蒸気に包まれた村
アラン=ド=モーガンと名乗る少々変わった貴族の男と出会ってから一週間。
エイトはひたすらに依頼をこなし、冒険者ランクをランクEまで上げると共に、レベルを20に上昇させていた。
あと一つランクを上げれば冒険者として一人前と判断されるのだが、そのランクEからランクDの間には大きな隔たりがあり、ランクアップは容易なものではない。ランクDに上げる為に、水棲の魔物であるウォーターリザードを討伐しなければならないからだ。
エイトのゴーレムならば容易く倒せるのではと思えるのだが、そこはやはりゴーレム。金属製であれ、鉱物製であれ、ゴーレムは水の底に沈んでしまう。故に、エイトにとっては水上と水中は弱点。
勿論、普通の冒険者にとっても水中にいる魔物を倒すのは困難だ。弓も深くにいる魔物までは届かないのだから仕方ない。かと言って水中に入れば、ウォーターリザードの餌食になってしまう。
つまり、エイトにしろ通常の冒険者にしろ、水棲の魔物であるウォーターリザードとは、ランクD未満の冒険者達にとっては鬼門の魔物になっているのだ。
そのランクアップに必要なウォーターリザードを討伐する為に、エイトは苦肉の策で大きな網を用意し、目的の魔物が棲む巨大な湖へと三日間をかけて徒歩でやって来ていた。
「でっけぇ湖だなぁ………まるで海に来たのかと勘違いする程だ」
エイトは目の前に果てしなく広がる水面を見て、思わず感嘆の声を漏らす。
湖の大きさは日本に存在する琵琶湖の半分程もあり、水深は一番深い所で1㎞以上にもなる。そんな湖を目にしたら、エイトのように呆然としてしまうのも無理からぬ事だと言える。
かつて未開地であったこの場所を開拓した騎士の名を取り、ラウール湖と呼ばれているこの湖は、けっして枯れる事もない為に、付近の動植物や魔物にとっては恵みの水源となっている。
「さて、取り敢えず網を使ってみるか」
エイトが空間倉庫から取り出したのは、長さ30mの大きな網。
その大きな網を、エイトは錬成したゴーレムロックに持たせ、湖の中を進ませる。
そして、ある程度ゴーレムロックが進むと、今度は折り返して戻って来る。勿論、ゴーレムロックの手には網が握りしめてあるままだ。
エイトが何をしたいのか説明すると、つまりは地引き網をするつもりなのだ。
もっとも、それで目的のウォーターリザードが網に掛かるとは思えないのだが。
「ゆっくり、ゆっくり……そうだ、ゆっくりと網を引いてくれ。掛かったかな?」
ゴーレムロック二体に網を引かせながら、エイトはワクワクした様子を隠さず、水面をこれでもかと睨み付ける。
しかし、やはりと言うべきか、水揚げされた網にはウォーターリザードの姿は見付からなかった。
その代わり、無数の魚が網に掛かっており、ある意味では大成功と言えなくはない。
とは言え、目的とは違っている為、エイトは唇を尖らせながら不愉快そうに唸る。
エイト自身、そんなに上手くいくとは思っていなかったのだろうが、ウォーターリザード以外の魔物すら掛からなかったのは想定外だったのだろう。
ただし、まだ一度だけの挑戦なのだ。繰り返す内に目的のウォーターリザードが掛かる可能性もゼロではない。
そんな少ない可能性に賭けて、エイトは網に掛かった魚を締め空間倉庫に収めると、200m程横に移動して再びゴーレムロックに指示を飛ばし漁を始める。
だが、日が傾く頃まで根気よくチャレンジし続けたのだが、魚と違って魔物であるウォーターリザードは中々網に掛かる事はなかった。
「ぐぬぬぬ………やっぱり無理なのかなぁ、はぁぁ。今日は終わりにして、近くの村で宿を取って休もう………」
ラウール湖に到着するまでの三日間、道中に村は存在しなかった為に、エイトは必然的に野宿を強いられていた。
その事もあり、ただウォーターリザードが網に掛からなかったというだけではなく、流石に疲れがたまっていたのか、眉を八の字にして項垂れている。
エイトは疲れたサラリーマンの様に、ラウール湖に背を向け重い足どりでその場を去った。
そして、移動を始めて一時間が経過した頃、漸く村と思わしき光景がエイトの目に入った。これで疲れた心と体を癒せると笑顔を浮かべるものの、それも一瞬だけの事で、笑顔は直ぐに目を見開く驚きの表情へと変化した。
エイトが驚いた理由、それは村の風景だ。あちこちの民家と思わしき建物が焼け落ち、村全体から蒸気が立ち上っているのだ。
その光景から、エイトは村が何者かに襲われているのだと結論付け、力強く大地を蹴り駆け出す。
しかし、村とエイトの距離が縮まるにつれ、走るスピードも徐々に緩やかなものへと変わり、やがて村の入り口に到着すると、エイトの足は完全に止まってしまった。
(これは……温泉か!? てっきり村が襲われているのかと思ったけど。でも……何で建物の半数近くが焼け落ちてるんだ? それに、無事な奴とそうでない奴が、隣同士に混在してるのが不自然だ。何故だ?)
