第五章 柔と剛
突然、背後から歓声が上がった。 囃し立てるのような、浮ついた声だ。
振り返ると、欧米系の大柄な男性が六人、いつの間にかすぐ近くまで来ていた。
俺はスグルと話し込んでいたせいで、フランソワでさえ、接近にまったく気づかなかったらしい。
男たちは矢継ぎ早に英語で話しかけてくる。 だが、俺――いや、フランソワには一言も理解できない。 ただ、ひとつだけ聞き取れた単語があった。
「cosplay!」
どうやら、俺の格好を“衣装”か何かだと思っているらしい。 それが面白いのか、彼らはにこにこしながら距離を詰めてくる。
気づけば、五人が俺たちを囲む形になっていた。 スグルも背は高いが、それを上回る体格の男たちに囲まれると、まるで壁のようだ。
胸の奥がざわつく。 フランソワの身体は欧米人としては小柄で、五人に囲まれると圧迫感がすごい。 しかも、彼らの視線は明らかに俺――フランソワに向けられている。
『……嫌な感じだ』
その瞬間、戦場でフランソワが酔っ払った兵士に囲まれた記憶が、稲妻のように蘇った。 胸の奥がぎゅっと縮む。
「帰ろうか」
スグルが静かに言い、男たちに道を開けるよう手で合図した。
だが、正面の男は動かない。 むしろ、挑発するように肩をすくめてみせる。
スグルは一歩前に出て、短く言った。
「どけ」と。
それでも男は退かない。
スグルは仕方なしに男の身体を手で退かせようとした。
男は大げさによろけて見せた。わざとだ。
「ファック!」
と一声吠えると、スグルに殴りかかってきた。
スグルが殴られる!
と思った矢先、スグルは男の手首を軽くつかむと、相手の勢いをそのまま受け流すように半歩横へ滑る。 同時に、自分の腰を相手の懐へと差し込んだ。
――払い腰。
大柄な男の身体が、まるで重力を失ったかのようにふわりと浮いた。
「うわっ!?」
男は腰から落ち、地面に転がる。 気絶はしていないが、完全に面食らった顔でスグルを見上げていた。
『スグルさん……柔道できるの!?』
胸の奥がドクンと跳ねた。 俺自身も驚いたが、それ以上に―― 内側のフランソワが、ときめいたのだ。
『ちょっ、ちょっと待て……!』
俺は混乱した。 だが、確かに胸の奥でフランソワの感情が揺れたのを感じた。
俺としては気色悪いが、フランソワはスグルの格闘する姿を見て、ときめきを覚えたのだ。
しかし、状況は悪化する。 仲間が投げられたことで、他の男たちが逆に勢いづいてしまったのだ。
「スグルさん!」
二人目の男が拳を振り上げて突っ込んでくる。 スグルは避けようとするが、年齢と運動不足が響き、足元がふらついた。
『まずい!』
気づけば、俺の身体が勝手に前へ出ていた。
スグルを助けようとした、その瞬間――。
「……!?」
背後から腕が回され、俺は抱きすくめられた。
大柄な男が、逃がさないと言わんばかりに力を込めてくる。
背中に押しつけられる体温。 首筋に興奮を隠そうとしない鼻息。
ぞわりとした嫌悪感が背筋を走る。と、同時に恐怖も。
そのとき、胸の奥から声がした。
『……またか』
フランソワの声だ。 呆れたようで、しかしどこか達観した――いや、少し楽しんでいるような響きすらある。
『おい、楽しむなよ……!』
俺は心の中で叫んだ。
だが、フランソワの声は静かに続いた。
『大丈夫。まったく問題ない』
その言葉に、俺の心臓が少しだけ落ち着いた。
安心できそうだと思った瞬間だった。 フランソワの身体が、俺の意識より先に動いた。背後から抱きついていた大男の顔面に、鋭い裏拳が閃く。
鈍い音。
