28 初夏が来るのが、今からとても待ち遠しいですね
色とりどりの春の野花が咲き乱れる森の空気は、ただ呼吸をするだけで身体の奥底から活力が湧き上がってくるような、不思議な優しさに満ちていた。
暖炉の火に頼る必要がなくなった診療所の中では、開け放たれた窓から心地よい春の風が吹き込み、薬草の爽やかな香りを部屋の隅々にまで運んでいた。
昼下がりの穏やかな時間が流れていた頃、診療所の入り口の重い木の扉が遠慮がちに叩かれた。
カエラムが立ち上がってかんぬきを外し、扉を開け放つと、そこには二人の獣人の姿があった。
以前、仲間のために深い傷を負ってこの場所を訪れ、昨年の秋には新しい命を授かったことを知って涙を流したラットマンの青年――トロンである。
そして彼の隣には、灰色の毛並みを持つ小柄な妻のキャロラインが、夫に体重を預けるようにして立っていた。
初夏に出産を予定しているキャロラインの腹部は、分厚い衣服の上からでもはっきりと分かるほど、すでに立派な大きさに膨らんでいる。
「カエラム先生、コルネリアさん。こんにちは。本日は妻の診察のお願いに参りました」
トロンは丁寧に頭を下げながらも、妻が少しでも身じろぎをするたびに「大丈夫か?」「足元に気をつけて、無理はしていないか?」と、微笑ましいほど過保護な言葉をかけ続けている。
人間の街にある立派な病院は、獣人であるという理由だけで彼らの立ち入りを冷たく拒絶する。
だからこそ彼らは、出産という人生における最大の試練を前にして、心から信頼を寄せるカエラムの元へ、事前の診察と出産の打ち合わせのためにやってきたのであった。
「さあ、よくいらっしゃいました。キャロラインさん、こちらの寝台へゆっくりと横になってください」
カエラムは穏やかな声で促し、彼女が横たわるのを慎重に手助けした。
そして彼は、診療所の棚から丁寧に磨き上げられた聴診器を取り出してきた。
カエラムは金属部分が冷たさを感じさせないよう、筒の先端を自らの手のひらで包んで温めてから、大きく膨らんだキャロラインの腹部へと静かに押し当てた。
カエラムは目を閉じ、全神経を耳へと集中させる。
聴診器の管を通して彼の鼓膜に伝わってくるのは、力強く、そして驚くほど速い小さな命の律動であった。
それは大人の心臓の鼓動よりも遥かに細かく――しかし、途切れることのない確かな連続性を持って、新しい生命がそこに存在している事実を主張していた。
しばらくの間、その小さな律動を確認していたカエラムは、やがて聴診器を外し、丸メガネの奥の瞳を優しく細めた。
「素晴らしいですね。母子ともに極めて健康です。お腹の中の赤ちゃんは、とても元気に育っていますよ」
その言葉を聞いた瞬間、隣で固唾を呑んで見守っていたトロンの目から、安堵のあまり大粒の涙がとめどなく溢れ出した。
キャロラインもまた、自身の膨らんだ腹部を両手で慈しむように優しく撫で、潤んだ瞳で何度もカエラムに感謝の言葉を紡いだ。
診察を終え、ほっと一息ついた夫婦に対し、コルネリアが温かいもてなしの準備を整えていた。
「トロンさん、キャロラインさん、こちらへどうぞ。栄養価を高めるために砕いた木の実を練り込んだ焼き菓子と、胃に優しいお茶を用意いたしました」
コルネリアが差し出した湯呑みからは、香ばしくも甘い湯気が立ち昇っている。
キャロラインは両手で湯呑みを包み込み、ゆっくりと喉へ流し込んで深い安堵の吐息を漏らした。
彼らが菓子を味わっている間、カエラムは居住まいを正し、医師としての真剣な眼差しで夫婦に向き合った。
「初夏が近づきましたら、診療所の奥にある予備の部屋を完全に清掃し、お二人のための出産用の部屋として準備しておきます。清潔な布と大量の湯、そして痛みを和らげるための薬草はすべてこちらで揃えておきますから、陣痛が来たら、昼夜を問わずいつでもこの扉を叩いてください」
カエラムのその力強い約束は、人間社会から弾き出され、常に不安に震えていた獣人の夫婦にとって、これ以上ないほどの安心感を与えてくれた。
自分たちを種族という枠組みで差別することなく、一人の患者として、そして一つの尊い命として全力で守ろうとしてくれるカエラムの誠実さに、トロンとキャロラインは言葉を失い、深く頭を下げ続けた。
陽が傾き始め、夫婦が帰路につこうと診療所の入り口へ向かった時のことである。
コルネリアはキャロラインの元へ歩み寄り、彼女の小さな手を自らの両手で優しく包み込んだ。
「キャロラインさん。実は今、生まれてくる赤ちゃんのために、私の方でも秘密の準備を進めているものがあるのです」
コルネリアは声を潜め、喜ばしい計画を打ち明けるように微笑んだ。
「王都の商人から買い取った、一番柔らかく肌触りの良い清潔な布を使って、赤ちゃんのための産着を縫っている最中なのです。無事にここで赤ちゃんが産まれたら、その産着で一番に包んであげましょうね」
その言葉に、キャロラインの丸い目が見開かれ、新たな涙がふわりと浮かび上がった。
獣人として生まれ、常に迫害の対象となってきた彼らは、自分たちの衣服でさえ粗末で硬い布切れを継ぎ接ぎして使うしかなかった。
それなのに、これから生まれてくる自分たちの子供のために、人間の女性が夜な夜な柔らかい産着を手縫いで仕立ててくれているという事実。
「こんな……こんなに美しくて温かい約束を、俺たちの子供に……」
トロンはついに声を上げて泣き崩れ、自らの顔を両手で覆った。
キャロラインもまた、コルネリアの手を強く握りしめ、震える声で何度も何度も感謝を繰り返した。
「無事に生まれたら、必ず一番に先生とコルネリアさんに抱っこしてもらいます。俺たちの宝物を、どうか見てやってください」
トロンは涙を乱暴に拭いながら力強く宣言し、希望に満ちた笑顔で妻を支えながら、春の森へと続く獣道を踏み出していった。
春の柔らかな風が吹き抜ける中、二人の背中が木々の向こう側へと見えなくなるまで、カエラムとコルネリアは並んで扉の前に立ち、その姿を見守り続けていた。
「あなたが手縫いしているという産着の存在は、彼らにとってどんな高価な薬よりも心を救うものになったはずです。あなたのその底知れぬ優しさに、私もまた幾度となく救われてきましたからね」
カエラムが隣に立つコルネリアを見下ろし、心からの労いと親愛の言葉をかける。
コルネリアは照れくさそうに微笑み、春の風に揺れる森の木々へと視線を戻した。
「初夏が来るのが、今からとても待ち遠しいですね、先生」
「ええ。彼らが安心してこの扉を叩けるよう、我々も万全の準備をしておきましょう」
新しい命と希望を安全に迎え入れる日を心待ちにしながら、二人は穏やかな笑みを交わし合う。
夕暮れの穏やかな光が二人を優しく包み込み、森に満ちる生命の息吹と共鳴するように、どこまでも幸福な時間が診療所を包み込んでいた。




