51 ジェドさんの愛情がたっぷり詰まった、最高のご馳走です
木々の葉が深い緑色に染まり切り、森の生命力が最高潮に達する盛夏。
容赦のない太陽の光が森の天井を焦がすように降り注ぎ、周囲にはセミたちのけたたましい大合唱が波のように押し寄せている。
しかし、太い幹と幾重にも重なる枝葉に守られた小さな診療所の中には、ひんやりとした涼しい風が通り抜け、夏の苛烈な暑さを忘れさせるような穏やかな時間が流れていた。
患者の訪れる予定がない昼下がり。
カエラムとコルネリアは、円卓に向かい合って座り、収穫したばかりの薬草の葉を乾燥させるための仕分け作業を行っていた。
その時、開け放たれた入り口から、一人の老人が姿を現した。
かつて熱中症で生死の境を彷徨い、この診療所で一命を取り留めた王都の元荷運び人――ジェドだった。
「カエラム先生、コルネリアさん。こんにちは。本日は、お二人にどうしてもお渡ししたいものがありまして」
ジェドは怪我や病気の気配など微塵も感じさせない、しっかりとした足取りで室内に足を踏み入れた。
その日焼けした顔には、深い皺に刻まれた柔和な微笑みが浮かんでいる。
そして何より目を引いたのは、彼が両腕に抱えるようにして持っている、巨大な球体であった。
「ジェドさん、よくいらっしゃいました。その立派なものは、もしやスイカですか?」
カエラムが椅子から立ち上がりながら尋ねると、ジェドは誇らしげに目を細めて頷いた。
「ええ。庭の畑で手塩にかけて育てていたものが、この通り、驚くほど大きく実ってくれたのです。スイカを育てるのは初めての経験でしたが、まさかこれほど立派に育つとは……一番に、命の恩人であるお二人に食べていただきたくて、持参いたしました」
深緑に黒い縞模様がくっきりと入り、表面が艶やかに光る見事なスイカ。
ジェドが生きる希望として始めた畑仕事が、これほどの見事な結実を迎えたという事実に、コルネリアは胸が熱くなるのを感じた。
「ジェドさん、ありがとうございます。これほど大きなスイカ、王都の市場でもなかなかお目にかかれませんわ。せっかくですから、森の清流でしっかりと冷やして、三人でいただきましょう」
コルネリアの提案に、カエラムとジェドも賛同した。
スイカを入れた籠をカエラムが持ち、三人は木漏れ日が差し込む森の獣道を歩いて、少し離れた場所にある清流へと向かった。
清流に到着すると、雪解け水のように冷たい川の浅瀬にスイカを静かに沈め、流されないように周囲を石で囲む。
水底の丸い小石が透けて見えるほど透明な水が、スイカの表面を滑るように流れていき、周囲の空気を心地よく冷やしていく。
スイカが十分に冷えるのを待つ間、三人は川辺に広がる大きな木陰の岩場に腰を下ろし、涼みながらのんびりとした時間を過ごすことにした。
「こうして水の流れる音を聞いていると、心まで洗われるようです」
ジェドは川面を滑る涼やかな風に目を細めながら、穏やかな口調で語り始めた。
「ちょうど一年前の夏……私は生きる希望を失い、自らの存在価値を見失ったまま、あの診療所の前で倒れました。あの時は、お二人に命だけでなく、干からびていた心まで救っていただいたのです。もしあの時、お二人に出会っていなければ、今の私がこうして畑で収穫の喜びを知ることは絶対にありませんでした」
ジェドの言葉には、長年背負ってきた孤独や苦悩から完全に解放された清々しい響きがあった。
「おっしゃる通り、土に触れ、種を蒔き、植物が育っていく姿を見るのは、何にも代えがたい喜びです。私が水をやれば、植物はそれに応えて力強く成長してくれる。自分でもまだ何かを生み出せるのだと、毎日畑に立つたびに実感しております」
生き生きと語るジェドの横顔を見て、コルネリアは深い安堵と喜びを噛み締めていた。
誰にも必要とされないと嘆いていた老翁が、今や自らの手で命を育み、その恵みを誰かに分け与えるほどの豊かさを手に入れたのだ。
「ジェドさんが毎日愛情を注がれたからこそ、あのスイカもあれほど立派に育ったのですね。私たちも、ジェドさんがお元気になられて本当に嬉しいですわ」
コルネリアが微笑みかけると、カエラムもまた深く頷いた。
「ええ。医者として、患者さんが自らの力で前を向き、活力に満ちた生活を送ってくださることほど、喜ばしいことはありません。ジェドさんのその笑顔は、私にとっても大きな救いですよ」
カエラムが自然な動作でコルネリアの隣へと座り直し、彼女の言葉に同意を示す。
