66 先生と一緒にいただくお食事が、私にとって一番の魔法です
厳しい夏の暑さが完全に息を潜め、森を吹き抜ける風が心地よい涼やかさを運んでくる季節。
見上げる空はどこまでも高く澄み渡り、深い緑に覆われていた森の木々も少しずつその葉の先を鮮やかな赤や黄色へと染め変えようとしていた。
本格的な寒さが訪れる前に、冬の間を乗り越えるための薬草や香草の根を乾燥させて備蓄しておく必要がある。
カエラムとコルネリアは、二人で大きな蔓草の籠を持ち、連れ立って秋の気配が色濃くなり始めた森の奥へと足を踏み入れていた。
乾いた落ち葉を踏みしめながら、冬の保存薬となる太い根を持つ植物を慎重に掘り起こしていく。
しばらく作業を続けていたコルネリアのペリドットの瞳が、ふと、頭上の木の枝に絡みつく蔓草に連なっている、緑や茶色の小さな丸い粒の群れを捉えた。
「あ……先生、見てくださいませ。蔓にたくさんのムカゴが実っていますわ」
ムカゴとは、山芋などの蔓草の葉の付け根にできる小さな球芽であり、火を通すと独特の粘り気とほのかな甘みを持つ、森の素朴な秋の味覚である。
コルネリアが嬉しそうに籠の中へとムカゴを集め始めると、本来の目的であった薬草採取は、いつの間にか二人だけの秋の宝探しへと変わっていった。
「コルネリアさん。あちらには、アケビが実っていますよ」
少し離れた場所を歩いていたカエラムが、自身の頭上を指差した。
そこには、薄紫色の果皮が熟して自然に口を開き、中に詰まった半透明の果肉を覗かせているアケビの果実がいくつもぶら下がっていた。
背の高いカエラムが腕を伸ばして最も大きく熟した果実をもぎ取ると、彼はそれを自身の指先で割り開き、中の瑞々しい果肉だけを器用に取り出した。
「とても甘い香りがします。毒はありませんから、少し味見をしてみますか?」
「よろしいのですか? いただきます」
カエラムが差し出した指先から、コルネリアは少しだけ身を乗り出して直接その果肉を口に含んだ。
瞬間――とろけるような極上の甘みが口いっぱいに広がる。
「……とても甘くて、美味しいですわ」
彼女が花が綻ぶような笑顔を向けると、カエラムは自身の指先に残った甘い香りを愛おしそうに拭い、アンバーの瞳を優しく和らげた。
さらに森の奥へ進むと、今度は足元に鋭い棘を持ついが栗がいくつも落ちているのを発見した。
「私が開きますから、あなたは中の実だけを拾ってください。不用意に触ると指を怪我してしまいますからね」
カエラムは彼女を制止し、自身の分厚い革靴の底を使って、いがの両端を器用に踏み開いていく。
彼のエスコートのおかげでコルネリアは一切怪我をすることなく、いがの中から顔を出した艶やかな茶色の栗だけを籠へと集めることができた。
栗の木のすぐ近くにある湿った倒木には、肉厚で香りの強い秋の茸が群生しており、それらも根元から丁寧に採取していく。
帰り道、少し視界が開けた場所で夕日のように鮮やかな橙色に熟した柿の木を見つけ、それらもたっぷりと収穫した頃には二人の持つ大きな籠は秋の豊かな恵みでずっしりと重くなっていた。
森の冷気が強まる前に診療所へと戻った二人は、早速、収穫したばかりの食材の処理に取り掛かる。
円卓の上には、大量の栗が山積みにされていた。
栗は美味しい反面、外側の硬い鬼皮と、実に張り付いた渋皮を剥く作業が極めて難儀である。
コルネリアが小さな刃物を取り出し、少しの気合を入れて作業を始めようとしたその時――カエラムが彼女の手から刃物を優しく取り上げた。
「栗の皮剥きは、私に任せてください」
「え……? ですが先生、栗の皮はとても硬くて滑りやすいのです。先生の大切な手を怪我されては大変ですから、私がやりますわ」
コルネリアが慌てて止めようとするのも無理はなかった。
カエラムは王都で名の知れた優秀な医者であったが、この森に来た当初は、かまどに上手く火をつけることも、お湯を沸かすこともほぼできないほど、生活能力が欠如していたのである。
刃物を持たせるなど、少し前の彼女であれば絶対に許可しなかっただろう。
