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7 私としたことが、なんというはしたないことを……!

「マルタさん、お気をつけて。足元がまだ滑りやすいですから」


「ありがとうね、コルネリアさん。カエラム先生も、本当に命の恩人だよ」


 すっかり顔色も良くなり、元の穏やかな笑顔を取り戻したマルタが、何度も深く頭を下げた。

 迎えに来た村の青年も、安堵と感謝の表情を浮かべている。


「これは村の皆からの、ほんの気持ちです。どうか受け取ってください」


 青年が差し出したのは、丁寧に編み込まれた大きな厚手のブランケットと、小瓶にたっぷりと詰められた森の果実の自家製ジャムだった。

 カエラムはありがたくそれを受け取り、マルタの体調管理についていくつかの注意点を青年に伝えた。


 二人が森の奥へと続く道をゆっくりと帰っていく後ろ姿を、カエラムとコルネリアは並んで見送った。


「無事に回復されて、本当に良かったですね」


「ええ。あなたの迅速で的確な手助けがあったからです。最高の助手ですよ」


 カエラムの褒め言葉に、コルネリアは控えめに微笑んだ。

 嵐のような数日が過ぎ去り、診療所には再び穏やかな日常の空気が戻ってきていた。


「さて、大きな治療も終わりましたし、そろそろお昼ご飯にいたしましょう。いただいたばかりのジャムもありますから」


 コルネリアがキッチンカウンターへ向かうと、カエラムも白衣の袖をまくり上げながら後に続いた。


「私も手伝いますよ。助手ばかりに負担をかけるわけにはいきませんからね」


 意気込むカエラムの姿にコルネリアは一抹の不安を覚えたが、せっかくの好意を無下にするわけにもいかない。


「では、こちらの野菜を水で洗っていただけますか?」


「お任せください」


 カエラムは真剣な表情で桶の前に立ったが、その手つきはやはりどこかぎこちない。

 医療用のメスを握る時には寸分の狂いもない神業を見せるというのに、ただの葉物野菜を洗うだけでどうしてここまで周囲を水浸しにできるのだろうか。


 さらに彼は火の前に立つと、薪の配置や空気の通り道を学術的に計算し始め、一向に火が起こる気配がない。

 一生懸命なのだということは痛いほど伝わってくる。

 コルネリアはため息をつく代わりに、ふんわりとした柔らかい笑みを浮かべた。


「先生。その計算は完璧だと思いますが、お腹が空いて倒れてしまいそうなので、あとは私が引き継ぎますね。先生はそちらの椅子に座って、少し休んでいてくださいな」


「む……やはり、料理という分野は人間の身体よりも複雑怪奇ですね。申し訳ありません、お言葉に甘えます」


 少しだけ肩を落として椅子に座るカエラムの背中を見つめながら、コルネリアは慣れた手つきで調理を進めた。


 患者ではなく助手として、この診療所で彼を支える。

 その事実が、コルネリアの心を温かな充実感で満たしていた。


 やがて、香ばしく焼き上げられたパンと、野菜をたっぷりと使った温かいスープが机の上に並べられた。

 村の青年からいただいたジャムをパンに塗って口に運ぶと、果実の濃厚な甘みと爽やかな酸味が広がり、疲れ切った身体に染み渡っていく。


「このジャム、とても美味しいですね。先生も、たくさん召し上がってください」


「ええ、本当に……あなたが作ってくれる食事は、いつも素晴らしい」


 向かい合って食事をとるその時間は、王都の豪華な晩餐では決して味わえなかった、心からの安らぎに満ちていた。


 ――そして、夜。

 窓の外には星が瞬き、診療所の中はランプの柔らかな灯りに包まれていた。


 コルネリアは、一日を終えて就寝の準備を整えながら、ふと重要な事実に気がついた。

 部屋の隅にある、たった一つの寝台。

 これまでは自分が重傷の患者であったため、当然のようにそれを使用させてもらっていた。


 しかし、怪我はすでに完治し、正式にカエラムの助手としてこの場所に留まることになったのだ。

 患者ではない自分が、いつまでも唯一の寝台を独占するわけにはいかない。

 しかも、相手は自分よりもずっと年上で、毎日誰かの命を救うために神経をすり減らしている立派な大人の男性なのだ。


「あの、先生。今夜から、寝台は先生がお使いになってください。私はすっかり元気になりましたし、助手である私が寝台を占領するのは筋が通りませんから」


 コルネリアが申し出ると、本を読んでいたカエラムは驚いたように顔を上げた。


