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冤罪で追放された伯爵令嬢は、森の奥の診療所で天才医師の胃袋を掴み、愛されながら幸せなスローライフを満喫します  作者: 白月つむぎ


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72 新しい、素敵なご縁が結ばれたようですね

 森の木々が完全にその葉を落とし、踏みしめる大地が冬の冷たい硬さを帯び始めた季節。

 凍てつくような風が通り抜ける外の空気とは対照的に、診療所の中はかまどの火によって心地よい温もりに満たされていた。


 昼下がりの穏やかな時間。

 カエラムとコルネリアは円卓に向かい合って座り、冬の間に使用する乾燥薬草の仕分け作業を並んで行っていた。

 コルネリアは籠の中から取り出した特定の香草の束を見つめ、ふとペリドットの瞳を細めて柔らかな微笑みをこぼした。


「先生。この香草の香りを感じるたびに、先日裏庭に現れた巨大なお牛様と、牧場で働いているという嵐のように元気なお嬢さんのことを思い出してしまいますわ」


 彼女の言葉にカエラムもまた手元の作業を止め、丸メガネの奥のアンバーの瞳に穏やかな光を宿した。


「ええ。サンディーという名の牛と、グリンダさんでしたね。私があなたを庇って巨大な牛の前に立ち塞がったというのに、彼女はあっさりと牛の首に抱きつき、とびきり美味しい手作りのチーズを置いて風のように去っていきました。この森の診療所には、本当に個性豊かで生命力に溢れた方々が引き寄せられてきますね」


 カエラムが冗談めかして唇の端を吊り上げると、コルネリアも楽しそうに声を立てて笑った。

 かつて孤独と不運に苛まれていた彼女の日常は、今や彼という恋人の存在と、この場所に集う人々との温かい交流によって、彩り豊かなものへと完全に生まれ変わっていたのである。


 二人が過去の賑やかな来訪者の思い出に花を咲かせていた――まさにその時。

 森の奥深くから、空気を切り裂くような重く苦痛に満ちた獣の叫び声が、診療所の窓を震わせて響き渡った。


「……今のは、ただの野生動物の鳴き声ではありません。尋常ではない苦痛を感じています」


 カエラムが即座に立ち上がり、コルネリアを自身の背後へと庇うようにして入り口の扉へと鋭い視線を向けた。

 ――その直後。

 診療所の分厚い木の扉が、外側から乱暴なまでの勢いで押し開かれた。


「カエラム先生! コルネリアさん! 助けてくれ!!」


 悲痛な叫び声と共に転がり込んできたのは、森の若き狩人であるタツィオだった。

 彼の顔面は完全に血の気を失って蒼白になっており、その背中には右腕から大量の血を流して意識を失いかけている一人の少女が背負われている。


 そして彼らの背後には、太い前脚から血を流し、痛々しく足を引きずりながら付き従う巨大な牛――サンディーの姿があった。


「タツィオ君! そのお嬢さんは……グリンダさんですね! すぐに窓際の診察台へ!」


 負傷者の顔を視界に捉えた瞬間、カエラムは瞬時に的確な指示を飛ばした。

 コルネリアもまた、すぐさま止血用の清潔な布と薬液、そして縫合に必要な器具一式を盆の上に乗せて二人の傍へと駆け寄った。


 タツィオは震える腕でグリンダを診察台へと横たえ、自身の衣服を強く握りしめながら、懺悔するように早口で事の経緯を語り始めた。


「俺のせいだ……! 冬の獲物を仕留めるために、俺が獣道に隠して仕掛けた大型獣用の鉄の罠を、迷い込んできたあの牛が踏み抜いちまったんだ。牛の鳴き声を聞きつけて彼女が駆けつけ、素手で強固な鉄のバネをこじ開けようとして……弾き返された罠の刃が、彼女の腕を深く切り裂いた」


 タツィオの言葉から、森の奥で起きた惨劇の全容が明らかになる。

 愛する牛を救いたい一心で、少女は己の危険を顧みずに強靭な鉄の塊に挑み、そして深く傷ついてしまったのだ。

 タツィオが駆けつけ、専用の鉄の梃子てこを使ってようやく罠を解体したが、彼女の傷は深く、出血は素人の応急処置では限界を迎えていた。


「自分を責める必要はありませんよ、タツィオ君。あなたが迅速に彼女をここまで運んできたことで、命を繋ぐための時間が確保されたのですから。コルネリアさん、傷口の洗浄を。すぐに縫合に移ります」


