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冤罪で追放された伯爵令嬢は、森の奥の診療所で天才医師の胃袋を掴み、愛されながら幸せなスローライフを満喫します  作者: 白月つむぎ


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145 手持ち花火、ですか?

 雨上がりの湿り気を含んだ土の匂いと、どこか力強さを増した太陽の光。

 診療所の前にある木陰こかげの長椅子に腰を下ろしたカエラムとコルネリアは、特製の梅ネードが入ったグラスを手に持ちながら、心地よい風を全身で感じていた。

 熟成じゅくせいされた梅の爽やかな酸味が、農作業で心地よく疲労した身体の隅々にまで染み渡っていく。


 静かな森の空気を満喫し、二人がグラスを傾けていたその時――。

 森の奥へと続く小道の方から、湿った落ち葉を重く踏みしめる足音が近づいてきた。


 通常の村人のものとは明らかに違う、どこか足を引きずるような、苦しげで重々しい足運びである。

 二人が不思議に思って視線を向けると、木々の影から一人の大柄おおがらな人物が姿を現した。


 人間の成人男性よりも一回りも二回りも大きな体躯たいく

 その頭部には灰色の毛並みを持った狼の耳がついており、衣服の隙間から覗く太い腕には、獣特有の鋭い爪が備わっていた。


 獣人の中でも強靭きょうじんな肉体を持つとされる種族、ライカンスロープ――狼人の男性である。


 しかし、その屈強くっきょうなはずの男は、今はひどく顔を歪ませていた。

 彼の右腕はだらりと力なく下げられており、その衣服の袖は黒く焼け焦げている。

 布が破れた隙間から剥き出しになっている皮膚は、見るも無惨に腫れ上がっており、重い火傷やけどを負っていることは誰の目にも明らかだった。


「……すまねえ。ここに、種族を問わず、どんな奴でも診てくれる腕のいい医者がいるって噂を聞いて、命からがらやってきたんだが……」


 男は苦痛に顔を歪ませながら声を絞り出し、痛みに耐えかねたようにその場に膝をつきそうになった。

 ライカンスロープをはじめとする獣人の種族は、ゼサリア・オル王国の王都などでは野蛮やばん亜人あじんとして激しい迫害はくがいや差別の対象となりやすい。


 そのため、大きな街ではまともな医療施設を利用することすら許されず、怪我や病気をしても自力で治すか、闇医者を頼るしかないのが現状であった。

 彼もまた、まともな治療を受けられる場所が見つからず、最後の希望としてこの未統治の辺境の森へと逃げ込んできたのだろう。


「大丈夫ですか!? カエラム先生!」


 コルネリアが焦燥しょうそうの念をペリドットの瞳に宿して叫ぶと、カエラムの顔つきは瞬時にして、一切の妥協を許さない医師のそれへと切り替わった。

 彼は男の種族や、恐ろしげな獣の容姿など微塵も気にする様子はなく、グラスを置いてすぐさま駆け寄り、その巨体を自身の肩でしっかりと支え上げた。


「すぐに診療所の中へ。コルネリアさん、清潔な布と、冷却用の綺麗な湧き水を大量に用意してください。それから、火傷に効く薬草の軟膏なんこうもお願いします!」


「はい、ただいま準備いたします!」


 コルネリアが弾かれたように診療所の中へと駆け込む。

 カエラムは男を待合室の長椅子へと横たわらせると、黒く焦げて皮膚に癒着ゆちゃくしそうになっている衣服の袖を、医療用のハサミを使って慎重に切り開いていった。


 露出ろしゅつした右腕の火傷は想像以上に深く、そして広範囲に及んでいた。

 しかし、カエラムのアンバーの瞳に動揺どうようは一切ない。


 コルネリアが桶いっぱいに汲んできた冷たい湧き水を使い、患部を徹底的に洗浄していく。

 指先の感覚を研ぎ澄ませ、皮膚の組織を傷つけないよう細心の注意を払いながら、患部にこもっている熱を確実に奪い取っていくのだ。

 男は激しい痛みに奥歯を強く噛み締めていたが、カエラムのあまりにも手際が良く、そして迷いのない治療の過程に、驚きを隠せない様子で目を見張っていた。


 十分な冷却を終えると、カエラムは鎮痛ちんつう作用と高い組織再生能力そしきさいせいのうりょくを持つ特製の薬草軟膏を、患部全体に分厚く塗布とふしていく。

 最後に白い包帯を、血流けつりゅうさまたげない絶妙な力加減で巻き上げて、素早く結び目を固定した。


「……これでひとまず安心です。皮膚の深い組織までは破壊されていませんから、定期的にこの軟膏を塗り替えて安静にしていれば、後遺症こういしょうも残らず綺麗に治るでしょう。痛みが引いて落ち着くまで、ここで少し休んでいってください」


 カエラムが丸メガネの位置を直し、いつもの穏やかな声で告げる。

 激しい痛みが劇的に和らいだ男は、灰色の狼の耳を力なく寝かせ、信じられないものを見るかのような目でカエラムと、そして甲斐甲斐かいがいしく立ち働いてくれたコルネリアを見つめた。


「……本当に、噂の通りだ。俺みたいな迫害されがちなライカンスロープを、忌避きひするどころか、こんなに丁寧で迅速じんそくに診てくれるなんて……あんた、本物の名医だな。ありがてえ……」


