137 一番大きな川魚を狙ってみせますわ!
夜の間に降りた朝露が、森の葉先で朝日を反射してきらきらと輝く頃。
二つの寝台をぴったりと合わせた就寝スペースで、コルネリアは深い安心感と共にゆっくりとペリドットの瞳を開いた。
彼女の視界をいっぱいに満たしたのは、すぐ目の前にある愛する人の穏やかな寝顔だった。
カエラムの胸の中にすっぽりと収まり、互いの腕を回してぴったりと抱き合ったまま、二人はこの朝を迎えていたのである。
彼の規則正しい寝息が、コルネリアの額を優しく撫でる。
その心地よい体温と、耳元から伝わってくる力強い心臓の音に、彼女の胸の奥がじんわりと甘く満たされていく。
(ああ……なんて幸せな朝なのでしょう)
コルネリアが幸福に満ちた微笑みを浮かべて彼の顔を見つめていると、その視線に気づいたのか、カエラムもまたゆっくりと瞼を開いた。
アンバーの瞳が、至近距離でコルネリアを捉える。
「……おはようございます、ネリー」
「おはようございます、先生」
カエラムもまた、コルネリアと全く同じように言葉にならないほどの愛おしさと満ち足りた幸福感を覚えていた。
互いの想いが静かに交錯し、二人の間の空気が甘やかなものへと変わっていく。
どちらからともなく、二人はゆっくりと瞳を閉じ、自然な流れで朝の口づけを交わそうと顔を近づけていった。
互いの吐息が触れ合い、唇が重なるまであとほんのわずか――。
――じぃーっ……。
その時、二人は横方向から、肌を刺すような強烈な視線を感じてハッと動きを止めた。
ゆっくりと目を開け、視線を感じた枕元のほうへと顔を向ける。
そこには、コユキが行儀よくちょこんと座り込んでいた。
そして、澄み切ったマリンブルーの瞳を瞬き一つさせず、「この人間たちは、朝からくっついて何をしているのだろう?」と言わんばかりの不思議そうな顔で、二人の顔を至近距離からガン見していたのである。
「わっ……!?」
「きゃっ!?」
新しい家族に、あわやという甘い雰囲気の瞬間を完璧に目撃されていたことに気づき、二人はガバッと勢いよく距離を取った。
「コ、コユキ! おはようございます! 随分と早起きですね!」
「あ、あのっ、これはですね、決して変なことをしていたわけではなくてですね……!」
真っ赤になって狼狽えるカエラムと、両手で顔を覆ってベッドの端で丸くなるコルネリア。
彼らの激しい動揺など知る由もないコユキは、「キュン?」と可愛らしく小首を傾げた後、尻尾を振って「ご飯が欲しい」と催促するように鳴き始めた。
――気を取り直し、寝間着から着替えて居住区画を出た二人は、キッチンスペースへと向かった。
コルネリアはホワイトブロンドの髪を後ろで一つにまとめ、エプロンを身につける。
まずは足元で期待に満ちた目で見上げてくるコユキのために、新鮮な肉と野菜を茹でて刻んだ朝ごはんをたっぷりと用意してやった。
コユキが夢中になって平らげている横で、二人の朝食作りも進められる。
今朝の主役は、トコトコベイクで買っておいた厚切りのパンだ。
コルネリアは春キャベツを細い千切りにし、パンの縁に沿って土手を作るように高く盛り付ける。
そして、その中央のくぼみに新鮮な卵をそっと落とし入れた。
そのままかまどの熱を利用して、卵の白身が固まり、黄身が美しい半熟状態になるまで香ばしく焼き上げるのだ。
「巣ごもり卵トーストの完成ですわ。お茶も入りましたよ」
円卓に向かい合って席につき、二人はそっと手を合わせる。
「いただきます」
サクッと音を立ててトーストをかじると、中からとろりとした濃厚な黄身が溢れ出し、甘みのあるキャベツの千切りと絡み合った。
パンの香ばしさと、卵のコク、そしてキャベツのシャキシャキとした食感が、朝の身体に心地よい活力を与えてくれる。
