60 これからもあのお野菜のように色鮮やかで、明るいものでありますように
深い森の木々の隙間から朝の清々しい陽光が斜めに差し込み、診療所の中を優しく照らし出していた。
開け放たれた窓からは夏の朝特有の涼やかな風が吹き込み、新しい一日の始まりを穏やかに告げている。
窓際の寝台では、昨日過労と栄養失調で倒れ込んで運ばれてきたニコの母親――トリナが、すっかり自身の足でしっかりと立ち上がっていた。
一晩の十分な休息と、コルネリアが丹精を込めて作った栄養満点のスープのおかげで彼女の蒼白だった頬には健康的な血色が戻り、後ろで一つに結ばれた茶色の長い髪も本来の艶やかな美しさを取り戻している。
「カエラム先生、コルネリアさん……本当に、何とお礼を申し上げたらよいか。お二人がいなければ、私はどうなっていたことか……」
トリナは目に涙を浮かべながら、二人の前で深く、何度も頭を下げた。
その傍らでは、母親の回復を誰よりも喜ぶニコが、彼女の衣服の裾を両手でしっかりと握りしめ空色の瞳を安心感でいっぱいに潤ませていた。
そして、トリナのすぐ隣には昨日彼女を荷車で運び込み、一晩中付き添ってくれていた老婦人のマルタが深い安堵の息を吐き出して立っていた。
「どうか頭を上げてください、トリナさん。あなたはご自身とニコ君の生活を守るために、ご自身の限界を超えて働きすぎてしまっただけです。母親としてのあなたのその強い愛情には、私も深く敬意を表します」
カエラムは穏やかな声で語りかけ、丸メガネの奥のアンバーの瞳を和らげた。
「ですが、あなたが倒れてしまえば、ニコ君はたった一人になってしまいます。どうかこれからは、ニコ君のためにも、ご自身のお身体を一番に労わってあげてくださいね」
「はい……! 本当に、ご迷惑をおかけいたしました。これからは、絶対に無理はいたしません」
トリナが涙を拭って力強く頷くと、隣に立つマルタが力強い手つきでトリナの背中を撫でた。
「そうさ。この子は昔から、何でも一人で抱え込もうとしすぎるんだ。出稼ぎの旦那さんに心配をかけまいとする気持ちは立派だけれど、これからはもっと私を頼るんだよ。一人で倒れられるより、少しばかり世話を焼かされる方が、私にとってもずっと嬉しいんだからね」
マルタの慈愛に満ちた言葉に、トリナは再びぽろぽろと涙をこぼし、「ありがとうございます、マルタさん」と感謝の言葉を紡いだ。
そこへ、奥の居住区画から、コルネリアが大きな蔓草の籠を両手で抱えて歩み出てきた。
籠の上には清潔な白い布がふわりと掛けられており、そこから焼きたての小麦の香ばしい匂いが室内に優しく広がっていく。
「トリナさん。病み上がりのお身体で、すぐに家事をするのはお辛いでしょう。本日は、お家のかまどの火はお休みになさってくださいな。皆様で召し上がっていただけるよう、お昼のお食事をご用意いたしました」
コルネリアが籠を差し出すと、トリナは驚きに目を丸くし、慌てて両手を振った。
「そ、そんな! 命を救っていただいた上に、お食事までいただくなんて……!」
「どうか、遠慮なさらないでくださいな。これは私からの、ささやかなお見舞いですから。荷物になりますから、マルタさん、籠をお願いできますか?」
コルネリアが微笑みながらマルタへ籠を渡すと、マルタは「本当に何から何まで、ありがたいねえ」と目を細め、籠の上の布を少しだけめくった。
中には大きく切り分けられた、色鮮やかな断面を持つ分厚いサンドイッチがたっぷりと詰め込まれていた。
それは、森の香草と共に柔らかく焼き上げた厚切りの鶏肉と、かまどの熱でじっくりと甘みを引き出した薄切りの人参、そして瑞々しく新鮮な葉野菜を、朝一番で焼き上げた柔らかいパンで挟み込んだ特製のサンドイッチだった。
疲労回復に効果のある鶏肉と、彩り豊かな野菜の組み合わせは、見るだけで食欲を強く刺激してくる。
その見事なご馳走を視界に捉えた瞬間、ニコと一緒に迎えに来ていた親友のラケルとルーシーが、同時に感嘆の声を上げた。
