83 彼が一番喜ぶ草を育ててあげたいのですわ
深い冬の静寂が森の隅々にまで浸透し、診療所の周囲を囲む雪は夜の間にその厚みを増していた。
新しく完成したばかりの馬小屋の扉をカエラムが静かに開けると、中からは馬の体温が作り出した熱気がふわりと溢れ出した。
栗毛の身体を震わせ、金のたてがみを揺らしながら、ファノーネが低く鼻を鳴らして二人を出迎える。
コルネリアは冷たい空気の中でも、ファノーネの澄んだ瞳を見つめるだけで心が温まるのを感じていた。
彼女が昨日グリンダから受け取った新しいブラシを使い、彼の美しい毛並みを丁寧に梳き始めると、ファノーネは心地よさそうに目を細め、彼女の肩へと自身の大きな頭を預けてきた。
「おはよう、ファノーネ。新しいお家は暖かかったかしら?」
コルネリアの問いかけに応じるように、彼が再び鼻先を彼女の手のひらに押し付けてきた時――診療所の表の方から雪を踏みしめる軽快な足音が近づいてきた。
現れたのは厚手の毛織りの外套を纏い、両手にずっしりと重そうな麻袋を抱えたグリンダであった。
「おはようございます、カエラム先生、コルネリアさん! ファノーネ、馬小屋での初めての夜を無事に越せたみたいね」
グリンダは手にした袋を小屋の隅へと下ろし、安堵の溜息を漏らした。
カエラムがその中身を確認すると、そこには乾燥させて香りを凝縮させた上質な乾草と、粒の揃った燕麦がたっぷりと詰まっていた。
「グリンダさん、今日もわざわざ足を運んでくださり、ありがとうございます。ファノーネの食事についてですが、やはり冬の間はこの乾草と穀物が主食になるのでしょうか?」
カエラムの問いに、グリンダは専門的な知識を持つ者の顔つきで深く頷いた。
「ええ、その通りよ。冬の間、森の草は枯れてしまって、身体を温めるための栄養がほとんど残っていないの。だから、こうして夏のうちに刈り取って乾燥させた乾草や、エネルギーの高い穀物を与えないと、彼らはこの厳しい寒さを乗り切れないわ。本当なら、春に芽吹く新鮮な青草をたっぷり食べさせてあげたいのだけれど」
グリンダの言葉に、コルネリアはふと、裏庭に広がる真っ白な雪原へと視線を向けた。
「……でしたら、グリンダさん。春になったら、私たちの手でファノーネのための牧草を育てることはできませんでしょうか? 自分たちの手で耕した場所で、彼が一番喜ぶ草を育ててあげたいのですわ」
コルネリアの提案を聞き、グリンダはエメラルドの瞳を輝かせ、手を叩いて喜んだ。
「それは素敵な考えね! 先生たちが開墾してくれた菜園の隣に、ライ麦やチモシー、それに甘い香りのするクローバーを混ぜて植えましょう。それらが青々と茂る頃には、ファノーネにとってそこは世界で一番のご馳走が並ぶ草原になるはずよ」
カエラムもまたコルネリアの夢見るような表情を見つめ、アンバーの瞳を和らげた。
「良いですね。自分たちの手で育てた命を彼が食む姿を見ることができれば、それは私たちにとってもこの上ない喜びになります。春になったら、またエルマー氏の店を訪ねて、最高の牧草の種を譲ってもらうことにしましょう」
三人で春に広がるであろう、風に揺れる草の海を想像しながら冬を越えるための具体的な計画を語り合う。
――作業の一段落として、コルネリアは二人を室内へと誘った。
「外は冷え込みますわ。先生、グリンダさん。収穫したお野菜で、身体の芯から温まるお食事を用意しましたの」
診療所の中はかまどの火が放つ柔らかな熱と、食欲をそそる芳醇な香りに満たされていた。
円卓の中央に置かれたのは、大きな土鍋にたっぷりと作られた具沢山のポトフである。
先日、自分たちの手で初収穫したばかりの瑞々しい大根とカブが、大きな塊のままゴロゴロと入っている。
そこへタツィオから贈られた、香ばしい薫煙の香りを纏った燻製肉を厚切りにして加え、時間をかけてじっくりと煮込んだものである。
さらに、グリンダが届けてくれたばかりのミルクのコクを活かした、香ばしいライ麦の黒パンも添えられていた。
「さあ、いただきましょう」
カエラムの声と共に、三人は熱々のポトフを口へと運んだ。
大根とカブは口に含んだ瞬間に繊維が解け、野菜本来の驚くほどの甘みが溢れ出した。
そこへ、燻製肉から溶け出した濃厚な脂の旨味と塩気が隙間なく染み込み、滋味深い出汁の味わいが喉の奥を温めながら通り抜けていく。
「……なんて美味しいのでしょう。自分たちで育てたお野菜が、これほどまでに豊かな味を届けてくれるなんて」
「ええ。厳しい寒さに耐えたからこその、凝縮された生命の味ですね。タツィオ君の燻製肉との相性も、これ以上ないほど完璧です」
カエラムが賛辞を送り、ライ麦の黒パンをスープに浸して口に運ぶ。
ライ麦特有の微かな酸味と香ばしさがポトフの濃厚な旨味を受け止め、噛み締めるごとに冬を生き抜くための確かな活力が身体の隅々にまで行き渡っていくのを感じた。
「本当、コルネリアさんの料理は最高だわ! 牧場のみんなにも食べさせてあげたいくらい。ファノーネも、こんなに温かい人たちに囲まれて、本当に幸せ者ね」
グリンダが弾けるような笑顔でスープを飲み干す様子を見て、コルネリアの胸の奥は満足感で満たされていった。
窓の外では依然として音もなく雪が降り積もり、世界を深い白へと塗り替えている。
しかし、ランプの柔らかな光に照らされた診療所の中では、昨日届いたばかりの乾草の芳しさと、熱々のスープから立ち昇る湯気。
そして、新しく迎えた家族の未来を語り合う、人々の温かな声が響いていた。
「春になったら、ファノーネを連れてその草原を歩きましょう。その日を、私は今から心待ちにしていますよ」
カエラムがコルネリアの手の上に自身の手を優しく重ね、静かに囁く。
彼からの深い信頼と情愛に満ちた眼差しを受け、コルネリアは花が綻ぶような微笑みを返した。
乾草の蓄えを確かめ、春に芽吹くライ麦の草原を夢見て――。
森の診療所に新しく加わったファノーネという名の光は、二人の生活にこれまで知らなかったほどの豊かな広がりと、冬の寒さを一切寄せ付けないどこまでも穏やかで幸福な希望を運んできていた。
食事を終えた三人は再び小屋へと戻り、ファノーネの身体を優しく撫でながら、静かに更けゆく冬の一日を惜しむようにして穏やかな時間の流れを分かち合い続けた。




