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冤罪で追放された伯爵令嬢は、森の奥の診療所で天才医師の胃袋を掴み、愛されながら幸せなスローライフを満喫します  作者: 白月つむぎ


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138 お口の中でお魚の身がほろほろと解けて、脂の甘みが広がりますわ!

 きらきらと初夏の陽光ようこうを反射する澄み切った清流を前に、カエラムとコルネリアは並んで岩場に腰を下ろし、しなやかな竹の釣り竿から釣り糸を垂らしていた。

 川底の丸い石まではっきりと見えるほどの透明度を誇る水の中には、美しい銀色のうろこを持った川魚たちの姿が確かに確認できる。


 ――しかし、この上流に住む魚たちは思いのほか警戒心が強く、針の先につけたのすぐ傍まで近づいてはくるものの、鼻先でツンと小突くだけで、決して口を使おうとはしなかった。


「……なかなか、食いついてくれませんね。川の水が澄みすぎているため、我々の姿や釣り糸が見破られているのかもしれません」


「お魚さんたちも、とても賢いのですね。せっかく調理台を持ってきたのですから、一匹くらいは釣り上げたいところですわ」


 コルネリアが少しだけ残念そうにペリドットの瞳を伏せて、竹竿を握り直す。


 そんな二人の背後では、川岸の柔らかな草地でファノーネがのんびりと尻尾を揺らしていた。

 コルネリアは一度竿を置き、持参していたかごの中から立派なにんじんを一本取り出してファノーネの元へと歩み寄った。


「ファノーネ、重い荷物を運んでくれてありがとう。ご褒美のにんじんですわ」


「ブルルッ!」


 ファノーネは嬉しそうに目を細め、差し出されたにんじんを器用に前歯で受け取ると、ボリボリと音を立てて豪快に咀嚼そしゃくし始めた。

 その傍らでは、コユキがちょうを追いかけて元気いっぱいに跳ね回っている。


「ふふっ、ファノーネもコユキも楽しそうです。先生、私、もう少し上流の深い場所へ移動して竿を振ってみますね」


 ファノーネの頭を撫でてから、コルネリアは自身の釣り竿を手に取り、少しだけ場所を変えるために川岸の岩を伝って歩き出した。

 そして、川面にせり出している大きな広葉樹こうようじゅの木の下に立ち、よし、と気合を入れて大きく釣り竿を振りかぶった――まさにその瞬間。


 ヒュッ、という風を切る音と共に放たれた釣り針が、あろうことか真っ直ぐに上へと伸び、頭上に張り出していた巨大な木のはるか高い枝に、ガッチリと絡みついてしまったのである。


「ああっ! い、糸が引っかかってしまいましたわ……!」


 コルネリアが慌てて竿を引くが、釣り針は枝に深く食い込んでしまっているらしく、びくともしない。


「ネリー、無理に引っ張ると竿が折れてしまいますよ。私が取りますから、そのまま待って……」


「だ、大丈夫です! 少し強く引けば、きっと外れるはず……えいっ!」


 カエラムが止める声も聞かず、コルネリアが思い切り体重を後ろにかけて竿を強く引っ張った――その時。

 彼女が踏みしめていた足元の岩に生えていた、水分を含んだ滑りやすいこけが、その特異体質である不運の引き金を見事に引いた。


「あっ――きゃっ!?」


 ツルッ、と見事に足を取られたコルネリアは、空中で手足をばたつかせ、そのままドスンッ! と派手な音を立てて柔らかな草地の上に尻餅しりもちをついてしまった。

 そして、彼女が尻餅をついた反動で、釣り糸に繋がっていた太い枝が、限界までしなり――直後、恐ろしい勢いでバチンッ! と元に戻ったのである。


 その凄まじい衝撃により、木全体が大きく揺さぶられた。

 すると、その広葉樹の枝葉の間に隠れるようにして無数に実っていた、甘く熟した赤い果実――ルージャの実が、まるで激しい通り雨のように、パラパラパラッ! と大量に降り注いできたのだ。


「い、痛いですわ……ん? これは、ルージャの実ですか?」


 頭に落ちてきた赤い実を拾い上げ、コルネリアが不思議そうに目をまばたかせていると、事態は彼女の想像を遥かに超える奇跡の連鎖れんさへと突入していった。


 まず、川岸の草地に大量に降り注いだ甘いルージャの実の匂いを嗅ぎつけたファノーネが、「ブルルルッ!」と歓喜のいななきを上げ、夢中になってボリボリと木の実を食べ始めた。

 ルージャの実は、馬も大好物とする非常に糖度の高い木の実だったのだ。


 さらに、川面に向かってバラバラと落ちた大量の実は、川の水を甘い香りで満たし、これ以上ないほど完璧なとなった。

 静かだった水面が、突如としてバチャバチャと激しく波立ち始める。

 ルージャの実の甘い香りに誘われ、川の奥底や岩陰に潜んでいた、丸々と太った立派な川魚の大群が、信じられないほどの数で一斉に水面へと押し寄せてきたのである。


「なっ……! なんという魚の数ですか! ネリー、あなたの体質が、またしてもとんでもない奇跡を引き起こしましたよ!」


 カエラムが驚愕きょうがくの声を上げ、大急ぎで竹竿を置く。

 しかし、狂乱状態となって水面の実を食い争う川魚たちの動きはあまりにも素早く、手づかみで捕らえることなど到底不可能に思われた。


 せっかくの大群を前に成す術がない――そう思われた、その時。


 いつの間にか川の浅瀬あさせの出口、つまり魚たちが逃げるであろう下流側に先回りしていたコユキが、川幅の狭い場所にどっしりと立ち塞がった。

 そして、その小さな身体からは想像もつかないような威圧感を込めて、短く吠えたのだ。


「ワフッ!!」


 その一声を聞いた瞬間――川魚の大群はパニックに陥った。


 彼らは目前に立ち塞がるコユキから全力で逃れようと、一斉に向きを変えて上流の岸際へと猛烈な勢いで泳ぎ出した。

 そして、逃げ場を失った魚の大群は、コルネリアが尻餅をついているすぐ傍にある、大きな岩でぐるりと囲まれた浅い水たまり――天然の生簀いけすへと、まるで吸い込まれるように次々と突っ込んでいったのである。