「わあ……! すっごく美味しそう! あたし、お腹空いちゃった!」
ルーシーがルビーの瞳を輝かせ、背中で一つに編み込んだ桃色の髪を弾ませる。
ラケルもまた、おっとりとした口調の中に隠しきれない期待を滲ませた。
「僕も……! 早く森の木陰で、みんなで食べたいなぁ」
子供たちの無邪気な反応に、診療所の中に温かな笑いがこぼれる。
しかし、ニコだけはすぐにはサンドイッチに飛びつかず、真剣な表情でカエラムの前へと歩み出た。
「先生。俺、決めたんだ」
ニコの空色の瞳には、昨日までの幼い涙の痕跡は消え去り、小さな男としての確かな決意が宿っていた。
「お母さんに、もう絶対に無理させないように……俺、これからは家の手伝いをもっといっぱいする! 薪も拾うし、水も汲む。先生みたいに、大切な人をちゃんと守れるくらい……強くてかっこいい男になるんだ!」
少年の力強い宣言。
その頼もしい背中を見つめ、トリナの目から再び、今度は深い喜びと感動の涙がとめどなく溢れ出した。
カエラムはニコの目線に合わせて静かに膝をつき、彼の茶色い髪を大きな手で優しく撫でた。
「ええ。今のあなたなら、きっと立派なお母様の助けになれますよ。期待しています、ニコ君」
カエラムからの真っ直ぐな承認を受け、ニコは顔を真っ赤にして、照れ隠しのように「おうっ!」と元気よく返事をした。
何度も振り返りながら感謝を告げるトリナたちを見送った後――。
夏の太陽が高く昇り始めた森の道を、マルタに付き添われた親子と子供たちの賑やかな一行が歩いていた。
彼らは森の中腹にある、枝葉を大きく広げた広葉樹の木陰を見つけると、そこに腰を下ろしてコルネリアの籠を開いた。
それぞれが分厚いサンドイッチを手に取り、大きく口を開けて夢中で頬張る。
「おいしいっ! お肉がすっごく柔らかい!」
「人参も、お菓子みたいに甘いよ。コルネリアさんの料理は、やっぱり世界一だね」
ニコとラケルが顔を見合わせて笑い合い、ルーシーも両手でパンを大事そうに持ちながら満面の笑みを咲かせている。
トリナもまたマルタと並んで腰を下ろし、自身の分のサンドイッチを一口味わうと、その深い美味しさにゆっくりと目を閉じた。
香ばしい鶏肉の旨味と、野菜の甘みが、回復したばかりの身体の隅々へと染み渡っていく。
それと同時に、コルネリアの細やかな気遣いと、カエラムの温かい庇護、マルタの心強い支え、そして息子と友人たちの笑顔が、彼女の心にあった孤独と不安を完全に溶かし去っていった。
夫が不在の過酷な貧民区での生活。
夜遅くまでわずかな灯りを頼りに針仕事をし、一人で息子を育て上げなければならないという重圧に押し潰されそうになっていたけれど……自分は決して一人ではなかったのだ。
助けを求めた時に手を差し伸べてくれる温かい人々が、この森には確かに存在している。
「……ふふっ。本当に、美味しいわね」
木漏れ日が降り注ぐ森の木陰で、トリナは隣で微笑むマルタと、元気に笑い合う子供たちを見つめながら、これまでで一番穏やかな心からの笑顔を浮かべていた。
――一方、静けさを取り戻した診療所の入り口。
カエラムとコルネリアは並んで立ち、彼らが歩いていった森の奥の道をいつまでも優しい眼差しで見つめ続けていた。
「あなたの作ったサンドイッチの魔法が、また一つ、尊い家族の笑顔を守りましたね」
カエラムの心からの賞賛の言葉に、コルネリアは自身の両手を胸の前でそっと組み合わせ、ペリドットの瞳に慈愛の光を宿した。
「ええ。彼らの歩む道が、これからもあのお野菜のように色鮮やかで、明るいものでありますように」
夏の爽やかな風が、二人の間を心地よく通り抜けていく。
過酷な運命を乗り越え、互いを想い合い、支え合うことで深まる親子の絆。
そのささやかで尊い日常の風景は、見守る二人の胸の奥に、深い安堵とじんわりとした温かな余韻をいつまでも残し続けていた。
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