148 また来年も、絶対に美味しいスイカを一緒に食べましょうね!
午前中の診療を終え、森の木陰を心地よい風が吹き抜ける穏やかな午後。
本格的な夏の訪れを告げるように、森の木々には陽光が力強く降り注ぎ、見上げる梢は目にも鮮やかな深い緑色に染まり切っていた。
カエラムとコルネリアが、診療所の前にある長椅子に腰掛けて涼んでいると、森の小道から草葉を踏み分けるしっかりとした足音が近づいてきた。
視線を向けると、そこには見覚えのある古い麦わら帽子を被り、日に焼けた顔に柔和な笑みを浮かべた老翁――ジェドの姿があった。
「先生、コルネリアさん。こんにちは。今日も良いお天気ですね」
「ジェドさん、よくいらっしゃいました。日差しが強い中、遠くまでありがとうございます」
カエラムが立ち上がって労いの言葉をかけると、ジェドは大切そうに両腕に抱えていた巨大な球体を、ゆっくりと長椅子の上へと下ろした。
それは、見事なまでに大きく育った、深緑の皮に黒い縞模様がくっきりと浮かび上がる立派なスイカであった。
「まあ……! なんて大きなスイカなのでしょう!」
コルネリアがペリドットの瞳を輝かせると、ジェドは目尻の皺を深くして誇らしげに頷いた。
「ええ。去年の夏に、お二人と『来年も一緒に食べましょう』と約束しましたからね。あれから一年、毎日欠かさず畑の世話をしてまいりました。今年もこうして、見事な実をつけてくれたのですよ」
自らの手で命を育み、その恵みを大切な人たちと分かち合う喜び。
ジェドの生き生きとした表情には、かつて生きる希望を失ってこの診療所の前で行き倒れていた頃の影など微塵も残っていない。
その事実が何よりも嬉しく、カエラムとコルネリアは顔を見合わせて心からの笑顔を咲かせた。
「ジェドさんの愛情がたっぷりと詰まった最高の贈り物ですね。せっかくですから、今年も去年と同じように、あの清流で冷やしてから一緒にいただきましょうか」
「ええ、それが一番の贅沢というものです」
カエラムが重いスイカの入った籠を持ち上げ、三人は木漏れ日が差し込む森の獣道をゆっくりと歩いて、少し離れた場所にある清流へと向かった。
川辺に到着すると、カエラムは雪解け水のように冷たい浅瀬へとスイカを静かに沈め、水の流れで転がっていかないように周囲を丸い小石で囲んで固定した。
透明な水がスイカの表面を滑るように流れ、周囲の空気を心地よく冷やしていく。
スイカが十分に冷えるのを待つ間、三人は川辺に広がる大きな木陰の岩場に腰を下ろし、涼みながらのんびりとした時間を過ごすことにした。
「こうして水の流れる音を聞いていると、心まで洗われるようです。ちょうど一年前にも、同じように三人でここでスイカを冷やして待ちましたね」
ジェドが川面を滑る涼やかな風に目を細めながら語りかけると、コルネリアは懐かしむように頷いた。
「ええ。あの時ジェドさんが、私たち二人の関係が変わったと、まるですべてお見通しのように指摘されたこと、今でも鮮明に覚えておりますわ」
その言葉に、カエラムも少しだけ照れくさそうに視線を彷徨わせた後、口角を柔らかく引き上げた。
「あの時のジェドさんの鋭い観察眼には、本当に驚かされました。ですが……あの時ジェドさんが私たちの背中を優しく押してくださったおかげで、今のこの穏やかな幸福があるのだと、深く感謝しているのです」
カエラムがコルネリアの手に自身の大きな手を重ねると、ジェドはどこまでも温かい眼差しで二人を見つめ返した。
「お二人からそのように言っていただけると、私のような老いぼれでも、少しは人の役に立てたのだと胸が張れますよ。お互いを大切に想い合うお二人の姿を見ているだけで、私の心まで満たされていくのです」
人生の大先輩からの温かい言葉に包まれ、三人の間には言葉にしなくても伝わる深い絆が静かに流れていた。
――やがて、スイカが十分に冷えた頃合いを見計らい、カエラムが川の浅瀬から引き上げた。
持参した刃物を使い、スイカの中央に慎重に刃を入れる。
硬い皮が裂ける心地よい手応えとともにスイカが真っ二つに割れると、中からは皮の限界までぎっしりと詰まった、目を見張るほどに鮮やかな赤い果肉が顔を出した。
切り分けるそばから瑞々しい果汁が刃を伝って滴り落ち、夏の果実特有の青く甘い香りが周囲に広がる。
「さあ、いただきましょう」
三人はそれぞれ切り分けられたスイカを手に取り、大きく口を開けてかぶりついた。
心地よい歯触りとともに、冷たい果汁が口いっぱいに溢れ出す。
清流の天然の冷気によって芯まで冷やされたスイカは驚くほどに強い甘みを持っており、夏の暑さで火照った身体の熱を速やかに奪い去っていった。
「本当に、甘くて美味しいですわ! ジェドさんが手塩にかけて育ててくださった、最高のご馳走です」
コルネリアが目を輝かせながら賛辞を送ると、ジェドは嬉しそうに何度も頷きながら、自身のスイカを味わい続けた。
スイカを心ゆくまで堪能した後、三人は片付けを済ませて再び診療所へと戻ってきた。
ジェドは帰路につく前に、二人が世話をしている裏庭の菜園を見ていきたいと申し出た。