その何気ない二人のやり取りを見ていたジェドの目が、ふいに穏やかな光を帯びて細められた。
長年、王都の市井で数え切れないほどの人々を見てきた老翁の観察眼は、二人の間に漂う目に見えない空気の変化を決して見逃さなかった。
「……先生とコルネリアさん。お二人は、一年前とはずいぶんと雰囲気が変わられましたね」
ジェドの突然の指摘に、二人は不思議そうに彼へ視線を向けた。
「と言いますと?」
「以前は、互いを深く思いやりながらも、どこか踏み込むのをためらっているような、医師と助手としての明確な境界線を感じました。ですが……今の様子を拝見しておりますと、お二人の間には一切の壁がなく、まるで長年寄り添ってきた夫婦のように、お互いの存在が自然に馴染んでいらっしゃる」
ジェドは楽しそうに――そして、どこまでも温かい眼差しで二人を交互に見つめた。
「お二人が互いをどれほど大切に想い合っているのか、言葉にしなくても伝わってまいります。私のような老いぼれの命を救ってくださった心優しいお二人が、こうしてご自身の幸せを育んでいらっしゃることが、私は何よりも嬉しいのです」
人生の大先輩からの、これ以上ないほどの優しい祝福。
コルネリアはペリドットの瞳を伏せ、照れくさそうに微笑んだ。
カエラムもまた、丸メガネの位置を指先で直しながら、隠しきれない喜びを口元に滲ませた。
「……ジェドさんには、すべてお見通しというわけですね。ええ、私たちは今、これ以上ないほどに穏やかで幸福な時間を共有しております。彼女がいてくれるからこそ、私はこうして前を向いて歩いていけるのです」
カエラムの隠すことのない素直な言葉に、コルネリアの胸の奥がじんわりと温かくなる。
木々の間から差し込む光が、清流の水面できらきらと輝いている。
三人の間には、深く温かい絆が静かに結ばれていた。
――やがて、スイカが十分に冷えた頃合いを見計らい、カエラムが川の浅瀬から引き上げた。
持参した刃物を使い、スイカの中央に慎重に刃を入れる。
軽快な手応えとともにスイカが真っ二つに割れると、中からは皮の限界までぎっしりと詰まった、目を見張るほどに鮮やかな赤い果肉が顔を出した。
切り分けるそばから、瑞々しい果汁が刃を伝って滴り落ち、夏の果実特有の青く甘い香りが周囲に広がる。
「さあ、いただきましょう」
三人はそれぞれ切り分けられたスイカを手に取り、大きく口を開けてかぶりついた。
しゃりっとした心地よい歯触りとともに、冷たい果汁が口いっぱいに溢れ出す。
清流の天然の冷気によって芯まで冷やされたスイカは、驚くほどに強い甘みを持っており、夏の暑さで火照った身体の熱を、心地よく、速やかに奪い去っていった。
「本当に、甘くて美味しいですわ! 氷の魔法を使わなくても、川の水だけでこれほど見事に冷やされるのですね。ジェドさんの愛情がたっぷり詰まった、最高のご馳走です」
コルネリアが目を輝かせながら賛辞を送ると、ジェドは嬉しそうに目尻の皺を深くした。
「喜んでいただけて、何よりです。土を耕し、雑草を抜き、毎日見守ってきた甲斐がありました。来年もまた、こうしてお二人と一緒に美味しいスイカを食べられるよう、しっかりと畑の手入れを続けていかなければなりませんね」
来年もまた、共にこの場所で――。
その何気ない未来への約束が、どれほど尊く、どれほど幸せなことであるか。
カエラムとコルネリアは深く頷き合い、残りのスイカを心ゆくまで堪能した。
日が少しだけ西へと傾き始めた頃、ジェドは「また良い野菜が採れたら持ってきますよ」と元気に手を振り、森の道を帰っていった。
彼の背筋は一年前の夏とは比較にならないほど真っ直ぐに伸びており、その足取りには確かな明日への希望が満ち溢れている。
清流の傍に取り残された二人は、片付けを終えた籠を手に、再び診療所へと向かって歩き出した。
空を見上げれば、森の木々の隙間から、どこまでも高く澄み切った夏の青空が広がっている。
「来年の夏も、また彼と三人で、こうして美味しいスイカを食べられるといいですね」
コルネリアが隣を歩くカエラムを見上げて微笑むと、彼もまた穏やかな瞳で彼女を見つめ返した。
「ええ。そのために、我々も健康に気をつけて、この森の診療所を守っていきましょう」
誰かの居場所を守り、自らもまた確かな居場所を手に入れた二人。
夏の強烈な日差しの中にあっても、彼らの周りに流れる空気は優しい甘さに満たされていた。
スイカの爽やかな余韻とともに、穏やかで幸福な時間は森の木漏れ日の中で静かに――そして、ゆっくりと流れていった。




