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冤罪で追放された伯爵令嬢は、森の奥の診療所で天才医師の胃袋を掴み、愛されながら幸せなスローライフを満喫します  作者: 白月つむぎ


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166 あの方に見守られている子供たちは、きっと幸せになるはずですわ

 昼食を終え、夏の強い日差しが少しだけ和らぎ始めた午後のこと。

 診療所の裏庭で薬草の仕分け作業をしていたコルネリアの耳に、森の小道を真っ直ぐに近づいてくる、重々しい馬のひづめの音が届いた。


 その足音は診療所の建物の前でピタリと止まり、やがて分厚い木製の扉を叩く、遠慮がちでありながらも力強い音が響き渡った。

 急な患者かもしれないと考えたコルネリアは、手を清めて急いで待合室へと向かい、入り口の扉を大きく開け放った。


 その瞬間――彼女は息を呑んでその場に硬直こうちょくしてしまった。


 開かれた扉の向こう側に立っていたのは、夏の強烈な太陽の光を完全にさえぎってしまうほどの、見上げるような巨大なシルエットだった。

 身の丈は優に二メートルを超え、身にまとっている質素な衣服の上からでも、丸太のように太く異常なまでに発達した筋肉の隆起りゅうきがはっきりと見て取れる。

 さらに、その四角く無骨ぶこつな顔には、表情を完全に隠してしまう墨色すみいろ色眼鏡いろめがねが掛けられていた。


 森の奥深くに突如として現れた、威圧感いあつかんの塊のような屈強くっきょうな男。

 コルネリアが恐怖で声を失いかけていると、足元にいたコユキがトコトコと短い足で歩み寄り、男の巨大なくつの匂いを静かにぎ始めた。

 相手が危険な存在であればすぐに警戒の声を上げるはずのコユキが、全く敵意を感じていない証拠であった。


 やがて、男はゆっくりと口を開き、その恐ろしい外見からは到底想像もつかないほどに穏やかな澄んだ声で話し始めた。


「突然の訪問を申し訳ありません。私はユーズヴェンドの街の教会で神父をしております、サイモンと申します。こちらに、大変腕の立つ医師がいらっしゃると聞き及びまして……」


 サイモンが深々と頭を下げて挨拶を終えようとした――まさにその時。

 彼の胸の奥底から、空気を激しく引き裂くような酷い咳の発作ほっさが連続して噴き出した。

 巨大な身体が大きな木のように前へと折れ曲がり、彼は胸を強く押さえながらその場に膝をつきそうになる。


「サイモン様……っ! 先生、急患ですわ!」


 コルネリアのただならぬ声を聞きつけ、奥の部屋からカエラムがすぐさま駆けつけてきた。

 彼は膝をつく巨大な神父の様子を一目見るなり、顔つきを険しいものへと切り替え、コルネリアと共に彼の身体を支えて診察室の長椅子へと運び込んだ。


「呼吸がひどく浅く、胸の奥で嫌な摩擦音まさつおんがしています。それに、この高い熱……」


 カエラムが手早く聴診器をサイモンの胸に当て、熱を測り終えると、アンバーの瞳に鋭い光を宿して静かに告げた。


「……過労からくる、極めて重度の気管支炎きかんしえんです。あと一日、いや半日でも受診が遅れていれば、肺の奥まで炎症が進行し、馬の背に乗ってここまで来ることも不可能だったでしょう。非常に危険な状態の一歩手前です」


 カエラムの診断結果に、サイモンは呼吸を荒くしながらも、申し訳なさそうに短く息を吐き出した。


「お恥ずかしい限りです。数日前から少し咳が出てはいたのですが……自身の身体を過信しておりました」


「なぜ、ここまで悪化するまで休養をとらなかったのですか? あなたほどの体格を持つ方が、自覚症状を見落とすはずがありません」


 カエラムが静かに問いただすと、サイモンは色眼鏡に手をかけ、ゆっくりとそれを外した。

 あらわになった彼の左目には、斜めに大きく走る痛々しい傷跡が残り、完全に視力が失われていることを示す白濁はくだくした瞳があった。


「……現在、教会の裏にある貧民街や、私が預かっている孤児院の子供たちの間で、たちの悪い風邪が流行しておりまして。看病できる大人の数が全く足りていないのです。熱にうなされ、不安に泣く小さな命を前にして……私だけが横になって休むことなど、到底できませんでした」


 サイモンは熱を帯びた右目でカエラムを見つめ、静かに過去を語り始めた。


 彼が左目を失ったのは、数年前に孤児院を凶悪な魔物が襲撃した際、子供たちを背後に庇い、単身で死闘しとうを繰り広げた時の名残なごりなのだという。

 彼はその日、二度と子供たちを危険な目にわせない、どのような悪意や暴力からも彼らを守り抜くという強固きょうこな誓いを立てた。

 その結果として、自らの肉体を限界まできたえ上げ、周囲の悪意を威圧して遠ざけるために、あえてこのような恐ろしい風貌ふうぼうを作り上げているのだと。


 すべては、弱き者を守り抜くため――。

 その果てしない慈愛じあいと自己犠牲の精神に、コルネリアは胸の奥を強く打たれ、言葉を失った。


 カエラムもまた、彼の語る真実に深い敬意を抱いたように、鋭かった眼差しを柔らかく穏やかなものへと変化させた。

 そして、サイモンの分厚い手に自身の両手を重ね、さとすような優しい声で語りかけた。


「……サイモン神父。あなたのその底なしの慈愛と、子供たちを想う強い覚悟には、一人の人間として心からの敬意を表します」


 カエラムの言葉は、静かな波のように診察室の空気を温かく満たしていく。


「ですが、どうかこれだけは忘れないでください。子供たちにとって最大の安心とは、あなたという強くて優しい存在が、いつも健康でそばにいてくれることなのです。もし、あなたがこのまま倒れて二度と目を覚まさなくなってしまったら……残された子供たちは、どれほどの絶望と悲しみに暮れることでしょう」


