123 この子たちの肥料に使えないかと考えていたのですが
小鳥たちの軽やかなさえずりが、朝の訪れを告げている。
木々の隙間から差し込む朝陽が、診療所の壁際に置かれた小さな寝台を淡い山吹色に染め上げていた。
コルネリアがゆっくりと目を覚ますと、視界いっぱいに白い布地が広がっていた。
自身の身体が、背中からすっぽりと大きく温かい何かに包み込まれている。
それがカエラムの逞しい腕であることに気づき、昨夜の甘やかな記憶がじんわりと胸の奥によみがえってきた。
自身から「同じ寝台で眠りたい」とわがままを言い、彼がそれに折れてくれたのだ。
コルネリアはカエラムを起こさないように、腕の中でそっと身をよじって彼の方へと寝返りを打った。
至近距離にある彼の寝顔を見つめる。
端正な顔立ちにはいつも通りの穏やかさがあったが、よく見ると目の下に微かな疲労の色が滲んでおり、どうやら彼自身は深い眠りにつけなかったようだった。
大人二人が横になるには狭すぎる寝台で、愛する人を腕の中に抱きしめながら、自身の本能を理性の力だけで一晩中押さえ込み続ける。
それがどれほど彼にとって過酷な戦いであったか、今の彼女には痛いほどに理解できた。
「……ごめんなさい、先生。そして、ありがとうございます」
愛おしさと申し訳なさが入り混じる中、コルネリアは彼に向けてそっと顔を近づけ、前髪の隙間から覗く額に、チュッと小さな音を立てて唇を落とした。
すると、カエラムの長い睫毛が微かに震え、アンバーの瞳がゆっくりと開かれた。
まだ少しぼんやりとしたその瞳が、目の前にいるコルネリアを捉え、すぐに甘い色へと変わる。
「……おはようございます、ネリー。朝から、可愛らしい不意打ちですね」
「おはようございます。あの、先生……もしかして、あまり眠れませんでしたか?」
コルネリアが上目遣いで尋ねると、カエラムは小さく苦笑して自身の目元を片手で覆った。
「そうですね……私の中の理性が、一晩中大声で文句を言っていましたから。ですが、あなたの寝息をこんなにも近くで聞いていられるのなら、少しくらいの寝不足は安いものです」
カエラムは覆っていた手をどけ、彼女の頬を優しく撫でた。
その体温と、彼が自分を大切にしてくれているという確かな事実に、コルネリアの心は朝陽のようにぽかぽかと温まっていった。
二人で並んで身支度を整え、キッチンスペースへと向かう。
今朝の主役は、先日街へ出た際にトコトコベイクで買っておいた、小麦の風味豊かな田舎パンである。
コルネリアは少し厚めにパンを切り分け、グリンダの牧場から届いたばかりの濃厚なチーズをたっぷりと乗せた。
熱した平鍋にパンを置き、蓋をして弱火でじっくりと熱を通す。
しばらくすると、チーズがとろりと溶け出し、香ばしく焦げた匂いが診療所を満たし始めた。
その間に、裏の菜園で今朝採ってきたばかりの春キャベツをざく切りにする。
新鮮な卵をボウルに割り入れて軽くほぐし、別の鍋で手早く炒め合わせる。
キャベツの柔らかな甘みを引き立てるため、味付けはほんの少しの塩だけにとどめた。
円卓に並べられた熱々の朝食。
手を合わせ、カエラムがチーズの乗ったパンを一口かじると、サクッとした表面の食感の後にとろけるようなチーズのコクと小麦の甘みが口いっぱいに広がった。
「このチーズの塩気と、春キャベツの自然な甘みがよく合いますね。とても美味しいです」
「良かったですわ。野菜も卵も、新鮮なうちにいただくのが一番の贅沢ですからね」
美味しい朝食でしっかりと活力を補給した二人は、食後の運動も兼ねてファノーネの馬小屋へと向かった。
彼を裏の草地へ放牧して青草を食べさせている間に、小屋の中の掃除に取り掛かる。
汚れた藁を運び出し、床を綺麗に掃き清める。
その作業の途中、集められた馬糞を見ていたコルネリアがふと首を傾げた。
「先生。これ、ただ捨ててしまうのはもったいない気がするのです。裏の菜園のトマトやナスのお野菜に、追肥として使えないでしょうか?」
肥料の知識について尋ねられたカエラムは、少しだけ困ったように腕を組んだ。
