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冤罪で追放された伯爵令嬢は、森の奥の診療所で天才医師の胃袋を掴み、愛されながら幸せなスローライフを満喫します  作者: 白月つむぎ


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125 グリンダさんの笑顔から元気をたくさんいただきましたわ

 小鳥たちのさえずりが、木々の間を抜けて初夏の爽やかな朝を告げていた。


 二つの寝台を隙間なくぴったりと並べたことで、診療所の壁際にはまるで高級宿にでも置かれているような広大な就寝スペースが誕生していた。

 しかし、どれだけ寝台の面積が広くなろうとも、結局のところ実際に使われているのはその半分以下に過ぎなかった。


 ――なぜなら、コルネリアがカエラムの胸元にぴたりと顔を寄せ、腕の中にすっぽりと収まったまま、一晩中まったく離れようとしなかったからである。

 カエラムの規則正しい心音を聞きながら、コルネリアはこれまでにないほどの安心感とともに、ゆっくりとまどろみから浮上した。


「……先生、おはようございます」


 すっきりと目覚めた彼女が腕の中で顔を上げると、そこにはすでに目を覚ましていたカエラムの姿があった。

 ――しかし、その顔にはあからさまな疲労の色がにじんでいる。


 目の下にはうっすらと影が落ち、心なしか少しばかりげっそりとした様子だ。

 愛しい人の柔らかい身体と甘い香りを一晩中腕の中に抱きしめながら、大人の男としての本能を理性の力だけで押さえ込み続ける。

 それはカエラムにとって、過酷な精神的修練以外の何物でもなかったのである。


「……おはようございます、ネリー」


「先生……やっぱりあまり眠れませんでしたよね。ごめんなさい。でも……私、とても幸せでした。ありがとうございます」


 コルネリアは腕の中から少しだけ身を乗り出し、彼の頬に感謝と愛情を込めて口づけを落とした。

 その瞬間――カエラムの喉の奥からくぐもったような吐息が漏れる。


「……朝からその甘さは、心臓に悪いです。早くこの広い寝台に慣れなければ、私の身が持ちそうにありません」


 カエラムは少しだけ手で顔をおおってから、ゆっくりと身体を起こした。

 かたわらの小机に置かれていた、コルネリアが手縫いしたメガネケースに手を伸ばす。

 そこから愛用の丸メガネを取り出してかけると、ようやくいつもの頼れる医師の顔へと戻った。


「さあ、起きましょうか。今日も良い天気になりそうです」


 二人は並んで身支度を整え、キッチンスペースへと向かった。

 今朝の朝食は、昨日裏の菜園で収穫したばかりの瑞々(みずみず)しい新玉ねぎを使ったオニオンスープと、香ばしいトーストである。


 コルネリアは水分をたっぷりと含んだ新玉ねぎを薄く切り、鍋で軽く透き通るまで炒める。

 そこへ澄んだスープを注ぎ、玉ねぎの自然な甘みをじっくりと引き出していく。

 新玉ねぎは柔らかく、あっという間にトロトロに煮崩れていった。


 同時に、分厚く切ったベーコンを平鍋でじっくりと焼き、脂が溶け出したところで新鮮な卵を落とす。

 軽くあぶったトーストの上に、そのベーコンと半熟の目玉焼きを乗せれば、簡単ながらも食欲をそそる朝食の完成である。


「いただきます」


 カエラムがトーストの上の目玉焼きにナイフを入れると、とろりとした濃厚な黄身が溢れ出し、ベーコンの塩気と絡み合ってパンに染み込んでいった。

 それを一口かじり、熱々のオニオンスープで流し込む。


「新玉ねぎのスープが、驚くほど甘いですね。とろけるような口当たりで、寝起きの胃に優しく染み渡ります。ベーコンエッグのしっかりとした塩気との相性も抜群だ」


「ふふっ。採れたてのお野菜は、それだけでご馳走になりますね」


 二人で向かい合い、美味しい朝食でしっかりと一日の活力を補給した後は、外での力仕事が待っていた。

 昨日ジェドから教わった、馬糞ばふんを使った肥料作りである。


 ファノーネを馬小屋から連れ出し、診療所の裏手の青々と茂った草地へと放牧する。

 彼が嬉しそうに新鮮な草をんでいる間に、二人は馬小屋の掃除に取り掛かった。


 汚れたわらと馬糞をかき集め、一箇所に山積みにしていく。

 そこへ、森の奥から集めてきた落ち葉と、土を交互に重ねて混ぜ合わせていった。


 少し離れた場所で草を食べていたファノーネが、長い首を伸ばして二人の作業をじっと見つめている。

 自分の落とし物を人間たちが一生懸命に集め、土と混ぜて山にしている様子が不思議でたまらないのだろう。

 時折ブルルと鼻を鳴らし、首を傾げるその愛らしい仕草に、二人は思わず笑い声を上げた。


「不思議そうな顔をしていますね。でも、これが発酵はっこうして良い土になれば、美味しい野菜がたくさん育つんだと、彼もいつか分かってくれるでしょう」


 カエラムが額の汗を拭いながら微笑んだ。


