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冤罪で追放された伯爵令嬢は、森の奥の診療所で天才医師の胃袋を掴み、愛されながら幸せなスローライフを満喫します  作者: 白月つむぎ


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84 この世のものとは思えないほど、美しい場所ですわ

 冬の真ん中にあたる、一年で最も空気が澄み渡る日の朝。

 森の診療所は、夜の間に降り積もった雪の重みに耐える木々の静かな気配に包まれていた。

 窓ガラスの表面には、厳しい冷気が描いた結晶の模様が複雑に絡み合い、差し込む朝の光を受けて淡い輝きを放っている。


 コルネリアが寝台から身を起こすと、隣にはすでに身支度を整えたカエラムが静かな微笑みを浮かべて立っていた。


「おはようございます、コルネリアさん。そして、お誕生日おめでとうございます」


 カエラムの声は、冬の寒さを一瞬で忘れさせるような深い温もりを帯びていた。


 彼は棚の奥から、冷たい風に耐えて力強く花を咲かせる、ごく小さな冬の野花を添えた一輪挿しを取り出し彼女の手元へとそっと置いた。

 華やかな大輪の花束でもなく、目を剥くような高価な装飾品でもない。

 ――しかし、その一輪の花には、彼が朝早くから雪を分けて彼女のために見つけ出したという、何物にも代えがたい誠実な情愛が宿っていた。


「ありがとうございます、カエラム先生。このように穏やかな朝をあなたと迎えられること、私にとっては何よりの贈り物ですわ」


 かつての王都での誕生日は、何十人もの従者に囲まれ、望んでもいない豪華なドレスに身を包み、名前も顔も知らない貴族たちからの贈り物を管理することに追われる――ひどく疲弊する一日であった。

 自身の不運を呪われ、人目を避けるように過ごしていた彼女にとって、今のこの静寂と、心から信頼する人の体温を感じられる時間はまさに奇跡のような幸福だった。


 二人は暖かい上着を羽織り、診療所の外へと踏み出した。

 新しく建てられた馬小屋の中では、美しい金のたてがみを風でなびかせながら、ファノーネが鼻を鳴らして出迎えた。


「ファノーネ、初仕事ですよ。よろしくお願いしますね」


 カエラムはファノーネの背に、防寒のための毛織りの布を何重にも敷き詰め、コルネリアを自身の前に座らせるようにしてゆっくりと跨った。


「今日は、私が王都にいた頃、唯一心を休めることができた場所へお連れしましょう。あなたの好みに合うかどうかは分かりませんが、私にとっては最も信頼できる場所なのです」


