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冤罪で追放された伯爵令嬢は、森の奥の診療所で天才医師の胃袋を掴み、愛されながら幸せなスローライフを満喫します  作者: 白月つむぎ


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101 自分たちの手で探し出した海の幸ですから、美味しさもひとしおですわね

 夜明けの空が、淡い藤色から次第に明るい空色へと染まり変わっていく頃。

 森の診療所のキッチンスペースからは、野菜の甘みがたっぷりと溶け出した温かいスープの匂いが漂っていた。


 昨夜の海老の宴を心ゆくまで楽しみ、長椅子で深い眠りについていたモゼは、コルネリアが用意したそのスープを飲み干し、大いに満足した様子で息を吐き出した。


「あー、五臓六腑ごぞうろっぷに染み渡るわ! 昨夜の濃厚なガーリックシュリンプも最高だったけれど、この朝の優しい味付けのスープも絶品ね。根菜や葉野菜の甘みが、身体の隅々まで活力を巡らせてくれるのがわかるわ」


 身支度を整え、表で待たせていた自身の逞しい馬に颯爽さっそうと跨ったモゼを、カエラムとコルネリアの二人が外の小道まで並んで見送る。


「美味しいお食事と楽しい時間を、本当にありがとうございました。道中お気をつけて」


 コルネリアが丁寧なお辞儀をすると、モゼは気前よく笑って片手を振った。

 そして、ふと何かを思い出したようにサファイアの瞳を輝かせ、馬の首筋を叩く手を止めた。


「そういえば、今は南の海岸で、とても身の詰まった大粒のアサリが獲れる季節なのよ。今日は休診日なのでしょう? せっかくだからたまには診療所を閉めて、二人で潮干狩しおひがりデートでもしてきなさいな!」


