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44 け、結婚だなんて、そのような……

 季節が本格的な夏へと向かい、森の緑がむせ返るような濃密な生命力に満ち始めた頃。

 日中の強い日差しを避けるように、診療所の窓には風通しの良い薄い麻布が掛けられ、室内には涼やかな風と葉擦れの音が静かに流れ込んでいる。


 円卓に並んで座り、収穫したばかりの薬草の葉を一枚ずつ丁寧に選別するカエラムとコルネリア。

 二人の間には、以前のようなもどかしい遠慮や不自然な距離感は完全に消え去っていた。


 薬草の仕分けの最中に手と手が触れ合っても、慌てて離すようなことはしない。

 互いの体温を心地よく感じながら、ほんの少しだけ視線を交わし、柔らかな微笑みを共有する。

 満ち足りた時間がそこには存在していた。


 平和な静寂が満ちていた時――診療所の外から、元気な足音と楽しげな話し声が近づいてくるのが聞こえた。


「先生! コルネリアさん! 遊びに来たよ!」


 開け放たれた入り口から飛び込んできたのは、二人の少年だった。

 一人は、先日この診療所で風邪の治療を受け、今はすっかり健康を取り戻したラケル。

 そしてもう一人は、かつての猛吹雪の日に一人で雪だるまを作りにやってきた、貧民区に住むニコであった。


 同じような寂しい境遇を持つ二人は、どうやら森を駆け回るうちにすっかり意気投合し、親友同士になったようだった。

 ニコが構えた虫取り網の横で、おっとりとした気質のラケルが以前の怯えたような暗い表情を一切見せず、年相応の明るい笑顔を浮かべている。


 同年代の友達ができたことで彼が心からの安心感を得られたのだという事実が、カエラムとコルネリアの胸の奥を温かく満たした。


「よく来ましたね、ラケル君、ニコ君。今日は森の奥まで虫を探しに行っていたのですか?」


 カエラムが立ち上がり、膝をついて二人の背丈に目線を合わせる。

 すると、ラケルとニコは顔を見合わせて楽しそうに笑い、背中に隠していたあるものを同時に目の前へと差し出した。


「虫取りのついでに、先生たちにプレゼントを持ってきたんだ! はい、これ!」


 二人の小さな手から差し出されたのは、子供の背丈ほどもある長くて太い茎と、巨大な葉を持つ植物の束――大量のフキだった。


「この間、僕の風邪を治してくれたお礼だよ。ニコが教えてくれたんだ。この大きな葉っぱがあれば、もし森の中で急に雨が降ってきても、濡れずに帰れる立派な傘になるって!」


 ラケルは誇らしげに胸を張り、巨大なフキの葉を傘のように自らの頭上に掲げてみせた。

 大人にとってはただの野草でも、子供たちの目には素晴らしい贈り物として映っている。

 その純粋で無邪気な恩返しの心に、カエラムは深く目を細め、コルネリアもまた愛おしさに満ちた笑みをこぼした。


「ありがとうございます。これは、雨避けの傘にするのはもちろんのこと、丁寧に調理をすればとても美味しい季節のご馳走になるのですよ。お二人は、もうお昼ご飯は食べましたか?」