「……」


「彼らを守り抜きたいと願うのであれば、まずは何よりも、ご自身の命と健康を第一に大切になさってください。あなたを失うことは、子供たちにとって最大の損失そんしつに他ならないのですから」


 一切の否定を含まない、思いやりに満ちたカエラムの言葉。

 サイモンはその真摯しんしな説得にハッとしたように右目を大きく見開き、やがて自身の過ちを深く悟ったように、何度も静かに頷いた。


「……おっしゃる通りです。私は、子供たちを守るための盾になることばかりを考え……自分が倒れた後の彼らの悲しみにまで、思いが至っておりませんでした。医師殿の温かいお言葉、この胸に深く刻み込みます」


 サイモンが深く頭を下げたのを見届け、コルネリアは静かにキッチンへと向かった。

 重い気管支炎で喉が酷くれ上がっている彼のために、少しでも栄養をつけてもらう必要があったからだ。


 彼女は保存しておいたじゃがいもと甘みの強い玉ねぎを薄く切り、少量の水で柔らかくなるまでじっくりと煮込んだ。

 食材が完全に崩れるほどに柔らかくなったところで、木製のへらを使ってなめらかなペースト状になるまですり潰していく。


 そこへ、今朝絞ったばかりの新鮮なミルクをたっぷりと加え、塩で味を調えながらゆっくりと温めた。

 完成したのは、一切の引っ掛かりがなく、荒れた喉を優しく保護しながら胃の奥へと豊かな栄養を届けてくれる、温かいポタージュスープである。


 コルネリアが大きめの木の器にたっぷりと注いだスープを運んでいくと、サイモンは恐縮きょうしゅくした様子でそれを受け取った。


「わざわざ、ありがとうございます。頂戴ちょうだいいたします」


 サイモンが器に口をつけ、ゆっくりとスープを飲み込む。

 柔らかな温かさと大地の自然な甘みが、炎症を起こした喉を滑り落ちていく。

 彼の張り詰めていた表情が、みるみるうちに深い安堵へとほぐれていった。


「……なんと、優しい味わいなのでしょう。ミルクの豊かな風味ふうみと野菜の甘みが、弱った身体の隅々にまで染み渡るようです。このような美味しい食事をいただいたのは、本当に久しぶりです」


 彼は大きな身体を小さく丸めるようにして、最後の一滴まで大切にスープを飲み干した。

 その後、カエラムが特別に調合した炎症を抑える薬草を服薬ふくやくし、しばらく休息をとったことで、サイモンの荒かった呼吸は嘘のように穏やかなものへと落ち着いた。


「すっかり楽になりました。何から何まで、本当にありがとうございます」


「いいえ。ですが、無理は絶対に禁物です。ここから数日間は、教会の若い修道士しゅうどうしの方々に看病を任せ、あなたは温かい寝台で完全に休養をとるようにしてください。これは医師としての厳命げんめいですよ」


 カエラムが念を押すように告げ、大量に包んだ薬草を手渡す。

 サイモンはそれを受け取り、今度は間違えないとばかりに力強く頷いた。


「はい。しっかりと休養をとり、完全に健康な身体を取り戻してから、再び子供たちの前に立つことにいたします」


 身支度を整えたサイモンが外へ出ると、彼に乗られてきた巨大で屈強くっきょうな馬が主人の帰りを待ちわびていた。

 サイモンは再び墨色の色眼鏡を掛け、二人に深々と一礼をして馬の背にまたがった。


「カエラム先生、コルネリアさん。この御恩ごおんは一生忘れません。またいつか、皆様に神の祝福があらんことを」


 重々しいひづめの音を響かせ、巨大な神父を乗せた馬が夏の森の小道へと遠ざかっていく。

 恐ろしいほどの強面こわもてで、並外れた巨体を持つ男。

 しかしその内側には、誰よりも深く温かい慈愛じあいと、傷ついた過去を背負った優しさが満ちあふれていた。


「……本当に、立派な方でしたね。あの方に見守られている子供たちは、きっと幸せになるはずですわ」


 コルネリアが遠ざかる背中を見つめて静かに呟く。

 カエラムもまた、深く頷きながら優しい笑みを浮かべた。


「ええ。彼がしっかりと休養をとり、これからもあの大きな背中で子供たちを守り続けてくれることを願いましょう」


 夏の午後の日差しが、去り行く優しき巨漢きょかんの背中を黄金色こがねいろに照らしている。

 外見の恐ろしさの奥に隠された尊い想いに触れ、カエラムとコルネリアの心には、温かな尊敬そんけいの念と、深い充実感が静かに広がり続けていた。

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