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冤罪で追放された伯爵令嬢は、森の奥の診療所で天才医師の胃袋を掴み、愛されながら幸せなスローライフを満喫します  作者: 白月つむぎ


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90 これほどまでにたくさんの星が流れるのを見たのは、生まれて初めてです

 鋭い刃物のように肌を刺していた冬の冷気が、ほんのわずかにその切先を丸め始めた頃。

 森の木々に積もった雪は自らの重みで静かに滑り落ち、空には透き通るような高い青色が広がっていた。

 季節が静かに春へと歩みを進めようとしている朝――。


 カエラムとコルネリアは、吐く息を白く染めながら診療所の裏手に広がる菜園へと足を踏み入れた。

 防寒のために厚く敷き詰めた藁の布団を優しく退けると、そこには厳しい霜の降りる夜を何度も越え、驚くほどに立派に育った小松菜が、濃緑色のうりょくしょくの葉を誇らしげに広げていた。


「まあ、なんて立派なのでしょう。葉の厚みが、植えた頃とは全く違いますわ」


 コルネリアが土に近い根本を掴んで引き抜くと、小松菜はずっしりとした生命の重みを持って応えてくれた。

 自らの身が凍りつくのを防ぐため、葉の内部に極限まで糖分を蓄え込んだ冬の葉野菜は、他の季節には決して真似のできない深い甘みと柔らかさを持っている。


「ええ。厳しい冬を耐え抜いた土の恵みですね。朝の食卓が、非常に楽しみです」


 籠いっぱいに小松菜を収穫し、二人は連れ立って診療所の中へと戻った。

 キッチンスペースに立ち、コルネリアは手際よく朝食の準備に取り掛かる。


 王都にいた頃、自身の不運体質ゆえに華やかなお茶会や夜会を避け、自室に引きこもりがちであった彼女にとって、広大な図書室に眠る膨大な書物を読み漁ることだけが外界を知るための唯一の慰めだった。

 その多種多様な書物の中から得た知識の中に、はるか遠く東方と呼ばれる国の、独特な食文化や料理の製法を記したものがあったのである。

 彼女は豊かな風味を持つ発酵調味料を用い、その書物の知識を自身の料理へと見事に昇華させていった。


 細かく刻んだ小松菜と、半月切りのにんじんを合わせた温かいお味噌汁。

 そして、数種類の乾燥させたきのこを水で戻し、その旨味が溶け出した出汁を使ってふっくらと炊き上げたきのこの炊き込みごはん。

 最後は、少量の砂糖と出汁を加えて混ぜ合わせた卵液を、熱した鉄板に薄く広げては何層にも巻き上げていく、柔らかな厚焼き卵である。


 東方伝来特有の香ばしい匂いが室内に満ち、円卓の上に彩り豊かな朝の献立が並べられた。


 カエラムが温かいお味噌汁を一口含み、そしてきのこの炊き込みごはんを口へと運ぶ。

 その瞬間――彼の丸メガネの奥にあるアンバーの瞳が、驚きと深い感銘によって大きく見開かれた。


「……素晴らしい。きのこの深い旨味がお米の一粒一粒にまで染み渡り、そこへ小松菜の自然な甘みと味噌の塩気が完璧な調和をもたらしています。厚焼き卵も、これまでに味わったことのない柔らかな口当たりですね」


 カエラムの真摯な賛辞に、コルネリアは嬉しそうにペリドットの瞳を細めた。

 彼は医師としての鋭い視点から、目前の料理をさらに褒め称える。


「味だけではありません。この小松菜には、骨を丈夫にする成分が極めて豊富に含まれています。そしてそれを、きのこに含まれる成分と一緒に摂ることで、身体への吸収率が劇的に跳ね上がるのです。栄養学的な観点から見ても、全く隙のない完璧な組み合わせですよ。書物から得た知識をここまで見事に実践できるとは、あなたはやはり、私にとって最高の魔法使いですね」


 美味しい食事と彼からの優しい言葉によって身体の芯まで温まり、二人は満ち足りた朝の時間を過ごした。


 朝食の片付けを終えると、二人は診療所の長い冬の間にやり残していた、最後の薬草仕事に取り掛かることにした。

 机の上に広げられたのは、乾燥して硬く縮れたセツリカの根である。

 この根は、雪解けの時期から春先にかけて村で流行しやすい熱病に対して、劇的な効果を発揮する特効薬の材料であった。


 しかし、空気中にわずかでも湿気が含まれていると薬効成分が変質してしまうため、一年で最も空気が冷たく乾燥している冬の終わりの時期にしか、粉末への加工作業を行うことができないのである。