 モゼは意味ありげな視線をカエラムへ向けて快活に笑うと、そのまま馬を走らせて朝の森へと帰っていった。

 モゼの背中が木々の向こうへ見えなくなった後、二人は顔を見合わせて微笑み合い、彼女の提案通りに南の海へ出かけることを決めた。


 ――とはいえ、家を空ける前にやるべき日課がある。

 コルネリアは裏庭へ回り、成長を続ける菜園の野菜たちへたっぷりと水を与えた。


 その作業を終え、空になった水汲み用の木桶を運ぼうと振り向いた時のこと。

 水気を多く含んでわずかにぬかるんでいた土に足を取られ、彼女は単なる不注意から大きく体勢を崩してしまった。


 ――しかし、彼女が泥まみれの地面に倒れ込むよりも早く、背後から伸びてきた力強い顔が、彼女の衣服の背中部分を器用に咥え込んだ。

 そのままふわりと身体が持ち上げられたかと思うと、コルネリアは馬小屋の前に立っていたファノーネの背中――丁寧に磨き上げられた革のくらの上へと着地させられていた。


 驚いてペリドットの瞳を丸くするコルネリアに対し、ファノーネは「私に乗れば安全だ」とばかりに自信に満ちた呼気を漏らし、自慢のたてがみを微風に揺らした。

 その一連の滑らかなやり取りを見ていたカエラムが、アンバーの瞳を細めて優しく笑う。


「おや。私たちの優秀な相棒のおかげで、もう出発の準備が完全に整ったようですね。それでは、春の海へ向かいましょうか」


 カエラムがコルネリアの後ろに跨り、彼女の腰の両側から腕を伸ばして手綱を握る。

 密着した背中から伝わるカエラムの確かな体温と、ファノーネの心地よい揺れに身を委ねながら、二人は初夏を思わせる温かな陽気の中を南へと進んでいった。


 森の木々が少しずつまばらになり、視界が一気に開けた瞬間――コルネリアは歓声を上げた。

 目の前に広がっていたのは、どこまでも続く晴天の空の色をそのまま映し出したような、広大な青い海である。

 太陽の光を反射して眩しく輝く砂浜が、緩やかなを描いて遠くまで続いていた。


 潮の香りが微かに混ざる風が吹き抜け、波が打ち寄せては引いていく規則正しい音が鼓膜こまくを打つ。

 遠くでは海鳥うみどりが穏やかに空を舞っている。


 ファノーネを安全な木陰に繋ぎ、二人は靴を脱いで裸足になった。

 きめ細かい柔らかな砂の感触が足裏をくすぐり、波打ち際まで進むと、ひんやりとした心地よい海水が足首を優しく撫でていく。


 衣服の裾を少しだけ捲り上げ、二人は砂浜に隠された春の宝探しを開始した。

 コルネリアが手探りで砂を掘り返す中、ふと隣を見ると、カエラムが信じられないほどの真剣な眼差しで足元の砂浜を凝視していた。

 彼の翡翠ひすいの髪が海風に揺れる中、その表情はまるで――極めて難易度の高い手術に臨む外科医のそれである。


「……ここですね」


 カエラムが的確に砂の表面の微小な変化や気泡の跡を見極め、迷いなく指先を差し込む。

 すると、面白いように大粒のアサリが次々と砂の中から姿を現したのである。


「先生、すごいですわ! どうして貝が隠れている場所が的確にわかるのですか?」


「砂の呼吸を読むのですよ。水が引いた後のわずかな凹みや、空気の抜けた跡……ほら、あそこにも隠れています」


 無駄のない的確な動きで収穫を増やすカエラムの隣で、コルネリアも負けじと砂を掘る。

 時には波の飛沫を浴びて顔や服に砂が跳ねることもあったが、それすらも楽しく、二人は時間を忘れて子供のように無邪気な笑い声を海辺に響かせた。

 太陽の熱で温められた砂と、打ち寄せる波の心地よさに包まれながら、森の診療所では決して味わえない開放感に満ちた時間が過ぎていく。


 籠がいっぱいになるほどのアサリを収穫し、診療所へ帰還した二人は、すぐさま貝を塩水に浸して丁寧な砂抜きを行った。


 夜になり、いよいよ大地の恵みと海の幸を掛け合わせた夕食の準備が始まる。

 熱した平鍋にたっぷりのオリーブの油を敷き、細かく刻んだにんにくと微かな辛味を持つ香辛料をじっくりと炒める。


 香りが十二分に引き出されたところで、砂を吐き切ったアサリを鍋に投入し、香り高い白ワインを注ぎ込んで素早く蓋をした。

 蒸気によって貝の口が一斉に開き、濃厚な磯の香りとワインの芳醇な匂いが室内に溢れ出す。


 そこへ合わせるのは、以前街へ買い出しに出た際に、珍しい乾物を扱う商人から購入して大切に保管していた細長い乾麺――パスタである。

 絶妙な硬さに茹で上げたパスタを鍋に加え、少量の茹で汁を足すことで油と水分を滑らかに乳化させる。

 アサリから溢れ出た旨味の詰まった汁を、麺の一本一本にしっかりと吸わせるように手早く絡めていく。


 仕上げに、菜園で摘んだばかりの鮮やかな緑色のパセリを散らせば、至高のボンゴレ・ビアンコが完成した。

 湯気を立てる大皿を円卓の中央に置き、二人は向かい合って席に着いた。

 手を合わせたあと、フォークに巻きつけたパスタを口に運ぶと、強烈なアサリの旨味が瞬時に味覚を支配した。


「……素晴らしい。噛むたびに海の豊かな出汁が広がり、にんにくの風味がそれを完璧に下支えしています。商人の元で手に入れたこの乾麺が、これほどまでに奥深い味わいを生み出すとは」


 カエラムが感嘆かんたんの息を漏らし、コルネリアもまたペリドットの瞳を細めて深く頷いた。


「自分たちの手で探し出した海の幸ですから、美味しさもひとしおですわね」


「ええ。モゼさんの言う通り、本当に素晴らしいデートになりました。海辺で砂まみれになってはしゃぐあなたの笑顔も、とても愛らしかったですよ」


 カエラムの真っ直ぐな言葉に、コルネリアは顔を朱色に染め、照れ隠しのようにアサリの身をもう一つ口へと運んだ。


 窓の外からは、夜の森を抜ける涼やかな風の音が聞こえてくる。

 春の海の記憶と、絶品のパスタがもたらす幸福な余韻に包まれながら、二人の甘く穏やかな夜は静かに更けていった。

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