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冤罪で追放された伯爵令嬢は、森の奥の診療所で天才医師の胃袋を掴み、愛されながら幸せなスローライフを満喫します  作者: 白月つむぎ


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127 まるで、森の中に隠された宝石箱のようですわ……!

 規則正しい雨音が、厚い木の壁をへだてて微かに響いていた。


 二つの寝台をぴったりと寄せ合った、ふかふかで広大な就寝スペース。

 コルネリアは、自身をすっぽりと包み込んでいる温かい腕の中で、ゆっくりと意識を浮上させた。


 視界に入ってきたのは、カエラムの穏やかな寝顔である。

 昨夜、互いの率直な想いを伝え合ったおかげだろうか。

 昨日の朝に彼が浮かべていた、理性との過酷かこくな戦いによるげっそりとした疲労の色は、今朝の顔からはすっかりと消え去っていた。


 無防備に目を閉じている彼の表情は、深い安心感に満ちており、とても健やかだ。

 その顔を見て、コルネリアの胸の奥から安堵あんどの吐息が漏れる。

 自分が彼の負担になっていないことが分かり、心からホッとしたのだ。


「……ん」


 彼女が少しだけ身じろぎをした気配で、カエラムの長い睫毛まつげが揺れ、アンバーの瞳が静かに開かれた。

 少し寝ぼけた様子の瞳がコルネリアを捉えると、すぐにふわりと甘く溶けるような色へと変わる。


「……おはようございます、ネリー」


「おはようございます、先生。今朝は……ぐっすり眠れたみたいで、良かったです」


 コルネリアが嬉しそうに微笑むと、カエラムは彼女の腰に回していた腕の力を少しだけ強め、自身の胸元へと彼女を引き寄せた。

 無精髭ぶしょうひげが微かに頬に触れ、くすぐったさにコルネリアが小さく肩をすくめる。


「ええ。あなたが私の気持ちを受け止めてくれたおかげで、昨夜はとても満ち足りた気持ちで眠りにつくことができました」


 カエラムは愛おしそうに彼女のホワイトブロンドの髪を撫でると、少しだけ身を起こし、彼女の顔をそっと覗き込んだ。

 そのまま顔を寄せ、二人はチュッと小さな音を立てて朝の甘い口づけを交わす。

 触れ合うだけの短い口づけだったが、そこには確かな愛情と、互いを大切に想い合う温もりがたっぷりと込められていた。


 幸福な朝の挨拶を終え、コルネリアは弾むような足取りで寝台から降りた。

 今日は診療所の休診日。

 そして何より、二人で街へデートに出かける約束をしていた、特別な日なのである。


「さあ、お出かけの準備をしなければ……あら?」


 いつもなら、カーテンの隙間から眩しい朝陽あさひが差し込んでくる時間のはずが、今朝の室内はやけに薄暗かった。

 不思議に思いながら、コルネリアが窓際のカーテンを勢いよく横に引く。


 ――そこに広がっていたのは、どんよりと重い灰色の空と、森の木々を絶え間なく打ち据える初夏の雨の景色だった。


「ああっ……雨が、降っていますわ」


 楽しみにしていたデートの日が雨になってしまい、コルネリアの肩が分かりやすくガクリと落ち、嘆息した。

 街へ買い物に行けないわけではないが、冷たい雨に濡れながら歩き回るのは少し億劫おっくうだ。

 窓枠に手をかけ、しょんぼりと俯く彼女の背後に、丸メガネをかけたカエラムが静かに歩み寄ってきた。


「見事な雨模様あめもようですね。せっかくの街への外出でしたが……気分が落ち込んでしまいましたか?」


 カエラムが彼女の頭を優しく撫でると、コルネリアは少しだけ唇を尖らせて振り返った。


「だって、今日は先生と街をゆっくり歩くのを、とても楽しみにしていたのですもの……」


 子どものように落ち込む彼女の姿が可愛らしくて、カエラムは思わず小さく吹き出した。

 そして、彼女の視線を自身に向けるように、ぽんと軽く肩を叩く。


「街での買い物は後回しにするとして……せっかくですから、雨の日だからこそ見られる、特別な光景を見に行きませんか?」


「雨の日だからこその、光景……ですか?」


「ええ。森の少し奥に、この季節の雨の日にだけ、息を呑むほど美しくなる場所があるのです。まずは朝食を食べて、身体を温めてから出かけましょう」


 その魅力的な提案に、コルネリアのペリドットの瞳に再びぱぁっと明るい光が灯った。


「はいっ! すぐに朝ごはんの準備をいたしますね!」


 現金なまでに立ち直りの早い助手を見てカエラムが苦笑する中、コルネリアは足取りも軽くキッチンスペースへと向かった。


 雨の日の朝は少し肌寒い。

 こんな日は、身体の芯から温まるようなメニューが良い。


