第36章 決戦前夜
アキラの部屋は、いつもより少し明かりを落としてあった。
夕刻の柔らかな光が窓から差し込み、机の上に並んだ書類や聖剣の一覧表に影を落としている。
リリアーナは小さな皿に盛られたピンチョスをつまみながら、アキラの前に座っていた。長い一日を経て、ようやく二人だけで静かに過ごせる時間だ。
「……本当に、ここまで準備できたのね」
リリアーナは淡い微笑を浮かべながら、アキラを見つめる。
その瞳には緊張の影がわずかにあるものの、どこか落ち着きも感じられた。
アキラは手元の書類を整理しながら頷いた。
「ああ。鑑定も修復も、できることは全部やった。後は騎士たちを信じるだけだ」
リリアーナはピンチョスを口に運び、軽く噛みしめる。
その仕草を見たアキラは、心の中で小さな微笑みを浮かべつつも、少し嫉妬を覚える。
ナイトが彼女にじゃれつき、白い毛をふわふわと揺らして頭をこすりつけているのだ。
「……ナイト、リリアーナに甘えてすぎじゃないか」
アキラは思わず口に出す。
リリアーナはくすりと笑った。
「かわいいでしょ? ナイトは私にも懐いてくれるのよ」
ナイトは尻尾を大きく振り、羽を小さく震わせながらリリアーナの膝に前足をかける。
アキラは小さく肩をすくめ、その様子を眺めていた。
ナイトはランク的にはドラゴンとも互角だが、まだ誕生して間もない。
アキラも、騎士でも冒険者でもない。
戦闘経験もダンジョンに1度行っただけでは、ドラゴンとの戦いには巻き込めないと王宮から判断された。
ただ、個人の護衛としては、これほど頼もしい存在もそうそうない。
「護衛は頼むぞ、ナイト」
アキラは静かに言い、ナイトの頭を撫でる。
ナイトは嬉しそうに顔を擦りつけ、軽く鼻を鳴らした。
二人はしばらく黙って、部屋の中の静けさと、外の城下町の喧騒を感じながら時間を過ごした。
「……アキラさん、私たち、本当に大丈夫かしら」
リリアーナは小さく問いかける。
その声にはほんのわずかの不安が含まれていたが、同時に強い覚悟も感じられる。
アキラは彼女の手を取り、優しく握った。
「大丈夫だ。あとは騎士たちに任せるだけだ」
リリアーナは静かに頷き、微笑む。二人の間には言葉にならない信頼が流れていた。ナイトもその輪に加わり、三者の絆を確かめるかのように、そっと体を寄せてくる。
その頃、王宮では国家総力戦に向けた最終確認が行われていた。王のバルティウスは、各地の騎士団長、大臣、顧問官たちを集め、戦略会議を進める。
「ドラゴンの到来地点での市民避難は、すでに完了している。被害を最小限に抑えるため、騎士団が街道封鎖と安全地帯の確保を行う」
副官が報告すると、バルティウス王は静かに頷いた。
大臣たちも各自の管轄でバックアップ体制を確認する。
「補給物資は十分に確保済み。薬草、エリクサー、治療用の魔法具も各地に配備済みです」
「飛行魔法や防御魔法の展開計画も完了。被害予測は最小限に抑えられるでしょう」
王宮内の空気は緊迫しているものの、確かな秩序が感じられた。アキラが鑑定した聖剣も、中央に整然と並べられ、明日の戦闘準備が完了している。
「……国家総力戦の準備、これにて完了だ」
王はゆっくりと言った。部屋に集まった全員の顔に、覚悟と緊張が浮かぶ。
明日、アルセリオンの未来を懸けた戦いが始まるのだ。




