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冤罪で追放された伯爵令嬢は、森の奥の診療所で天才医師の胃袋を掴み、愛されながら幸せなスローライフを満喫します  作者: 白月つむぎ


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122 ふふっ……ごめんなさい

 深い悲しみと優しさに包まれた別れから数日が過ぎ、森には再び力強い初夏の太陽が降り注いでいた。

 診療所の円卓の一番目立つ場所には、ハリソンが最期にのこしてくれた二羽の木彫りの小鳥が、静かに寄り添うように飾られている。


 命の時間は、決して永遠ではない。

 だからこそ、今あるこの穏やかな日常と、隣にいる愛しい人の存在を、何よりも大切に生きなければならない。


 コルネリアは窓から差し込む朝陽に向かって、静かに微笑んだ。


「さて、今日はとても良いお天気ですし、ファノーネを少し裏の草地で放牧いたしましょうか。ずっと馬小屋では、彼も退屈してしまいますものね」


「ええ、そうしましょう。雨季うきの間に、裏手の牧草も驚くほど青々と育っていますからね」


 白衣を羽織はおったカエラムが頷き、二人はファノーネの手綱たづなを引いて診療所の裏手にある開けた草地へと向かった。


 手綱を解かれたファノーネは、初夏の眩しい陽光ようこうを浴びて嬉しそうにいななき、長い脚で器用に柔らかな草を探しては、勢いよくみ始めた。

 時折、長い首を振って二人のそばへやってきては、甘えるように鼻先をすり寄せてくる。

 その愛らしい姿に、二人は顔を見合わせて穏やかな笑声をこぼした。


 ファノーネが草を楽しむ間、二人はすぐ隣にある菜園へと足を運んだ。

 春の終わりに二人で丁寧にうねを作り、苗を植えた夏野菜たちは、およそ一ヶ月の時間を経て驚異的きょういてきな成長をげていた。


 支柱しちゅうに沿って真っ直ぐに背を伸ばしたトマトは、黄色い小さな花をいくつも咲かせ、その根元にはまだ青く固い小さな果実が顔を覗かせている。

 ナスの葉は手のひらよりも大きく広がり、紫色の可憐かれんな花を風に揺らし、ピーマンとズッキーニもまた、太陽の光と大地の水分を限界まで吸い上げて、力強い生命の輝きを放っていた。