 バシャバシャバシャッ! と、岩で囲まれた天然の生簀の中で、逃げ場を失った数十匹もの立派な川魚たちが、所狭しと跳ね回っている。


「……信じられません。コユキとネリーの連携で、これほどの川魚を一網打尽いちもうだじんにしてしまうとは」


「わ、私、ただ転んだだけなのですが……コユキ、とってもお利口さんですわ!」


 コルネリアが立ち上がってコユキを抱き上げると、コユキは誇らしげに短い尻尾を振り、「キュン!」と嬉しそうに鳴いた。


 予期せぬ奇跡の大漁に、二人はすぐさま行動を開始した。

 生簀の中から今日のお昼ご飯に食べる分だけを素早くすくい上げ、カエラムが小刀を使って流れるような手際で魚の腹を裂き、内臓を綺麗に取り除いていく。

 残りの大量の魚たちも、夕食や保存食とするためにすべて血抜きと下処理を済ませた。


「ネリー、魚の処理は終わりました。火の準備をお願いできますか?」


「はいっ、お任せください!」


 コルネリアは、ウラカからもらった野外用調理台の底に持参した木炭を並べ、小さな火種から上手に空気を送り込んで、あっという間に真っ赤に燃える安定した炭火を作り上げた。


 カエラムが、綺麗に処理された川魚の身に竹串を打ち、表面にたっぷりと岩塩を振りかける。

 それを調理台の網の上にずらりと並べた。


 炭火の熱が魚の皮に伝わり、水分が弾ける音が川辺に響き渡る。

 やがて、身から溶け出した極上の脂が下の炭に落ちると、ジュワァッ! という音と共に、食欲を掻き立てる香ばしい煙がふわりと立ち上った。


 川魚特有の香りと、炭火で焼ける塩と脂の匂い。

 それは、どんな高級な料理店の厨房でも決して再現することのできない、大自然の中だからこそ味わえる最高のスパイスだった。


「……素晴らしい焼き色です。皮はパリッと、中はふっくらと火が通っていますよ。熱いうちにいただきましょう」


 カエラムが串から熱々の川魚を外し、コルネリアへと手渡す。

 二人は大きな岩に腰掛け、大自然の澄んだ空気を胸いっぱいに吸い込んでから、焼きたての川魚にかぶりついた。


 サクッ。

 香ばしく焼けた皮が弾け、中からふっくらとした白い身が顔を出す。

 川の苔を食べて育った魚特有の清涼感のある風味と、秋の魚にも負けないほどたっぷりと乗った初夏の脂の甘みが、岩塩の強い塩気によって完璧に引き出されていた。


「美味しいっ……! お口の中でお魚の身がほろほろと解けて、脂の甘みが広がりますわ!」


「ええ、臭みなど全くありません。やはり、新鮮な川魚の炭火塩焼きに勝るものはありませんね。あなたとコユキのおかげで、最高のお昼ご飯になりました」


 二人は顔を見合わせて笑い合いながら、極上の川魚をあっという間に平らげてしまった。


 ――豊かな昼食を終え、太陽が西へと傾き始めた頃。

 生簀に残っていた翌日用の大量の魚を持ち帰るため、コルネリアは魔法の力を行使した。


 彼女が静かに魔力を練り上げ、両手を魚の入った袋にかざすと、淡い水色の光と共に冷たい冷気が生み出され、袋の中に清らかな氷の塊が次々と生成されていく。


「これで大丈夫ですわ。氷の魔法で冷やしておけば、診療所へ着くまで鮮度は完璧に保たれます」


「あなたの魔法は、本当に生活を豊かにしてくれますね。では、そろそろ帰りましょうか」


 カエラムが調理台の火を完全に消して片付け、ファノーネの背に荷物と氷で冷やされた魚の袋をしっかりと固定する。

 ファノーネはルージャの実を腹いっぱい食べて大満足の様子で、足取りも驚くほど軽い。


 コユキもまた、川辺での大活躍を褒められてすっかりご機嫌になり、コルネリアの足元を跳ねるようにして歩いている。


 初夏の強い西日が、森の木々の葉を山吹色やまぶきいろに染め上げていく。

 木漏れ日が揺れる森の帰り道を、カエラムとコルネリアは並んで歩いていた。


「まさか、釣竿を木に引っ掛けたことがあのような大漁に繋がるとは……あなたの引き起こす奇跡には、いつも驚かされてばかりですよ」


「ふふっ、私自身が一番驚いておりますのよ。でも、結果として美味しいお魚がたくさん手に入りましたし、ファノーネもコユキも楽しそうでしたから、大成功ですわね」


 コルネリアがペリドットの瞳を細めて満面の笑みを咲かせると、カエラムもまた、アンバーの瞳をこの上なく優しく和らげた。

 彼は手を伸ばし、コルネリアの少し冷えた小さな手を自身の大きなてのひらで包み込む。


 澄み切った清流の音と、野鳥たちのさえずりを背に受けながら――。

 思いがけない奇跡の連鎖がもたらした豊かな大自然の恵みと、二人と二匹で過ごす温かく満ち足りた休日の余韻よいんは、森の奥へと続く長い影と共にどこまでも穏やかに続いていくのだった。

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