 カエラムが重い乳鉢と乳棒を使い、硬いセツリカの根を微細な粉末になるまで根気よく挽いていく。


 コルネリアはその隣に座り、完成した粉薬を小さな硝子の小瓶へと丁寧に小分けにし、湿気が入らぬように密蝋でしっかりと封をしていった。

 互いの規則正しい作業の気配だけが室内に落ちる。

 長い冬を乗り越え、これから訪れる春に向けて村の人々の命を守る準備を整えていくこの時間は、二人の心に静かで確かな達成感をもたらしていた。


「……これで、すべての瓶詰めが終わりましたわ」


「お疲れ様でした、コルネリアさん。これでいつ春が訪れても、我々は万全の体制で患者を迎えることができます」


 すべての作業を終え、綺麗に並べられた小瓶を満足げに見つめ合う。


 ――そして、昼間の余韻が静かに沈み、世界が深い夜の帳に包まれた頃。

 暖炉の前で読書をしていたコルネリアの元へ、カエラムが分厚い毛布を抱えて歩み寄った。


「コルネリアさん。今夜は、冬の夜空が最後の瞬きを見せる特別な日なのです。少し冷えますが、外へご案内してもよろしいでしょうか?」


 彼からの甘い誘いに、コルネリアは不思議そうに首を傾げながらも、自身の外套を羽織って彼の手を取った。

 二人が向かったのは、診療所から少し離れた、視界を遮る木々のない開けた広場だった。


 見上げれば、雲一つない澄み切った夜空に、数え切れないほどの無数の星々が宝石箱をひっくり返したかのように輝いている。

 コルネリアがその美しさに息を呑んだ次の瞬間――夜空の端から端へ向かって、一筋の強い光が尾を引いて音もなく滑り落ちた。


「あっ……流れ星……」


 彼女の呟きに応えるように、今度は別の方向から二筋、三筋と、美しい光の矢が次々と夜空を横切っていく。

 それは、一年のある決まった時期にだけ見ることのできる、星が雨のように降り注ぐ流星群の天体ショーであった。


「冬の澄み切った空気の中で見る星降る夜は、この季節の最後の贈り物です」


 カエラムはそう囁くと、自身の着ていた大きな外套を大きく広げ、コルネリアを背後からすっぽりと包み込むようにして自身の腕の中へと招き入れた。

 彼女の身体に分厚い毛布を巻きつけ、その上から彼自身の広い胸板と強い腕でしっかりと抱きしめる。


 冬の夜の凍てつくような冷気は、彼の絶対的な体温と優しさの前に完全に遮断され、コルネリアの周囲には彼から放たれる微かな薬草の香りと、心臓の規則正しい鼓動だけが満たされていた。


「……とても綺麗ですわ。これほどまでにたくさんの星が流れるのを見たのは、生まれて初めてです」


「ええ。本当に息を呑むほどの美しさですね。人々は、流れ星が消える前に願い事をすれば、それが叶うと言い伝えています」


 カエラムの声が、耳元で甘く響く。

 コルネリアが彼の言葉に従って、目を閉じて何かを願おうとした時――。

 彼は背後から回した腕の力をわずかに強め、自身の頬を彼女のホワイトブロンドの髪に愛おしそうに擦り寄せた。


「ですが……私には、もう星に願うことなど何も残されていません」


 その言葉に、コルネリアはそっと目を開け、自身の肩に顎を乗せている彼の方へと振り返った。

 至近距離で交差する、カエラムの翡翠色の前髪と、深い情愛を湛えたアンバーの瞳。


「私がこれまでの人生で最も欲しかった奇跡は、今こうして、私の腕の中で私を見つめ返してくれていますから。あなたという存在に出会えた時点で、私のすべての願いは完全に叶えられているのですよ」


 夜空の星々さえも霞んでしまうほどの、あまりにも真っ直ぐで重い愛情の告白。

 コルネリアの胸の奥は甘い痺れに支配され、溢れ出しそうになる感情を抑えきれずに、柔らかな微笑みを浮かべた。


「先生……私の願いも、全く同じですわ。私のこれからの人生のすべての時間を、どうか先生の隣で過ごさせてくださいませ」


 彼女の返答を聞き、カエラムは彼女の顎にそっと指先を添え、ゆっくりと上向きに持ち上げた。


 ――降り注ぐ無数の星明かりの下、二人の唇が静かに重なり合う。


 それは、長く厳しい冬を共に乗り越え、互いの命と心を深く結びつけた確かな証だった。

 吐息が混ざり合い、相手の体温を自身の内側へと溶かし込んでいくような甘い口づけ。


 春の訪れをすぐそこまで感じさせる夜風が吹き抜ける中、星降る夜の特等席で抱き合う二人の姿は、これから迎える新しい季節の始まりを祝福するようにいつまでも静かで幸福な光に包まれていた。

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