「家畜の糞が土を豊かにするとは医学書や植物図鑑でも読んだことがありますが、正しい使い方までは分かりませんね。そのまま撒いて良いものなのかどうか……」
二人で首をひねっていると、診療所の表の方から「ごめんくださーい」と、明るく太い声が響いてきた。
二人が手を止めて建物の前へ向かうと、そこには麦わら帽子を被り、日に焼けた顔に元気な笑みを浮かべた老翁――ジェドが立っていた。
「ジェドさん! よくいらっしゃいました。お元気そうで何よりです」
「ええ、先生たちのおかげで、毎日畑仕事を楽しんでおりますよ。今日は、うちの家庭菜園で初収穫したものがありましてね。ぜひお二人に召し上がっていただきたくて、持ってきたのです」
ジェドが差し出した大きな籠の中には、鮮やかな緑色をした無数のさや――ふっくらと実の詰まった枝豆が山のように入っていた。
「まあ、なんて立派な枝豆なのでしょう!」
コルネリアが目を輝かせると、ジェドは嬉しそうに頷き、さらに背負っていた袋からコトリと音を立てて冷たい瓶を二本取り出した。
それは、街の酒場で売られている上質なエールだった。
「初夏の夜風に当たりながら、お二人で楽しんでください。枝豆には、少しばかり塩を強めに振って茹でるのが一番美味いですよ」
気の利いた差し入れに、カエラムも思わず表情をほころばせた。
「これは素晴らしい。お気遣いいただき、本当にありがとうございます。そうだ、ジェドさん。家庭菜園の先輩として、少しお知恵を拝借できないでしょうか?」
――二人はジェドを裏庭へと案内した。
青々と葉を広げるトマトやナス、ズッキーニを見たジェドは「見事に育っていますね。これなら夏には食べきれないほどの収穫がありますよ」と太鼓判を押してくれた。
そこでコルネリアが、先ほど疑問に思っていた馬糞の活用法について切り出した。
「実は、ファノーネの小屋から出る馬糞を、この子たちの肥料に使えないかと考えていたのですが、そのまま土に混ぜてもよろしいのでしょうか?」
すると、ジェドは真剣な顔つきになり、ゆっくりと首を横に振った。
「いけません。馬糞は確かに素晴らしい肥料になりますが、生のまま土に混ぜると、土の中で急激に分解が始まり、高い熱を出してしまうのです。その熱で、野菜の大切な根が焼けて枯れてしまいます」
「熱で根が焼けてしまうのですか。それは知りませんでした……」
「ええ。ですから、肥料として使うなら、まずは馬糞に森の落ち葉や土を混ぜ合わせて、雨の当たらない場所に山にして積んでおきます。そうして時々かき混ぜながら、しっかりと寝かせて熱を抜いてやるのです。すっかり熱が冷めて、土のようないい匂いに変わったら……それが、野菜を極上に甘くする最高の追肥になりますよ」
自然の力を利用し、時間をかけて豊かな土へと作り変える。
その知恵の深さに、カエラムも感心したように深く頷いた。
「なるほど、発酵させてから使うのですね。命の巡りのようで、大変勉強になります。ありがとうございます、ジェドさん」
「いえいえ、私が先生たちにできる恩返しなど、この程度のことですから。では、私はこれで失礼しますよ。今夜は美味しいエールを楽しんでくださいね」
ジェドは麦わら帽子を被り直し、来た時と同じように元気な足取りで森の小道を引き返していった。
彼の背中が見えなくなるまで手を振って見送った後、二人は顔を見合わせて微笑んだ。
「ジェドさんに教えていただいた通り、明日はファノーネの落とし物と落ち葉で、肥料作りに挑戦してみましょうか」
「ええ。私たちの菜園がさらに豊かになるための、大切な手仕事ですね」
カエラムがジェドから受け取った籠を持ち上げると、中の枝豆がシャラリと涼やかな音を立てた。
手探りで進める野菜作りも、街の人々との温かい交流も、すべてが二人の生活に鮮やかな彩りを与えてくれる。
今夜はこの枝豆をたっぷりの塩で茹で、冷たいエールで乾杯しよう。
穏やかな初夏の日差しが降り注ぐ中、二人はこれから訪れるであろう満ち足りた晩酌の時間を思い描きながら、足並みを揃えて診療所の中へと戻っていくのだった。




