124 エールとの相性が恐ろしいほどに抜群ですわ
初夏の森は、陽が落ちるとともに心地よい涼風に包まれていた。
診療所の裏手に湧き出る温泉で、一日の汗と土の汚れをさっぱりと洗い流したカエラムとコルネリア。
二人は薄手の寝間着に身を包み、ランタンの柔らかなオレンジ色の光が灯る居住区画へと戻ってきていた。
コルネリアの艶やかなホワイトブロンドの髪からは、湯気とともにふわりと甘い石鹸の香りが漂っている。
カエラムは彼女の背後に立ち、手にした乾いた布で、その長い髪の水分を丁寧に吸い取っていた。
「……夜風が気持ち良いですね。お湯加減はいかがでしたか?」
「ええ、とても。ジェドさんからいただいた枝豆のことを考えていたら、つい長湯をしてしまいましたわ」
コルネリアが振り返って微笑むと、カエラムは愛おしさに耐えきれなくなったように目を細め、彼女の肩に腕を回してその白い首筋に自身の頬をすり寄せた。
「っ……!」
ふいに身をすくませたコルネリアが、小さく肩を跳ねさせる。
「先生……お髭がジョリジョリして、少しばかりくすぐったいですわ」
その言葉に、カエラムはハッとして顔を離し、自身の顎から頬にかけてを掌で撫でた。
「ああ……すみません。髭を剃るのをすっかり忘れていました。柔らかい肌を痛めさせてしまいましたか?」
少し申し訳なさそうに眉を下げる彼を見て、コルネリアは慌てて首を横に振った。
「痛くはありません! ただ、その……」
コルネリアはほんのりと頬を朱色に染め、恥ずかしそうに視線を落とす。
「普段は優しくて穏やかな先生が、時折こうして……大人の男性なのだと実感するような感触を伝えてくださると、なんだか、ひどくどきりとしてしまうのです」
上目遣いで紡がれたその可憐な告白に、カエラムの心臓が大きく跳ねた。
彼はごまかすように丸メガネの位置を直し、短く咳払いをする。
「……本当に、あなたは私の理性を揺さぶるのがお上手ですね。これ以上ここにいると、枝豆を食べる前に私があなたを食べてしまいそうです。さあ、キッチンへ向かいましょうか」
冗談めかして、しかし半分は本気で告げたカエラムに手を引かれ、二人はキッチンへと並んで立った。
竹で編まれた籠の中には、ジェドが届けてくれた初収穫の枝豆が山のように積まれている。
「せっかくこれほどたくさんの枝豆があるのですから、二つの味で楽しみたいと思いますわ。半分は定番の塩茹でに、もう半分は……少し大人の味、ガーリック枝豆にいたしましょう」
コルネリアは腕まくりをして、手際よく調理に取り掛かった。
まずは、枝豆のさやの両端を小刀でほんの少しだけ切り落としていく。
こうすることで、茹でた際に塩味が豆の芯までしっかりと染み込むのだという。
切り終えた枝豆にたっぷりの塩を振り、両手で揉み込むようにして表面の産毛を取り除く。
ぐつぐつと沸騰した湯の中に枝豆を一気に投入すると、初夏を象徴するような鮮やかな緑色が湯の中で美しく踊り始めた。
絶妙な硬さで茹で上がったところでザルに上げ、うちわで手早く扇いで急激に熱を冷ます。
この一手間が、枝豆の色合いを鮮やかに保ち、食感を良くするための秘訣だった。
半分を器に盛り付け、残りの半分は別の平鍋へと移す。
熱した鍋に上質なオリーブの油をたっぷりと敷き、細かく刻んだニンニクと、香りを引き締めるための粗く砕いた黒胡椒を投入する。
油にニンニクの香ばしい匂いが溶け出し、チリチリと心地よい音を立て始めた絶妙な瞬間に、茹でておいた枝豆を加えた。
強火で鍋を勢いよくあおり、ニンニクの旨味が溶け込んだ油を、枝豆のさや全体にしっかりと絡ませていく。
台所いっぱいに、食欲を強烈に刺激するガーリックとオリーブオイルの芳醇な香りが爆発的に広がった。
「さあ、完成ですわ。お庭へ行きましょう!」
二人は湯気を立てる二種類の枝豆と、ジェドから差し入れられた冷たいエールの瓶を持ち、診療所の裏庭へと出た。
満天の星空の下、木製の小さな円卓に向かい合って座る。
カエラムがエールの瓶の栓を抜くと、シュワッという軽快な音と共に、麦のふくよかな香りが夜風に混ざった。
二つのグラスになみなみと注がれ、黄金色の液体の表面にきめ細やかな白い泡がふわりと乗る。
「では、豊かな初夏の恵みと、ジェドさんの優しさに」
「乾杯」
