173 朝から驚かせてしまってごめんなさい
深い森が朝の静寂に包まれている時間。
寝室の窓から差し込む淡い朝陽が、部屋の中を優しく照らし始めていた。
コルネリアは、自身の頬に触れるひどく柔らかな毛の感触によって、ゆっくりと意識を浮上させた。
重い瞼を押し上げて視線を下げると、そこには雪のように白い毛並みを持つコユキが、コルネリアの顔のすぐ隣で丸くなり、幸せそうに寝息を立てていた。
昨夜、カエラムと彼女の間に割り込んできた小さな番人は、そのまま二人の間で夜を明かしたのである。
コユキの柔らかな背中の向こう側には、カエラムが穏やかな表情で眠っている。
普段は知的で大人びた彼の顔も、眠っている間はどこか無防備であどけなく見えた。
愛する人と、愛らしい家族。
彼らに挟まれて迎える朝の温もりに、コルネリアの胸の奥は甘い幸福感で満たされていった。
カエラムの貴重な休息を少しでも長く守るため、コルネリアは寝台の端から一切の音を立てずに抜け出した。
身支度をして、カーテンの隙間からそっと外の景色を覗き込む。
少し前までは、毎朝のようにサンディーが器用に小屋の扉を開けて抜け出し、窓の目の前で自身の飼葉桶を咥えて待機しているという光景が日常であった。
(……よかった。今朝はおとなしく小屋にいるようですわね)
窓の外にサンディーの姿がないことを確認し、コルネリアは静かな安心感を覚えた。
彼女が部屋を出ようとすると、気配に気づいたコユキも寝台から跳ね降り、短い尻尾を左右に大きく揺らした。
「キュン」
愛らしい声を漏らしながら、彼女の足元にぴったりと寄り添ってくる。
コルネリアは微笑んで彼を撫で上げ、二人で連れ立って朝の清冽な空気が満ちる外へと足を踏み出した。
外に出ると、夏の朝特有の涼やかな風が頬を撫でた。
まずはサンディーの待つ新しい小屋へと向かう。
扉を開けると、彼女はのんびりと干し草を食んでいた。
豊かな乳を蓄えた彼女の背中を優しく撫でながら、手早く搾乳を済ませる。
絞りたての温かいミルクが入った重い桶を安全な場所へ置き、サンディーを裏庭の広々とした草地へと放牧した。
続いて、栗色の美しい毛並みを持つ愛馬――ファノーネの小屋である。
コルネリアは専用のブラシを手に取り、彼のたくましい首筋から背中にかけて、絡まった埃を落とすように丁寧に梳かしていく。
手入れを終えて扉を開けると、ファノーネは嬉しそうに大きく鼻を鳴らし、朝露に濡れた草地へと力強く駆けていった。
最後に、キビとアワの小屋を開け放つ。
彼らは待ちかねていたように羽を広げ、嬉しそうに「コッコッ」と鳴きながら草地へ向かって飛び出していった。
動物たちがそれぞれの場所で、のびのびと朝の時間を楽しんでいる。
その穏やかな情景を眺めながら、コルネリアは大きく深呼吸をし、胸いっぱいに森の新鮮な空気を吸い込んだ。
動物たちの世話を終え、次に向かったのは裏庭の菜園の奥である。
そこは深い森との境界線に位置しており、鋭い棘を持つ野生の茨が壁のように高く群生して、森の奥からの侵入者を阻んでいる場所だった。
作物の周囲の土が少し乾いているのを確認し、コルネリアは水やりをしようと、地面に置かれていた大きなジョウロの取っ手へ手を伸ばし、持ち上げた。
――その瞬間。
コルネリアの特異な不運体質が、静かに牙を剥いた。
上空を飛んでいた一羽の鳥が、咥えていた硬い木の実を口から落とした。
重力に従って落下してきたその実は、見事なまでの正確さでコルネリアが持ち上げたばかりのジョウロの縁に激突したのである。
予期せぬ衝撃に驚き、コルネリアの指からジョウロが滑り落ちた。
地面に激突した容器から大量の水が溢れ出し、足元の乾いた土を一瞬にしてひどく滑りやすい泥へと変える。
