄るのと同時に、カエラムの顔つきが瞬時に医師のそれへと切り替わった。

 彼はウラカの手首に指を当てて脈を測り、顔色や呼吸の乱れを的確に観察していく。

 アンバーの瞳には、一切の妥協を許さない鋭い光が宿っていた。


「……高熱や外傷はありませんね。ウラカさん、ここのところ急に温かくなったり、逆に冷え込む夜があったりと、気候の変動が激しかったはずです。それに加えて、その重い荷物を背負って長く歩き続けたのでしょう?」


「ああ……先生の言う通りさ。春の陽気に誘われて無理な日程を組んじまったら、急に身体が鉛のように重くなってね。立っているのもやっとの有様さ」


 苦笑いを浮かべるウラカに、カエラムは深く頷いた。


「春先特有の、激しい寒暖差による身体の均衡の崩れ……いわゆる春の気だるさです。自律神経が乱れ、疲労が極限まで蓄積している状態ですね。少し、ここで休んでいってください。すぐに体の内側から気の巡りを整える薬茶を淹れますから」


 カエラムは薬棚へ向かい、身体を芯から温める効能を持つ数種類の薬草を手早く調合し始めた。


 その間に、コルネリアはキッチンへと戻った。

 ただお茶を出すだけでなく、疲労困憊のウラカに少しでも良質な栄養をつけてもらうため、今朝自分たちが食べたばかりのにんじんと卵のトーストをもう一度手早く作り上げた。


 カエラムの調合した特製の薬草茶から立ち上る清涼な香りと共に、コルネリアは色鮮やかなトーストをウラカの前の円卓へと運ぶ。


「ウラカさん。こちらの温かいお茶と、少しだけお腹に優しいものを召し上がってくださいな」


 ウラカはゆっくりと身を起こし、差し出された薬草茶を口に含んだ。

 温かい液体が喉を通り胃の奥底へと到達すると、彼女の口から深い安堵の吐息が漏れた。

 薬草の成分が血流に乗り、強張っていた筋肉を内側から解きほぐしていくのが目に見えてわかる。


 続いて、彼女はコルネリアが作ったトーストを両手で持ち、大きく一口かじりついた。


「……なんだい、これは。にんじんが信じられないくらい甘くて、卵の味がすごく濃厚だ。それに、この酸味のある調味料が食欲をそそるね」


「ふふっ、ありがとうございます。ビタミンがたっぷり詰まっていますから、きっと体力を回復させてくれますわ」


 温かい薬茶と、大地の恵みが詰まった食事。

 そして何より、森の診療所が持つ穏やかで心地よい空間が、ウラカの身体を優しく癒やしていく。


 食事を終える頃には、日焼けした彼女の肌にみるみると本来の力強い生気が戻り、いつもの豪快な笑顔が完全に復活していた。


「いやあ、すっかり助かったよ。先生の薬茶と、嬢ちゃんの美味い飯のおかげで、嘘みたいに身体が軽くなった。やっぱりあんたたちは最高の二人だね!」


 大きな声で笑うウラカに、カエラムは少し呆れたように丸メガネの位置を直したが、その表情は安堵に満ちていた。


 ウラカは床に置いていた巨大な荷袋の紐を解き、中から慎重な手つきで四角い頑丈な道具を取り出した。

 ずっしりとした重みを持つそれは、無骨な黒い鉄で造られており、上部には格子状の網が乗せられている。


「治療と飯の礼と言っちゃあ何だが、これをあんたたちに置いていくよ。私の荷物も軽くなって一石二鳥だからね」


「ウラカさん、これは一体どのようなお道具なのですか?」


 不思議そうに尋ねるコルネリアに、ウラカは得意げに胸を張って答えた。


「鉄製の野外用調理台さ。下の部分に炭や薪を入れて火を起こし、上の網で食材を焼くんだ。これからの気持ちの良い季節、外の風を感じながら美味い肉や野菜を焼いて食べな。煙を気にせず豪快に料理ができる、素晴らしい代物だよ」


 太陽が高く昇り、森が春の生命力でさらに明るさを増した頃――。

 すっかり体力を回復させたウラカは、幾分軽くなった荷袋を背負い直し、診療所の扉を開けた。


「じゃあ、私は次の街へ向かうとするよ。また珍しい品を見つけたら、一番にあんたたちのところへ寄るからね!」


 大きく手を振って歩き出すウラカの力強い背中を、カエラムとコルネリアは外に出て並んで見送った。

 彼女の姿が木々の向こうへと見えなくなった後、コルネリアはペリドットの瞳を輝かせてカエラムを見上げた。


「先生。ウラカさんが残してくださったあの鉄の調理台……タツィオさんが届けてくださる美味しいお肉や、裏庭でこれから育つたくさんのお野菜を外で焼いたら、きっと素晴らしいお食事ができますわね」


「ええ、間違いありません。森の風を感じながら、あなたと二人で料理を楽しむ……考えただけで、これ以上ないほど贅沢な時間になりそうです」


 カエラムが深く頷き、自然な動作で手を伸ばすと、コルネリアの細い指先に自身の長い指をそっと絡ませた。

 彼の大きな掌から伝わる確かな温もりに、コルネリアは安心しきったように微笑みを返す。


 春の心地よい風が、繋がれた二人の手を撫でるように優しく吹き抜けていく。

 森の診療所での温かく豊かな生活は、新しい季節と新しい楽しみを迎え入れながら、どこまでも穏やかに続いていくのだった。

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