第四章 モーゼの墓
軽バンが走り出す。
向かう先は隣町・宝達志水町にある“モーゼパーク”。 モーゼの墓があるという、あの場所だ。
なぜか胸の奥がざわつく。 理由はわからない。
だが、そこへ行かなければならない――そんな直感だけが強くあった。
「何もないところだよ」
ハンドルを握りながら、スグルさんは言う。
「ただの山だ。ハイキングにはちょうどいいくらいの。中腹にぽつんと墓があるだけさ。行けばわかる。拍子抜けするよ」
それきり、車内は静かになった。
フランソワの身体は前方をまっすぐ見据えている。
俺は景色を眺めたいのに、視線は微動だにしない。 警戒しているのだ。 たぶん、車に乗るのが初めてなのだろう。 馬とは違う揺れに、緊張しているのが伝わってくる。
そんな張り詰めた空気のまま、モーゼパークに到着した。
数台でいっぱいになる小さな駐車場に軽バンを停める。
俺は脇差を腰に差し直し、助手席から降りた。
ちょうど別の車から降りた若いカップルが、俺を見て固まった。
異様さと美しさ――その両方に圧倒されたのだろう。
フランソワの身体は二人を一瞥し、すぐに登山道へ向き直る。
背後で、男の方が小さく感嘆の息を漏らしたのがわかった。
スグルさんは苦笑しながら、俺の後ろについて坂を登り始めた。
山道を登る俺の足取りは、まるで誰かに引っ張られているかのように軽かった。
いや、正確には――フランソワの身体が勝手に進んでいく、と言ったほうが近い。
車が通れるほど整備された道は歩きやすく、普通ならハイキング気分になってもおかしくない。 だが、俺の内側では妙な高揚感が渦巻いていた。
「はぁ……はぁ……ちょっと待ってくれ……!」
後ろからスグルの息切れが聞こえる。
彼は必死に追いかけてくるが、俺との距離はどんどん開いていく。 そのたびに俺は立ち止まり、彼を待った。
ちなみに、俺はサンダルを履いている。祖母ミツコの使用していたものだ。俺、ワタルのスニーカーはサイズが合わなくて履けなかった。
サンダルを履くときは何も考えていなかったが、フランソワが祖母の部屋から麻ひもを持ってきて、踵を固定してくれた。 そのおかげで、山道でも驚くほど歩きやすい。
「こういうところ、ほんと抜け目ないよな……」
感心しつつも、俺の身体は息一つ乱さず山を登り続ける。 汗すらかかない。
対照的にスグルは途中のベンチに倒れ込んだ。
「ここからは一人で行ってくれ。僕は……ここで待つ……」
完全に限界らしい。
俺は案内板を頼りに“モーゼの墓”へ向かった。
だが、示された地点に墓らしきものはない。 ただ山道が続いているだけだ。
『そういえば、父さんも母さんも迷ったって言ってたな……呼ばれた人しか辿れないって』
立ち止まってを見回すと、一羽のツグミが鳴きながら崖の向こうへ飛んでいった。
その3メートルほどの崖の法面に、細い小道のようなものが見える。
気づいた瞬間、俺の身体は勝手に駆け上がっていた。
崖を登り、林を抜けると―― そこには、五メートル四方ほどの小さな広場があった。
中央に積まれた小石。 その周りに四本の卒塔婆。
「……これが、モーゼの墓?」
あまりに質素で、拍子抜けした。
卒塔婆を調べても戒名が書かれているだけで、特別なものはない。
『何も……感じないな』
フランソワの感覚に意識を委ねようとするが、胸の奥は静まり返ったままだ。
失望して帰ろうとしたとき、さっきのツグミが近くの枝から飛び立った。
その方向を見ると、林がわずかに開けていて、遥か下に海が見える。
『あ……母さんが言ってた。「海が見える」って』
だが、海は遠い。 普通なら波の音なんて聞こえるはずがない。
なのに――聞こえた。
ザァァ……ン。
『これは……俺じゃない。フランソワが聞いてるんだ』
次の瞬間、映像が脳裏に飛び込んできた。
――木造の古い船。
――どこか中華風の装飾。
――その船首に立つ“俺”。
――遥か彼方の陸地を、希望に満ちた目で見つめている。
理解した。
『これは……俺の祖先だ。海を渡って、この地に来たんだ』
だが、なぜ中華風の船なのか……?
疑問が浮かんだ瞬間、映像は霧のように消えた。
身体が勝手に動き出す。
崖を駆け下り、山道へ戻る。 まるで風になったように軽い足取りで。
あっという間に、スグルのいるベンチまで戻った。
「何かわかったかね?」
スグルが立ち上がりながら尋ねる。
「たぶん……」
見えたのは、船と海と、遠くの陸地だけ。 それでも、胸の奥に確かな感触が残っていた。
「私たちの先祖は……海を渡ってきたんだと思います」
「ほう。それで、いつ頃?」
「さあ……」
「どこから?」
「さあ……」
答えられない俺を見て、スグルは豪快に笑った。
「ははは! 結局、何も分かってないじゃないか!」
確かに、答えはまだ霧の中だ。 だがらこそ、行かなければならない。
どこへ? どっかへ。
第五章 柔と剛 に続く