 コルネリアは、昨日グリンダが届けてくれたばかりの濃厚なミルクを鍋に入れ、弱火にかけた。

 そこへ、菜園で収穫した春キャベツをざく切りにしてたっぷりと投入する。


 味付けは少量の塩と、野菜の出汁のみ。

 春キャベツの自然な甘みがミルクに溶け出し、キッチンスペース全体に優しく甘い香りが漂い始めた。


 スープを煮込んでいる間に、別の平鍋にバターを溶かす。

 ボウルに卵を割り入れて手早くかき混ぜ、熱した鍋に一気に流し込んだ。

 菜箸で空気を含ませるように大きく混ぜ、半熟の状態で端に寄せてオムレツの形に整える。

 表面はつるりと美しく、中はとろとろの完璧な焼き上がりだ。


 最後に、トコトコベイクで購入しておいた、表面に大粒の塩がまぶされた塩パンをかまどの火で軽く炙り、香ばしさを引き立たせた。


「さあ、できましたわ。熱いうちにいただきましょう」


 円卓に並べられた、色鮮やかな朝食。

 カエラムが温かいミルクスープを一口飲むと、身体の強張りがスッと解けていくように息を吐き出した。


「……とても優しい味です。新鮮なミルクのコクに、春キャベツの甘みがこれ以上ないほど合っている。雨の日の冷えた身体には最高の贅沢ですね」


 塩パンをちぎって口に入れれば、表面のカリッとした食感の後に、じゅわっと溶け出したバターの風味と塩気が広がる。

 その塩気と、ふっくらと焼かれた甘みのあるオムレツの相性も抜群だった。

 美味しい朝食を二人で囲みながら、これから向かう秘密の場所への期待に、コルネリアの胸は高鳴っていた。


 ――食後、身支度を整えた二人は、雨避けのための厚手の外套がいとうをしっかりと羽織はおり、診療所の裏手へと出た。

 馬小屋から顔を出したファノーネに鞍を乗せる。

 ファノーネは雨を嫌がる様子もなく、むしろ初夏の水を吸って柔らかくなった土の感触かんしょくを楽しむかのように、軽やかに前足を鳴らした。


 カエラムが先にまたがり、引き上げられるようにしてコルネリアも彼の前方に乗る。

 ファノーネがゆっくりと歩みを進めると、雨音とひづめの音が、静かな森に規則正しいリズムを刻み始めた。


 森の中は、木の葉が天然の傘になってくれているおかげで、雨粒あまつぶが直接身体に当たることは少ない。

 水分をたっぷりと含んだ土の匂いと、緑の鮮烈な香りが、いつもより色濃く漂っている。


 コルネリアはカエラムの広い胸に身を預け、彼から伝わる確かな体温を感じながら、静かな雨の森の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。


「……雨の日のお出かけも、悪くありませんね。森の空気が澄んでいて、とても気持ちが良いですわ」


「そう言ってもらえると嬉しいです。目的地は、もうすぐですよ」


 カエラムが手綱たづなを少しだけ緩め、ファノーネが森の木々が少し開けた小道へと足を踏み入れた。

 その瞬間――コルネリアの視界が、信じられないほどの色彩で埋め尽くされた。


「まあ……!」


 思わず声が漏れる。

 目の前に広がっていたのは、見渡す限りに群生する紫陽花あじさいの海だった。


 深い青、高貴な紫、そして可愛らしい薄桃うすもも色。

 土の性質によって色を変えるというその花たちが、初夏の雨をたっぷりと吸い込み、晴れの日には決して見せないほどの鮮烈な色彩を放って咲き誇っていた。


 いくつもの小さな花が集まってできた手毬のような形の花弁に、冷たい雨粒が降り注ぐ。

 丸い花びらや、瑞々(みずみず)しい緑の葉に乗った雨粒が、微かな光を反射して、まるで無数の宝石を散りばめたかのようにきらきらと輝いている。


 それは、雨という自然の演出があって初めて完成する、幻想的で圧倒的な美しさだった。


「すごいです……まるで、森の中に隠された宝石箱のようですわ……!」


 コルネリアは外套のフードを少しだけ後ろにずらし、雨に濡れることもいとわず、その光景に魅入みいられたように瞳を輝かせた。


「綺麗でしょう。この場所の紫陽花は、雨に打たれることで最もその色を深くするのです。あなたに、どうしても見せたくて」


 カエラムがアンバーの瞳を優しく細めて微笑みかける。

 雨の鬱陶うっとうしさを忘れさせ、むしろ雨が降ったことに感謝したくなるほどの絶景。

 彼の用意してくれた粋な贈り物に、コルネリアの心は雨の冷たさを忘れるほどに温かな幸福感で満たされていく。


 静かな雨音だけが響く森の中、二人は言葉を交わすことも忘れ、雨粒をまとって咲き誇る初夏の宝石たちを、いつまでも静かに見つめ続けていた。

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