 コルネリアの問いかけに、ニコとラケルは同時に自分たちのお腹を押さえ、恥ずかしそうに首を横に振った。


「ちょうどよかったですわ。私たちが、この美味しい傘を料理いたしますから、お茶を飲んで待っていてくださいね」


 コルネリアは二人の少年からフキの束を受け取り、厨房の奥にあるかまどへと向かった。


 かまどに新しい薪をくべ、火力を一定に保つ。

 まずは大きな葉の部分を切り落とし、太い茎の表面にある硬い筋を刃物を使って根元から丁寧に剥ぎ取っていく。

 鮮やかな黄緑色の茎が顔を出し、初夏特有の爽快な青臭さが周囲に広がった。


 食べやすい長さに切り揃えたフキを、少量の油を引いた鉄鍋で手早く炒める。

 そこに東方伝来の醤油と、甘みを出すための調味料を加え、水分が完全に飛んで照りが出るまでじっくりと煮詰めていく。


 初夏の森の恵みであるフキ特有のほろ苦さを、濃いめの甘辛い味付けで包み込んだフキの甘辛煮が完成した。


「さあ、お待たせいたしました。冷たいお茶と一緒にどうぞ」


 円卓に大皿が運ばれると、ニコとラケルは待ちきれない様子で木の匙を手に取り、熱々の甘辛煮を口へと運んだ。

 噛み締めるごとに溢れ出すフキの瑞々しい水分と、醤油の香ばしさ。

 そして後から追いかけてくる微かな苦味が、夏の暑さで疲労した子供たちの身体に心地よい刺激を与えていく。


「美味しい! 傘の茎がこんなに甘くなるなんて知らなかった!」


「コルネリアさんの料理、世界で一番美味しいよ!」


 無心で食事を進める二人の様子を、カエラムとコルネリアは温かなまなざしで見守っていた。


 その時――カエラムの視線が、ふとコルネリアの顔の横で止まった。


 先ほどかまどで薪の調整をした際についたのだろう。

 彼女の艶やかなホワイトブロンドの髪の端に、小さな灰の欠片がこびりついていたのである。

 カエラムは言葉を発するよりも先に、自身の右手を伸ばし彼女の髪に触れた。


「……コルネリアさん、少しだけ灰がついていますよ」


 彼の手のひらが彼女の髪をそっと撫で、指先が彼女の白い頬を掠める。

 コルネリアはただ嬉しそうに目を細め、彼の手に自身の体温を少しだけ預けるように身を寄せた。

 二人の視線が至近距離で交差し、そこには互いへの深い親愛と、甘やかな熱だけが満ちている。


 ――しかし、大人の男女のその満ち足りた空気は、八歳の少年たちの鋭い観察眼によって容赦無く切り裂かれた。


「……ねえ、ラケル」


 ニコが匙を口に咥えたまま、隣に座るラケルの脇腹を肘で軽くつついた。


「先生とお姉ちゃんさ。なんか、あまったるーい顔してない?」


 その言葉に、ラケルも大きく頷き、アメジストの瞳を無邪気に輝かせた。


「本当だ。もしかして、先生とコルネリアさんって……結婚するの?」


 何の計算もなく、ただ見たままの事実を純粋に言語化した、子供特有の真っ直ぐすぎる冷やかしの言葉。

 それは、大人同士の遠慮がちな距離感を一撃で打ち砕くほどの、とてつもない破壊力を持っていた。


 予想外の方向からの直球な指摘に、カエラムは飲んでいたお茶を見事に気管に詰まらせて激しくむせ返り、コルネリアは頬を見事な朱色に染めて完全に硬直してしまった。


「け、結婚だなんて、そのような……私たちはただ、その……髪の汚れを取っていただけで……」


「そ、そうです。我々は医師と助手という大切な仕事上のパートナーであり、決していやらしい意味ではなく……」


 全く説得力のない言い訳を並べ立てて視線を泳がせる大人の姿を見て、二人の少年はケラケラと楽しそうに声を上げて笑い合った。


「なんだか先生たち、顔が真っ赤だよ! 大人のくせに変なの!」


「あはは! ごちそうさまでした! 僕たち、また森の奥へ虫を探しに行ってくるね!」


 ニコとラケルは早々に食事を終えると、再び虫取り網を高く掲げ、眩しい太陽の光が降り注ぐ夏の森へと元気よく駆けていった。

 残された診療所には静寂とともに、二人だけの気恥ずかしい余韻が漂っている。


 入り口の扉から徐々に小さくなっていく子供たちの背中を並んで見送りながら、カエラムが大きく息を吐き出して口を開いた。


「……子供の無邪気な観察眼には、全くもって敵いませんね。我々の変化など、彼らにはお見通しだったようです」


 カエラムのどこか諦めたような苦笑いに、コルネリアもまた、自身の熱を持った頬を両手で押さえながら静かに頷いた。


「ええ、本当に……ですが、隠し通せるものでもありませんし、これからは少しだけ、覚悟を決めておかなければなりませんわね」


 それは、からかわれたことへの恥ずかしさよりも、二人が特別な関係であることを他者から明確に認められたという――確かな喜びに裏打ちされた言葉であった。


 初夏の風が通り抜ける診療所の中、二人は誰の目も気にすることなく再び自然な動作で互いの手をそっと繋ぎ合わせ、光溢れる森の景色をいつまでも穏やかに見つめ続けていた。

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