 男がベッドの上で深く頭を下げると、カエラムは静かに首を横に振った。


「医師が目の前の患者を救うのに、種族の壁など関係ありません。それにしても、これはひどい火傷でした。一体、何をされていてこのようなお怪我を?」


 カエラムの問いかけに、男は少しだけ照れくさそうに自身の頭をいた。


「ああ、俺はレブジってんだ。この森を抜けた先にあるオスティル村で、火薬の製造に関わっている花火職人でな。今回も、夏に向けて新しい火薬の配合を試している最中に、手元を誤って爆風を浴びちまったのさ」


 その言葉を聞いた瞬間、隣で薬瓶を片付けていたコルネリアが、ハッと何かに気づいたように振り返り、ペリドットの瞳を眩いほどに輝かせた。


「あの……オスティル村の花火職人さん、なのですか?」


「あ、ああ。そうだ。どうして嬢ちゃんが俺の村を知っているんだ?」


 不思議そうに首を傾げるレブジに対し、コルネリアは胸の前で両手を合わせ、まるで憧れの英雄にでも出会ったかのような、熱を帯びた表情で一歩前に出た。


「やっぱりそうですのね! 私、去年の夏の終わりに、カエラム先生と一緒にオスティル村のお祭りに行きまして、そこで初めて花火大会というものを拝見いたしましたの。あの時、真っ暗な夜空に咲き誇った大輪の光の華が、あまりにも……あまりにも美しくて、息をするのも忘れてしまうほどでした。私、生まれて初めてあんなに素晴らしいものを見ましたの。あの感動は、一生忘れませんわ。それをあなたが作っていらしたのですね!」


 コルネリアの口から次々と飛び出す、称賛しょうさんと深い感動の言葉。

 それを聞いたレブジの大きな身体が、びくりと大きく震えた。

 王都の人間たちからは獣人として不当に扱われ、日陰者として生きることを強いられてきた自分たちの存在。

 ――しかし、自分たちが情熱を注いで作り上げた技術の結晶が、これほどまでに純粋じゅんすいで美しい人間の少女の心を強く打ち、そして心からの感謝を向けられている。


 職人として、これ以上の名誉めいよと喜びがあるだろうか。

 レブジの強面こわもてな顔は一瞬にして真っ赤に染まり、灰色の狼の尻尾が、本人の意思とは裏腹に、嬉しさを隠しきれないように左右へと激しく揺れ動いた。


「……そ、そうかい。嬢ちゃんにそこまで言ってもらえるなんて、職人冥利しょくにんみょうりに尽きるぜ。俺たちが命懸いのちがけで作った火薬の華が、誰かの心にそこまで深く残っているなんてな……火傷の痛みなんて、すっかり飛んでっちまいそうだ」


 レブジは目元を少しだけうるませながら、照れ隠しのように太い指で鼻の下を擦った。

 そして、彼は背負っていた丈夫な革袋の中から、丁寧に紙で包まれ、紐でしっかりと縛られた細長い筒の束を取り出し、円卓の上へとそっと置いた。


「急いで駆け込んできたもんで、まともな治療費も持たずに来ちまったが……これを受け取ってくれ。俺が個人的に作った手持ち花火の束だ。火薬の配合を工夫して、一本で火花の色が次々と変わるように特別に造ってある。祭りの大きな花火とは違うが、静かな夜の森で楽しむには、ちょうどいい代物しろものだ。最高の治療をしてくれたことと、俺たちの仕事を褒めてくれたことへの、せめてもの礼だ」


「まあ……! 手持ち花火、ですか? このような素晴らしい贈り物をいただけるなんて……本当に、ありがとうございます!」


 コルネリアが宝物を受け取るようにしてその束を大切に胸に抱きしめると、カエラムもまた、満足げに微笑んでレブジの肩を優しく叩いた。


「ありがたく頂戴ちょうだいいたします。レブジさん、腕の火傷の傷が完全に癒えるまでは、どうか無理な火薬の扱いは控えてくださいね。今年も、あなたが情熱を込めて作る美しい花火を、私たちは心から楽しみにしているのですから」


 医師としての忠告と、そして一人の観客としての期待――。

 その温かい言葉の二重奏にじゅうそうに、レブジは灰色の耳を嬉しそうに立て、満面の笑みを浮かべて深く頷いた。


「ああ、分かってるぜ、先生! 偏見のない最高の医者と、俺の仕事を心から喜んでくれる最高の嬢ちゃんに出会えて、今年の夏は、今までで一番気合の入った大輪たいりんを打ち上げられそうだ! 今年も絶対に、オスティル村へ見にきてくれよな!」


 十分な休息をとった後、レブジは包帯の巻かれた右腕を大切そうに庇いながらも、治療を終えてすっかり軽くなった足取りで、森の小道を元気に歩き出した。

 カエラムとコルネリア、そしていつの間にか居住区画から姿を現したコユキは、診療所の前に並んで立ち、木々の向こうへと消えていく大柄な花火職人の背中を、見えなくなるまで大きく手を振って見送り続けた。


 雨上がりの澄み切った清々しい風が、静かに繋がれた二人の手を優しく包み込むように吹き抜けていく。

 手元に残された花火の束と、これから訪れるであろう眩しい季節への大きな期待を胸に抱きながら――。


 森の診療所の夏の始まりは、新しい出会いともたらされた温かい光に満ちあふれながら、穏やかに幕を開けるのだった。

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