114 王都のどのような豪華な夜会よりも、ずっと、ずっと美しいですわ
初夏の陽光が少しずつその鋭さを和らげ、吹き抜ける風の中に心地よい涼気が混ざり始めた午後。
カエラムとコルネリアは愛馬であるファノーネを連れて、森の境界近くに位置する小さな農村――トヨナ村へと往診に訪れていた。
目的の家は、村の外れにひっそりと建つ古びた木造の家屋だった。
この日の患者は、長年にわたる過酷な農作業によって足腰に深い痛みを抱え、寝込むことが多くなってしまった一人暮らしの老婆である。
カエラムが寝台の傍らに静かに膝をつき、老婆の痛む関節を繊細な手つきで触診していく。
長年の酷使によって変形した骨と、強張ってしまった筋肉。
彼はその状態を正確に見極めると、コルネリアが用意した鎮痛効果のある薬草の成分をたっぷりと染み込ませた温かい布を受け取った。
「少し熱いかもしれませんが、すぐに心地よくなりますよ」
カエラムが患部を布で優しく包み込み、ゆっくりと熱を浸透させる温罨法を施していく。
布から立ち昇る薬草の独特な香りと、患部を芯から温める熱の効果により、老婆の苦痛に歪んでいた顔から少しずつ険しさが消え、穏やかな安堵の表情へと変わっていった。
処置が一段落すると、コルネリアが老婆の皺だらけの小さな手を自身の両手で優しく包み込んだ。
「とても良くなりましたね。痛みが引いたからといって、すぐに無理をしてはいけませんよ。日常での足への負担を減らすためにも、歩く時は必ずこの杖を使ってくださいね」
コルネリアが丁寧に、そして心からの気遣いを込めて語りかけると、老婆は涙ぐみながら何度も深く頷いた。
「ありがとうございます、先生、コルネリアさん。お二人のおかげで、今夜は久しぶりに痛みを忘れて、ぐっすりと眠ることができそうです」
――すべての診療を終え、二人が帰路につこうと立ち上がった時。
老婆は寝台の横の小机から、丁寧に竹の皮で包まれた小さな包みを取り出し、震える手でカエラムへと差し出した。
「お礼というにはあまりにもささやかですが……これは、この村で採れたお米で作ったおにぎりです。どうか、道中で食べておくれ」
「ありがとうございます。あなたのそのお心遣いが、我々にとって何よりの報酬です。大切にいただきますね」
カエラムが敬意を込めて両手で受け取り、二人は老婆の家を後にした。
村の外れにある大きな木の下まで来たところで、二人はファノーネに冷たい湧き水を飲ませるために少しの休憩をとることにした。
ファノーネが自身の栗毛の馬体を心地よさそうに揺らしながら水を飲んでいる傍らで、二人は先ほどいただいた竹の皮の包みを開いた。
中から現れたのは、見事な真ん丸の形に結ばれた、大ぶりなおにぎりだった。
コルネリアが一つを手に取り、静かに一口頬張る。
その瞬間――彼女のペリドットの瞳が驚きと喜びに丸く見開かれた。
「先生、これ……とっても美味しいですわ」
おにぎりの中には、塩揉みされて旨味が凝縮された細かな菜っ葉と、香ばしく煎られた白ごまがたっぷりと混ぜ込まれていた。
村の誇りであるお米が持つふっくらとした自然な甘みに、菜っ葉の程よい塩気と微かな苦味、そして噛むたびに弾ける白ごまの豊かな香ばしさが絶妙に絡み合っている。
「本当ですね。大地の恵みと、あの方の温かい愛情がそのまま形になったような、素晴らしいご馳走です。力が湧いてきますよ」
カエラムもまた目を細めておにぎりを味わい、二人は満ち足りた笑顔を交わし合った。
――休憩を終え、夕暮れの空の下、二人は再びファノーネの背に跨って帰路についた。
カエラムの確かな手綱捌きによって、ファノーネの足取りは驚くほど滑らかで、背中の上の二人に一切の揺れを感じさせない。
