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冤罪で追放された伯爵令嬢は、森の奥の診療所で天才医師の胃袋を掴み、愛されながら幸せなスローライフを満喫します  作者: 白月つむぎ


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117 皆で摘んできてくれた桑の実のお茶会ですわ

 季節は初夏の瑞々(みずみず)しい陽気から、しとしとと静かな長雨が続く雨季へとその姿を移し替えていた。

 空を分厚い灰色の雲がおおい、絶え間なく降り注ぐ雨滴うてきが森の木々を濡らしていく。


 水分をたっぷりと吸い込んだ葉は深みを増した緑色に染まり、診療所の窓の外には霞んだ静寂の森が広がっていた。

 雨によって森の足場が悪くなっているためか、この日の午前中、診療所を訪れる患者の姿はなかった。


 カエラムとコルネリアは、パチパチと小さな音を立てて燃える暖炉の火のかたわらで、静かな時間を共有していた。

 カエラムは円卓で新しい医学書に目を通し、コルネリアは引き出しから取り出した医療器具の消毒と手入れを黙々と進めている。

 屋根を打つ規則正しい雨音だけが、二人の間に心地よい音楽のように流れていた。


 ――そんな穏やかな空間を、元気いっぱいの足音と楽しげな笑い声が突如として打ち破った。


「先生! コルネリアのお姉ちゃん! いるー!?」


 分厚い木の扉が勢いよく押し開かれ、雨の匂いと共に三人の小さな来客が飛び込んできた。

 茶色の髪に空色の瞳を持つニコ、亜麻色あまいろの髪を少し濡らしたラケル、そして桃色の髪を編み込んだルーシーである。


 彼らの頭上には、子供の背丈ほどもある長くて太い茎と、巨大な緑の葉を持つ植物――以前、ニコたちが森で見つけて持ってきたあのフキが、見事な天然の相合あいあい傘として掲げられていた。