「まあ……たった一ヶ月で、こんなに大きくなるなんて。小さな実も結び始めていますわ」


 コルネリアが感動の面持ちでトマトの小さな青い実を撫でると、カエラムも目を細めて頷いた。


「ええ。命はこうして、土の中で根を張り、静かに育っていくのですね。彼らが立派に色づく夏が、今から楽しみです」


 去っていく命があれば、こうして新しく育っていく命もある。

 大自然の雄大な営みの中で、二人は確かな希望の光を感じ取っていた。


 ――午後になり、カエラムが「少し森の様子を見てきます」と言って往診鞄おうしんかばんを持たずに出かけていった。


 しばらくして彼が両手いっぱいに抱えて戻ってきたのは、森の斜面に自生している、鉛筆ほどの太さの細くて柔らかな笹の若竹――ネマガリタケだった。


「ちょうど良い時期に顔を出していました。これを今夜の夕食にしませんか?」


「素晴らしいですわ! では、少し贅沢に、厚切りのベーコンと合わせてパスタにいたしましょう」


 夕食の準備に取り掛かったコルネリアは、まずはネマガリタケの皮を丁寧に剥き、斜めに薄く切り揃えた。

 熱した平鍋にオリーブの油を敷き、大きく厚めに切った保存食のベーコンを弱火でじっくりと炒めていく。


 ベーコンの縁がカリカリになり、燻製くんせいの香ばしい匂いと上質な脂がたっぷりと溶け出したところで、ネマガリタケを一気に投入する。

 若竹がベーコンの旨味を吸い込み、色鮮やかな薄緑色に変わった絶妙な瞬間に、茹で上がったばかりのパスタを加えた。

 塩と砕いた黒胡椒くろこしょうだけで味を調え、鍋をあおってオリーブの油と茹で汁を完全に乳化させれば、森の恵みが詰まった極上の一皿の完成である。


 円卓に向かい合って座り、手を合わせてから二人は熱々のパスタを口に運んだ。

 ネマガリタケを噛むたびに、サクッ、サクッという小気味よい音が鳴る。

 若竹特有の清々しい香りと心地よい歯ごたえが、ベーコンの力強い塩気と濃厚な旨味に完璧に調和していた。


「……これは、見事な味わいです。ネマガリタケの食感がパスタの熱で失われておらず、噛むほどに初夏の森の爽やかな風味が鼻に抜けていく」


 カエラムが心から感嘆の息を漏らし、コルネリアも自身の作った料理の出来栄えに嬉しそうに微笑む。


 美味しい食事を分かち合い、今日あった出来事を静かに語り合う。

 何気ない日常の時間が、今は何よりも尊く、宝石のように輝いて感じられた。


 食後の片付けを終え、二人は診療所の裏手に湧き出ている温泉でそれぞれ一日の汗と疲労を洗い流した。

 湯上がりで少し火照った身体を夜風で冷ましながら、コルネリアは薄い寝間着のまま、診療所の壁際に置かれた自身の寝台の縁に腰掛けていた。


 彼女の背後には、同じく湯上がりで翡翠ひすいの髪を少し湿らせたカエラムが立ち、乾いた布で彼女の長いホワイトブロンドの髪を丁寧に拭いてくれていた。


 髪をくカエラムの大きく温かい手の感触。

 彼から漂う、石鹸せっけんの香り。


 背中越しに伝わってくるその圧倒的な安心感に包まれていると、コルネリアの胸の奥で、どうしようもないほどの愛おしさが泉のように湧き上がってきた。


 ――隣にいるその人を、今この瞬間に、めいっぱい愛しなさい。


 ハリソンの言葉が、彼女の背中を静かに押した。

 コルネリアはふいに振り返ると、彼女の髪を拭いていたカエラムの腰に自身の細い両腕を回し、その広い胸板に顔を深く埋めた。


「……ネリー?」


 突然の甘えるような行動に、カエラムが少しだけ驚いたような声を落とす。

 コルネリアは彼の胸元に額をすり寄せ、衣服越しに聞こえる彼の力強い心音を確かめるように、抱きしめる腕の力を強めた。


「……先生。今夜は……私と、同じ寝台で眠っていただけませんか?」


 それは、彼女の人生においてかつてないほどの大胆で、切実な誘いであった。

 その言葉を聞いた瞬間、カエラムの身体が石のように硬直した。


 彼らは互いに深く愛し合い、口づけを交わす関係ではあるが、カエラムはこれまで彼女に対して、それ以上の決定的な一線を越えることは慎重に避けてきた。

 彼女の抱える過去の傷や、あまりにも無垢な魂を何よりも大切に想うがゆえに、大人の男としての本能を常に強い理性で押さえ込んできたのだ。


「……ネリー。この寝台は、大人二人が横になるには少し小ぶりすぎます。狭くて、あなたがゆっくり眠れなくなってしまいますよ」


 カエラムの声は、普段の冷静な響きを保とうと必死に努めてはいたが、その奥底には明らかに切羽詰せっぱつまったような余裕のなさが滲んでいた。

 しかし、コルネリアは彼から離れるどころか、うるみを帯びたペリドットの瞳で彼を真っ直ぐに見上げた。


「狭くても構いません。私はただ……先生の温もりが、すぐ傍に欲しいのです。先生を感じて、安心して眠りたいのですわ」


 隠し事のない、純粋な慕情ぼじょう

 そのひたむきな願いを前にして、カエラムの理性の壁は音を立てて崩れ去った。


「……っ」


 彼は降伏を示すように自身の前髪を片手で乱暴に掻き上げた。

 そしてランプの火を小さく落とし、コルネリアが座る小ぶりな寝台へと静かに腰を下ろした。


 コルネリアが奥へ少しずれ、カエラムが横たわる。

 やはり大人二人が横になるには十分な広さとは言えず、二人の身体は必然的に隙間なく密着することになった。


 カエラムは彼女の華奢きゃしゃな背中を自身の胸の中にすっぽりと収めるように抱き寄せ、彼女の腰に腕を回した。

 薄い寝間着ねまき越しに伝わってくる、互いの体温と素肌の感触。

 カエラムの心臓が、普段からは考えられないほどに速く、そして強く警鐘けいしょうを鳴らしているのが背中から痛いほどに伝わってくる。


「……本当に、困った人だ。自分の無防備むぼうびさが、どれほど私の首を絞めているか、少しは自覚してください」


 耳元でささやかれたその声は、甘く掠れ、彼が男としてギリギリのところで踏み止まっていることを如実にょじつに物語っていた。


「ふふっ……ごめんなさい。でも私、今とても幸せです」


 コルネリアは彼の大きな手に自身の指を絡め、背中から伝わる熱に身を委ねて目を閉じた。


 失われた命が教えてくれた、今この瞬間を愛し抜くということ。

 少し狭い寝台で完全に一つに溶け合うような温もりの中で、コルネリアはかつてないほどの絶対的な安心感に包まれながら、カエラムの腕の中という世界で一番安全な場所で、深く甘いまどろみへと落ちていくのだった。

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