彼が誇る美しい金のたてがみが、夕暮れの風を受けて揺らめいていた。
この村は東方の国から伝わった稲作が非常に盛んであり、村の周囲には、これから苗を植えるためにたっぷりと水が張られたばかりの広大な田園が、果てしなく広がっていた。
西の空が、燃えるような深い茜色に染まり始めている。
風が完全に止んだ夕暮れ時。
水を張った広大な田んぼは、波一つない巨大な水鏡へと変貌を遂げていた。
そこには茜色の夕空と、少しずつ色を濃くしていく雲、そして遠くに連なる森の木々のシルエットが、一切の歪みなく完璧に反射している。
上下の境界線が消え去り、自分たちが空の真ん中を歩いているかのような錯覚に陥る光景――。
王都の無機質な石造りの街並みでは決して見ることのできない、天地が反転したかのような幻想的で雄大な絶景だった。
「……まあ……なんて美しい景色なのでしょう」
コルネリアはファノーネの背の上で息を呑み、その圧倒的な美しさに完全に魅了されていた。
カエラムもまた、ファノーネの歩みを少しだけ緩め、自然が織りなす芸術品を静かに瞳に焼き付けていた。
やがて、太陽が完全に地平線の向こう側へと沈み、西の空の茜色が、夜を告げる深い群青色へとゆっくりと溶け込んでいく。
夜の帳が降り始め、周囲の景色が少しずつ闇に包まれていった頃――。
ファノーネの背に揺られていたコルネリアがふと、田園の奥、清らかな小川が流れる水辺の草むらに、小さな光がいくつも点滅しているのに気がついた。
「先生、あそこ……小さな光の雫のようなものが、いくつも瞬いておりますわ。空から星が舞い降りてきたのでしょうか?」
彼女の指差す先を見つめたカエラムは、それが何であるかを即座に察し、アンバーの瞳を優しく和ませた。
彼はファノーネの手綱を静かに引き、馬の歩みを完全に止めた。
「近くで見てみましょう」
二人はファノーネの背から音を立てずに降り、馬をその場に待たせたまま、足音を忍ばせて水辺へと歩み寄っていった。
近づいてみると、それは空から降ってきた星などではなかった。
明滅しながら水辺を静かに――そして、優雅に舞う無数のホタルの群れであった。
淡く儚い黄緑色の光が、夜の闇の中にいくつもの美しい軌跡を描いている。
小川のせせらぎという静かな水音が響く中、光の群れは二人を歓迎するかのように彼らの周囲をゆっくりと旋回し、その空間をまるで夢の中の光景のように幻想的に彩っていた。
患者の家を離れ、ただ二人だけの世界になったことを確認すると、カエラムはコルネリアの背後に静かに回り込み、その華奢な肩を自身の広い腕でそっと包み込んだ。
「ネリー……あなたの言う通り、本当に夜空の星が水辺に舞い降りたかのようですね」
耳元で囁かれたその低い声の響きに、コルネリアの心臓が甘い熱を帯びて高く跳ねる。
彼女は彼の広い胸に自身の背中を完全に預け、見上げるような形で、幸福に満ちた微笑みを返した。
「はい。王都のどのような豪華な夜会よりも、ずっと、ずっと美しいですわ」
ホタルの淡い光が、互いの顔を優しく照らし出している。
カエラムは彼女の肩を抱く腕に少しだけ力を込め、彼女の滑らかなホワイトブロンドの髪に優しく唇を落とした。
髪に触れる彼の温かい唇の感触と、背中を包み込む絶対的な安心感。
コルネリアはそっと目を閉じ、この瞬間のすべてを自身の魂に刻み込むように、小さく息を吐き出した。
初夏の夜がもたらした、光の妖精たちの舞踏会。
水を張った田園が静かな夜気を放つ中、星空の下で寄り添う二人の間には、魔法のように甘く――そして、ロマンチックなひとときが優しく流れていくのだった。