「まあ、いらっしゃい。雨の中、よく来てくれましたね」


 コルネリアが手元の作業を止め、柔らかな笑みを浮かべて立ち上がる。

 カエラムも医学書を閉じ、丸メガネの位置を直しながら三人を迎え入れた。


「大きなフキの傘ですね。これなら三人一緒でも、雨に濡れずに済んだでしょう」


「へへっ、でしょ! でもね、今日持ってきたのはこの葉っぱだけじゃないんだ!」


 ニコが得意げに胸を張り、傍らのラケルに目配せをした。

 ラケルが大切そうに衣服のふところから取り出したのは、一枚の大きな葉で包まれた小さな包みであった。

 三人が円卓の前に集まり、ルーシーがわくわくした様子でその葉っぱの包みをそっと開く。


「あのね、森の奥の秘密の場所で、すっごく美味しいものを見つけたの!」


 葉の中から現れたのは、黒紫色に熟し、表面が宝石のようにつややかに光る果実――大量の桑の実だった。


「これは見事な桑の実ですね。野鳥たちに見つかる前に、よくこれだけの量を集められました」


 カエラムが感心したように目を細める。

 桑の実は疲労を回復させ、血の巡りを良くする立派な薬効も持ち合わせている森の恵みだ。


 ふと見ると、桑の実を摘んできた三人の指先や、ルーシーの口の端が、果汁によってうっすらと赤紫色あかむらさきいろに染まっていた。

 つまみ食いをしながら一生懸命いっしょうけんめいに集めてくれた愛らしい姿が想像でき、コルネリアはくすりと笑い声をこぼした。


「とっても甘くて美味しいんだよ! 先生たちにも食べてほしくて、みんなで集めたの!」


「ありがとうございます。皆さんが見つけてくれた宝物ですから、とびきり美味しいおやつにして、温かいお茶会にいたしましょう」


 コルネリアの提案に、三人の子供たちは「やったあ!」と歓声を上げ、暖炉の前の長椅子に並んで座った。

 コルネリアが乾いた布を渡し、濡れた髪や肩を拭かせている間に、彼女自身は厨房へと向かった。


 雨で少し冷えた身体を温め、甘い桑の実を最高に引き立てるおやつ。

 コルネリアが選んだのは、小麦の風味豊かな焼き菓子――スコーンであった。


 ボウルに小麦粉と少量の砂糖、一つまみの塩を入れる。

 そこへ、よく冷えた固いバターを細かく刻んで投入し、指先でバターを粉にすり合わせるようにして、全体がパラパラの砂のような状態になるまで素早く混ぜ合わせる。

 さらに新鮮なミルクを少しずつ加え、生地を練らないように注意しながら、さっくりと折りたたむようにして一つにまとめた。


 彼女は平鍋を用意し、その底に熱を均一にするための平らな小石を敷き詰める。

 その上に網を置き、丸く切り抜いたスコーンの生地を隙間を空けて並べていった。


 かまどの火床から、赤く燃える熾火おきびを掻き出す。

 平鍋に分厚い鉄のふたをし、その鍋の下に熾火を配置すると同時に、蓋の上にもたっぷりと熱い炭を乗せた。

 こうすることで鍋の内部は上下から強烈な熱で包み込まれ、即席のオーブンと同じ役割を果たすのである。


「お鍋でお菓子が焼けるの?」


 不思議そうに覗き込んでくるルーシーに、コルネリアは「魔法のお鍋ですから、美味しく膨らみますよ」とウインクをしてみせた。

 スコーンが焼ける香ばしい匂いが漂い始める中、コルネリアはもう一つのかまどの火口で小さな銅鍋を火にかけた。


 鍋の中には、子供たちが摘んできた桑の実と、果実の甘みを引き出すための少量の砂糖を入れる。

 木べらでゆっくりと混ぜながら熱を加えると、桑の実から赤紫色の果汁かじゅうが溢れ出し、ぐつぐつと心地よい音を立てて煮詰まっていく。


 新鮮な果実特有の、濃厚で甘酸っぱい香りが診療所の空気を一気に華やかにいろどった。

 果肉の形が少し残る程度の、とろりとしたフレッシュなジャムが完成したところで、かまどから下ろす。


 同時に、鍋の蓋を開けると、熱気と共に、見事な層を作ってふっくらと膨れ上がったきつね色のスコーンが顔を出した。

 小麦とバターの焼けた香ばしい匂いが弾け、子供たちがたまらずに鼻をひくつかせる。


 お茶会の準備の仕上げとして、カエラムが熱いお湯を沸かし、大きな陶器とうきのポットで丁寧に紅茶を淹れていた。

 良質な茶葉が熱湯の中でゆっくりと開き、透き通った深い赤の水色すいしょくと共に、芳醇ほうじゅんで華やかな香りが立ち上る。


「さあ、お待たせいたしました。皆で摘んできてくれた桑の実のお茶会ですわ」


 円卓の中央に、山盛りにされた熱々のスコーンと、湯気を立てる桑の実のジャム、そして温かい紅茶が注がれたカップが並べられた。

 外の雨音を忘れてしまうほどの、温かく豊かな食卓である。


「いただきます!」


 三人が声を揃え、それぞれスコーンを手に取る。

 真ん中の割れ目から手で半分に割ると、サクッという音と共に、湯気がふわりと立ち上った。

 その真っ白な断面に、コルネリアがたっぷりと桑の実ジャムを乗せてあげる。


 ニコが大きな口を開けて頬張ると、その空色の瞳が驚きに見開かれた。


「すっげえ美味い! 外はサクサクなのに、中はふわふわだ!」


「本当だ……! 桑の実のジャムが、すっごくトロトロで甘くて、パンみたいなこれとぴったり合ってる!」


 ラケルもアメジストの瞳を輝かせながら、夢中で食べ進める。

 ルーシーに至っては、口の周りに見事な紫色のジャムのおひげを作りながら、「世界で一番美味しい!」と満面の笑みを浮かべていた。


 子供たちのその無邪気な反応に、カエラムとコルネリアは顔を見合わせて笑いをこぼした。

 カエラムも自身のスコーンを口に運び、深く頷く。


「見事な焼き上がりですね。バターの豊かな風味と、桑の実の野性味のある甘酸っぱさが完璧に調和しています。そこにこの温かい紅茶の渋みが加わることで、いくらでも食べ進められそうだ。雨の日の憂鬱ゆううつを完全に吹き飛ばしてくれる、最高のお茶会ですね」


「ふふっ。ニコ君たちが見つけてくれた秘密の贈り物のおかげですわ」


 子供たちの賑やかなおしゃべりと、温かい紅茶の湯気。

 雨の日の冷え切った空気を追い出すように、診療所の中は幸せな熱気に満ち溢れていた。


 ――やがて、皆が満足するまでスコーンとジャムを平らげ、ポットの紅茶も空になった頃。

 窓を叩く雨の音が、少しだけ穏やかなものへと変わっていた。


「あ、雨が少し弱くなったみたい。母さんたちが心配するから、そろそろ帰らなきゃ」


 ニコが窓の外を見て立ち上がると、ラケルとルーシーもそれに続いた。

 コルネリアが残ったスコーンを綺麗に布に包み、「ご家族の皆様にも差し上げてくださいね」とニコの荷袋に持たせる。


 三人は再び、玄関先で巨大なフキの葉を広げた。

 大きな緑の傘の下に、小さな三人が肩を寄せ合ってすっぽりと収まる。


「先生、コルネリアのお姉ちゃん、ごちそうさまでした! また秘密の果物を見つけたら持ってくるね!」


「またねー!」


 フキの傘の下から元気に手を振る三人。

 カエラムとコルネリアは開け放たれた扉の前に並んで立ち、その小さな背中が見えなくなるまで、何度も手を振り返して見送った。


 子供たちの姿が雨霧あまぎりの向こうへと完全に消え去り、森の小道に再び静かな雨音が戻ってくる。


「……嵐のようにやってきて、嵐のように去っていきましたね。ですが、雨の日も彼らが来てくれると、診療所が途端に明るい色彩しきさいに包まれます」


 扉を閉めながら、カエラムがどこか名残惜なごりおしそうに呟いた。


「ええ、本当に。いつでも、あのフキの傘を差して遊びに来てほしいですわ」


 コルネリアが微笑みながら振り返ると、カエラムがそっと手を伸ばし、彼女のホワイトブロンドの髪に優しく触れた。


「美味しいスコーンと紅茶を、ありがとう。雨音も、二人で聴くなら悪くないものですね、ネリー」


 その穏やかな響きに、コルネリアは胸の奥をじんわりと温かくし、彼を見上げて深く頷いた。


 窓の外では初夏の雨が優しく森を濡らし続け、子供たちが残していった甘いジャムの香りが漂う診療所は、満ち足りた幸福感と共に、どこまでも静かな安らぎの時間を刻んでいくのだった。

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