第七章 ポータルとして
「すまないけれど、高速に入るまでフードは被っていてくれ。目立つから」
スグルはハンドルを握ったまま、ちらりと俺の方を見て言った。
金髪のフランソワが助手席に座っている――それだけで、確かに目立つ。
「傷害事件として警察も動き出すだろう。彼らから証言を取れば、当然、犯人である私たちの捜索が始まる。私はただの日本人だから紛れられるが……君は、どう見ても目立つ」
『いや、あなたも十分目立つでしょ』
心の中で突っ込みながら、同時にこの旧式スカイラインの存在感にも不安を覚える。
街中で走れば、そりゃあ視線を集めるに決まっている。
案の定、町に入ると二車線の国道を走る車の運転手たちが、次々とこちらを覗き込んでいく。
珍しい車に加えて、排気音がやたら大きい。
歩道の通行人の中には、助手席の俺の顔を見て目を丸くする者までいた。
髪は隠しているが、西洋人の美女の顔は隠しようがない。
「東京まで六時間ほどだ。辛抱してくれ」
スグルが淡々と言う。
「うちまで送ってくれるんですか?」
と聞いた瞬間、
「その姿では無理だろう」
と切り捨てられた。
確かに、俺は今フランソワの身体だ。両親に説明できるはずがない。
「私が四年前まで住んでいた部屋が、まだそのまま残っている。そこに……」
スグルは言葉を濁した。
迷っているのだ。
“ワタル”である俺を受け入れるべきか、しかし身体は若いフランス女性。
しばらく同居することになるのか――その現実に、彼自身も戸惑っている。
「しばらく東京で身を隠して、様子を見るしかないからね」
言い訳のように付け加えるスグル。
俺も反論できない。
元に戻るために動かなければならないが、何をどうすればいいのか、まったく見当がつかない。
唯一思いつくのは、滝の洞窟に入ること。だが、それが解決につながるという確信はない。
むしろ、戻れなくなる可能性が高い。
スグルも「入れ」とは言わなかった。
「滝の使命は終わった」とも言っていた。
「俺とミツコさんにあって、スグルさんにない“感性”って何ですか?」
気になっていたことを口にすると、スグルは少し考え、
「長い旅になる。時間つぶしに話そう」
と前置きして語り始めた。
「まず、うちの家系だが……室町時代、守護として今の場所に居を構えたと言い伝えられている」
「それ以前は?」
「記録にない」
素っ気なく言い切る。だが、その裏に何かあると直感が告げた。
その瞬間、映像が脳裏に浮かぶ。
滝の部屋――座敷牢に閉じ込められた、発狂した老人。
「おじいさん……」
思わず呟くと、スグルがふっと笑った。
「そうだね。君には何でも見えてしまうから……」
自嘲気味に言い、
「君と姉にあって、私にないのは、それだよ」
と続けた。
「私の祖父はウメド家の当主だったが、発狂してしまい、代々伝わっていた文献をすべて燃やしてしまった。だから正確なことはわからない。すべて言い伝えだ」
「俺が覚えているのは、祖父が滝の部屋――座敷牢に閉じ込められていたことだ」
滝の部屋は、実際に牢として使われていたのだ。
「父は若くして当主になったが、私が小学生の時に亡くなった。祖父、父と続けて若くして亡くなったから、私はウメド家を継ぐことを拒んだ。それも理由の一つだ」
スグルは少し間を置き、低い声で続けた。
「祖父は……感性が強すぎたんだと思う。見えすぎて、耐えられなくなったのだろう」
ああ――と、俺は妙に納得した。
俺の場合は、自分が夢想したフランソワになってしまったことで、すでに“おかしくなる”段階を飛び越えてしまっているのかもしれない。
「滝は、もともとあったんですか?」
「それも言い伝えだが……ウメド家の始まりとされるウメド・カツナリが守護に任命されたとき、“滝を探せ”という天命を受け、山中で滝を見つけ、屋敷を構えたと言われている」
「滝を隠すために屋敷に取り込み、結界を張った……ということですね」
「そうだ。滝は――フランソワが現れたことでわかるように、ある種のポータルなんだ。どことつながっているかはわからないが」
「ポータルとしての役目は終わったんですよね?」
「終わったとも言えるし……始まったとも言える」
「えっ」
「滝が流れていたことで、ポータルは閉じられていた。滝そのものが結界だったのかもしれない」
「ということは……水が止まった今、ポータルは開きっぱなしになっている可能性がある、と?」
「そうだよね……」
まるで他人事のようにスグルがつぶやいた。
滝の奥から“何か”が出てくる可能性も、逆にこちらが滝へ引きずり込まれる可能性も、俺にはどうしても頭から離れない。
少なくとも、クフ王のピラミッドとは繋がっていた。ただし、血の儀式を行わなければならないが。
そこで、ハッと思いつく。血の儀式を行うのはなにもエジプトだけに限らない。マヤのピラミッドでも行われていたことだ。
ピラミッドはポータルだったのかと……
となるならば、羽咋のウメド家があるお山は……
ピラミッドなの?!
滝がある部屋の奥には玄室があるの?!
「閂も下ろしてあるし、別棟そのものに鍵もかけた。しばらくは安全だよ」
スグルは軽く手で払うように言った。
――警察が強制捜査に踏み込んできたら、そんな悠長なことも言っていられないはずだ。
だが今は、とにかく東京でどう動くかを考える方が先だ。
……
上信越自動車道に入ってしばらくした頃だった。
「ちょっと休憩」
スグルがそう言って、旧式の箱型スカイラインをサービスエリアへ滑り込ませた。
ぶろろろろーん、と腹に響く排気音。
広い駐車場に響き渡ったせいで、周囲の視線が一斉にこちらへ向く。
「トイレ行ってくる」
スグルはそそくさと車を降り、小走りで建物へ消えていった。
俺も何気なく車を降り、フードを外す。
ただそれだけの動作なのに、混み合うエリアの人々が一斉に息を呑んだ。
「え、モデル……?」
「女神様降臨……?」
そんな声まで聞こえる。
魔女めいた衣装の裾をひらめかせながら建物へ向かうと、危うく男トイレに入るところだった。
――危ない危ない。
建物から戻り、スカイラインのボディに片手を置いて立っていると、
いかにも“オタク”といった風貌の青年が、スマホをこちらへ向けてきた。
撮影する気らしい。
ついこの前まで引きこもりだった俺には、彼の気持ちが痛いほど分かる。
だから、軽くポーズでも取ってやろうかと思った、その瞬間。
「ダメだ」
スグルが間に割って入り、青年を制した。
写真は撮るな――当然だ。俺は今、指名手配されてもおかしくない立場なのだから。
青年は舌打ちし、「嫌味な付き人だな」と吐き捨てて去っていった。
「付き人、ね……」
スグルは呆れたように肩を落とし、続けて不機嫌そうに言った。
「乗って」
運転席に座っても、スグルの表情は晴れない。
「まあ、そうなるよな……」
低く呻くように言い、スカイラインは再びエンジン音を響かせて走り出した。
第八章 居合 に続く




