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冤罪で追放された伯爵令嬢は、森の奥の診療所で天才医師の胃袋を掴み、愛されながら幸せなスローライフを満喫します  作者: 白月つむぎ


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156 星空のようなオムレツの朝ごはんですわ

 夜の間に森を包み込んでいた薄い朝靄あさもやが、昇り始めた太陽の光によって静かに溶かされていく爽やかな早朝。

 木々の枝葉えだはで羽休めをしていた鳥たちのさえずりが、穏やかな一日の始まりを告げるように窓ガラス越しに澄んだ音を響かせていた。


 ――しかし、居住区画の寝台の上に満ちているのは、そんな清々しい朝の空気とは対極たいきょくにある、濃密のうみつな熱を帯びた空気だった。

 コルネリアは、肌触りの良い毛布を頭の先まですっぽりと被り、その中で小さく丸まっていた。


 昨夜、互いの体温と吐息を溶かし合い、ついに境界線を越えて深い夜の底へと沈み込んだ記憶が、鮮烈な熱となって彼女の全身を駆け巡っている。

 皮膚ひふのすぐ下で沸き立つような熱情を持て余し、目尻にはまだ昨夜の甘い余韻よいんが涙のあとのように微かに残っていた。


 毛布の中でどうにか呼吸を整えようとするものの、自身の身体から発せられる熱と、隣から伝わってくる圧倒的な存在感によって、息苦しいほどの高揚感こうようかんから逃れることができずにいる。


「……ネリー。そんなところに隠れていないで、こちらへ顔を見せてください」


 毛布越しに響いたのは、普段の穏やかなものとは違う、ひどく低い男の声であった。

 返事をする間もなく、彼女を隠していた毛布が容赦ようしゃなくぎ取られる。

 あらわになったコルネリアの身体は、すぐさまたくましい両腕によって抱きすくめられ、カエラムの胸の中へと完全に閉じ込められてしまった。


 一度完全にタガが外れ、彼女を自身のものにしたことで、カエラムの中の理性的で優しい大人の仮面は完全に剥がれ落ちていた。

 丸メガネを外したままの、知的な輪郭りんかくが僅かにぼやけた彼の顔が、逃げることを許さない至近距離にまで迫る。

 そのアンバーの瞳には昨夜から続く深い独占欲と、満ち足りた雄としての熱がはっきりと宿っていた。


「おはようございます。私の可愛いネリー」


 ささやきと共に、朝の挨拶としての口づけが落とされる。

 ――しかしそれは、決して爽やかなものではなかった。

 触れるだけだったはずの唇は、彼女が小さく息を呑んだ隙を突いて深く侵入し、昨夜の続きを強要きょうようするように、甘く濃厚な交わりへと急激に形を変えていく。


 彼女の柔らかな髪に指を絡め、背中に回した腕の力を強めていくカエラム。

 コルネリアの口から甘い吐息が漏れ出し、シーツの上の空気が一気に限界まで煮詰まっていく。

 彼の身体がさらに彼女の上へと重なり、このまま間違いなく二回戦が始まってしまうという、抗いがたい支配の空気が寝台を包み込んだ。


 ――その、まさに二人の世界が最高潮さいこうちょうに達しようとした瞬間のことである。


 寝台のすぐ横から、無言でありながらも強烈な訴えを持った視線が、二人の顔をじっと見つめ上げていた。

 視線を向けると、そこにはコユキが行儀ぎょうぎよく後ろ足を折りたたんで座っていた。


 マリンブルーの丸い瞳には、「お二人の深い愛情の時間は大変素晴らしいと思うのですが、私の腹の虫が限界を迎えております。朝ごはんはまだでしょうか……?」と言わんばかりの、遠慮えんりょがちでありながらも極めて切実な色が浮かんでいる。