二百軒近くある建物の内、無事な姿の建物は半分をやや下回る程しかなく、それ以外は全て焼け落ちている。
しかし、その焼け落ちた建物は、既に焼け落ちてから数ヶ月、あるいは一年以上は経過している様に見える。
つまり、遠目から見た蒸気は純粋に湧き出た温泉によるもので、現在進行形で建物が燃える事によって出ていた煙ではないという事だ。
その事実に、エイトはホッと胸を撫で下ろすものの、何故こんなに沢山の建物が焼け落ちたのか疑問に思う。
通常であれば、火災により建物が燃えたとしても、炎上している建物の前後左右までならば飛び火するかもしれない。しかし、数軒先の建物に飛び火する事は稀だ。
なのにも関わらず、焼け落ちた建物は全て所々の建築物しか焼け落ちておらず、健在な建物と、そうでない建物が隣同士で存在していて、非常にチグハグな印象を与えている。
まるで、同時多発的にあちらこちらの建物で火災が発生したかのようだ。
(……………放火、か?)
エイトは、村の様子を見て直ぐに一つの可能性を導き出した。
恐らく、エイトが出した可能性の一つが最も高いものの一つだろう。勿論、他にも可能性としてはあるが。
ともあれ、そんな村の現状を見て、エイトは宿屋があるのか疑問に思う。現在の村のようになる以前ならば、宿屋も当然存在しただろうが、今の状態の村では望み薄だろう。
エイトは、内心で宿屋がなかったら野宿しかないと心配しつつ、村の中をゆっくりと進んで行く。
しかし、そんなエイトの心配とは裏腹に、村の中心に辿り着くと、ブリッツの街にある癒しの雫亭以上の立派な宿屋が目に映った。
「おぉ、でっけぇ宿屋だなぁ! この村には温泉も湧いているみたいだし、風呂にも期待できるな!」
実は、エイトはエルドラドへと転移してからというもの、風呂には一度も入ってはいない。ブリッツの街に存在する高級宿屋である癒しの雫亭でも、風呂はなかったからだ。もっとも、更に高いランクの宿屋であれば、風呂付きの宿屋もある。
しかし、そうなると当然、一泊の値段は高くなる。底ランクの依頼しか請けられないエイトにとっては、敷居が高過ぎるのだ。
となると、湧き出る温泉から立ち上る蒸気に包まれたこの村なら、エイトの念願の風呂も存在するだろう。しかも、ただの風呂ではなく、露天風呂もある可能性も。
エイトも同様の結論に至った様子で、期待に満ちた笑顔を浮かべ、勢いよく宿屋の扉を開けて入る。
「………………あのー、すいませーん! ……………えっと……もしかして、宿屋閉まってるのか?」
宿屋のカウンターで、エイトは店員を呼ぼうと声を上げるのだが、一向に店員は姿を見せない。その事に少々不安げな表情を見せるエイト。
「マジかよ……野宿はしたくないんだけどなぁ」
勝手に宿屋を使う訳にもいかず、エイトは肩を落として建物から出ようとカウンターに背を向ける。
すると、店の奥から元気のない声がエイトへと掛けられた。
「珍しい……久しぶりのお客さんですかな」
「あっ、えっと、この宿の店主ですか?」
エイトの問いに、尋ねられた老人は頷くことで答える。
その年老いた老人の店主は、カウンターに腰掛けると、またも力のない、疲れた様子で口を開く。
「一番グレードの高い部屋は、一泊で金貨一枚と銀貨五枚。一番低い部屋で、一泊銀貨五枚。中間の部屋で、一泊金貨一枚です。どの部屋になさいますかな?」
老人がエイトへと伝えた料金は、ブリッツの宿屋と比べると異常な高さになる。
その事に驚くエイトだが、冷静に考えると、実はそうでもないのかもしれないと思い直す。何故なら、この宿には癒しの雫亭にはない風呂が存在するだろうと思われるからだ。しかも、ただの風呂ではない天然の温泉だ。
そう考えると、料金が普通の高級宿屋より高くても仕方ないと言える。
だが、問題が一つ。どの部屋を選んでも風呂に入れるのかという所だろう。
「えぇと、どのグレードの部屋でも風呂に入れますか? って言うか、温泉ありますよね?」
「勿論ありますし、入れますよ。ただ、一番高いグレードの部屋なら、個人風呂が付いてます。とは言っても、他のお客さんがいない現状では、どのグレードを選んでも風呂は独り占めですがな」
天然の温泉が湧き出る風呂が存在するのにも関わらず、エイトの他には客は存在しないようだ。
その理由は恐らく、村の建物があちこち焼け落ちているのが関係しているのだろう。そして、宿屋の店主の元気がないのも同様の理由だと判断できる。
しかし、それはエイトには関係ない。そのため、エイトは笑顔を浮かべて嬉しそうに金貨一枚を取り出すと、店主に手渡した。
「ふむ、それでは二階の十番の部屋へ。階段を上がって直ぐの部屋です。鍵をどうぞ……それから、お食事は一番高いグレードの部屋ですと、お部屋まで料理を運ぶのですが……すみませんが、お客さんの場合ですと、右手の広間が食堂になってますので、そちらでお願いします」
やる気がないと言うより、まるで全てに疲れきっているといった様子の老人は、エイトにそう伝えると会釈をして静かに店の奥へと引っ込む。
その姿は哀愁を振り撒くものであり、流石に久しぶりの風呂に、上がっていたテンションも下がるエイト。
しかし、焼け落ちた村の事情も知らず、尚且つ村の人間でもないエイトにとってはどうする事もできないのは事実だ。
その為、村の様子や店主の様子が気にはなるものの、エイトはそれを振り払うように頭を左右に大きく振り、久方ぶりの風呂へと直行する。
そして、大浴場とでも言える風呂を独り占めにして、長い時間をかけて疲れた心と体を癒す。
その後は食堂で、店主の息子と思われる者が作った料理を摂り、部屋で深い眠りへとついた。




