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15 先生でも、こんな風に余裕をなくされることがあるのですね……

 森の木々が鮮やかな赤や黄色に染まり始め、吹き抜ける風に冬の足音が混じり始めた頃。

 診療所の中では、来るべき厳しい寒さに備えて、冬支度の作業が進められていた。


「コルネリアさん。その薪の束は重いですから、そのまま置いておいてください。私が運びます」


「カエラム先生。私はもう怪我人ではありませんわ。これくらいの重さなら、私一人でも十分に運べます」


「いけません。万が一にも、木片があなたの美しい手に刺さって傷でもついたら大変です。さあ、私に渡して」


 カエラムは半ば強引にコルネリアが抱えていた薪の束を取り上げ、かまどの横へと積み上げた。

 コルネリアは空になった両手を見つめ、わずかに不満を滲ませて唇を尖らせた。


 最近カエラムの彼女に対する扱いが、常軌を逸するほど過保護になっていた。

 重いものを持たせないのは当然のこと、少しでも高いところにある薬草を取ろうとすれば、すっ飛んできて代わりに取ってくれる。


 大切にされていることは、痛いほど伝わってくる。

 かつて王都で誰からも見放されていた彼女にとって、その真っ直ぐな気遣いは涙が出るほど嬉しいものであった。


 ――しかし、その一方で、胸の奥に小さな不満の種が芽生え始めているのも事実だった。


(先生は、私のことをまるで幼い子供のように扱われます……)