体勢を立て直そうと足を引いたコルネリアであったが、ぬかるんだ泥に見事に足を取られ、大きくバランスを崩して後退りしてしまった。
そして不運なことに、彼女の背後には菜園の予備の支柱として使うための数本の重く長い丸太が、壁に立て掛けられていたのだ。
コルネリアの背中が丸太に激突し、立て掛けられていた絶妙な均衡が崩れ去る。
支えを失った数本の太い丸太が、無慈悲にもコルネリアの頭上へ向かって倒れてきた。
逃げる間もない。
迫り来る質量の恐怖にコルネリアが身をすくめて目を閉じた――その時。
「ワフン!」
足元にいたコユキが鋭く吠え、コルネリアの衣服の裾に噛みついて、凄まじい脚力で彼女の身体を後方へと強引に引き倒した。
尻餅をついて地面に倒れ込んだ直後、コルネリアの目の前を巨大な丸太が連続して通り過ぎていく。
それらは彼女の身体を掠めることなく、境界線を覆っていた鋭い棘の茨の茂みの上へと、凄まじい破壊音を響かせながら激突したのである。
「ネリー!!」
外の凄惨な異音を聞きつけ、寝間着姿のまま飛び出してきたカエラムが、悲痛な叫び声を上げた。
彼は血の気を完全に失った顔でコルネリアの元へ駆け寄ると、彼女を抱き起こし、震える手で全身の骨や皮膚に異常がないかを必死に確認し始めた。
「怪我は! どこか痛むところはありませんか!? ああ、神よ……あなたが無事で本当によかった……」
カエラムはコルネリアを強く抱きしめ、何度も彼女の髪や額に口づけを落とす。
その力強い抱擁から、彼がどれほど恐ろしい想像をして絶望の淵を覗き込んだかが痛いほど伝わってきて、コルネリアは激しい申し訳なさに目を伏せた。
「申し訳ありません、先生。不注意で転んでしまって……でも、コユキが引っ張ってくれたおかげで、怪我は一つもありませんわ。本当に、朝から驚かせてしまってごめんなさい」
カエラムは彼女の無事を確認すると、今度は彼女を救ってくれたコユキを力強く抱き寄せ、心からの感謝を伝えた。
コユキは、カエラムの腕の中で誇らしげに尻尾を振っている。
カエラムの動揺がようやく落ち着きを取り戻した後、二人は原因となった丸太を引き起こそうと、茂みの方へと視線を向けた。
重い丸太が数本まとめて激突したことで、人の進入を完全に拒んでいた厄介な茨の壁が大きく薙ぎ倒され、見通しの良い獣道が偶然にも開拓されていた。
そして、二人はその開かれた道の奥の光景に、思わず目を奪われた。
天然の防壁となっていた茨に守られ、森の動物たちにも食べられることなく手付かずのまま残されていた、木陰の涼しい空間。
そこには、ルビーのように赤く熟しきった野生の木苺が、見渡す限りに群生していたのである。
緑の葉の間から顔を覗かせる無数の赤い果実は、朝露に濡れて宝石のように美しく輝いている。
一歩近づくだけで、濃厚で甘酸っぱい香りが鼻腔を強くくすぐった。
まさに、誰も知らない秘密の果樹園であった。
「……私の不運が、茨の奥に隠された素晴らしい場所を切り開いてくれましたわ」
驚きと喜びにペリドットの瞳を輝かせるコルネリアを見て、カエラムはアンバーの瞳を深く和らげた。
「ええ。あなたの不運は、時に素晴らしい奇跡の道を作ってくれますね。コユキの勇敢な行動にも、深く感謝しなければなりません」
カエラムが足元で誇らしげにしているコユキの頭を撫でると、コユキは嬉しそうに「ワフン!」と鳴いた。
「今朝は、搾りたてのサンディーのミルクと、この甘い木苺をたっぷりと使った朝食にいたしましょう。先生も収穫を手伝ってくださる?」
「もちろんですよ、ネリー。この森がもたらしてくれた幸運を、二人で心ゆくまで味わいましょう」
不運の連鎖がもたらした、思いがけない野生の恵み。
騒がしくも温かい日常の始まりに、二人の穏やかな笑い声が、夏の朝の明るい森の中へと幸せに響き渡っていった。