――しかし、カエラムは自信に満ちた穏やかな微笑みを浮かべ、刃物の柄をしっかりと握り直した。
「心配には及びませんよ。これまで私は毎日あなたが台所で作業をするその美しい手元を、誰よりも近くで見つめてきましたからね」
そう言うや否や、カエラムは小刀の刃先を栗の鬼皮の底に滑り込ませた。
医療器具を扱うための、一切のブレを持たない指先。
その驚異的な正確さと、コルネリアの家事の所作から学び取った刃の角度と力加減が見事に融合し、硬い鬼皮が音を立てて滑らかに剥がれ落ちていく。
さらに彼は、実に密着している渋皮の薄い層の隙間だけを完璧に見極め、黄色い栗の身を傷つけることなく、薄皮一枚を綺麗に削ぎ落としてみせたのである。
「まあ……! なんて見事な手つきなのでしょう。私が剥くよりもずっとお早くて、お綺麗ですわ」
「外科医としての指先の感覚が、まさかこのような形で役立つとは思いませんでしたが……あなたから学んだ生活の知恵が、私の腕を育ててくれたのです」
自身の不器用さを自覚し、かつては家事のすべてを彼女に任せきりであった彼が――。
今こうして、彼女を少しでも助けたいという深い愛情と日々の観察によって、生活の技術を見事に習得している。
その事実がたまらなく嬉しくて、コルネリアは胸の奥にじんわりとした温かいものが広がるのを感じながら、彼が綺麗に剥いてくれた栗を受け取った。
下処理が完璧に終わった食材たちを使い、コルネリアはかまどに火を入れて秋の夕食を作り始める。
大鍋にお米と出汁を張り、カエラムが剥いてくれたたっぷりの栗と、森で拾った小さなムカゴをふんだんに混ぜ込んで火にかける。
隣の小さめのかまどでは、倒木から採取した肉厚の茸を細かく裂き、秋の香草と共に煮込んでいく。
やがて、診療所の中には、お米がふっくらと炊き上がる芳醇な蒸気の匂いと、茸が持つ土の豊かな香りが混ざり合い、この上なく食欲をそそる空気が充満し始めた。
「先生、お夕食の準備が整いましたわ」
円卓に並べられたのは、黄金色の栗と緑色のムカゴが鮮やかな彩りを添える炊き込みご飯。
そして、茸の旨味が濃厚に溶け出した、湯気を立てる温かい汁物である。
向かい合って座り、二人は手を合わせて秋の味覚を口に運んだ。
「……信じられないほど、美味しいですね。栗は芯まで柔らかく熱を帯びて甘く、ムカゴの独特の風味が、ご飯の旨味を一層引き立てています」
カエラムが感嘆の息を漏らし、丸メガネの奥の瞳を深く和らげる。
「茸の汁物も、絶品ですわ。森の奥深い香りがお出汁に溶け込んでいて、少し冷えたお身体の芯まで温めてくれます」
コルネリアもまた、汁物を口に運びながら、幸福感に満ちた笑顔を咲かせた。
カエラムが完璧な手つきで剥いてくれたからこそ、栗は煮崩れることなく、その美しい形と甘みを最大限に保っていた。
彼のエスコートと手助けがあったからこそ完成した、二人で作った食卓だった。
食後には、森の入り口で収穫した熟した柿を切り分けていただく。
濃密な自然の甘みが口の中に広がり、秋という季節の豊かさを最後まで味わい尽くすことができた。
ランプの柔らかな灯りが、食事を終えて満ち足りた表情を浮かべる二人の姿を優しく照らし出している。
カエラムは温かい薬草茶の入った湯呑みを手に取り、円卓越しにコルネリアを真っ直ぐに見つめた。
「厳しい冬を前に、これほどまでに豊かで温かい秋を味わえるのは……あなたが私の日常と、この単調だった食卓に、特別な魔法をかけ続けてくれているからです」
彼からの真っ直ぐで甘い賞賛の言葉に、コルネリアは頬を微かに朱色に染め、照れ隠しのように自身の湯呑みを両手で包み込んだ。
「私も……先生がいつも私を守り、助けてくださるから、こうして毎日安心してお料理を作ることができるのですわ。先生と一緒にいただくお食事が、私にとって一番の魔法です」
秋の冷たい夜風が、窓の外の木々を静かに揺らしている。
しかし、診療所の中に流れる時間は、二人で収穫し、共に作り上げた実りの喜びと、互いを思いやる深い愛情の熱に満たされながら――いつまでも穏やかで甘やかな余韻に包まれていた。