 カエラムが手綱を引くと、ファノーネは雪を踏みしめる確かな足取りで森の小道を歩き始めた。

 コルネリアは背後から支えてくれるカエラムの広い胸に身体を預け、白く染まった森の景色を眺めた。


 馬車の揺れとは異なる、生命の躍動を直接感じる移動。

 頬を打つ冷たい風さえも、今の彼女には心地よい刺激となって魂を震わせる。


 一時間ほどの旅路を経て、二人は活気あふれるユールヴェントのさらに路地裏、静かな一角に佇む一軒の店へと辿り着いた。

 使い込まれた木材の質感が温かい――野うさぎの台所という店名の看板。


 扉を開けると、そこにはかまどで薪が爆ぜる音と、人々の穏やかな話し声、そして何よりも、土の香りと野菜の甘みが混ざり合う、芳醇な空気が満ちていた。


「いらっしゃい! おや、カエラム先生じゃないか! 本当に久しぶりだね」


 店主である初老の男性――ヨーリスが、自身の大きな手のひらで腰の紐を締め直しながら、弾けるような笑顔で駆け寄ってきた。

 厨房の奥からは、温和な顔立ちの妻――エンリが、煮込み料理の湯気を纏いながら顔を覗かせた。


「先生、お元気そうで何よりです。まあ、そちらの可愛らしいお嬢さんは?」


「私の大切なパートナー、コルネリアさんです。今日は彼女の誕生日でして……あなたたちの作る、心のこもった料理を味わってほしいと思い、参りました」


 カエラムの紹介に、コルネリアは丁寧な淑女の礼を返した。

 王都で激務に追われ、他人の悪意や権力争いに心を削り取られていた若き日のカエラム。

 彼はこの店で、ヨーリスとエンリが作る飾らない料理を口にすることで、辛うじて自身の人としての心を繋ぎ止めていたのである。


 二人のために用意されたのは、贅を尽くした高級食材の並ぶ皿ではなく、地元の農家が丹精込めて育てた野菜を主役にした、素朴ながらも滋味深い田舎料理の数々だった。


 時間をかけてじっくりと煮込まれた根菜のスープは、野菜本来の強い甘みがスープ全体に溶け出し、一切の雑味がない清らかな味わいを持っていた。

 さらに、表面を香ばしく焼き上げた丸パンと、採れたての新鮮な緑黄色野菜を自家製のドレッシングで和えたサラダ。


「……美味しい。なんて、優しくて温かいお味なのでしょう」


 コルネリアは一口ごとに、その料理に込められた作り手の愛情を舌の上で感じ取った。

 王都の晩餐会で出される、見た目だけを繕った冷たい料理とは正反対の、命を慈しむための食事。


 彼女が満足そうに目を細める姿を見て、カエラムのアンバーの瞳には、かつてないほど深い安堵と喜びの色が宿った。


「気に入っていただけて、本当に良かったです。私が暗闇の中にいた頃、私を救ってくれたのはこの味でした。そして今、光の中にいる私を支えてくれているのは、他でもないあなたです」


 カエラムの誠実な告白に、コルネリアの胸の奥は甘く締め付けられた。


 ――食後の穏やかな会話を楽しみ、ヨーリス夫妻に温かな見送りをされながら、二人は再び街の喧騒を離れた。

 日が沈み、空が深い藍色に染まり始めた頃。

 カエラムはファノーネを、街の外れにある静かな森の奥へと導いた。


 辿り着いたのは、天を突くほどに巨大な一本の古木のふもとであった。

 その古木の太い枝からは、夜の冷気に冷やされた無数の水滴が凍りつき、透き通るような美しい氷柱つららが、シャンデリアのように垂れ下がっている。


 そしてその木を囲むように、冬の夜にだけ花を咲かせるという、極めて希少なフロストベルの群生が、純白の花びらを静かに開いていた。

 上空からは、雲一つない夜空に浮かぶ月の光が降り注ぎ、氷柱の一つ一つを光の粒子で満たしている。


 月光に照らされたフロストベルは、それ自身が発光しているかのように幻想的な白さを放ち、周囲には冷涼ながらもどこか甘やかな花の香りが漂っていた。


「……まあ、なんて。この世のものとは思えないほど、美しい場所ですわ」


 コルネリアはファノーネから下り、光の海の中に立ち尽くした。

 カエラムは彼女の隣に立ち、その華奢な肩を自身の大きな腕で優しく抱き寄せた。


「コルネリアさん。かつての私にとって、この日はただの通過点に過ぎませんでした。しかし、あなたと出会い、あなたが生まれてきてくれたという事実に、私は今、宇宙のすべてのことわりに感謝したいほどです」


 カエラムの声が、静まり返った森に低く響く。

 彼は彼女の正面に向き直り、ペリドットの瞳を真っ直ぐに見つめた。


「私は医者として、あなたの身体を守り、あなたの不運を私がすべて受け止めると誓いました。ですが、それ以上に……一人の男として、あなたの人生のすべてを愛し抜くことを、改めてここに誓わせてください。これからは毎年、あなたの誕生日に、あなたが望む場所へ、私が必ずお連れしましょう。あなたが望むのであれば、世界の果てまで、私はあなたの足となり、剣となり、盾となります」


 これからの人生のすべてを捧げるという――あまりにも重く、あまりにも甘い約束。

 コルネリアは溢れ出しそうになる涙を堪え、震える唇で微笑みを返した。


「先生……私の望みは、ただ、あなたの隣に居続けること。それだけで、私の人生はこれ以上のない光に満たされますわ」


 カエラムは彼女の後頭部にそっと手を添え、ゆっくりと顔を近づけていった。

 コルネリアはふわりと長い睫毛を伏せ、彼の温もりを待った。


 月光に照らされた氷柱が微かな光の屈折を見せ、周囲に咲き誇るフロストベルが二人の門出を祝うように静かに揺れる。

 重なり合った二人の唇から、互いの高鳴る鼓動と、命の熱が直接伝わり合っていく――。


 長い、長い、慈しむような口づけ。

 離れた後の二人の吐息は、冬の冷たい空気の中で白く混ざり合い、一つの幸福な記憶となって夜の静寂へと溶け込んでいった。


「愛しています、コルネリア。私の命のすべてをかけて」


「私も、心から愛しております、カエラム先生」


 氷の木の下で、フロストベルの花々に囲まれながら――。

 二人の絆は、冬の真ん中の凍てつく夜だからこそ、誰にも壊すことのできない永遠の熱を帯びてどこまでも深く結ばれたのである。

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