「ほう……これは見事です。トマトもピーマンも、葉の勢いが素晴らしい。それにこのズッキーニの大きさと言ったら、私の畑のものよりずっと立派ですよ。お二人が毎日どれほど丁寧に土と向き合っているかが、よく分かります」
青々と葉を広げる夏野菜たちを撫でながら、ジェドは感嘆の息を漏らした。
そして彼の視線は、菜園の端に積まれている、ファノーネの落とし物と森の落ち葉を混ぜ合わせた肥料の山へと向けられた。
「おや、あの時の馬糞ですね。なるほど……しっかりと定期的にかき混ぜて、土の中に空気を入れながら熱を逃がしている。匂いもすっかり良い土の香りに変わってきています。先生、コルネリアさん。これなら、野菜を極上に甘くする最高の追肥になりますよ。本当に、素晴らしい手仕事です」
自分自身の教えを忠実に守り、実践している二人の姿に、ジェドは心からの称賛を送った。
コルネリアは嬉しそうに胸の前で手を合わせ、カエラムもまた満足げに頷いた。
しかし――その直後のことである。
菜園をひと回りし、別の畝の前に立ったジェドが、ふと立ち止まって二人を振り返った。
「……そういえば、先生。馬糞を肥料にする時は、生のままそのまま土に混ぜてはいけませんよ。急激な分解が始まって高い熱を持ち、野菜の根を焼いてしまいますからね。落ち葉と混ぜて、しっかりと寝かせないといけません」
その言葉を聞いた瞬間――コルネリアは不思議そうに小首を傾げた。
つい先ほど、彼自身がその肥料の山を見て、「しっかりと熱を逃がしている。最高の追肥になる」と褒め称えてくれたばかりだったからだ。
「ジェドさん? あの、先ほどその山を見て……」
コルネリアが言葉を紡ぎかけたその時、カエラムがすかさず彼女の肩にそっと手を置き、その言葉を遮るようにして前に出た。
「ええ、おっしゃる通りです。その節はジェドさんに大切なことを教えていただき、本当に助かりました。私たちのような素人では、危うく野菜の根をすべて駄目にしてしまうところでしたから」
カエラムはいつもの穏やかな笑みを崩すことなく、自然な相槌を打った。
ジェドはカエラムの言葉に満足そうに頷くと、今度は菜園の空き地を見つめて言葉を続けた。
「野菜だけでなく、果樹を植えるのも良いかもしれませんね。もし種や苗をお探しなら、街のエルマーさんの種苗店へ行くと良いですよ。あそこは、本当に質の良い苗を揃えていますから」
これもまた、彼が診療所に到着してすぐの何気ない会話の中で、すでに二人に勧めてくれていた内容と全く同じものであった。
カエラムの丸メガネの奥にあるアンバーの瞳だけが、この小さな異変の正体を正確に捉えていた。
ただの年齢による物忘れではない。
つい数分前、あるいは数十分前に自分自身が体験したこと、見たこと、話したことの記憶だけがすっぽりと抜け落ちてしまう。
それは、医学の知識を持つカエラムにとって、あまりにも見慣れた認知症の初期症状特有の、短期記憶の欠落であった。
彼自身の肉体は畑仕事のおかげで健康そのものであり、言葉もはっきりとしている。
過去の記憶も、二人の命の恩人への感謝も、肥料の作り方という長年の知識も、すべてしっかりと残っている。
ただ、新しい記憶を留めておく機能だけが、静かに衰え始めているのだ。
(……これが、人間が避けては通れない老いというもの)
カエラムは胸の奥を鋭い針で突かれたような痛みを覚えながらも、表情には一切出さず、ただ深く静かに頷いた。
病気や怪我であれば、彼の天才的な医療技術で治すことができる。しかし、寿命に向かって緩やかに機能を落としていく自然の摂理としての老いばかりは、どれほど優れた名医であっても止めることはできない。
今、ここで彼の症状を指摘し、彼自身に自覚させて混乱させることに、医師としての意義はない。
今はまだ、彼から土に触れる喜びを、畑を耕して収穫を得る生きがいを奪う段階ではないのだから――。
「ええ、ジェドさんのお勧めなら間違いありませんね。今度の休日に、二人でエルマーさんの店へ足を運んでみます。教えていただき、ありがとうございます」
カエラムの温かい返答に、ジェドは安心したように柔和な笑みを浮かべた。
――やがて夕刻が近づき、森に少しずつ長い影が伸び始めた頃、ジェドは帰路につくことになった。
「今日は本当に楽しい時間をありがとうございました。また美味しい野菜が採れたら、すぐに持参しますよ」
「はい! ジェドさん、また来年も、絶対に美味しいスイカを一緒に食べましょうね!」
コルネリアが笑顔を咲かせ、見えなくなるまで大きく手を振って見送る。
カエラムもまた、彼女の隣に並んで静かに手を振った。
いつまでも続くわけではないと知っているからこそ、今この穏やかな時間が、これほどまでに愛おしく尊いのだ。
残酷に――しかし、確実に忍び寄る老いの影を前にして、カエラムは彼自身の人生の終幕が訪れるその日まで、医師として、そして一人の友人として、彼の尊厳と笑顔を守り抜こうと静かに覚悟を決めていた。
西の空が柔らかな茜色に染まり、初夏の森を吹き抜ける風が、少しだけ切なく、けれどどこまでも温かい決意を胸に秘めた二人の間を優しく通り抜けていくのだった。