二人のグラスが軽く触れ合い、涼やかな音を立てた。
コルネリアがエールを一口飲むと、その冷たさと爽快な苦味、そして弾けるような炭酸の刺激が、温泉上がりの火照った身体の隅々にまで染み渡っていった。
「美味しい……! こんなに冷たくて美味しい飲み物、初めてかもしれませんわ」
「ええ、本当に。ジェドさんは最高のタイミングで粋な贈り物をしてくださいましたね」
カエラムもエールを喉に流し込み、まずは定番の塩茹で枝豆を手に取った。
さやを指でつまんで口に運び、豆を押し出す。
絶妙な塩加減が、枝豆の持つ自然で豊かな甘みをこれ以上ないほどに引き立てていた。
噛むほどに初夏の大地の香りが広がり、エールの苦味と完璧な調和を生み出している。
続いてコルネリアが、ガーリック枝豆を口に運んだ。
さやの表面に絡みついたニンニクの風味豊かな油と黒胡椒のピリッとした刺激が、舌の上で弾ける。
さやについたオイルごと豆を味わえば、その強烈な旨味とパンチのある味わいに、思わず次の一口が止まらなくなってしまう。
「このガーリック枝豆……エールとの相性が恐ろしいほどに抜群ですわ。なんだか、無限に食べられてしまいそうです」
「確かに、これは危険な美味しさですね。あなたの料理の腕前は、とどまるところを知りません」
星空の下、虫の音を背景にしながら、二人は笑い合い、大地の恵みと冷たいエールを心ゆくまで堪能した。
すっかり器が空になり、ほろ酔い気分で心地よい気怠さに包まれた二人は、診療所の中へと戻り、就寝の準備を整えた。
ランプの火が落とされ、月明かりだけが室内に差し込んでいる。
カエラムは、壁際に少し間隔を空けて並べられた二つの寝台を見つめながら、静かに息を吐き出していた。
(……さて、昨夜は彼女の甘えに絆されて一つの寝台で寝てしまったが、あの狭さではやはり互いに窮屈だ。今夜は、別々の寝台で寝るべきだろう)
そう自分に言い聞かせ、自身の理性を総動員して彼女から離れようとした――その時。
「先生! 私、とても素晴らしいことに気がついてしまいましたわ!」
ふいにコルネリアが、ペリドットの瞳をキラキラと輝かせて声を上げた。
「素晴らしいこと、ですか?」
「ええ! 先生の寝台と私の寝台、高さがまったく同じなのです。ですから……こうすれば良いのですわ!」
コルネリアは自身の寝台の木枠を力いっぱいに押し、カエラムの寝台に隙間なくぴったりとくっつけてしまった。
二つの小ぶりな寝台が合わさることで、そこには大人二人が手足を伸ばしても十分に余るほど、広大でふかふかな一つの巨大な寝台が完成したのである。
「ご覧ください! これで、大きな一つの寝台になりましたわ! これなら、二人で一緒に寝てもまったく狭くありません!」
自分の完璧な閃きに誇らしげに胸を張るコルネリア。
――その言葉の意味を理解した瞬間、カエラムの身体は完全に硬直した。
「……ネリー。それは、つまり……」
「はい! これからは毎晩、先生と一緒にこの広い寝台で眠ることができますわ! 嬉しいです!」
一切の邪心がない、純度百パーセントの無邪気な笑顔。
彼女は嬉しそうにその広い寝台へと飛び込み、隣の空間――カエラムが寝るための場所をポンポンと手で叩いて彼を促している。
それはつまり。
これから毎晩、この柔らかく甘い香りのする愛しい身体をすぐ隣に感じながら、絶対に手を出さないように理性を総動員する、過酷な拷問――いや、試練の日々が永続的に決定したということを意味していた。
「……私の理性が、果たしていつまで持つか……」
カエラムは両手で顔を覆い、絶望とも歓喜ともつかない震えを隠すように、ため息を漏らした。
「先生? どうかなさいましたか?」
「……いいえ、なんでもありません。あなたの素晴らしい名案に、少しばかり打ちのめされていたところです」
カエラムは観念したように苦笑を浮かべ、彼女の待つ寝台へと横たわった。
すぐさまコルネリアが彼の腕の中にすっぽりと入り込み、嬉しそうに頬をすり寄せてくる。
ジョリッとした無精髭の感触に彼女がくすくすと笑い声を上げ、カエラムもまた、たまらなくなって彼女の背中を強く抱きしめ返した。
毎晩繰り広げられるであろう理性との果てしない戦いに震えながらも、腕の中に満ちる絶対的な幸福感と温もりに、カエラムは甘やかに溶かされていくのだった。