 ――作業が一段落し、二人が裏庭の井戸で土に汚れた手を洗っていると、森の小道の方からひづめの音と車輪が回る軽快な音が聞こえてきた。


「先生ー! コルネリアさーん! お届け物だよー!」


 木々の間から姿を現したのは、牧場で働く快活な少女――グリンダが手綱たづなを握る荷馬車だった。

 数日に一度、こうして新鮮なミルクと卵を配達してもらっているのだ。


「グリンダさん、おはようございます。今日も朝早くからありがとうございます」


 コルネリアが手を振りながら歩み寄ると、荷馬車から飛び降りたグリンダは、満面の笑みでミルクの入った大きな瓶と卵のかごを手渡してくれた。


「おはよう! 今日もすっごく良い天気だね。あ、ファノーネ、外で草食べてるんだ!」


 グリンダは草地にいるファノーネの姿を見つけると、目を輝かせて駆け寄り、首筋を優しく撫でる。

 ファノーネも気持ちよさそうに目を細め、彼女の手にすり寄っていた。


「うん、毛艶けづやも最高だし、筋肉もしっかりしてる。先生たち、この子をすっごく大切にお世話してるんだね。なんだか私まで嬉しくなっちゃう。ありがとう!」


 グリンダが真っ直ぐな瞳でお礼を言うと、カエラムは穏やかに首を横に振った。


「お礼を言われるようなことではありません。彼は私たちの立派な家族ですから」


 ファノーネの頭をもう一度撫でてから、グリンダは二人の元へと戻ってきた。

 そして、周囲に誰もいないことを確認するように一度あたりを見回すと、先ほどまでの大きな声を少しだけ潜めて口を開いた。


「……ねえ、先生。実は今日、個人的にお礼を言いたくて来たんだ」


「お礼、ですか?」


「うん。先日……タツィオが、腕に怪我をしてここへ来たでしょ?」


 その言葉に、カエラムとコルネリアは少しだけ驚いて顔を見合わせた。

 タツィオからは「絶対にグリンダには内緒にしてくれ」と強く口止めされていたのだ。


「本人は隠してるつもりだったみたいだけど、私にはお見通しだったんだよね。弓を引く肩の動きが不自然だったし、袖口そでぐちから少しだけ包帯が見えてたから。問い詰めたら、先生のところで縫ってもらったって白状したの」


 グリンダは呆れたように大きなため息をつき、腰に手を当てた。


「本当にあいつは馬鹿なんだから。心配かけまいとして隠すなんて、水臭いにもほどがあるわ。でも、先生がすぐに適切な治療をしてくれたおかげで、熱も出ずにもうすっかり傷口は塞がってるよ。本当に、ありがとう」


 深い感謝が込められたその声に、カエラムは優しく目を細めた。


「彼も、あなたを大切に想うからこその強がりだったのでしょう。傷が順調に治っているようで安心しました」


「ふふっ、これ、その時のお礼!」


 グリンダは荷馬車の荷台から、布で包まれた長細い包みを取り出して二人に手渡した。


「うちの牧場で特別に作ってる、チーズ入りのソーセージ! 焚き火やかまどであぶって食べると、中から熱々のチーズがとろけ出して最高に美味しいから、夕食にでも食べてみて」


「まあ、チーズ入りのソーセージ! とても美味しそうです。グリンダさん、お心遣い本当にありがとうございますわ」


 コルネリアが嬉しそうに包みを受け取ると、グリンダはさらに荷台の奥から木箱を引っ張り出してきた。


「あとね、これはファノーネへのプレゼント! うちの牧場と契約してるりんご農家さんからもらったんだけど、形がいびつで市場には出せない規格外のりんごなの。でも、味は間違いなく甘くて美味しいから!」


 グリンダが赤く熟したりんごを一つ手に取り、ファノーネの口元へ差し出す。

 ファノーネは鼻先で匂いを嗅ぐと、大きな口を開けてりんごを丸ごと頬張った。

 シャクッ、シャクッと音を立てて咀嚼そしゃくし、その甘さに満足したのか、嬉しそうに何度も首を上下に振る。

 その愛らしい様子に、三人から同時に笑い声がこぼれた。


「また来るね! ソーセージ、絶対に焦がさないように焼いてよね!」


 グリンダは身軽に荷馬車に飛び乗ると、元気よく手を振って森の小道を戻っていった。

 彼女の乗る馬車が木々の向こうに見えなくなるまで手を振り返し、二人は温かい気持ちでそれを見送った。


 カエラムが手に持ったソーセージの包みを見下ろし、穏やかな息を吐き出す。


「タツィオ君の怪我が知られてしまっていたのは誤算でしたが……彼らの不器用な関係性は、見ていて本当に心が温まりますね」


「ええ。グリンダさんの笑顔から元気をたくさんいただきましたわ」


 少しだけ疲労を引きずりながらも始まった甘い朝。

 土に触れる手仕事と、友人たちとの温かな交流――。

 今夜は、いただいたソーセージを炙り、また並べた寝台で静かな夜を迎えるのだろう。


 初夏の日差しが森を明るく照らす中、二人は手と手を優しく繋ぎ、満ち足りた日常の空気を胸いっぱいに吸い込みながら、診療所の中へとゆっくりと歩を進めていくのだった。

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