 コルネリアは立派な大人の女性であり、彼の助手としてこの診療所を支えたいと強く願っている。

 守られるだけの存在ではなく、対等な立場で彼を支え、頼りにされたいのだ。


 なのに、彼はいつまでも自分を庇護すべき対象という枠から出そうとしてくれない。

 それがどうしてこんなにも歯痒く、寂しいのか――コルネリア自身にも理由は分かっていなかった。

 ただ、彼のその年長者としての過剰な保護を、少しでも崩してみたいという衝動に駆られていた。


「……先生。川へお水を汲みに行ってくださるのでしょう? その間に、私は高い棚の上にある冬用の毛布を下ろしておきますね」


 カエラムが大きな木桶を両手に持って外へ出ようとした背中に声をかけると、彼は慌てたように振り返った。


「私が戻るまで待っていてください! 高いところの作業は危険です」


「大丈夫です。先生が戻られるまでに終わらせておきますから」


 コルネリアは珍しく強気な態度で言い切り、背を向けた。

 カエラムが心配そうな顔で森へ向かうのを見届けた後、彼女は部屋の隅にある木製の踏み台を天井近くの棚の下へと移動させた。


 私だって、先生に頼らずに一人でできるところを証明してみせる。

 そうすれば、少しは子供扱いをやめて一人の有能な助手として見てくれるかもしれない。


 そんな意気込みを胸に、コルネリアは衣服の裾を持ち上げ、踏み台の上へと足を乗せた。

 棚の奥には、分厚く編み込まれた大きな毛布がいくつも収納されていた。

 コルネリアは両手を伸ばし、一番手前にある毛布の束を抱え込んだ。

 思ったよりも重さがあったが、これくらいなら何の問題もない。

 そう確信し、毛布を引き抜こうと体重を後ろにかけた――その直後。


 彼女の特異な不運体質が、まるでこの時を待っていたかのように牙を剥いた。

 長年カエラムの体重を支え続け、何一つ問題のなかった頑丈な木製の踏み台。

 その四本ある脚のうちの一本が、奇跡的な負荷の偏りによって何の前触れもなく唐突に折れ曲がったのだ。


「えっ……!?」


 悲鳴を上げる間もなかった。

 足場を失ったコルネリアの身体は、抱え込んだ重い毛布とともに無防備な状態のまま後方の宙へと投げ出された。


 またやってしまった。

 先生の言う通りに待っていればよかった。

 後悔とともに、床に激突する痛みを覚悟してコルネリアが強く瞳を閉じた時――。


「コルネリアさん!」


 切羽詰まった低い声が響くと同時に、彼女の身体は硬い木の床ではなく、温かく厚みのある胸の中へと落ちていた。

 水汲みから戻り、扉を開けた瞬間に異変を察知したカエラムが木桶を投げ出して信じられないほどの反射神経で駆け寄り、落下する彼女の身体を空中で抱き止めたのだ。

 薬草の香りと、カエラムの体温が全身を包み込む。


「怪我はありませんか!? どこか痛むところは……」


 カエラムの焦燥に満ちた問いかけに、コルネリアはゆっくりと目を開いた。


「はい……申し訳ありません。先生の忠告を聞かずに、ご迷惑を……」


 謝罪の言葉を紡ぎながら、コルネリアは彼の腕の中から逃れようと身を捩った。

 ――しかし、二人の身体は離れなかった。

 物理的な距離が離れないばかりか、顔と顔が互いの吐息を感じるほどの至近距離で完全に固定されてしまっていたのだ。


「……先生? あの、離れられないのですが――」


 コルネリアが困惑して視線を下に向けると、信じられない光景が広がっていた。

 落下した際の反動と風圧のせいだろうか。

 コルネリアの衣服の胸元で結ばれていた細い装飾用の紐が、あろうことかカエラムの白衣のボタンに複雑に絡みついていたのである。


 さらに不運なことに、コルネリアの結い上げていた髪の毛の束が崩れ、数本の髪がカエラムの顔にかかる丸メガネの蝶番ちょうつがい部分に深く挟まり込んでいた。

 結果として、二人は胸元と顔の両方を固定され、密着状態を強いられていた。


「動かないでください、コルネリアさん。髪が抜けてしまいます……今、私が解きますから」


 カエラムの言葉が、耳元で低く響いた。

 その声の振動が、直接コルネリアの肌を伝わってくる。


 無精髭の生えた輪郭、通った鼻筋、そして真剣な表情。


 ――その時、コルネリアの身体に奇妙な異変が起こった。

 胸の奥深く、心臓のある場所が、かつて経験したことのないほどの異常な速さで脈打ち始めたのだ。


 落下した驚きはすでに消え去っているのに、彼の熱と匂いを感じるたびに、息苦しいほどの甘い痛みが胸を締め付けてくる。

 視線をどこに向けても彼の姿が目に入り、彼が呼吸をするたびにその胸の厚みが自分の身体に伝わってくる。


(何なの、これ……どうしてこんなに、胸が苦しいの……?)


 コルネリアは自身の身体に何が起きているのか全く理解できず、ただ顔に熱が集まるのを感じながら浅い呼吸を繰り返すことしかできなかった。


 一方――絡まりを解こうとするカエラムの側にも、明らかな異常が発生していた。

 普段であれば、医療用の極細の糸すらも完璧に結び、解くことのできる神業のような指先。

 それが今、信じられないほど不器用に空を彷徨い続けているのだ。


 彼は懸命に大人としての理性を保とうとしていた。

 しかし、腕の中にいる彼女の驚くほど柔らかな感触や、首筋から微かに漂う花のようないい匂い、そして潤んだペリドットの瞳で見つめられるという状況が――年長者の男性としての余裕を根底から破壊しようとしていた。


「……先生。まだ、解けませんか?」


「す、少しお待ちください。紐の結び目が予想以上に複雑で……それに、髪の毛も……」


 カエラムの声は普段の落ち着きを完全に失い、ひどく上ずっていた。


 永遠にも似た数分間の格闘の末、ようやくボタンに絡みついていた紐が外れ、メガネに挟まっていた髪の毛が解放された。


 拘束が解け、二人は弾かれたように大きく距離を取った。

 診療所の中に、気まずい沈黙が落ちる。


「……怪我がなくて、本当に良かったです」


 その沈黙を破ったのは、カエラムだった。

 彼は顔の半分を手で覆い隠し、必死に壁の薬草棚や窓の外の風景へと視線を彷徨わせている。


 それを見たコルネリアは、自らの胸に手を当てながら真っ赤な顔で彼を見つめ返した。


(先生でも、こんな風に余裕をなくされることがあるのですね……)


 至近距離で彼が放っていた切羽詰まった空気と、今目の前で見せている隠しきれない動揺は、間違いなく彼女を一人の女性として強烈に意識した結果であった。


 その事実がなぜこれほどまでに自分を嬉しくさせるのか。

 胸の痛みがどうしてこんなにも心地よいのか。


 心に芽生えた感情の正体が完全に形を成すまで、もう少しの時間を必要としていた。


「先生……助けていただき、ありがとうございました」


 コルネリアがはにかみながら微笑むと、カエラムは覆っていた手の隙間から彼女を一度だけ見つめ、長く息を吐き出した。


 秋の冷たい風が窓から吹き込んできても、診療所の中を満たす二人の甘い熱が冷めることは決してなかった。

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