「何を言っているのですか。いくら怪我が治ったとはいえ、女性を硬い床や椅子で寝かせるわけにはいきません。寝台は引き続き、あなたが使ってください」


「ですが、先生は私よりずっと年上でいらっしゃいますし、毎日お疲れでしょう? これ以上の無理は禁物です。私が椅子で休みます」


「私など、どこでも眠れる特異体質のようなものですから、お気になさらず。さあ、夜も更けましたし、横になってください」


 お互いに相手を思いやるあまり、平行線のまま言葉の応酬が続いた。

 カエラムは断固として椅子から動こうとせず、コルネリアもまた、恩人から寝台を奪うことに強い抵抗を感じていた。


(どうにかして、先生にもゆっくりと休んでいただきたいのに……)


 コルネリアは真剣に悩んだ。

 そして、持ち前の純粋な優しさと、王都の貴族社会の悪意に触れながらも失われなかった生来の天然さが、唐突にある提案を導き出してしまった。


「それなら……一つの寝台を、一緒に使いましょうか? 少し狭いかもしれませんが、二人とも椅子で寝るよりは、ずっと疲れが取れると思いますし……」


 言葉が空気に触れた瞬間――室内の時間がぴたりと止まった。

 静寂の中、コルネリアは自分が口にした提案の意味を、頭の中で反芻はんすうした。


 一つの寝台で、一緒に眠る。

 それはつまり、大人の男性であるカエラムと、身体を寄せ合って朝まで過ごすということに他ならない。


 怪我人に対する治療行為でもなく、緊急事態でもない。

 平和な日常の夜に、である。


 遅れてやってきた羞恥心が、コルネリアの全身を一気に駆け巡った。

 顔から火が出るほど真っ赤になり、ペリドットの瞳は激しく左右に揺れ動いている。


「あ、あの! ち、違います、そういう意味ではなくて! 純粋に、休息の効率を考えただけで……! 私としたことが、なんというはしたないことを……!」


 両手で顔を覆い隠すコルネリアの前で、カエラムもまた完全に冷静さを失っていた。

 普段はどんな重傷患者を前にしても微動だにしない彼が、今は椅子から立ち上がり、行き場のない視線を天井や床へと激しく彷徨わせている。

 その端正な顔立ちは耳の先まで朱に染まり、明らかな動揺が全身から滲み出ていた。


「い、いえ! お気になさらず! あなたの優しさは、その、とても痛いほど伝わりましたから! ですが、私のような歳の離れた男が、うら若き女性と同じ寝台で休むなど、倫理的にも、道徳的にも、そして私自身の理性という観点からも、決してあってはならないことで……!」


 早口で捲し立てるカエラムの姿は、名医の威厳など見る影もなかった。

 分別ある大人としての余裕は完全に崩れ去り、ただの狼狽する一人の男と化している。


「ですから、今夜は! これがありますから!」


 カエラムは藁にもすがる思いで、昼間に村の青年から受け取ったばかりの手編みのブランケットを両手で強く抱きしめた。


「このブランケットは信じられないほど温かいです! これさえあれば、私は椅子の上でも極上の睡眠を得ることができます。むしろ、寝台よりも快適かもしれません! だから、どうかあなたは寝台を使ってください!」


 必死すぎる言い訳に、コルネリアは顔を覆っていた指の隙間から、そっとカエラムを見た。

 これ以上彼を困らせるのも申し訳なくなり、コルネリアは小さく頷いた。


「……分かりました。そこまで仰るなら、今夜も私がお言葉に甘えさせていただきます。本当に、ごめんなさい……」


「謝る必要などありません……ただ」


 カエラムは咳払いをして、どうにか呼吸を整えようと努めた。

 それでも、彼の顔に浮かんだ熱はすぐには引きそうになかった。


「……明日。街へ、寝台をもう一つ買いに行きましょう。助手のための、専用の寝台を」


 カエラムの言葉に、コルネリアはゆっくりと顔を上げた。

 新しい寝台を買う。

 それは、この診療所での彼女の居場所が、より確固たるものになるという証明でもあった。


 恥ずかしさの余韻に包まれながらも、コルネリアの胸の奥にはじんわりとした温かい喜びが広がっていく。


「はい……明日、一緒に選びに行きましょうね」


 はにかみながら答えたコルネリアの笑顔を見て、カエラムもまた、照れ隠しのように目元を手で覆った。


 ランプの灯りが優しく揺れる中、二人はこれからの共同生活に向けた新しい約束に、ささやかな幸せを感じていた。

 初夏の夜は、どこまでも穏やかに深まっていく。

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