 そのひどく申し訳なさそうで、それでいて純粋な視線に射抜かれ、コルネリアの中の恥ずかしさがついに限界を突破した。


「っ……!」


 彼女は弾かれたようにカエラムの胸を押し退け、寝台から飛び降りるようにして身を離した。

 そして大急ぎで寝間着の乱れを直し、逃げるようにして洗面所へと駆け込んでいく。


 取り残されたカエラムは、空を掴んだ自身の手を見つめた後、小さく息を吐いて苦笑を漏らした。

 足元で見上げてくる小さな家族に向かって、仕方がないというように肩をすくめる。


「おや……どうやら、私たちにはまだ少しばかり時間が足りなかったようですね」


 そうつぶやきながら、カエラムは小机の上に置かれていたケースに手を伸ばした。

 中から丸メガネを取り出し、定位置へと掛ける。

 その瞬間――彼の顔からは先ほどまでの強気な男の熱がふっと消え去り、いつもの知的で落ち着いた、医師としての穏やかな表情が戻っていた。


 慌ただしく身支度を整え、キッチンスペースへと移動した二人は、何よりも優先してコユキの朝ごはんの準備に取り掛かった。

 コルネリアが小鍋でお肉と野菜を温め、良い匂いが漂い始めると、コユキは尻尾を激しく左右に揺らしながら足元をぐるぐると回り始めた。


「コユキ、ご飯の前にご挨拶ですわ。おすわり」


 コルネリアが声をかけると、コユキはすぐさま動きを止め、姿勢を正して座り込んだ。

 続いて彼女は、両手の親指と人差し指をくっつけて小さな輪っかを作り、コユキの鼻先へと差し出す。


「では、次は……あご」


 その合図とともに、コユキは自らふわりと顔を近づけ、コルネリアの指の輪っかの上へ自身の小さな鼻先と下顎したあごをちょこんと乗せた。

 そして、あごを乗せたままの上目遣いで二人を見上げる。


「……なんて賢くて愛らしいのでしょう。完璧ですわ、コユキ」


 そのあまりの可愛らしさに、先ほどまでの気まずさも忘れ、コルネリアは嬉しそうに目を細めた。

 カエラムもまた、その見事な芸の仕上がりに感心しながら器を床へと置いてやる。

 待ちに待った朝ごはんを前にコユキは歓喜の声を短く漏らし、顔を器に突っ込んで夢中になって中身を平らげていった。


 コユキの食欲を満たしたところで、次は二人の朝食の準備である。

 今日の主役は、昨日ミザリィの店で買ってきた夏野菜のオクラであった。


 コルネリアはオクラをまな板に並べ、刃先で丁寧に輪切りにしていく。

 切るたびに、断面に可愛らしい星の形が次々と現れる。


 ボウルに新鮮な卵を割り入れ、少量の塩と乳を加えてふんわりとかき混ぜる。

 熱した厚手の鉄鍋にバターを溶かし、そこへ卵液を流し込んだ。


 卵の縁が固まり始めた絶妙な瞬間を見計らい、コルネリアは先ほど切り分けた星型のオクラを、表面に散りばめるようにして手早く並べていく。

 鍋を器用に揺すりながら形を整え、表面を半熟の状態で皿へと滑らせる。

 黄金色に輝く卵の上に、鮮やかな緑色の星が無数に散りばめられた、見た目にも楽しいオムレツの完成である。


 そのかたわらで、カエラムが菜園で採れた完熟トマトを厚切りにし、香草こうそうと油を絡めて簡単なサラダを仕立てる。

 鉄鍋で香ばしく焼き上げたパンの隣には、ミザリィからおまけでもらったプラムをよく冷やしてから切り分け、小鉢こばちに添えた。


「星空のようなオムレツの朝ごはんですわ。いただきましょう」


 円卓に並べられた色鮮やかな朝食を前に、二人は手を合わせてから食事を始めた。

 まずはオクラのオムレツにフォークを入れる。

 バターの豊かな香りをまとった柔らかな卵に、オクラ特有の微かな粘り気と心地よい歯触はざわりが見事に調和していた。


「……これは美味しいですね。卵の甘みに、オクラの風味がよく合っています。それに何より、黄色い卵の海に緑の小さな星がいくつも浮かんでいるようで、見ているだけで心が弾みます」


「ええ。ミザリィさんのところでこのお野菜を見た時から、絶対にこの形をかしたお料理を作りたいと考えていたのです」


 カエラムの絶賛の言葉に、コルネリアは満足げな笑みを浮かべた。

 トマトのサラダの酸味と、温かいパンの香ばしさを交互に楽しみながら、和やかな朝の時間が流れていく。

 食後の冷たいプラムが、瑞々(みずみず)しい甘さで口の中をさっぱりと洗い流してくれた。


 ――しかし、食事を進める間も、カエラムの丸メガネの奥にあるアンバーの瞳が、時折ひどく甘い熱を帯びてコルネリアに向けられていることに、彼女は気づいていた。

 まるで「今日の夜は、決して逃がしませんよ」と無言で語りかけてくるようなその視線に触れるたび、コルネリアは胸の奥を甘く痺れさせ、昨夜の記憶を呼び起こされて鼓動こどうを早めてしまうのだった。


 美味しくも少しだけ刺激的な朝食を終え、二人は空になった器を片付けた。

 外からは、早く広い草地へ出たいと待っているファノーネの鼻息と、菜園の野菜たちが太陽の光を浴びて葉を揺らす音が微かに聞こえてくる。


「さて、お腹も十分に満たされました。裏庭でファノーネとお野菜たちが、私たちのことを待っていますね」


 カエラムが優しい声でうながすと、コルネリアは昨夜からの甘い余韻よいんを胸の奥にしっかりとしまい込み、元気よく頷いた。


「はいっ! 今日もお野菜たちに、たっぷりとお水をあげなくては」


 互いの存在に対する揺るぎない愛情と、満ち足りた幸福感に包まれながら――。

 二人は足元で付き従うコユキをともなって、眩しい夏の光が降り注ぐ朝の裏庭へと、軽やかな足取りで向かっていくのだった。

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