男は呻き声を漏らし、鼻を押さえたまま後方へ倒れ込んだ。鼻骨が折れ、脳髄に激震を与えたのだ。
周囲の三人は、何が起きたのか理解できず、ぽかんと口を開けている。
「おい、なにやってんだよ」
仲間の一人が倒れた男に声をかけるが、返事はない。 フランソワの動きが速すぎて、彼らにはただ“倒れた”ようにしか見えていないのだ。
「姉ちゃんよ……」
そう言いながら、ひとりがフランソワに近づき、ローブのフードをそっと外した。
露わになったフランソワの顔を見た瞬間、目がいやらしく細まる。
「ほー……」
と満足げに息を漏らし、手を伸ばして頬に触れようとした。
次の瞬間、男の手首が不自然な角度に止まった。 フランソワが掴み、ひねり上げていた。
「ぐっ……!」
男は抵抗しようとするが、完全に極められた手首に逆らえず、膝をつき、地面へと沈んでいく。
フランソワは、跪ついた男の額に正拳突きを当てた。目にも止まらぬ速さで。
男は座ったまま気絶している。
周囲の男たちは、まだ状況を理解できず、
「ふざけてるのか?」
とでも言いたげに眺めていた。
だが、ひとりが突然、怒号を上げてフランソワに体当たりを仕掛けた。
フランソワは軽く身をずらし、相手の足に自分の足を絡める。 巨体が宙を舞い、地面に叩きつけられた。
残った男は、ようやく異常事態に気づいたらしい。 だが相手は小柄な女性。偶然だ、と自分に言い聞かせたのか、拳を振り上げて突っ込んできた。
フランソワは避けない。 掌底が、男の胸に正確に当たった。
男はその場に崩れ落ち、動かなくなる。
同時に、スグルと組み合っていた男が、フランソワの動きに気を取られた一瞬の隙を突かれ、背負い投げで地面に叩きつけられた。
――六人の大男が、全員倒れた。
俺は呆然と立ち尽くす。
フランソワの動きは、俺の身体の動きでもあるはずなのに、まるで別人のように洗練され、容赦がない。
フランソワは、カンフーの師ソンエイに武術を叩き込まれ、ナポレオン戦争の最前線で軽歩兵隊長として生き残ってきた。 その経験が、現代日本の田舎で炸裂しているのだ。
誇らしさすら感じかけた、その時だった。
フランソワがローブの脇差・サダムネに手を伸ばし、抜き身を引き抜いた。
「ま、待て……!」
最初にスグルに投げられ、座り込んでいる男へと歩み寄る。 刃先が、迷いなく相手へ向けられている。
男は恐怖に顔をゆがめ、声にならない声を漏らした。
――切るつもりだ。
喉を割くか、胸に突き立てるか。どちらにせよ、絶命させるつもりだ。
胸の奥が凍りつく。 フランソワは戦場の兵士だ。倒れた敵にはとどめを刺す。それが“生き残るための常識”として染みついている。
俺は必死に身体を止めようとする。 だが、フランソワの意思は強く、足は止まらない。
その時だった。
「やめろー!」
スグルの叫びが、空気を震わせた。
フランソワの足が止まる。 俺の意識もハッと覚醒し、自分が何をしようとしていたのかを理解した。
スグルは胸を押さえながら、苦しげに言う。
「いいか……逃げるぞ」
俺の手を掴み、坂道を駆け下りようとする。
冷静さが戻るにつれ、現実が押し寄せてくる。
外国人観光客らしき男たちを六人も倒してしまった。一人は重体かもしれない。
これは事件だ。大事件になってしまうかもしれない。
フランソワにとっては“戦場の延長”でも、現代日本では通用しない。
逃げるしかない。
走り出す直前、フランソワは座り込んで震えている大男の頭を、真剣の峰で軽く叩いた。
男は短い呻きを漏らし、そのまま意識を失った。
俺たちは、坂道を駆け下りた。
第六章 走れケイバン に続く