「黄身の火の通り具合が絶妙ですね。キャベツの甘みもよく引き立っています」
「ふふっ、ありがとうございます。コユキも、すっかり綺麗に食べてくれましたわね」
微笑ましい朝食の時間を終え、二人は日課である外の仕事へと向かった。
裏庭の柔らかな草地では、ファノーネがたてがみを初夏の風に揺らして待っていた。
カエラムがブラシでその見事な毛並みを梳いてやると、ファノーネは気持ちよさそうに「ブルル」と鼻を鳴らす。
その傍らで、コルネリアは菜園の様子を確認していた。
ふかふかの土から伸びた太い茎には、小さな黄色い花が散った後、つやつやとした夏野菜の実がしっかりと結実し始めていたのだ。
「先生、見てください! トマトがほんのりと赤く色づき始めています。ピーマンも、鮮やかな緑色になって、随分と大きくなりましたわ」
「本当ですね。この分だと、あと数日もすれば初夏の大収穫ができそうです。あなたの丁寧なお世話の賜物ですよ」
太陽の光をいっぱいに浴びて育つ命の成長に、二人は顔を見合わせて嬉しそうに微笑み合った。
――そして、本日は診療所の休診日である。
「ネリー。今日はよく晴れていますし、少し足を伸ばして川釣りへ出かけませんか?」
「川釣り、ですか?」
カエラムの提案に、コルネリアはペリドットの瞳を瞬かせた。
「ええ。昨日のようにガブロスが潜む深い淵は危険ですが、そこから遠く離れた、水が浅く澄み切った上流のポイントなら安全です。今の時期の清流には、苔を食べて育った脂の乗った美味しい川魚がたくさん泳いでいるはずですから」
その言葉を聞いて、コルネリアの表情がぱっと明るくなった。
さらにカエラムは、倉庫から二本のしなやかな竹の釣り竿を取り出すと、続けて以前ウラカからお礼として譲り受けた野外用調理台を引っ張り出してきた。
「せっかくですから、釣れた魚をその場で焼いていただきましょう。炭と岩塩を持っていけば、最高のお昼ご飯になるはずです」
「素晴らしいですわ! 大自然の中でお魚を焼いていただくなんて、とても贅沢な休日になりそうです!」
さっそく準備が整えられた。
力持ちのファノーネの背中に、調理台や木炭、食器類などの荷物をしっかりと固定する。
竹の釣り竿を手に持ったカエラムとコルネリア、そして「お出かけだ!」とばかりに元気よく飛び跳ねるコユキを連れた一行は、初夏の木漏れ日が降り注ぐ森の奥へと出発した。
青々と茂った木々の間を縫って歩くことしばらく――。
やがて木々が開け、目の前にキラキラと太陽の光を反射して輝く、美しい清流が姿を現した。
川幅はそれなりにあるものの、水は驚くほど透明で、川底の丸い石の模様まではっきりと見て取れる。
流れも穏やかで、ガブロスのような巨大な魔物が身を隠すような深い暗がりはどこにもない、安全で開けたポイントだった。
「到着しましたね。水がとても冷たくて、気持ちの良い場所です」
カエラムがファノーネの背から荷物を下ろし、川岸の平らな岩場に鉄の調理台を設置する。
コルネリアは澄み切った川のせせらぎの音と、初夏の青葉の瑞々しい香りに包まれながら、胸いっぱいに深呼吸をした。
「本当に、空気が美味しいですわ……!」
大自然の雄大な景色に心を躍らせながら、カエラムから竹の釣り竿を受け取るコルネリア。
「さあ、まずは炭火を起こす前に、立派な獲物を釣り上げましょうか。今日の昼食は、我々の腕にかかっていますよ」
「はいっ! 一番大きな川魚を狙ってみせますわ!」
朝の甘いハプニングの余韻を清らかな川の風に溶かしながら――。
平和な時間は、川の恵みへの大きな期待と賑やかな笑顔に彩られ、どこまでも明るく爽やかに進んでいくのだった。