 カエラムはタツィオが巻きつけていた応急処置の布を慎重に解き、傷の深さを見極めた。

 刃は筋肉の深くまで達していたが、幸いにも命に関わる太い血管は奇跡的に逸れていた。


 カエラムは局所的な痛みを奪う薬液を傷口の周囲に施し、細い針と糸を手にする。

 長年の経験に裏打ちされた無駄のないしなやかな指先が、開いた皮膚を丁寧に縫い合わせていく。


 コルネリアは彼が次に必要とする器具を完全に予測し、彼の手元へと流れるように手渡していった。

 溢れ出る血を拭い、術野じゅつやを常に鮮明に保つ。


 命を救うというただ一つの目的のために極限まで研ぎ澄まされた二人の連携は、見守るタツィオが息を呑むほどに美しいものだった。


 グリンダの腕の縫合が無事に終わり、分厚い清潔な包帯が巻かれる。

 続いてカエラムは裏庭に繋がれたサンディーの元へ向かい、前脚の診察を行った。

 巨大な獣特有の分厚い皮膚と筋肉が盾となり、罠の刃は骨まで達しておらず、化膿を防ぐ強力な軟膏を厚く塗り込むことで事なきを得た。


 ――すべての処置を終え、カエラムが手洗いを済ませて診療所の中へと戻ってきた頃には、診察台に横たわるグリンダの顔に少しずつ本来の健康的な血色が戻り始めていた。


「……ん……サンディーは……?」


 薬の影響で微睡んでいたグリンダが、ゆっくりとエメラルドの瞳を開けて呟いた。

 その弱々しい声を聞くや否や、部屋の隅で己の不注意を呪うように項垂れていたタツィオが、弾かれたように診察台の傍へと駆け寄った。


「あんたの牛なら無事だ……! 足の骨には異常がないって、先生が治療してくれた」


 タツィオは自身の大きな手を固く握りしめ、ひどく申し訳なさそうに眉を下げて彼女を見下ろした。


「本当に、すまなかった。俺が仕掛けた罠のせいで、あんたの牛を傷つけ、あんたにまでこんな酷い怪我を負わせて……狩りのための正当な道具とはいえ、人が怪我をするなんて、あってはならないことだ。どんなに恨まれても仕方がない」


 深く頭を下げ、声の震えを必死に押し殺すタツィオ。

 しかし、グリンダは痛む右腕を庇いながらも、少しだけ身を起こして彼に向かって穏やかな微笑みを向けた。


「頭を上げてよ。狩人の人が、森の奥の獣道に罠を仕掛けるのは当たり前の仕事じゃない。私がサンディーから目を離して逃がしてしまったのが一番悪いし、罠の仕組みも知らないのに、素手で無理やり開けようとした私が馬鹿だっただけよ」


 グリンダは自身の軽率な行動を恥じるように小さく舌を出し、それから真っ直ぐに彼を見つめ返した。


「それに、血だらけの私を背負って、ここまで全力で走ってくれたんでしょ? サンディーの罠を外して、私を助けてくれて、本当にありがとう。私は、丘の向こうの牧場で働いているグリンダ。あなたは?」


「俺は、タツィオだ。森で狩りをして暮らしてる」


「タツィオね。うん、覚えた! 腕が治ったら、お詫びとお礼も兼ねて、うちの牧場で一番美味しいチーズを持っていくからね」


 彼女のあまりにも快活で、一切の恨み言を含まない裏表のない言葉。

 タツィオは呆気に取られたように瞬きを繰り返し、やがて憑き物が完全に落ちたように安堵の息を吐き出した。


「ああ……あんたが元気になってくれて、本当によかった」


 タツィオの日焼けした顔にようやく微かな笑みが戻ったのを確信し、少し離れた場所からその様子を見守っていたカエラムとコルネリアも、同時に安堵の微笑みを交わした。


「新しい、素敵なご縁が結ばれたようですね」


 コルネリアが嬉しそうに囁き、隣に立つ彼を見上げる。

 カエラムもまた、丸メガネの位置を指先でそっと直し、深い愛情を込めた眼差しで彼女を見つめ返した。


「ええ。不運な事故ではありましたが……互いを思いやり、素直に言葉を交わすことができる彼らなら、きっと良い関係を築いていけるでしょう」


 カエラムは自身の左手を伸ばし、コルネリアの小さな手を優しく握りしめた。

 彼の手から伝わる温もりが、張り詰めていた彼女の心をゆっくりと解きほぐしていく。


「あなたが彼らの傷を手当てする私の傍で、常に完璧な助け舟を出してくれるからこそ……私はこうして、新たな命の繋がりを見守ることができるのです。今日も、本当に助かりましたよ」


 彼からの真っ直ぐな賞賛の言葉に、コルネリアは頬を微かに朱色に染め、握られた手に自身の体温を静かに預けた。


 窓の外では、秋の夕暮れが森の木々を深い茜色に染め上げ、夜の静寂が少しずつ周囲を包み込もうとしていた。

 タツィオとグリンダがこれから紡いでいくであろう新しい絆の始まりを優しく見守りながら、診療所の中に流れる時間は、互いの存在を深く必要とし合う二人の温かな情愛とともに、穏やかで平和な余韻に満たされていた。

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